君が笑わなくなってから、もう2年もたつんだね…。

『笑顔の君に』

「おい一年、これも片付けとけ!」
「はい!」
 大石は先輩達に言われたネットを、手際よくまとめ始めた。青春学園に入学してテニス部に入った大石は、自主鍛練とボール拾い、素振りとパシリの日々にあけくれている。これを片付ければ今日の部活は終了だ。居残りで練習していた先輩のボール拾いとして付きあわされた大石以外、もう殆どの一年も先輩達も帰っていた。最近、先輩達はよく居残りで練習をしている。毎日数名、その面子はレギュラーのみに限らずまちまちだ。一年の大石としてはボール拾いのみで付きあわされるのは正直辛いけど、先輩達が練習熱心なのは凄く良い事だと思っていた。
「それから大石、手塚を部室に呼んで来い」
 ネットを片付けている大石に、一人の先輩が声をかけた。
「あ、はい、今呼んできます!」
 最近、よくミーティングが行われている。レギュラーと準レギュラー候補の二、三年によるミーティング。次の大会についての他校の情報と、今後の練習メニューについての話し合いらしい。一年がそれに顔を出す事は無い。約一名の例外を覗いては。
 そうなのだ、大石の友人の手塚という少年は、今年入ったばかりの新一年だというのに、入部早々異例のレギュラーに抜擢された。スゴイ、と思う反面、悔しくも思う。
 大石は自分もそんな風に周りに認められる様になりたかった。
「手塚君!」
 大石は同じように居残りで残っていた手塚の元に走りより、ボールを片付けていた手塚を呼び止める。
「今日もミーティングあるって」
「今日も…?」
「うん」
「………そうか、ありがとう大石君」
 あまり感情を顔に出さない手塚の表情に、一瞬影が落ちたような気がして大石は手塚の顔を見つめた。
「……手塚君、どうかした?」
「何がだい?大石君」
 そう大石に答えた手塚の表情は、別段いつもどおりだった。気のせいだったのかな、と大石は思う。
 手塚はふだんからあまり感情を表に出さないタイプだ。でもだからといって無感情というわけではない。大石は彼が激しく怒りを露にするのを見た事がある。普段だって人にくらべれば本当に僅かな変化だが、良く見ていればちゃんと喜怒哀楽があるのだ。一年ながらレギュラーになると決まったあの日、大石は彼の表情に確かな『喜』を感じとった記憶がある。
 だがここ最近、彼の様子がおかしい。なんだかうまくいえないが、彼が以前よりも笑わなくなった気がする。もちろん、声を立てて笑ったり笑顔になったりっていうのは大石も見た事はないが、僅かな『喜』を表情に覗かせるという行為すら、最近は見受けられない気がする。気がするだけなのかもしれないのだが…。
「…あ、今日も遅くなるから先に帰っててくれないか?」
「うん、わかったよ。じゃあね手塚君」
「じゃあ」
 大石と手塚は帰る方向が一緒だ。だから時間があえばなんとなく一緒に帰る形になっていたけど、特別約束を申し合わせて帰ってるわけじゃなかった。ただ本当になんとなく、自然にいつも一緒に帰っていた。黙っていれば大石を待たせてしまうかもしれない事を気にしたのか、手塚は大石にそう言うと、テニスバッグを掴むと足早に部室に入っていった。
(…気のせい…だよね)
 大石はその後ろ姿のしっかりとした足どりの手塚を見送り一人納得し、コートに一つだけ残ったバックを肩に背負った。

(……あれ…?)
 一人で帰る帰り道、大石は自分のテニスバッグが何かいつもと違う気がして、もう一度確かめようと肩から降ろす。
「…あっ!…これ…手塚君のだ…!?」
 コートにはバッグはこれ一つしか残っていなかったから、大石は当然最後までコートに居た自分の物だと信じて疑っていなかった。大石のバッグは手塚のバッグのすぐ横に置かれていた。これが手塚の物だとすると、バッグをもって部室に入っていった手塚の方が先に間違えたのだ。
(でも、手塚君が自分のテニスバッグを間違えるなんて…?)
