「…もう離せよ速水…みんなみてるだろ?」
 正気に返った狩谷をいつまでも抱き締める僕に、狩谷が照れくさそうに腕をのばし僕の胸を押した。
「あぁ…ごめん」
 それでも僕は腕の中の狩谷がとても久しぶりにあう人のような気がして、いつまでもその体を抱きしめたまま離せなかった。狩谷はそんな僕に小声で何か悪態をついて、そして微笑った。
 どれだけそうしていただろうか。それはとても長いようでもあり、短くも感じられた。 
「…速水上級万翼長」
「…?」
 呼ばれ振り返った僕の目には、見なれない一団が武装したままこちらを見ていた。
 一団の一人はゆっくりと僕らに近付いてくると、言った。
「狩谷 夏樹の身柄をこちらに渡して頂きます」
「!?」
「……!」
 ざわめく5121小隊の声を打ち消すように、その男は言った。
「今回の幻獣戦争一連の首謀者及び裏切り者である狩谷夏樹の身柄を、国家的命により当軍において拘束いたします」
「な…何いってるんですか?狩谷は元にもどったんだよ?」
 首謀者って何?裏切り者ってどういうこと?
「一時的に正気に戻った、とは考えられませんか?またいつ同じような事をひき起こさないとは言えないでしょう。」
「それはっ……それはないです!断言します!僕が保証します!!」
 彼らは少し苦笑して言った。
「貴方がお認めになっても、世界がお許しにならないでしょう。彼はもはや世界的悪であり脅威なのです」
「…!」
「それに当軍ではそのような力を発揮した狩谷夏樹について研究する必要があります。今後、このような人間が二度とあらわれない為にも、彼の肉体、精神、その他諸々分析をいたします。世界の為です。未来の為なのです」
「そんなの…!」
 僕は狩谷の体を強く抱きしめた。少し震えているその体を。
「捕獲を妨害する者がいれば射殺して良いことになっています。
お渡し下さい速水上級万翼長、世界的英雄であるあなたを殺したくはありません」
 僕は英雄なんかじゃ無い。

「嫌です!渡しません!!」
 狩谷は世界的脅威なんかじゃない。僕は英雄なんかじゃ無い。僕の方が、脅威だったかもしれない。
僕も狩谷も、変わらない。何も変わらないんだ!狩谷は渡さない。絶対に…!
「速水上級万翼…」
「せや!渡さんで!そんなけったいなトコになっちゃんは渡さへん!!」
「!?」
 言い争う僕らの間に割ってはいってきたのは、加藤だった。これ以上できないというくらい恐い顔をして、目には涙を浮かべながら相手を睨み付けている。
そうだ!そんなよくわかんねートコによくわかんねー理由で狩谷を連れてかれてたまるかよッ!」
「そうそう、そ〜んな強引なやり方、女の子に嫌われるよ?」
「そういう重要な話は私を通してからにして欲しいですね…もちろん許可いたしませんが」
「力づくでもってんなら俺を倒してからにしなッ!」
「だめ〜〜っ!なっちゃんつれてっちゃ、め〜〜なのッッ!!」
 加藤に続くように、小隊みんなが僕に加勢してくれた。
 気持ちはみんな一緒だったんだ。
「み…んな…?」
 僕も驚いたが、一番驚いていたのは狩谷だった。我を失い仲間を殺そうとした狩谷。そして仲間に殺されそうになった狩谷。一番驚いていたのは、そんな狩谷だった。

