「…うるさいぞ」
空気が、騒ぐ。
大気中に鏤められた霊子が、ざわざわと蠢き世界の異変を知らせて来る。
「黙れ」
竜弦は自分の周りに霊子のフィルターを張り、外部の霊子を遮断した。 全ての霊的な接触を拒絶し、否定する。まるで自分は霊力などなく、霊を感じる事もない人間のように。
ざわめきが、止んだ。
「ふぅ…」
強制的に静寂をつくり出した竜弦は、何事も無かったかのようにデスクの書類に目を通す。
もうこんな事は日常茶飯事だ。魂魄などという肉体を失ったものは、すなわち死亡した生物。生きているものを助けるという医者である自分の範疇外の存在。そんな無意味なものとの接触には意味が無い。相手がいくら自分との接触を望んで来ても、竜弦はすべてを拒否していた。
もう、どんな霊とも関りたく無い。まして、死神となど…。
「院長!」
霊子のざわめきがおさまったと思ったら、今度は現実的な邪魔がはいる。竜弦は仕事の手を止め、ばさりと書類をデスクにおいた。
「…何事だ」
「たったいま、急患が運ばれて来まして…!」
急患など、この大病院では珍しくも無い。幾人もの腕の良い医者をかかえているこの病院だ、わざわざ院長である自分に知らせに来るなどという事は、よっぽど自分の腕を必要としている重症患者だというのか。
「容体は?」
「あ、あの…15才くらいの頭部に殴打によるとおもわれる裂傷を受けた患者でして、既に応急処置が施されています。意識が無いだけで、現在容体は安定はしています…が」
「ならばたいしたことはない。私が出るまでもなかろう」
運ばれて来たとはいえ、既に応急処置がすんでいるというではないか。あとは精密検査でもして傷を縫合し回復をまてばいい。生死を彷徨う程の重症ではない患者に、竜弦自らが治療に出る事などは滅多にあるものでは無い。竜弦はデスクに座り直すと、再び書類を手にとった。
「それが、あの…!」
「なんだ?」
知らせに来た看護士は仕事に戻ろうとする竜弦に告げた。
「院長の…息子さんです…!!」
「………」
竜弦は、無言で書類をデスクに乱暴に置いた。
「あ…院長…!」
白衣を靡かせながら竜弦が治療室に入って来た。診察台に横たわるのは、久しく顔を見ていない息子、雨竜の情けない姿。しばらく振りの、親子の対面。
「…………」
意識はない。が、脈拍も呼吸も脳波も安定している。竜弦は雨竜の額にまかれている布を取り払い患部を診る。
「出血ほどたいしたものではない…」
なにか強い力で殴られたのだろうか左前頭部に打撲痕と裂傷があった。だが直後に適確な処置をうけたのだろう。傷口は綺麗なままテーピングで止血してあった。
「CTスキャンの結果は、問題無しでした。外傷だけのようです」
「…そうか」
幸いな事に脳内部に影響はなかったらしい。 竜弦は眼鏡を押し上げ、溜息を一つ突く。
「退け。後は私がやる」
「あ、はい…」
それまで治療を担当していた医師は、カルテを竜弦に手渡すと、一歩下がった。その一回り奥には、数人のスタッフ達がその様子を見守っていた。
「あの患者、院長の息子さんなんでしょ?」
「似てるわよねぇ…」
「喧嘩かしら?」
「優等生なんでしょ?まさか!」
「虐めかしらね…?」
小声でざわつくスタッフの会話が嫌でも耳に入る。竜弦は小さく舌打ちすると言った。
「構わん、一人で充分だ」
「は…はい」
竜弦は自分以外の医師と看護士を部屋から出すと、他の患者の治療にまわらせる。こんな深刻では無い患者にそんなに多くのスタッフをつかせるまでもない。 それに、院長の息子が運ばれて来たといって興味半分で様子を見に来た者も少なく無かっただろうし。
「まったく…何をしているのだお前は…」
竜弦は深く溜息をつくと、雨竜の額の処置を始めた。まるで神業的な見事なまでの縫合技術で的確且つ俊敏な真皮縫合。その傷は痕も残る事なく治癒も早い。それが若くしてこの総合病院の院長にまで登り詰めた男、石田竜弦の実力だった。
