†悪魔の光†
「今だ!攻めろ!!」
進軍するキムラスカの軍勢。
赤い集団の波は青い海原になだれ込み
その勢いを増していく。
ローテルロー橋はまるでドミノを倒すように
青から赤へと端から色を変えていった。
譜術を得意とするマルクト軍は、
その懐に飛び込まれると脆いものだった。
肉弾戦を得意とするキムラスカの兵には
接近戦では適わないのだ。
「雑魚は無視だ!」
「指揮官を探せ!」
そんな雑兵をしとめるなどキムラスカには雑作も無い。
目標は、指揮官。
其れを潰せば、この戦の勝利は確定したも同前。
「進め!指揮官を吊るし上げろ!」
キムラスカ軍を率いるのは、
ニコラス・スティール将軍。
部下からの信頼も厚い弓術に長けた猛将だ。
彼の指揮によるキムラスカのこの圧倒的優勢を見るに、
その実力は明らかだった。
「将軍、マルクトの指揮官を捕らえました!」
「いたか!」
「はい!ですが…」
攻め込んだマルクトの本隊から引きずり出されて来たのは
厳つい豪将などではなくて。
「…女…だと?」
ニコラスの前には、後ろ手に縛られた
華奢な美しい女性が居た。
蜂蜜色の髪にルビーのような瞳、そして透けるような白い肌は
まるで雪の上で追い詰められた子兎のような印象を見るものに与える。
「キムラスカの将軍殿は視力があまり良くないようだね」
「!…男、か」
その美しい顔から発せられた声は、女性では無く。
それは女性と見間違う程の美しい少年だった。
「貴殿がマルクトの指揮官か」
「そうだと言ったら?」
隠す事も無くその少年は、自らが指揮官である事を認めた。
その言葉を聞き、少年の首にキムラスカ兵の剣が数本突き付けられる。
「待て」
ニコラスは部下を制止し、少年を見る。
剣を突き付けられても顔色ひとつ変えないとは、 たいした魂だ。
服装から見るに高位譜術士なのだろう。
この歳で指揮官をまかされるというからには、
相当の実力の持ち主ということが伺える。
生かしておくとやっかいなことは確かだ。
とはいえ、まだ先の長い若者だろうに…。
「もう戦況は明らかだ、無駄に命を捨てる事もあるまい。
全面降伏してはどうだ?」
ニコラスはその幼き将に、降伏を促す。
少年は、少し俯いたかと思うと
再びあげた顔に天使のような笑みを浮かべ、言った。
「お断りしますよ」
「な…」
救いのような申し出をあっさりと断わると、
少年は何かを呟いた。
「慈悲深き氷霊にて…」
「!!」
聞こえたのは、譜術の詠唱。
「清冽なる棺…!?」
だが少年の口は、即座にニコラスの大きな手によって塞がれ、
後ろに押し倒され、頭を地に叩き付けられた。
「ッ…!」
「外見で油断をさせ隙をつき詠唱…か」
不意打ちの様に紡がれた呪文は、
詠唱途中で途切れる。
「この地の属性を読み破壊力の増す水属性、選択も悪く無い」
少年を地にギリと押さえ付けながら、ニコラスは感心したように言う。
一軍隊を任される程の実力の持ち主なのだ。
もしあのまま詠唱されたらどうなっていたことか。
「だが…こういう時は、威力よりも発動の早い術を選ぶものだよ」
ニコラスはすばやく自分の腕に巻かれた布を解き、少年の口に巻いた。
「んッ…」
少年の口は封じられる。
詠唱はもう、出来ない。
「まだまだ青いな少年。経験が足りん」
今回は少年の未熟さ故に、
その危機を回避出来たといってもよかった。
「…よし、これでもう大丈夫だ」
少年の口を完全に封じると、
ニコラスは少年の襟首を掴んで身体を起こさせ
正座させるような形で座らせる。
「さ、流石です将軍!」
不意に聞こえた詠唱に一瞬狼狽えた兵達だったが、
我等が将の適確な行動に皆感嘆の声をあげた。
「さぁ幼き知将よ、これで貴殿の道は断たれた」
ニコラスは少年の顔をのぞきこみ、話し掛ける。
「降服するんだ」
先程とおなじ言葉を、今度は威圧的に。
「…………」
「声を出せずとも首をたてに振る事はできるだろう」