「…みんな……僕は…」
 狩谷はようやく自由になれたんだ、自分に戻れたんだ!渡すものか…もう誰にも渡すものか…!
「…………行きます」
「!?」
 ………え?
「僕……行きます」
「狩谷!?何をいいだすんだ!?」
 その言葉が本当に狩谷の口から発せられたのかが信じられなくて、僕は狩谷の体を少し乱暴に揺すっていた。
「僕は…行くよ速水……僕は沢山の人を殺したよ。罪の無い人の命を…家も、家族も、体の自由さえも、多くのものを僕は破壊してきたんだ」
「だからそれは、狩谷じゃない!それは狩谷に…」
「僕だよ」
「違…!」
 狩谷は首を左右にゆっくりと大きく振った。
「…僕なんだよ速水。今までの出来事は……ゆめなんかじゃない、ゆめなんかじゃ済まされない現実なんだ」
「………」
 僕は、言葉を詰まらせる。
「あれは紛れも無く、僕だった。もう一度ああならない確信は…僕にはないな。
……僕みたいな人間は、二度と出てきちゃいけないんだ
「狩谷!」
「……速水、このまま暮らしていても僕は……一生この罪悪感を背負っていくだけなんだ。それって…生き地獄だと思わないかい?だったら…相応の場で相応の裁きをうけるべきなんだ」
「でも…!」
「…ありがとう速水…」
 狩谷は僕に縋り付くフリをして、
皆にわからないように、ほんの一瞬僕に口付けた。
「…でも僕は…幸せになんかなっちゃいけない人間なんだ」
 それが君の揺るぎない本心だと言うことが、涙の潤んだ真剣な眼差しから痛い程伝わってきた。
 君は…自分を許す事が出来ないんだ。
「みんな僕を庇ってくれて……すごく、嬉しかったよ……」
「狩…谷……」
 寂しそうに微笑んだ狩谷の顔がとても嬉しそうで、僕は…それ以上何も言えなくなってしまった……。

ようやく取り戻した君を
もう二度と離さないように

ようやく取り戻した君が
もう二度と壊れないように

僕がずっと傍にいる

それが
僕の望みだったのに…

 

あしきゆめのはて



「こちらです」
 案内されるまま、僕は館内を歩いていた。
 狩谷を連れ去られてから数カ月、いくら問いつめても何の音沙汰も無かった軍から、ある日いきなり連絡が入った。
『狩谷 夏樹の身柄をお引き取り願います』
 こっちからの問いは散々シカトしておいて
いきなり今更引き取りに来いだなんて…僕はいまだに半信半疑だった。 でもその言葉に嘘偽りがないというのなら、久しぶりに狩谷にあえるのだ。そして今度こそずっと傍にいられるんだ。
 あの時は狩谷の意志を尊重して行かせる事に承諾はしたものの、僕は後悔でいっぱいだった。力づくででも、離すべきではなかったと思う。どんな目にあわされているかわかったものでは無い。酷い目にあっているに決まっている。そんな所からは一分一秒でも早く、狩谷を連れ出したい。
「どうぞ」
 通されたドアの向こうに、人影が見えた。その人物は椅子に座らされ、ぼんやりと蒼い壁をただ見つめていた。僕は、その人影に声をかけた。
「……狩谷?」
 僕の声に過剰に反応した人影は、ゆっくりとこちらを振り返る。その顔は紛れも無く狩谷だった。
「…速水…?速水なのか!?」
 驚きの声は喜びの表情を含んでいる、僕が自分を迎えに来たのだということがわかったのだろう。僕だってそうだ。こうして狩谷が無事でいた事はこのうえない喜びだった。
「狩谷!」
 僕は彼に駆け寄った。
「迎えにきたんだよ狩谷…ね、帰ろう?」
「あ…あぁ…」
 狩谷は僕の差し出した手を取るように腕をのばし、そしてそのまま…立ち上がった。
「え!?」
 狩谷は、立ち上がったのだ

「……狩…谷?」
 狩谷が……僕の目の前に、立っている。始めてみる光景。そして、有り得ない光景。
「あぁ……驚いたろう?正直、僕も驚いているんだ」

 狩谷は少しはにかみながら、嬉しそうに僕に告げた。
「ここに来て…目が覚めたら僕は、歩けるようになっていたんだ。彼らは僕の足を治してくれたんだよ!もうなおらないと諦めていたけれど…彼らが、治してくれたんだ…!」
 狩谷はとても嬉しそうに、そう言った。

「…………」
  『僕の足は…もう治らないんだよ…』
「どうしたんだ速水?」
   ……違う。
「…喜んでくれないのかい?」
   違う。
「……速水?」
 不安そうな表情で僕の顔を覗き込んできた狩谷の顔に、僕はハッと我にかえる。
「あ…いや、すごくびっくりしちゃって…!その…よ、よかったね狩谷!!」
「…あぁ」
 慌てたように造られた僕の笑顔に狩谷もようやく笑顔を見せ、嬉しそうに微笑んだ。
   違う、違う、違う。
「え…っと、
僕ちょっとここの人ともう少し話をしなくちゃならないんだ。また後で迎えに来るから、待っててね?」
「…そうか?…わかったよ」
 狩谷はちょっと残念そうな表情を浮かべたが、また迎えに来ると言う言葉を聞くと素直に頷いてまた椅子に座った。
「それじゃ、ね」
   違う!!
「あぁ」
 バタン、戸が再び閉ざされる。