 自分だって気がつかなかったから人の事などあまり言えないのだが、人一倍ラケットを大切に思う手塚が、自分のラケットを人の物と間違えるなど、大石にとって有り得ない事だった。
(……手塚君も人の子って事かな?たまにはそんな事もあるのかな…まぁいいや、とにかく返しにもどらなきゃ…)
 大石は今来た道を、学校に向かって足早に歩き始めた。

 学校につく頃には辺りは結構暗くなっていた。遠目に男子テニス部の部室に、明かりがついているのが見える。
(良かった、まだいるみたいだ…)
 大石はまだ手塚が学校にいる事に安堵した。どうやらすれ違いになる事なく間に合ったようだ。
(……ミーティング中に入ったら怒られるかな…)
 部室の前まで来て、大石は立ち止まった。とりあえずノックしてみようと思った大石の手は、聞こえてきた声にその動きが止まる。
「…あッ……うッ…」
(……え?)
 押し殺したような呻き声。
「は…ッ、アッ!」
(な…なに?)
 苦しそうな、上擦った息づかい。
「くぅっ!いい…いいぜ手塚ぁ…!」
(えッ…えッ!?手…塚君…!?)
 耳に入ったその名前に大石は驚く。心無しか息を潜めた大石は扉の隙間に、すっと瞳を近付ける。そして目に飛び込んできた光景に息が詰まった。
「!!!!!!」
 先輩の輪の中に囲まれた手塚。その姿は服を脱がされ、腕を縛られ、俯せにされたまま腰だけを高くあげた格好になっていた。その腰を抱え込むように覆い被さっているのは…先輩の武居。武居が手塚の身体を激しく揺さぶる度に、手塚はその表情に普段見た事もない苦悶の表情を浮かべ、呻き声を漏らしている。
(これ…って…!?)
 大石の膝がガクガクと震え出した。一歩後ずさったその肩から、ドサリとバッグが床に落ちる。
「誰だ!?」
 部室の中から怒鳴り声が聞こえ、近付いてきた足音は部室のドアを一気に開けた。だが大石は逃げる事も出来ず、その場にそのまま立ち尽くしていた。
「大石!?」
「一年か!?」
「…大石…君…!?」
 部室の中にいた全ての視線を一気に浴びた大石は、その中の一つに目を合わせた。
「…手…塚……君…?」
 組みしかれたまま大石を見つめる手塚の瞳に、大石は久しぶりに彼の感情をハッキリと見た。あまり見たくはなかった、『驚』に埋もれた『哀』を見た。
「…入れ」
「…うわ…っ!」
 猫の様に襟首を掴まれた大石は、そのまま部室の中に投げ込まれた。 床に倒れた大石が顔をあげると、その視線は再び手塚とかち合う。
「………」
「手塚…君…!?」
 何も言わずに、手塚の瞳は大石から反らされた。
(一体何が…どうなってるの!?)
 近付いたことで、大石は手塚が先輩に何をされているかをハッキリとその目にした。大石とて思春期の男児、この行為が何なのかくらいは十分承知だ。だけどそれがわからない。男同士なのに、とかそういう根本的な事では無く、手塚が先輩に『されている』という事が、理解できなかった。目の前で起きている事に、頭が混乱しすぎていた。
「さて…見られたからには、どうするかな……」
「え…うあっ!?」
 大石は後ろから一人の先輩に押さえ込まれた。後ろ手に押さえられ、身体を拘束される。
「…ふ〜ん…参加して貰うか…?やっぱ」
 別の先輩がそう言うと、大石の制服の前のボタンを外した。シャツの裾から先輩の指が入り込んできて少しずつその裾を捲りあげる。
「えっ…!?」
 何がなんだかわからないでいる大石に、もう一人の先輩の手が伸ばされる。大石のズボンを掴み、ぐっと引っ張る。
「ええッ…!?」
 さっきまで汗を流してテニスをしていた先輩が、そのボールを拾っていた自分が…今、目の前の手塚と同じ事をされそうになっている?