「…………」
少年の首は揺れない。
「…頑固なボウヤだ」
その頑さは一人前、といったところだろうか。
だが、頑固なだけでは賢いとは言えない。
「少しだけ時間をやろう」
ニコラスは少年から手を放すと、立ち上がる。
少年に賢い選択を促すように、猶予を与えたのだ。
「おかしな事をしないよう様子を見ていろ」
「将軍!さっさと殺してしまった方が…!」
先程の危険な不意打ちを目の当たりにしている兵達は
生かしておく理由を見出せず、将に問う。
「いいや、大事な捕虜だ。国に連れ帰ることにする」
彼はまだ若い。幼い。いくらでも補正が利く
うまく操作すれば敵国の内情を聞き出す事も…
ニコラスは、そう思って居たのだ。
それが、大きな間違いだとはこの時は気付かずに。
「返答する意思を見せたら呼びなさい」
「は…はい!」
部下に少年を預けると、
ニコラスは今尚続く戦況を確認する為にその場を離れた。
「………」
その場をまかされた部下達は、その輪の中心にいる少年に視線を集める。
拘束された、無抵抗の子兎。
「……いい加減観念したらどうだ?『お嬢ちゃん』」
誰かがふざけて言った。
笑い声が沸く。
「こいつ…やっぱ本当は女なんじゃないか?」
「いえてる!怖いか〜『お嬢ちゃん』?」
小馬鹿にした言葉を浴びせながら
少年の髪を掴んで顔をあげさせる。
「この顔、どうみたって女だよな?」
「なぁ?」
将のいなくなった緊張感のかける空間は
下衆な話題で盛上がる。
「胸あるんじゃねぇか?脱がせてみろよ!」
少年の襟にかけられた指が、引き降ろされる。
露になった、白く平らな胸。
「…なぁ〜んだ、やっぱ男かよ」
「ははは」
「下も脱がせてみろよ」
「ついてないかもしれないぜ?」
「アハハハ」
腰に手を掛けられ、少年の瞳が見開かれる。
敵とはいえ、少年は幼くとも彼等よりはずっと階級は上。
それに値する扱いでは無い。
まるでレイプされる寸前の婦女子。
侮辱も甚だしい。
「………」
少年の瞳が、静かに輝きを増した。
「どれ…全裸に剥いてやるぜ」
少年は、自分の服を掴む目の前の男を見つめた。
暴れもせず、ただ、じっと見つめる。
「…なんだ?どうした媚びてんのか?ん?」
その顎をつかまれ、馬鹿にするように撫でられる。
それでも少年は、男を見つめ続けた。
「…!?…ッ…がッ…!?」
突如、その男がビクリと身体を跳ねさせ
少年から手を放した。
「ぐ…があああぁッ!?」
そのまま、胸を掻きむしるように地をのたうちまわる。
「な…どうした!?」
「おい!?」
仲間が驚いて助け起こそうとするが、
男はその手を無視してのたうちまわる。
「な…なんなんだ!?」
「一体何が…!?」
一番の不信人物に視線を集めるが、
少年は何もしていない。
少年はただ、その男を『見つめている』だけなのだ。
「う、アッ…あぁッ!ッ…グァアッ!」
苦しみ続ける男は、明らかに尋常では無い。
人為的な何かがあったとしか思えない様子だった。
「…っいったい何をした、このクソ餓鬼!?」
何か原因があるとすれば、やはり其処しか無かった。
少年の髪を鷲掴みにし、問いつめると、
少年の瞳は、今度は問いつめて来た男を『見つめた』。
「……!?」
ドクン
「な…!?」
すぐに感じた、身体の異変。
「あ…ぐ、うあああぁ!?」
その男も同じように、地に崩れのたうちまわる。
「な…なんだってんだ…!?」
異様な光景だった。
術をかけられた様子もない。
攻撃された様子もない。
少年は、彼等を『見つめた』だけなのだ。
「何事だ!?」
騒ぎの声に、ニコラスがかけつけてくる。
最初に目に入ったのは、半裸にされた少年の白い肌。
「…お前等、一体何をしていた!?」
彼等が少年に何をしようとしていたのかは、容易に想像がついた。
見張りを命じたが、其れ以上は許した覚えは無い。
「将軍、そ、それよりあれを…!」
「!?」