狩谷じゃ、ない。

「!!」
 僕は案内をしてきた男の胸ぐらを掴んで壁に叩き付けていた。
「……狩谷は…どこだ…!?」
 顔をしかめながら、男は苦笑していた。
「やはり、あなたはあんなものでは騙されてはくれないようですね」
「なッ…!」
 飄々とした男の態度に、僕の頭に血が昇る。
「狩谷は…狩谷はどこなんだッ!」
「それはお教え出来ません」
「答えるんだッ!狩谷を連行した目的は何なんだッ!ここで何をしているッ…!言え!言えないのかッ!?」
「お答えできません。国の最高機密事項です」
「言うんだッ!!」
 僕はもう一度男を壁に押し付ける。周りから数人の男達が騒ぎを聞きつけ集まってきたが、僕が押さえ付けている当の本人が彼らを制止させる。そして無抵抗のまま暫し考えを廻らせ、僕の目を見て言った。
「……たしかに、貴方はこの世界を救った功労者。この施設が何かを知る権利はあるかもしれませんな…」
「だったら…!」
「…わかりました」
 男は僕をなだめるように手を振り解くと、軽く襟を正した。
「ただし、何を見ても…口外しないと約束していただけますか?」
 僕は無言で頷いた。それで狩谷に会えるのならば、この組織が何をしていようと知った事では無い。何をしてたって構いやしない。僕はただ、狩谷を連れて帰りたいんだ。
「………ではこちらへどうぞ………ですが、見た事を後悔されても…責任はとり兼ねます」
 そして男は、僕を館の奥へと案内した。
 案内されたそこは通路に面して幾つもの部屋があり、小さな窓が並んでいる。壁はすべて気味が悪い程に真っ青だ。
「……ここは?」
 僕はその窓から中の様子を覗いてみた。部屋の中には数人の男と、それらに囲まれた一人の少年がいる。
「!」
 その少年の顔が狩谷だということは、すぐにわかった。眼鏡はかけていなかったが、間違い無くその顔は狩谷だ。男達に髪を掴まれ、蹴られ、殴られ、そして裸に剥かれたその体は絶えまなく屈辱的な暴行を受けている。その行為は明らかに強姦、いや輪姦だった。
「な…何をして…!?やめさせ…」
 不意に組み敷いた男の一人が右手に握った何かを握り直した。黒い、金属質の塊。そしてそれは狩谷の後頭部に当てられる。
「やめ…やめろーーッ!!」
 男の指が僅かに動いた。
 音は一切聞こえない。だが僕の目の前で、狩谷の頭は中身を一気にまき散らした。
「うわあああああああああぁぁぁ!!!!」
 男達はとても満足そうに笑っていた。飛び散った赤い水と塊を全身に浴びながら、狂気的に、嬉しそうに。狩谷を殺したその行為を、とても満足そうに…!!
「…あれは『狩谷タイプ』ですよ、速水殿」
「狩谷タイプ!?」
 僕は視線を窓から外し、男に向ける。
「精巧なモノですがね。記憶、肉体組織、全て忠実に再現してあります。我々はあの固体をNK10967と呼んでいます」
「あれは………クローン…か!」
 今の御時世、クローンなど珍しくもなかった。僕達が普通に接してきた、ののみも、若宮だって、実はクローンだったんだから。クローンだって人並みに生きて、人並みに生活ができる。戦争はもう終ったんだ。戦士を作る必要もない。それなのに、なぜ今、狩谷タイプのクローンを生産する必要があるというのか。
「…な…何をさせているんですか!?何なんですか彼らは!?」
 僕にはこの部屋の中の出来事が無意味な暴力にしか見えない。狂気的で非人道的。
「あの部屋にいる彼らは…」
 男は無表情のまま語り出した。
「『狩谷夏樹』に家族、もしくは恋人を殺害および半身不髄にされた者たちです」
「!」
 戦争の被害者達の…遺族。
「彼らの悲しみや怒りは、どうするべきだと思われますか?内に秘めたままどこにも向ける術のない彼らの思いは、どうすべきと御考えですか速水殿?
それらの感情は罪の無い者にむやみに向けられる怖れすらあります。それならば…そう、彼らの一番憎むべき対象に向けられるのが正論なのです」
「な…!」
   『…相応の場で相応の裁きをうけるべきなんだ』
「………!」
 狩谷の言葉が脳裏を過り、僕は…何もいえなくなる。

