「ほら、飯」
「………」
「また食ってないのか?ちゃんと食わなきゃだめだぞ?」
「………」
返事はないことなど構わず、少女は毎日食事を運んでくる。
「傷の具合はどうだ?痛むか?」
「………」
「悪いね…痛み止めとか洒落たもんがなくてさ。
あ、でもこの薬はよく効くんだぜ?ちゃんと飲めよ?」
返事がないことなど気にせず、少女は毎日話しかける。
「なぁ、あんた名前…」
「…うるさいなっ!ほっとけよ!」
今までにも何度も聞いたその問いに、漸く初めての反応が返ってくる。
しかしそれは、問いの答えではなくて。
「もうほっといてくれってば!」
絶望した少年の胸中には、すべてが疎ましく。
真実を知ったあの日からずっと。
「…あんたはあたしが拾ったんだ」
「…だから何だよ?それが何だよ!? ありがとうなんて思ってないんだからな!」
生きていることすら、疎ましく。
「なんであの時放っといてくれなかったんだ!
俺だけ…俺だけ生き残ったって…何も意味ないだろ!!」
「……!」
「兄ちゃん…俺も兄ちゃんのとこに、皆のとこに行きたかった…」
現実を受け入れられず、ただ、この状況から楽になる逃げ道を
ひたすらに探していた。
「………っか…!」
その言葉を黙って受けていた少女は、持っていたスープを。
「ーーこの馬鹿ヤロウ!!」
「!?」
突如少年の頭に浴びせ、皿を殴りつけるように少年に被せる。
「ふざけんなクソガキッ!あんたみたいなガキは…この世界に溢れ返ってんだよッ!
一人になったからどうした!生きてるだけ儲けもんだろうが! 」
それまでニコニコと接していたのが嘘のように、
少女は突然すごい剣幕で威きり出す。
「ちょっ…」
「いつまでもメソメソしてんじゃねぇよ!! この玉無し根性無しッッ!!」
「なっ…」
少女は言い放つと、部屋を飛び出していってしまった。
部屋がゆれるほど激しくドアが閉められ、少年は思わず目をつぶる。
「…な……なんなんだよあいつ…」
暴言とは裏腹に、少女が瞳に見せた光る雫。
少女の態度に少年は呆気にとられ、瞳を瞬かせた。

 