怒鳴り付けられた部下は、それどころではないとばかりに指差す。
そこには、地に倒れている兵士が二人。
「な!?」
白目を剥き泡を吹く男は、もう意識も絶え絶えで
口や鼻、あらゆる箇所から血を吹き、
ビクビクと痙攣していた。
「ふぅん…人間に試すのは初めてだったけど、案外うまくいくもんだね」
「!?」
聞こえた声に、驚いて視線が集まった。
其処には、自らの口に巻かれた布を手にした少年が居た。
「お、お前…どうやって?」
確かに口は封じられていたはず。
それ以前に、腕すら縛られていたはずなのに。
地に落ちて居た拘束縄は、何かの刃で断ち切られたよう。
「いったい…なにをしやがった!?」
それをどうやって解いたのか。
彼等をどうやって倒したのか。
その方法は…不明だ。
だが、目の前の奇現象のすべてが、
この少年の仕業だという結論に
皆ようやく辿り着く。
「簡単だよ…体内の第五音素を部分的に活性化させたんだ」
「活性化…だと?」
驚いた顔で見つめる視線を嘲笑うように 少年は言った。
「血液の沸騰、だよ」
恐ろしい事を、笑顔で。
「なッ…!?」
ようやく、苦しむ彼等に何がおきたのかを知る。
「なん…だと…そんなことを、貴様…!?」
彼は、『見つめた』だけだった。
それだけで、音素を操ったのだ。
常人では考えられない能力。
腕を拘束した事も、
呪文を封じた事も、
何の意味もなさないわけだ。
彼は『見つめる』だけで良かったのだ。
「あぁ…これはもうすぐ、死ぬね」
少年は瀕死の男に右手をかざす。
左手を、もう一人に。
「!何をし…」
かざした少年の手が、全身が、光る。
「…て…いる…?」
回復術でもかけているというのか。
かざした手の下で倒れた男の全身が光る。
「死なせたくないんだろ?」
みたことのない現象。
みたことのない譜術。
こんな回復術は、経験豊富なニコラスでさえ初めてみる。
いいや、 こんな回復術は…無い。
「…がッ…」
「ぐはッ…」
ビクン、と蹲る身体が一度激しく跳ねる。
そして男達は、動かなくなった。
「貴様ッ、今いったい何をした!?」
さっきまではまだ、生きて居た。
それを息の根を完全に奪い取ったようにしかみえない。
「煩いなぁ…」
少年は二つの死体の中央で、怪しく微笑み
両手をゆらりと前にかざし、地につけた。
奇妙な構え。
「ちゃんと会わせてあげるからさ…」
地につけた手が異様な程の音素を放ち光る。
少年の手がゆっくりと上へ。
その掌の下から、『何か』が形作られる。
「な…んだ…なんだこれは…」
目の前の光景は、現実とは思い難い。
目の前の光景は、あまりにも有り得ない。
目の前の光景は、決して『あってはいけない』。
少年の掌の下からは、
二つの『人間の形をした何か』が生まれていたのだ。
「嘘…だろ」
しかもそれは、先程倒れ絶えた同胞と同じ顔をしていた。
彼等は、たしかにまだそこに倒れたままだというのに。
これは…奇跡か、はたまた悪夢か。
「…ジャック?…ハンス…?」
誰かが、恐る恐るその顔の持ち主の名を呼んでみる。
同じ顔をした『人間の形をした何か』はふせられた瞳をゆっくりと開いた。
獣のような、瞳。
「ぐああああッ!?」
その瞳が開いたと思った瞬間、その『人間の形をした何か』は
同胞の喉を爪で引き裂いた。
「何ッ!?」
奇声を発しながら、涎を垂らし
その『人間の形をした何か』はまるで化物のように暴れ狂う。
「どうなってんだ!?」
「なんなんだこれはッ!?」
襲い掛かる化物は明らかに好戦的で
排除しなければならない程の危険性を持つ物体。
だが、キムラスカの兵達は記憶に残るその顔と
同じ顔をしたその物体に、手をあげる事が出来ない。
成す術も無いまま、その『人間の形をした何か』に次々と狩られていく。
ニコラスは必死に部下達を落着かせようと叫んだ。
「落ち着け…これは奴の術だ!本物じゃ無い!」
だが、本物でないのなら、
これは、…何?
