あの日託された約束は
自分でも信じられないくらい見事に果たせたと思う。
立派になった妹君を見て、満足してくれるに違いない。
あの人は…誉めてくれるだろうか…
最初に何と声をかけようか…
はやる心が、歩みを速めさせる。
その日は特別な日だった。
ノイン王子が、帰ってきたのだ。
ずっと待っていた。
気に食わない奴と10年間我慢して過ごし、
10年間、ずっとこの日が来るのを…
「近寄るな!亜人め!」
「…!」
ガーリットは声もだせないまま、その場に凍り付いた。
その人の口から発せられた信じられない言葉と、
見た事も無い侮蔑の眼差し。
「お兄さま…?」
「ノイン…」
思いもよらない言葉に、家族の驚きの声。
その様子に、ノインはハッとしたような顔になる。
「…すまなかったね、ガーリット。僕は何て事を言ってしまったんだろう」
ノインはすぐに自分の言葉を謝罪し、柔らかな表情を浮かべ困った様に言った。
「悪気はないんだよ。ただ、帝国ではずっとその言葉を聞いていたからね」
ガーリットが10年前に見た、柔らかな微笑み。
それは紛れも無くノイン王子その人の物で。
「 つい、口にしてしまったんだ」
それは逆に、間違い無く先程の言葉が
ノイン本人から発せられた物なのだと証明してしまう。
「本当にすまなかった」
「…いえ、そんな」
ガーリットはそう言うのが精一杯だった。
揺らぐ心を必死に押え込み、やっとの思いで、そう口にすることが。
ノインにまともに瞳をあわせる事も、出来ない。
ガーリット達『ランカスタ』を敵視し差別する国、ディルティアナ帝国。
今の言葉は、その国ではあたりまえのものかもしれないが、
このセレスティア王国では、ありえない言葉。
まして、その国の長たる王族が。
「どうやら、僕は疲れているようだ。少しやすませてもらいます」
久々の再会の場だというのに、ノインはそっけなくそう言うと家族に背をむける。
もう興味が無いと言うように、振り返る事も無く、
彼はその場から姿を消した。
その態度ですら、信じ難い。
あれだけ家族を愛し、再会を楽しみにしていたであろうはずの王子が。
「…ノインは疲れておったのだよ」
「…………」
呆然と立ち尽くすガーリットに、労るような声が掛けられた。
幼い頃からガーリットを見守ってきているセレスティアの王には
家族同様に育った彼の心情を、痛い程察することができるのだ。
彼が、何を一番嫌い、何が一番傷付くのかは、よくわかっている。
いつもなら忠誠を誓ったその人に掛けられた言葉には
敬意と誠意をもって即座に返事をかえすガーリットだが、
彼はノインの立去った通路を見つめたまま、
返事を返すのも忘れたように、立ち尽くしている。
今の彼は使い物にはならなかった。家臣としては。
「ガーリット…今日はもうよい。部屋で休みなさい」
国王ノービスは、家族としてガーリットに 声をかけた。
まるで本当の家族の、父親のように。
「…………」
ガーリットの口元が、何か返事をしたように動くが、
その声は音として発せられてはいなかった。
俯きがちに国王ノービスと王女ファラに一礼をすると、
ガーリットは駆けるように早足で、部屋を立去っていった。
残酷な面影
自室に戻り、ガーリットは後ろ手に扉をしめる。
「…………」
途端に、溢れて来る熱い雫。
人前では見せまいと堪えていた、我慢の限界。
「どう…して?」
あの人は、自分を差別しないと信じていた。
帝国に行っても変わらないと信じていた。
10年前のあの時のままなのだと、
そう信じて、疑いもしなかった。
あのように変わり果てて戻ってくるなど。
「なぜなのですか…ノイン王子…」
未だに信じられない。
あの顔で、あの声で、
『亜人』と呼ばれたことが。
叩き付けられた拒絶の言葉が。
帝国の皇子にどんな暴言を吐かれようと、堪えて来た。堪えられた。
だが、あの人の一言は…ガーリットにとって、堪え難い程に重い。
「ノイン…王子…」
扉を背に凭れ、ガーリットはその場にずるずると力が抜けたように座り込む。
背と扉の間に無造作に挟まれた羽根が擦れ、チクリと痛んだ。
コン コン
不意に、直ぐ背中でノックの音が鳴る。
「ガーリット…いるのかい?」
「ーー!?」
声が、出なかった。
出せなかった。
「…いるんだろう?」
「………」
ガーリットは返事を躊躇ってしまう。
「さっきは済まなかったね…」
聞こえて来るのは
穏やかで、優しい口調。
10年前と同じ、優しい声だった。
「部屋で…待っているよ」
「ーー!」
ガーリットは、思わず立ち上がる。
それは、10年前によく聞いた言葉。
ノインが、家臣達の目を盗んでガーリットを遊びに誘う時の…。
「……ノイン王子!」
先程まで戸惑っていた声が、ようやく発せられた。
やっぱり、ノイン王子はノイン王子なのだ。
帝国で過ごす事で、色々と圧力を掛けられていたのだろう、
きっとあの国ではああいう態度を取らなければ、彼は酷い目にあわされたのだ。
業に入らば業に従え。
あの男がこの国でランカスタと仲良くするふりをしたように、
彼もまた、あの国ではランカスタを『亜人』と呼ぶふりしていた…
それだけだったのではないか?