「ガキのくせに女泣かすとは、やるねぇ」
「………」
男は少年の頭にかかったスープを拭いてやりながら、からかうように言った。
だが、その声はすぐにトーンを落とし、諌めるように。
「何があった?…女泣かす男は最低だぜ?」
「………」
少年の顔が、ぷぅとふくれっ面になる。
少なからず悪いことをした自覚はあるようだ。
自分から吹っかけておきながら、居心地が悪いのだろう。
「やれやれ…まぁ、ガキの喧嘩に口出す程俺も野暮じゃねぇがよ」
ぬれたタオルをバケツに放り投げながら、男は話し出す。
「おめぇの治療代…どっからでてると思う」
「………」
「幸い傷の処置は医者が親切心でしてくれたけどよ、
薬やら包帯代やら、維持に結構かかってるんだぜ」
まるで嫌味のように恩着せがましい物言いに、 少年の反発心が刺激される。
「だから…別に助けてくれなんて俺…!」
「全部、あいつが払ってる」
「!?」
重症者の治療費だ。
子供のお小遣いと呼ぶには高額だというくらい、少年にもわかる。
「朝早くから森行って、果物を市場で売って薬買って お前の看病に戻ってきて、
午後にまた森に行く。全部あいつ一人でな…知ってたか?」
もちろん、毎日泥のようにベッドの上で落ち込んでいた少年には、知るわけなどなく。
「あいつが、自分で全部やるっていったんだ。
あいつはやるといったらやる。途中で投げ出したりしねぇ」
周りには迷惑かけず、自分ですべてを負う覚悟で。
まだ小さな、一人の少女が。
「あいつは、もう一人前だ。仕事に俺が手を出すのは失礼だろ?
お前を拾ったのには相当の覚悟の上で拾ってんだぜ」
「………」
少女の事を信頼しているのだろう。それゆえに任せるのだ。
「お前がそういう態度でいるのは構わねぇがな、
元気になるまでずっと…あいつはやめねぇ。
あいつも本気で、何度でもてめぇにぶつかってくるぜ 」
「………」
そして自分は何もしていないといいながらも、
こんな風にちゃんとフォローには赴くところから
この男が少女を常に暖かく見守っていることが伺えた。
ふと、少年の脳裏に家族の顔が浮かんだ。
もう、会う事も出来ない人達。
「………だって…」
じわり、と瞳に熱が集まる。
「だって…俺には…もう…いないんだ…」
受け入れなくてはならない事だとは、本当はわかっている。
乗り越えなくてはならない事だとは、本当はわかっている。
ただ、『家族』の中に居る幸せそうな少女に八つ当たりをして、
自分があまりにも可哀相だと悲観して。
どうしたらいいのかが、決められない。
「…しょーがねぇな」
男の手が、そんな少年の頭を力強く胸に抱く。
「ちょっとだけ泣いて良いぞボウズ。特別だ」
男臭い匂いに包み込まれ、少年の瞳から一気に滝が溢れ出す。
「とうちゃん…」
父では無い事は、わかっている。
それでも、同じように包んでくれる腕がそこにあると言う事は
少なからず少年を癒した。
「かぁちゃん…にぃちゃん…」
「そうだ…思いっきり泣け」
少年の頭を撫で、男は少年の気持ちを受け止めた。
少年の求める、家族に替わる何かの温もり。
「…ただし、これが最後だからな」
ピク、と少年の肩が震える。
「男ならもう泣いちゃいけねぇ。涙は女の特権だ」
その言葉は叱るのでは無く、諭すのでも無く、
まるで導くように。
「女を泣かせない為に戦うのが、強い男ってもんだぜ」
「……強い…男…」
男の生きざまを物語るような、力強いカリスマ性を感じさせた。
これから、どうあるべきなのか。
迷って居た少年は、少なからず男の言葉に心を動かされる。
「泣かない…」
少年は、小さく頷いた。
「俺…もう泣かない」
少年は口をキュッと結ぶと、拳で目尻を拭った。
「…よし!よく言った」
そんな少年の態度に、男は優しそうな瞳で頭を撫でる。
「…俺、ちゃんとついてるんだからな…!」
「?」
「俺、男だぞ!たまあるからな!根性無しじゃ無いぞ!」
男は一瞬何を言っているのかという顔をしたが、
それがすぐに、自分の口癖だと気づいた。
「それ…あいつに、いわれたのか?」
「…うん」
少年は、不機嫌そうにうなずいた。
「そーかいそーかい、あいつがそんなことをねぇ…こりゃいい」
ふがいない部下を諌めるときに自分が言い放つ下品な野郎言葉が、
傍で見ている少女には当たり前のように染み付いてしまったのか、
咄嗟に口を突いて出たのだろう。
まるで子が親の真似をするように。
それがおかしくもあり、男には少しうれしくもあった。
「あいつ…怪我人あいてにむっちゃくちゃだぞ!」
「それは否定できねぇな。ハハハ!」
怒ると手がつけられないということは、男もわかっている。
普段は素直で良い子なのだが、ひとたび逆鱗に触れると、
言葉と同時に、すぐ拳が飛んで来る。
このローングランドの男の誰もが怯む程の勢いだ。
「まったく、あいつの親父の顔が見てみてぇよな」
「え?」
おかしなことを言う、と少年が不思議そうな顔をしたのに気づき、男は苦笑した。
「腕っぷしの強さは俺に似て…と言いたいところだが、あいつは娘じゃねぇよ」
「え……息子!?」
「違う馬鹿!」
素でボケた少年の頭を小突くと、男は苦笑しながら言った。
「俺の娘じゃねぇんだよ」
「え…?」
少年は親子以外の関係を疑いもしていなかった。
むしろ、親子以外の関係には見えなかった。
「あいつは…両親が、いねぇんだ」
「!!」
「確かにあいつは俺の娘じゃねぇが、今じゃ俺たちローングランドみんなの娘だよ」
「………」
自分と同じ、天涯孤独の少女。
先ほどの彼女の怒りの意味を、少年は知る。
誰かに助けられ、生きている事のありがたさと感謝を、
全身であらわして必死に生きている存在を、知る。
少女は、家族に囲まれて幸せに生きて来た、のではないのだ。
「俺…」
「…っと、どうやら戻ってきたみたいだぜ」
「!」
ガタン、と扉の音が下から聞こえた。
出て行ったときよりは穏やかな閉め方だ。
どうやら、向こうも落ち着きを取り戻したらしい。
「それじゃあとは…若いモンどうしで、ってか?」
「あっ…」
「うまくやれよ?」
男はそういってからかうと、部屋から出て行った。
そして廊下で何か話し声が聞こえたかと思うと、再び部屋の扉が開く。
そこには目の周りを少し赤くした、ふくれっ面の少女がいた。
それは先ほどの少年の顔と、よく似ていた。
「………」
「………」
扉の前から動かない少女とベッドの上の少年は、
無言でしばし時を刻む。
「…悪かった」
最初に口を開いたのは、少女だった。
「……悪かった、って言ってるだろ」
「………」
その謝罪に対する答えに困るように黙っていた少年が、 ようやく口を開く。
「ファング…」
「え?」
少年は、小さな声でポツリと呟いた。
「…俺の名前。ファング、だ」
突然、自分から名乗ったことに驚き一瞬目を丸くした少女だったが、
それが、少年の精一杯の謝罪の言葉だと理解する。
「ふーん…ファングか…いいねぇ、ファング!強そうな名前じゃないか!」
「わぷっ!」
少女は歩み寄ると、スープでペタペタになった少年の髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でた。
「あたしはルーガだ」
「…知ってるよ」
「また馬鹿なこと言ったら、 怪我人だろうと容赦なくぶん殴るからなファング!」
「な…なんだよそれ!?」
脅しにも似た言葉を投げつけると、ルーガはファングに何かを差し出した。
「ほら」
とても赤い、良く熟れた大きな果実。
ついさっき、採って来たのだろう。
「………」
ファングは手を伸ばすと、それを受け取った。
「…何か言うことあるだろ?」
ルーガに顔を覗き込まれ、ファングは少し照れながら小さな声で言った。
「さ…さんきゅ……」
「よし!」
ぽん、とご褒美のように軽く頭をひとつ叩くと、
ルーガは嬉しそうに笑う。
「ほら、食いなよ」
「………」
ファングは、手にしたそれを一口かじってみた。
途端に薄い皮が弾け、中から甘い汁が口の中に広がった。
飲み込んだ果汁が乾いた全身に染み渡り、
この体が生きたがっている、ということを実感させる。
「うめぇ…」
「だろ?」
数日まともに物を口にしていなかった胃袋がキュンと刺激され、
食欲という欲を思い出したようにうずいた。
「んぐ…むぐ…」
一口、また一口と進めるうち、もうそれは止まらなくなる。
ファングは 夢中で果実にむしゃぶりついた。
「落ち着いて食いなよ。まだあるからさ」
自分を満足そうに見つめる視線を感じながら
今自分が生きているという事に
ファングは心から感謝した。





end


立ち直りは結構早い子だと思う。
基本、単純だから(笑)。



2010.09.19

 

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