ニコラス自身も、動揺を隠せない。
「くそおぉッ!なんなんだこいつらはッ!?」
襲いかかる部下の顔をした『何か』の攻撃を、
ニコラスは必死に躱し続ける。
だがやはり、攻撃が出来ない。
何度も戦場を共にした部下と同じ顔をしたそれに、手を出せない。
気付けばもう、その場にいたキムラスカの兵士達は
すべてその『何か』に狩られ倒れて居た。
すでにそこにたっているのはニコラス一人。
「くっ…このままでは…」
ニコラスが意を決して武器に手をかけた その時だった。
「…あぁ、やはり第七音素無しでは所詮この程度ですか」
少年がぼそりと呟く。
「!!」
突如、ニコラスの目の前で『何か』の頭部分がはじけ飛ぶ。
びちゃびちゃと内容物をまき散らしながら倒れた二つの塊は、
その中身も、完全に人間の構造をしていた。
二つの物体が倒れると、その奥から手をかざした少年が現れる。
少年の手からは、譜術の唱えられた余韻の音素が消えていく所だった。
「………」
ニコラスは言葉が出てこない。
奥に倒れている二つの死体と、
それと同じ顔をした、足下に倒れている二つの残骸と、
そして、それをつくり出した一人の男…。
さっきの術は、一体なんだったのか。
この男のつくり出したものは、一体なんだったのか。
「貴方の負けですよ、ニコラス・スティール将軍」
「!」
ニコラスが疑問に口を開くより先に、
少年は、眼鏡を押し上げながら
死体だらけのこの場所でやけに冷静な口調で言った。
「貴方は…私の外見に惑わされ処刑を躊躇してしまいましたね」
まるで、上から諭すように。
「更に態度や口調で私が幼いと判断し、油断した」
その口調は、先程までとはうって変わったように、
冷静で、大人びていて。
「そして私が未熟だと決めつけ、余裕を見せた」
淡々と述べられる事柄は、
すべてニコラスには思い当たる事ばかり。
「ですが…もし、それらがすべて演技だとしたら、どうでしょう?」
「!!…まさか貴様…詠唱を中断させた事も…!?」
「当然です」
今までの行動も、態度も、
すべてが欺く為。
幼く経験不足、ニコラスにそう確証させる為。
「それを見抜けなかった時点で、貴方はすでに敗北していたのです」
「な…んだと…!」
すべては、最初から仕組まれていた筋書き。
「あなたが私を狙って来る事はわかっていましたからね」
無駄な殺生を好まず、敵将を早々に叩く事で 勝利をつかみ取る。
それがこのニコラス・スティールという男の戦法。
「あなたが私を捕まえに来るのをお待ちしていましたよ」
それは調べあげた通りの男で、調べあげた通りの行動で
思い通りに動いてくれるニコラスは、
少年にとってとても扱い易かったのだ。
「貴様…その為に、自分の部下をおとりに…っ!?」
ニコラスに幼く稚拙な将と思い込ませる為に、わざと劣勢を装って。
「えぇ」
自分の部下を、ただの捨駒に。
「それが…なんだというのです?」
少年は天使のような微笑みを浮かべ
たいしたことでも無いような素振りで言った。
なまじ美しいその顔は、かえって残虐にすら見え、
その姿はまるで人の姿に化けた…悪魔のよう。
ニコラスの背筋に寒気が走った。
「…外道め!!」
ニコラスはもう躊躇う事無く、弓をひいた。
美しい外見も、幼い将という躊躇いも
もう其処には何も無く。
まるで魔物にむかって矢を射るように、迷い無く。
放たれた弓はまっすぐに少年に向かった。
「ほら…またそうやって」
少年の口元が、笑う。
キン、と弓矢が金属で弾かれる音。
「『私が武器を持っていない』 と思い込んでいる」
「な…に!?」
少年の右手には、一本の長槍。
たしかに先程まで武器などもっていなかった。
武器を持っているわけなどないはずなのに。
何もなかったはずの少年の手には、
正体不明の武器が出現していた。
「思い込みは正常な思考回路を劣化させます」
フッ…とニコラスの目の前で少年の手にした槍が消える。
「!?」
この男は、さっきから一体何をしているのか。
ニコラスの目の前では、見た事のない現象が
立て続けに起きる。
「それだけではありません」