「犯罪被害にあった肉親が犯人をこの手で殺してやりたいと、よくそう思うものでしょう?我々はそれを合理的に実現したわけです」
 彼らの大事な者を傷つけ、奪ったのは…『狩谷夏樹』。僕から見れば狩谷では無かった『狩谷夏樹』でも、彼らにはどちらも同じ『
狩谷夏樹』にすぎない。…戦争は終っても、傷跡は消えなどしない。彼らが『狩谷夏樹』を憎む感情を否定する事は誰にもできないんだ。
「でも……」
 僕は…僕は、こんな事の為に狩谷を助けたんじゃ無い!!
「そのために……この為だけにわざわざ狩谷のクローンを…!?」
「………いいえ」
 男は間を置いて僕の言葉を否定した。そして僕の前に立つと、また奥へと歩き出す。
「……NK10968を補充しておけ」
「ハッ!」
 すれ違い様、部屋の前にいた職員に男は指示を与えていた。あの部屋には再び『狩谷タイプ』が補充され、そして暴行され殺害される。そのためにいくらでも生産されていく。殺される為に作られる…。
「……今お見せしたのは…『民間人向けのサービス』の一部ですよ」
「………サー……ビス……」
 狩谷に恨みを持つものに狩谷を好きなように嬲り殺させる『サービス』。恨みと鬱憤を晴らす為の公的サービス。提供する彼らとそれを満喫する彼ら。
 
瞼の裏には先程の真っ赤な光景が焼き付いたまま、僕は男について更に奥へと歩いていた。狩谷ではない狩谷の血。狩谷ではない狩谷の死。当たり前のように正当化されている殺戮。
「………」
 
僕の胸の中に、暗く重い感情が渦巻いて来る。怒りのようで怒りでも無く、とても恐ろしく、懐かしい感情。異常な研究所の空気、白衣、密室、そして血の色。懐かしく息苦しいこの空気の全てが僕に何かを思い出させる。目を、覚ましてしまいそうになる。
 僕はもう、あの自分を二度と表に出さないと決めたはずなのに。僕は口元が次第に笑い出して来るのを止められない。

「…お気付きかもしれませんが……」
 男は僕に話し掛けた。その拍子に我に返ったように、僕の笑みが消える。
「先程のアレも、当然『狩谷タイプ』です」
「………そんなこと、わかってます。でも…なぜ、『彼』を僕に引き取れと?」
 わざわざ呼び出して、 複製を連れて帰れと言う言葉の裏には何を含んでいるのか。国も、軍も、芝村も何もかも、信用なんて出来ない。
「何故か…ですか?」
 男は少し口元をいやらしくニヤつかせていった。
「…いえね、速水殿が『狩谷夏樹』を御寵愛という事は存じておりましたので…我々からのほんの贈り物だったのですがねぇ」
「な、なんだって!」
 僕と狩谷の関係まで、ここの組織には知られつくしているらしい。いったいどこまで知っているのか知らないが、プライベートなんてあったものじゃない。