だから…咄嗟に、反射的に、口を突いたのだ!
彼の本心ではない、彼は変わってなんかいない、
彼は…彼の心は優しいあの時のままなのだ…!
ガーリットの中で、何かが洗い流される。
懐かしい、その一言によって。
「私はーー!」
ガーリットは振り返り、扉を勢い良く開ける。
だが、其処にはもう誰もいない。
ガーリットそのまま部屋を飛び出し、約束の場所へと向かった。
「よく来てくれたね…ガーリット」
「は…い」
優しい微笑みで迎えてくれた人の部屋に、
ガーリットは脚を踏み入れていた。
ここはノイン王子の部屋。
10年前には、よく招かれた。
まだ城に来たばかりで戸惑ってばかりのガーリットを、
ノインはよく部屋に呼んで一緒に遊んでくれた。
まるでお互いが普通の子供のように、たわいもない事をしてよく遊んだ。
この部屋に来て思いだされるのは、その事ばかり。
「…懐かしいよ、この部屋。10年ぶりだね」
「はい…」
あれから10年。
だがガーリットはこの部屋に入るのは、
10年ぶり…というわけではなかった。
じつは彼のいない間、人目を盗んでたまに此所を訪れていたのだ。
それは幼い頃、分別のつかない敵国の皇子に
心無い言葉を浴びせられる度に…いつも此所に来た。
現実から、逃げるように。
此所に来れば、彼が励ましてくれる気がして。
彼がいない間も、ガーリットにとって彼は
いつも心の支えとなっていた。
「ガーリット」
ノインは、懐かしいベットに腰掛けると
ガーリットに手招きした。
「ほら…おいで?」
小さい頃、よく遊んだベットの上。
「はい…!」
ガーリットは照れながら、少し躊躇って
ノインの横に座った。
「!?」
ふわり、と身体の浮く感覚。
翼を動かしてもいないのに?