少年は床に手をつけた。
そして、その手に音素を集め、
上へと滑らせた。
「!!!」
ニコラスの前に再びあらわれる、部下の顔。
「冷静な判断力をも劣化させます」
「やめろ…」
形作られていく人のような物体。
死んだはずの、部下の身体。
「やめろーーーッ!」
目の前で起こる、悪夢のような光景に
ニコラスは怯えたように叫んでいた。
ビシャ
と、造り掛けの肉が崩れる。
少年が、術を途中で破棄したのだ。
「ほら…そうやって感情的になるでしょう」
「貴様…っ!?」
「『今のは何だ』…そう言いたそうですね」
取り乱しかけているニコラスに、
少年は対称的な程冷静な口調で言う。
「残念ながらその質問にはお答え出来ません」
術の正体も、先程の物体の正体も。
「マルクトは…一体何を企んでいる…!?」
こんな術を編み出して、
こんな術者を軍人として育て上げ…
いったい、この世界をどうしたいのか。
「どちらにしろ、貴方は『見てはいけないもの』を見てしまったのです」
おそらくはマルクトにとっても、これは極秘禁術。
試作段階のものなのだろう。
「見られた者は生かしておくわけにはいかないのですよ…これも命令でしてね」
目撃したものは、総べて排除。
それが彼の仕える、マルクトの皇帝陛下による命。
彼等の前で術を見せたのも、
排除する事が前提だったから。
「死んで下さい」
「な…」
少年の足下に、譜陣が現れた。
譜術の詠唱を始める気配に
ニコラスが身構える。
「…っ、そう何でも思い通りに事が運ぶと思うなよボウヤ!」
譜術士は確かに攻撃力が高い。
一撃で大勢を傷つける事の出来る術を放つ事が可能だ。
だが、それにはかならず隙が出来る。
強い術であるば、あるほどに。
ニコラスは弓を握ると詠唱中の無防備な少年に向け放つ。
「大人をなめるのも大概にしろ!!」
放たれた弓は、少年にまっすぐ向かい、
途中で消滅する。
「ーーー!?」
少年の周りに集まる異常な程の音素が、
弓が少年の元に届く前に それを燃え尽きさせていた。
「な…」
触れずして、相手の体内音素を操る。
触れずして、自分の周りの音素を操る。
戦場経験の長いニコラスでさえ
こんな強力な術者には出会った事が無い。
「……化物…」
もう、人間では無いとしか思えなかった。
驚異的なその力は、化物、としか。
「あぁ…そういえば貴方は一つだけ良い事を言いました」
少年は周囲の音素を身体に集めながら微笑む。
「発動の早い術を選べ、とね」
微笑む瞳が見開かれた時、それは燃える様に赤く。
「!」
空気が、張り詰める。
「天光満つる処我はあり…」
少年は譜術の詠唱を始めた。
詠唱は今、始まったばかりだ。
それなのに。
「く…な…なんだ…!?」
動けない。
術が発動するまでの間に躱そうにも、
ニコラスの脚が動かないのだ。
少年の足下に描かれた譜陣は、あっというまにその大きさを拡げ、
ニコラスの足下まで伸びて来る。
いつしか譜陣はニコラスの足下を完全に捕らえ、
その円周を見るまに拡大していく。
こんなに大きな譜陣をニコラスは見た事が無い。
どれだけの強力な譜術だというのか、想像もつかない。
「黄泉の門開く処に汝あり…」
詠唱は、まだ続いている。
まだ、術は放たれていない。
それなのに…一歩も動けない。
「くっ…くそ、動け…!」
まだ、詠唱は終っていない。
術は放たれていない、
だが身体はまったく動かないのだ。
この場から逃げられない。
「…出でよッ!神の雷!」
「ッ…くそおおぉッ!!」
詠唱が終って術が発動するのではない。
詠唱が始まった時点で、
この術は『すでに発動している』のだ。
「これで終わりです…」
無駄に長い呪文の詠唱を、
動けない身体はまるで死刑の宣告のように 聞き届けさせられる。
一字一句逃さず、しっかりとその耳に。
「インディグネイション!!」
術が、放たれる。
「ーーー!!!」
まばゆい閃光がニコラスの身体を包み込んだ。
瞬時に視界が真っ白になり、脳天に衝撃が走り一気に足下まで駆け抜ける。
「…ァアアアアアッ……!」
全身を貫く衝撃と激痛。