「アレは本当に良く造られていますよ…本物と寸分違わぬ精巧さです。…ただ一つ、修正は加えてありますが。いえ、たいした修正ではありません。繁殖能力を削除してあるだけですから」
「!…なんでわざわざそんなこと…!?」
 精巧に複製したというのなら、そんな事をする必要なんてないじゃないか! ?
「万が一と言う事も考えましてね…彼の遺伝子が受け継がれる固体が一般に出回る事は…脅威です」
「…また、脅威、ですか……!」
 脅威、脅威、脅威…あぁ嫌になる。どいつもこいつもそればっかりだ。君は世界の脅威で僕は世界の救世主。違う…そうじゃない、どうして何もわかっちゃくれないんだ…!
「まぁ最後まで聞いて下さい。確かに繁殖能力は欠如しています。ですがその変わりと言ってはなんですが…あなたの為に最高の『具合』に調整してありますので…いままでどおり、いえそれ以上に存分にお楽しみいただけるかと思いますよ?ふふ…その意味はおわかりでしょう?ふふふ…」
 イミシンな男のいやらしい笑みに僕の理性が掻き乱れる。
「…ッ狩谷に何を細工した!?」
 僕は再びつかみ掛かった男を床に組みしいていた。
「落ち着いて下さい速水殿」
「落ち着けるかッ!狩谷の体に何をしたんだッ!!」
 狩谷に触れていいのは僕だけだった。こんな得体の知れない奴等に…こんな…!
「多少感度を過敏に調整しただけですよ…何をムキになられます?所詮『狩谷タイプ』なのですよ?」
「…っ!」
 狩谷ではない。ただの複製。さっきの個室で次々と処分されていく個体と同じ、ただの生産物の内の一つ。
 アレは狩谷じゃない。
「………」
 そう思い直すと、僕に少しづつ冷静さが戻って来る。…本物の狩谷を弄られたわけではない。落ち着け、自分。
「…ご理解頂けたようですね?」
 男は僕の体をどけると、立ち上がり服のホコリを嫌味っぽく払い落とした。
「狩谷には何もしていないんだろうね…!?」
 念を押すように僕は男を問いただす。
「ええ…そのまま、何も手はくわえておりませんよ」
「…本当だろうな…」
「本当ですとも。さぁ、納得されましたらこちらへどうぞ速水殿」
 そう言って男は僕を通路の奥へと誘った。
 その時の男の顔が何故か妙に勝ち誇ったように見えるのが、僕には腹立たしかった。