「…え…!?」
ドサ、と背中がベットに沈み、
弾む視界でガーリットは目を丸くした。
目の前には、ノインの微笑み。
どくん、とガーリットの鼓動がはやまった。
「な、何をなさい…」
「ガーリット」
ノインの手が、ガーリットの頬に触れた。
「!!」
10年前の面影を残しながら、
美しく立派な青年に成長したノインの顔が、
ガーリットのすぐ間近に迫る。
「あっ…あの…!?」
どくん、どくん、と鼓動が高鳴った。
10年間ずっと、想い続けたその人の顔。
10年間ずっと…夢に描いた妄想の光景。
あの人の、腕。
緊張の走る身体の侭、ガーリットは瞳を閉じる。
「ふふ…っ…」
「…?」
顔の近くで聞こえる笑い声に瞳を開けば、
最初に飛び込んで来たのは、可笑しそうに笑う口元だった。
「何をしてもらえると思ったんだい?」
「あ…!」
ガーリットの顔が、耳まで熱くなる。
子供の頃、ベットの上で良く遊んだ。
ゲームをしたり、おやつを食べたり、
格闘技の真似事をして戯れ合ったり…
今のはただの…10年前の遊びと同じ。
ただ、それだけだったのでは。
「な…なんでもありませんっ…!」
自分だけが、10年前の気持ちと違っている。
其れに気付いたガーリットは、急に恥ずかしくなった。
慌てて身をおこそうとしたガーリットの肩を、
ノインの手が押し戻す。
「…いいよ?」
「…えっ?何…を…?」
「してあげようか?」
「え…」
ノインの口元が、帰省後一番の優しげな笑みを造る。
「君が、してほしい事」
ノインの背から さらりと落ちた長い金髪が、ガーリットの顔にかかる。
「ノイン王子!?」
顔にかかった金髪が、ガーリットの身体の上を這いながら
まるで蛇のように するすると、下へ下っていく。
「やめっ!?そんな…いけません…!」
ガーリットの脚を左右に開かせて
その狭間から顔を覗かせると、ノインはガーリットを上目遣いで見上げた。
その口元が、歪んで吊り上がる。
「…こんなに期待しているくせに」
服の上から堅くなっているところをグッと押され、
ガーリットの身体がびくりと反応した。
「あっ…」
「してほしいんだろう?」
「そ、そんな…っ」
ガーリットが閉じようとした脚を、
ノインの手が強引に開かせる。
「してやるって言ってるんだよ、この僕がさ」
「…!?」
その口調が…なんだか別人のように感じた。
「ノイ…!?」
名を呼びかけ、不意にガーリットの身体を襲う衝撃。
「…ぁ…」
ノインの突き出された拳を見つめながら、
ガーリットは じわりと熱くなってくる頬を押さえた。
殴られた…と理解するのに、時間がかかる。
「煩いな、黙って股開いていればいいんだよ。…初めてでもないくせに」
「!?」
ノインのその言葉に、ガーリットの視界が暗転する。
そんな事を言うはずのないその人は、言う。
その人しか知らないはずのそのことを。
「ノイン…王…子……」
ガーリットは10年前、
ノインにだけ、自分の過去を話した。
人間に何をされたのか、その後、どう過ごしたのか…
彼にだけは、素直に、正直に、隠さずに。
陛下にも、王女にも、全てを話す事は出来なかったが、
彼にだけは、話せた。
彼はそんなガーリットの過去を優しく受け止め、
そして、誰にも言わないと約束してくれたのだ。
そんな事は振り返らなくていいのだと、そう言って。
勿論、その後その事をガーリットの前で口にする事など、
ただの一度もなかった。
「こんなこと慣れきっているじゃないか」
これは一体、誰の言葉なのか…
理解するのに、時間がかかる。
「…僕に、こうされたかったんだろ?」
ノインの手が、ガーリットの衣服を乱暴に取り払う。
破れても、裂けてもお構い無しに。
露になった細い脚を乱暴に掴んで左右に開くと、
ノインはその間に体を割り入れた。
「だから…してやるって言ってるんだよ!」
「ーーアッ!?」
困惑する思考を裂くような…痛み。
「い…ッ、痛…、痛い、です…ノイン王子…!」
何の施しもなく、突然に、乱暴に、
其れはガーリットの中に侵入して来た。
「なんてことないだろう?このくらい」
「うッ…くぅ!」
過去に受けたことのある行為とはいえ、
それはもう、10年も昔の事。
10年もの間その行為から離れ日常を過ごして来た者にとって、
其れは初めてに匹敵する痛みだった。
当時よりも体が成長しているという事だけが幸いとはいえ、
裂かれるような痛みには変わりはない。
「大好きな僕にされるのはどんな気分だい?」
「う…、っぁ…」
相手を労る素振りなどまるでない暴力に、表情が歪んだ。