「なぜ…」
わかってはいた。力を失っていた事は。だが、直接接する事で、それを実感する。まるで、ただの人間だ。霊圧の欠片も感じない。持って生まれた霊感は残っているだろうが、身を護り、相手を打ち砕くだけの力が、今のこの子にはまるでない。
「なぜ死神と行動を共にする…雨竜?」
死神などと関らなければ、こんな事にはならなかったはずだ。
「なぜ…来ないのだ雨竜」
力を失い無防備になった雨竜の頼る場所が…自分では無い。竜弦は不愉快そうに眉間に皺を寄せると、意図的に自分の周りに張っていた霊子フィルターを解除する。
ザワ、ザワ…
大気中の霊子がざわめいている。目の前の、この子に向けて敵意を放つ何カ絶大な力が、動こうとしている。探している、この子を。
「…うるさいと言っているんだ!」
怒鳴リ声と共に、竜弦は再びフィルターを張った。自分と、そして息子の周りに。
暫しの安息が雨竜を包む。
「護れるというのか…?」
なんという不快な状況。ざわめきの正体。雨竜を狙う者の力の強さ。
「これだけの禍々しい敵意から…お前を護れる、と…?」
自分ならば、雑作も無い。だが、自分に頼ってこない者を…護る義理は無い…。
竜弦は廊下にでると、看護士を呼んだ。
「お呼びでしょうか院長」
「この患者を9階に」
「え…?でも9階は現在誰も…」
「だから良いのだ。意識が戻ったら、好きにさせろ。見回りに行かなくても良い」
「…はぁ…院長がそう仰るなら…」
竜弦は雨竜を入院患者の誰もいない9階に運ばせる。おそらく今夜にでも、この子を狙って刺客がこの病院にあらわれるだろう。 他の患者の迷惑になるような事は、許さない。できるだけ、一般人には最小限の影響しか及ぼさないようにとの竜弦の配慮だった。そして竜弦は何事も無かったかのように、いつものように自分の仕事へと戻るのだ。
数時間後、意識が戻ったと看護士が竜弦に知らせに来た。
「どんな様子だ」
「意識は問題なく正常に回復しています。怪我をした時 何があったかは、ちょっと曖昧で覚えていないそうなのですが…」
「まぁ…そうだろう」
言えるわけなど、ないだろう。一般人には。
「でも先程は元気にお友達にお電話していたようでしたよ」
「電話…」
ピクリと竜弦の眉が動く。
「…会いに行かれないんですか?院長」
「その必要はない」
「はぁ…」
自分の息子だというのに、竜弦の態度に看護士は些か戸惑う。すこし冷た過ぎやしないか、と思うのだ。
「何をしている?さっさと仕事にもどりなさい」
「あ…は、はい!」
竜弦に指摘され、看護士はバタバタと慌てて持ち場に帰っていく。
「…やはり呼んだか、奴を」
竜弦は椅子を半回転させ、窓の外を見おろした。数人の高校生と、そして死神の魂魄が病院に入ってくるのが見える。
「黒崎……」
竜弦はその名をぽつりと呟く。
「見せて貰おうか…貴様のやり方とやらを」
竜弦は、雨竜の周りのフィルターを…解いた。
ザワ…ザワ…
霊子が、ざわめく。
end
アニメ72話のパパと雨竜の描かれていない裏エピソード。こんな感じだったと思いませんか?
きっとあの病院の院長室から、一護達の戦いを黙ってじっと見届けているんですよ。
そういや雨竜の超人的裁縫技術って医療縫合技術のための伏線なんではないでしょうか。今回この話を書いてて気がついて納得しちゃいました。 決して女々しい意味でのお裁縫ではなかったのですね?(笑)雨竜は将来立派な外科医になる事でしょう。
そしておそらく竜弦も子供の時からお裁縫が得意な子だったんでしょうね。…やべ、怖い顔して人形のドレス作ってる竜弦想像して萌えた(笑)
2006.03.18
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