「さ…着きました、ここです」
 着いた先は、厳重にガードされた扉の向こうにあった。
「ここが、我々の本来の目的…『狩谷夏樹』の研究施設」
「…研究…?」
 重い扉をいくつか越えた後、僕の目の前にはガラス張りの部屋が現れた。周りには幾つもの計器、そして山積みの資料。
「!?」
 その部屋の中央の診察台には縛り付けられている狩谷がいた。こちらには気付いていないが、どうやら意識があるようだ。
「狩谷…!」
 とびだそうとした僕は数人の男の手によって遮られる。
「『狩谷タイプ』です速水殿。さぁ…計測が始まりますよ」
「狩谷…タイプ」
 そうか、あれは『狩谷タイプ』だ。あれは狩谷じゃ無いんだ。また、僕は少し冷静になる。
「……何の計測ですか?」
 僕は計器を見回しながら聞いた。あれは狩谷じゃない…あれは狩谷じゃない…そう自分を落ち着かせながら。
「先程面会した『狩谷タイプ』でお気付きの通り…『狩谷タイプ』は本来の運動機能、歩行機能を初期状態で備えております」
「…そうみたいだね…それで?」
 狩谷が歩けないのは、生まれつきでは無く後発的な事故によるものだ。『狩谷夏樹』の生体組織は本来、五体満足の優良状態。
先程会った『彼』は『歩けるようになった』のではなく、生まれてから一度も『歩けなくならなかった』のだ。彼らは足を治したのでも何でもない。『本来の狩谷夏樹』の肉体組織を、ただ複製しただけなんだ。
「『狩谷夏樹』は健康な肉体をもっていた、だがそれを失う事によって…彼は恐ろしい力を生み出す能力を身につける。我々がしりたいのは……その歩けなくなった事により生じた精神的歪みと心理状態、そしてそのマイナスの感情により生み出された多大な負の力…人類を破滅においやる程のその力を生む瞬間の脳波、心拍数…そして……」
「……だから、どういうことなんですか?簡潔にいってください」
 僕はいつまで続くかわからない男の言葉を呆れた声で遮った。得意そうにうんちくを語っていた男は少し話し足りなそうに眉をひそめたが、一つせき払いをして言い直す。
「そうですね、ですからわかりやすくいうと……この施設では歩行自由喪失状態の狩谷夏樹をあらゆるパターン別に人工的に造り出しているのですよ。そしてその際の肉体と精神状態の関係を記録、研究しているのです」
 …何が、何だって?
「見ていただければ一目瞭然ですよ」
 男の声を合図に、周りにひしめき合う白衣を着た研究員達がせわしなく部屋をうろつき始める。
「人工的に…?」
 …造る…?
「それでは始めろ」
 器械のスイッチが入れられる。
「や…」
 健康な状態から、歩けない狩谷を、人工的に造る??それって…
「やめ…」
 耳障りな器械音と共に天井から降りてきた巨大な回転刃が、狩谷の足にゆっくりと当てられる。
「やめろおぉぉぉぉぉぉッッ!!」
 僕の絶叫と、器械の作動音と、そして君の絶叫と。器械は少しづつ、ゆっくりと、何度も、君の脚を輪切りにしていく。
「う…うぐ…おえぇッ…!」
 直視できない光景に襲い来る激しい嘔吐。
「大丈夫ですか?速水殿」
「…っ何が大丈夫だ…ッ!」
 僕は差し出されたタオルを投げ返して周りの研究員達を睨んだ。
「やめろ!こんな事今直ぐやめろ!」
 周りに並べられた計器の針が、壊れんばかりに激しく触れる。膝の辺りまで輪切りにされた彼は、薬と電流による衝撃で意識を失う事の無いように調整されているらしく、気のフれる程の激痛の中いつまでも絶叫をあげ続けている。
「速水殿、あれは『狩谷タイプ』なんですぞ?」
 だから、なんだっていうんだッ…!!
「彼には狩谷の記憶も感情も痛みだってあるんだ!オリジナルじゃなかったらなんだ!?彼だって人間なんだよ!?」
「…わかっておりますよ」
「だったら…」
「本人と同じ脳の状態、そうでなくては研究になりませんからね。先日は薬物により歩行機能を序々に損失したケースを計測いたしました。今日は外傷による強制的歩行機能損失の際の精神状態を…」
「ーーーッ!!」
 僕は、再度男につかみ掛かっていた。
「ふざけるな!!こんな事をしたって『あしきゆめ』はこない!こんな事をしなくたって『あしきゆめ』は来る!無意味だ!こんな事…何も生み出しはしない!!」
「そんな事はやってみなければわかりません」
 馬鹿げた事に、男の目は本気でそう思っていると物語っている。こんな凶行を正当なものだと信じている。
「やめろ!やめさせるんだ!」
 どうせいま止めた所で、あの個体は助からない。それはわかっている…でも…!
「やめさせろ!やめさせろーーッ!!」
 近くにあった計器に向かってやみくもに振り上げた腕を、僕は何者かに掴まれた。
「はなせッ!」
「落ち着いて下さい!あれは『狩谷タイプ』なのですから!『オリジナル』ではありませんから!」
  狩谷タイプだのオリジナルだの、人類の脅威だの世界の脅威だの…。
「………狩谷も…狩谷もこうやって殺したのかッ!?…狩谷はどこだ…狩谷はどこにいるんだッ!」
「それは…………」
 男も、周りの研究員も、誰も僕の問いには答えない。
「狩谷を返せッ!!」
 殺す為に造り出して狂わせる為にわざわざ健康な肉体を破壊して。『狩谷夏樹』はとんだ茶番のモルモット。…モルモット…?あぁ、僕と同じだ。やっぱり僕達は似ているよ狩谷。紙一重だ。もし君がいま動けない状態だというのなら…安心して、僕が…僕が君の変わりに…
「落ち着いて下さい速水殿!」  
 暴れる僕は、幾人もの研究員にとりかこまれる。床に押さえ付けられ、まるでこれから僕が実験材料にでもされるみたいに、両手足を拘束される。鳥肌がたつ。忌わしい記憶が、蘇る。
「はなせッ!!」
「あなたにこのような事はしたくないのですよ速水殿…ですが、落ち着くまではそうしていてもらう事になります」
「ふざけるなよ…僕を誰だと思っているッ…!!」
 沸き上がる衝動がもう押さえきれない…僕は、封印したはずの僕に戻るんだ。それもいい…君の変わりに、僕がこいつらを皆殺しにして…そして…そして…

「狩谷に…会わせて下さい!」
 …これが、貴様等への最後のチャンスだ。
「それは…できません」
「………そう…」
 僕は、堪えきれずに笑いがこみ上げて来る。
 もう、知らないよ。もう…殺すよ。皆、ミンナ。あははっ皆殺しだ。僕は…強すぎるが故に人ではなくなった男。人を殺す事にも血を見る事にも、何も感じない男。君の為なら僕は………この世界を壊してでも君を取り戻すよ……君を………!
「速水殿!『狩谷夏樹』が自分の意志でここに来たのをお忘れか?」
「!」
 その言葉に、狂い始めていた僕の心は、人の心に引き戻される。
「自分で…」
「…そうです、思い出して下さい。自らここに来る道を選んだのですよ…!?」
「…………」