大好きな人のはずなのに、
焦がれた人のはずなのに、
この痛みはともかく…
この不快感と嫌悪感は一体なんだというのか。
「僕のじゃ物足りないんだろう?こんなものじゃ君は」
かけられる声は、ガーリットが一番嫌がる事を知っているかのよう。
いや…知っているのだ。
「やめ…」
知っているからこそ、あえて。
「君は…もっと太くて大きいのに乱暴にされるのが好きなんだ」
「やめてくださ…」
彼を追い詰める。
「あの時の方がイイんだろう?…10年前に輪姦された時のほうがさ!」
「やめ…っ…」
彼の精神が、限界を超えてしまう程に。
「君は人間の玩具だった小汚い亜人だからーー」
「やめろ…言うな!言うなーーッ!!」
相手がノインだという事も忘れて、
ガーリットは言葉かき消すように強く叫んだ。
「ーーッ!?」
途端、頬に走る衝撃。
「誰に向かって口をきいている…?」
先程とは逆側のガーリットの頬が、熱く火照る。
見下ろして来るのは、威圧的で蔑んだ瞳。
「も…もうしわけ…ありません」
取り乱したとはいえ、無礼な口をきいてしまった事に、
ガーリットは急いで謝罪をする。
そして、ハッ、とした。
殴られ…謝る。
記憶が、何かを思いだす。
思いだしたくもない、
10年前と同じ自分の姿を。
「おとなしくしてなよ。そうすりゃ可愛がってやるからさぁ?」
理不尽に殴られ、其れでも謝罪をし、
身体を差し出し服従を誓う。
「君は、僕の奴隷なんだから」
あの時と…まったく同じ。
10年前の、あの時と。
「は…い…」
10年間敵国の皇子との暮らしに耐え、
ようやくその生活から解放されたはずなのに。
今度は、これからずっとお仕えするはずの主人による侮蔑。
結局10年前のあの時から、自分の立場は何も変化してなどいないのだ。
「貴方の…お望みの侭に…」
人間に蔑まれたまま、逆らえぬまま、
ただ黙ってその服従の意を見せるのみ。
それが、この世界における自分という存在。
「それでいいんだよ…それで…ふふふ」
ガーリットは、おとなしく従った。
抵抗もせず、いわれるが侭に身体を開き、主人の暴力を受け入れた。
聞こえて来る暴言も、与えられる痛みも、
全てを受け入れて。
「ほら…さっさと自分で腰を使えよ。できるんだろ?」
10年前の帝国兵達と変わらない、ノイン王子。
すっかり別人になってしまった、ノイン王子。
「使い古しのわりには良く締まるよガーリット、ははは!」
この人を主人と認め、仕えたのは自分の意思なのだ。
誰に強制をされたのでもない、自分が選んだ道なのだ。
どんなに変わり果てても、敬愛するお方に変わりはない。
「もっと鳴けよガーリット!もっと!」
こんなにもこの人を変えてしまったのは…
あの憎き国、ディルティアナ。
あの国での10年間の生活は、
あんなにも優しかったこの人の心を、
こんなにも壊してしまったのだ…。
(許せ…ない……帝国め……)
悔しさと哀しさで、ガーリットは唇が震えた。
だがこの人の病んだ心がこれで癒されるなら…受け入れよう。
この人が自分をこう扱う事を望むなら…受け入れよう。
自分さえ我慢すればそれで済むのならば…。
いつか元の心を取り戻してくれるその日まで、
きっと耐えてみせるから。
(帝国…め…!!)
家を奪い、
財産を奪い、
村を奪い、
家族を奪い、
安息の環境を奪い、
幸せな時間をも奪い、
そして、ついに愛する人の心まで奪いとった…。
(許せない…許さない…!)
流れて来る涙をシーツにしみ込ませながら、
ガーリットは愛しい痛みを必死に受け入れようと努めた。
これがすべて、お膳立てされた嘘の世界とは知らずに…。
end
壊れたノインの帰国、そしてその夜。
あの後、ガーリットとノインが裏でこんな感じに絡んでて欲しいなという妄想。
ガーリットは前日にすでにノインの変化に気付いてて…でも、
それは自分がランカスタだから、自分だけに対するものなんだって思い込んでるんですよ。
他の人に言わずに自分が我慢していればそれでいいんだ、とね。
だから、翌日の彼の凶行を予測出来ないし止められない。
本来疑り深いガーリットなら、ノインの様子がおかしいと気付いた時点で疑惑を持ちそうなものですが、
相手がノインであるが故に、真実が見えないのですよね。盲目な感情なので。
裏切られても、襲われても、それでも信じてしまうのです。
そして彼の感情は、すべてはノイン王子をこんな風にしてしまった帝国のせいだ!という、
そっちに向いてしまうのですよねぇ。
まぁ、実際その通りなのですが…(苦笑)
2010.03.07