焼け焦げる己の肉の香り。
「あぁ…これは失礼、申し遅れました。私ジェイド・カーティスと申します」
薄れゆく意識に聞こえる悪魔の声。
「ですがもう…お別れですね」
「ァ……」
「御機嫌よう…」
真っ白な視界の中で赤い二つの光が嘲笑うかのように光り、
それは音機関のモニターの電源を落とすように、
ニコラスの視界から突如消えた。
最後に見たのは、
天使の顔をした 悪魔の微笑。
真っ白な世界に浮かび上がる、
二つの赤い光…。
「…ェイド…カーティス…ジェイド……カーティ…ス」
死体の様に動かなかったその横たわる身体は、
突如言葉を紡ぎ出す。
最後に戦った敵将の名を、
譫言のように。
呪文のように。
「…将軍!!!」
「みんな、将軍が気がつかれたぞ!!」
ニコラスは、奇跡的に生きていた。
まさに、奇跡だった。
敵将はニコラスに術を落とすと、
部下に処理をまかせその場を立去った。
その部下により死体と判断されたニコラスは、
その場に捨て置かれたのだ。
処分されなかったのが幸い、
僅かに息のあったニコラスを
生き残った部下達が発見し必死に運び国に連れ帰ったのだった。
あれから二ヶ月の時を経て、
ニコラスはようやく意識を取り戻した。
「将軍、我々の声が聞こえますか!?」
「…………あ…ぁ」
意識の戻ったニコラスは、
最後の瞬間から今に至るまでの時間を繋ぐように、
ぼんやりとした思考を巡らせる。
「私は…そうか」
ようやく記憶が繋がり、ニコラスは思いだす。
死にかけていた事を。
殺されかけていた事を。
あの幼き将に…いや、あの『化物』に。
そう、その化物を称すならば…。
「死霊使い…ネクロマンサー……」
死者を操る外道…ネクロマンサー・ジェイド。
思いだすだけでも、全身に恐怖と憎悪が走る。
ニコラスの全身に嫌な汗が沸き上がった。
「将軍、まだお身体に触ります。もう少しお休み下さい」
「……あぁ」
ようやく眠りからさめた上官を労る部下の言葉に、
ニコラスは深く溜息をつき安堵感を覚える。
ここは愛すべき自国の、安全な場所。
ここには、あの化物はいないのだ。
今はこの身体を休める時。
そして身体が癒えた暁には、
あの化物を討伐しなくてはならない。
あのような化物を野放しにしてはならないのだ。
だから今は…身体を癒す事だけを考えて。
「…ところで」
部下達に囲まれ、
まぶしいほどの朝日を顔に受け、
ニコラスは言った。
「…もう、夜なのか?ずいぶんと暗いようだが」
「……将軍…!?」
部下達の驚きとざわめきを受け
ニコラスは日の光に顔を向けながら、
見開いた目を瞬かせることもなく。
彼の瞳にはもう、
光が差す事はなかった。
最後に見たのは、
天使の顔をした 悪魔の微笑。
真っ白な世界に浮かび上がる、
悪夢の光。
その光景は閉ざされた彼の視界の中で
永遠に、繰り返される。
end
ジェイドとニコラスの過去の戦い、
作中詳しく描かれていませんが、個人的には非常に萌なのです。
ジェイドの初陣ですよ?初めて公然と殺人を命じられたジェイドですよ?
そりゃもう、喜々として殺したでしょうよ(苦笑)
しかも初めてだから加減がわからずに絶対やりすぎてると思うわけよ。
あぁ、ここまでしなくても人間って死ぬんだな、みたいな感じでね。
ジェイドって、見つめただけで水を沸騰させることが出来ますよね。
それって、やろうと思えばこういう殺し方もできると思うんです。
ちなみに血液の沸騰って方法は、
昔好きだった某漫画にあったものなんですよ。エグイ攻撃ですよねぇ。
でもジェイドにはなんか似合うでしょ? (笑)
…ていうかいま気付いた。
ローテルローの時ってジェイド19才なんだね。
なんかこの話では15才くらいのイメージでかいてた。
そんな子供じゃないし!少年ちゅうかもう青年だし!
んー…まぁ、いいか?
美人な男だったってことには変わりない事実だしね。
それにしてもジェイドと再会したときのニコラス、大人だったよねぇ。
あの時のジェイドの態度も非常に好きです。
お互い、軍人なんだなぁって思った。
2008.09.23