  『
僕は…行くよ速水』
 狩谷の言葉が流れて来る。
「かり…や…」
 君は、こんなめに会うってわかっていたって言うの?わかってて、自ら行くと、そう言ったの?僕は君の気持ちを尊重しなくちゃならないの?……嫌だ。そんなの嫌だよ!
  『
ゆめなんかじゃない、ゆめなんかじゃ済まされない現実なんだ』
 そうかもしれない、そうかもしれないけど、君は悪くなんかない!…いや…悪く無い事は…無いかも知れない…でも、君だけが悪いんじゃ無い…!

  『
……速水、このまま暮らしていても僕は……一生この罪悪感を背負っていくだけなんだ。それって…生き地獄だと思わないかい?だったら…相応の場で相応の裁きをうけるべきなんだ』
 そんなの、ダメだよ!僕は君を助けたかったのに。こんなんじゃ、君を助けた事になってないよ!?
  『
…でも僕は…幸せになんかなっちゃいけない人間なんだ』
 なんだよ…なんなんだよそれ…!?君は最初から、そのつもりだったっていうの?助ける事など、出来なかったと?…そんなのってないよ!?
「なんで……」
 だったら、だったら…
「どうして………どうして僕に『助けて』なんていったんだよッ!!」
 僕の絶叫にも似た叫びの後、シン…、とした研究室に器械の作動音だけが低く響く。すでに声を発する事を止めた台の上のモルモット。器械から吐き出されたロール紙が、役目を終えて床に落ちる。
 沈黙が流れる。
「……狩谷夏樹は、もし貴方が来ても…決して自分に会わせるなと……そう我々にいいました」
「……………」
「………速水殿、何も聞かずに先程の『彼』を連れてお引き取り下さい」
「そんなこと…ッ」
 偽物だとわかっている狩谷を連れて帰って、僕にどうしろというんだ!?本物が殺されたのか生かされているのかもわからないまま、偽物の狩谷を連れ帰ってどうしろというんだ!?
「『彼』はあなたの為に特別に精巧に造られたものです。『彼』は…自分が『狩谷夏樹』だと思い込んでいます。ですが貴方が拒否すれば…『彼』は自分が『狩谷夏樹』だと信じたまま、先程の部屋にまわされることになります…それでもよろしいですか?」
「………」
 それでも、『彼』は狩谷じゃない。あれは『狩谷夏樹』じゃない。
「………狩谷…」
 僕は、どうしたらいい?君はどうして欲しい?ねぇ狩谷…狩谷……

 今、僕には二つの選択肢があった。
 一つは、この懐かしい感覚に身を任せる事。
 ここの人間を…皆殺しにして、狩谷をさがしだして。
歩けない君を。本物の君を。君が許せない君を。幸せを拒絶した君を。
強引にでも、力づくにでも。
 本当は君は僕が来るのを待っているんでしょう?ねぇ、そうでしょう?
そうじゃなきゃ、僕が可哀相だよ…ねぇ狩谷…

 今、僕には二つの選択肢があった。
 一つは、この懐かしい感覚に身を任せる事。
 そしてもうひとつは…
 もうひとつは…


 バタン。
 僕は部屋の中に入った。
「速水…」
 僕はもう一度、『彼』に会う為に部屋にはいった。
「もう終ったのか?速…」
 僕の顔に表情がないのに気付いたのだろう、『彼』の浮かれた声は途中で消えていく。
 流れる沈黙の中、僕は『彼』に歩み寄る。狩谷と同じ顔、狩谷と同じ声…でも…
「君は…『狩谷夏樹』じゃ無いんだよ」
「!」
 ビクン、と目の前の『彼』は怯えたように震えた。僕は酷く残酷な事を、それは無表情な顔で告げたことだろう。
「………ふ…ふふ」
 『彼』は自嘲したように笑いを漏らすと、僕から視線を外した。
「………やっぱり…『僕』では……ダメなんだね…」
「………」
 『彼』は、自分が『狩谷夏樹』では無い事を…知っていた。
「そう…君は狩谷じゃ無い」
  でも君がその事を知っていてもいなくても、もう僕にはどっちでもいい。
「『狩谷夏樹』は、自分が幸せになっちゃいけない…そう自分で決めたんだよ。ね、覚えてる?」
「………あぁ…覚えているよ。自分で言った事だからね」
 『彼』は全てを覚えている。最後の決戦も、一緒に食べたお弁当の事も、きっと僕が触れた指の感触も。それは『彼』が受け継いだ紛れも無い『狩谷』の記憶だから。
「だけど…君は『狩谷夏樹』じゃない。そうでしょ?」
「え…」

 困惑している『彼』に、僕は、ゆっくりと手を差し出す。
 僕の顔には今、笑顔が浮かんでいる。人を欺く為に身につけた笑顔。僕の過去を隠す為に都合の良かった笑顔。そして、大切な人を安心させる為に純粋に笑う、今の僕。
「速水…?」
「だったら君は……幸せになったっていいんじゃないかな?」
「………」

 僕は手を差し出す事を躊躇している『彼』の手をしっかりと握った。あたたかい体温は、『彼』が人間だという証。狩谷の顔、狩谷の声、狩谷の記憶…そして、狩谷の体温。
 君は偽物なんかじゃない。君は…人間だよ。
「…帰ろう…『狩谷』…」
 君が、今日から『狩谷夏樹』になるんだ。

ようやく取り戻した君を
もう二度と離さない

ようやく取り戻した君を
もう二度と壊させない

僕がずっと傍にいる

それが
僕の望み…




ねぇ狩谷。幸せを自ら捨てた君。自分を許せない君。
どこにいるかわからない本物の君。


彼の名前は狩谷夏樹。
生まれ変わった狩谷夏樹。
君が僕より背が高かったなんて知らなかったな。
君の顔を見上げるなんて思ってもみなかったよ。
君はまた走れるし、階段だって自分で登れるんだ。
前のようにバスケだってできるんだよ。

それが
君の望みなんだよね…

 彼は君の望んだ狩谷夏樹…そうだよね?


ねぇ狩谷。
『狩谷夏樹』は今、幸せだよ。
きっと、幸せだよ…


 
 
 
 
 
 


『僕は…幸せになんかなっちゃいけない人間なんだ』

end

 

 



 重いって?何言ってンですか!こんなにらぶらぶハッピィエンドじゃないですか!狩谷がいっぱいで速水が精神分裂症で何がなんだかわからないって?たしかにちょっと自分でも何言いたいんだかわかんなくなる瞬間は多々ありました(笑)でも、自分的に納得のいくものにはなったと思っています。
 さて、エロを期待してた人(99%そうでしょう/笑)ごめんなさい。今回エロなしです。表に置きたかったのですが、切断系表現があるため悩んだ挙げ句やっぱりこっちにしました。前のアンケートで、流血猟奇系は地下二階にするべきだなと思ったもので。
 大体ね、思うんですよ。あのSランクEDのあとって、どう考えても狩谷幸せにはなれないなぁと。むしろ気持ちよく殺してくれるAランクEDの方が彼にとってはいいのかもしれないとね。
一体誰が狩谷を許してくれるというのですか?あれだけの事をしでかした彼を。あれは僕じゃ無いとか言ったって、誰が認めるって言うんですか!?本田先生も言ってましたよね?お前に優しさがあるのならお前の手で殺せと…彼の行く末に待っているものは、そういう事だからですよ。それでも生かされるSランクED、果たしてそこに狩谷の幸せはあるのか?って疑問なもんです。
 でもさぁ…せめてSランクEDくらい、幸せになってほしいじゃないですか!!だけどあのまま罪の意識も感じないまま無神経に幸せに向かって前向きに生きて欲しくはないの!でも自己嫌悪に陥って簡単に自殺とかして欲しくも無いの!ついでに最終決戦が終ったら都合良く脚が治っちゃってたなんてのも嫌なの!そんな御都合主義の無理矢理ハッピーエンドは嘘っぽくてイヤ。そんな魅夜が辿り着いた、自分を納得させる為のSランクEDなのです。二つ目の選択を選んだ速水を、貴方なら許せますか? 魅夜は許せます。

 でも結局、本当の狩谷はやっぱり幸せにはなれていないわけで……それが世界の選択だったり。

2004.01.17

感想を送ってみる?

書庫に戻る