「な…なに? 何なんですかこれは…?先輩…?手塚君…ッ!?」
 その現状が大石には把握出来なかった。目の前の手塚の姿だけでもわけがわからないのに、それを自分もされるなんてどういう事なのか、理解不能。完全に大石はパニック状態だった。
「やめろッ!!」
「!?」
 突如怒鳴る声に室内の者の動きが止まった。
「やめッ…やめて…下さいッ…大石君は関係ないです…ッ!」
 その声は手塚だった。
「俺をやれば満足でしょう…俺だけやればいい…ッ!大石君は関係ない!!約束が違う…ッ!」
 手塚はいまだ武居に組みしかれたまま、大石に手を掛けようとしていた先輩を睨みつけていた。
「ふーん…熱い友情ってわけかい…泣けるねぇ」
 武居は馬鹿にしたようにそう言うと手塚の腰を乱暴に突いた。
「うあッ…くッ…!」
 手塚の瞳が辛そうに瞑られる。
「手塚君!」
 普段滅多に表情を崩さないあの手塚がこんなにも表情を歪ませているこの行為は、手塚にとってどれ程苦痛なものなのかが大石にも伝わる。肉体的にも、精神的にも。
「大石君には手を出さないで、か…いいぜ…だったらこいつには何もしねぇ…」
 武居は手塚の上半身をぐいっと持ち上げた。
「あぅッ!?」
 刺される角度が変わった事に手塚が苦痛の声を漏らす。そして手塚の上体が起こされた事によって、大石は手塚のその姿を、より鮮明にその視界に収める事になる。広げられた白い股の間に、まだ発達途中のような性器がちょこんと鎮座し、その更に下では、立派に大人の性器に成長した武居を、手塚の小さなアヌスが血を流しながら必死に根元まで喰わえこんでいた。
「…やッ…見…るな…ッ大石君…ッ!」
 ずずっ…と武居が手塚のアヌスから姿を現し、再び彼の中に姿を消す。そしてまた少し姿を現しては、手塚の中に埋まっていく。
 ズズッ…ズブッ…ズッ…ズププッ…
「ひッ…あッ、…く、うッ…!」
 その度に手塚は辛そうな声をあげ、その行為に耐えていた。
「あ…」
 性行為、sex。大石にとって初めて見る現実のそれ。
「見る…な…見ないでくれッ…!」
 手塚のその声にビクッと大石が全身を震わせる。
「う、…うん…」
 大石は手塚の悲痛な願いに、固く目を瞑って首を背けた。せめてもの、今、自分ができる事。
「だめだなぁちゃんと見なよ大石君、お友達の姿をさぁ?」
 だが背けた首は先輩等によって戻され、瞼を無理矢理にこじ開けられた。大石の目に再び手塚の凌辱姿が映し出される。
「嫌だッ、やめろよ…ッ!」
「お前にャ見る権利があるぜ。いや、見る義務だ。自分を庇ったお友達がどんな目にあうか、しっかりと最後まで見る義務がな」
「そんな…」
「たまにャこういうのも面白れぇな」
 武居の膝の上で揺すられる手塚の前には、いつの間にか大石に手を出そうとしていた先輩がいた。そして、徐に自らのファスナーを降ろし、既に立ち上がっているそれを取り出し手塚に近付いた。
「自分で言ったんだもんなぁ手塚…」
「は…」
 状況を察した手塚の身体が、小刻みに震え出した。
「自分だけやれ…って、そう言ったよなぁ手塚?」
「うッ…」
 武居一本だけでも辛そうに血を流してしまっている其処に、既に武居が刺し込まれている其処に、もう一本の大人な其れが押し当てられる。
「だったら、俺の相手もお前がしろよ手塚?」
「う…ぁ…」
 押し当てられた其れが、ググッと手塚のアヌスを刺激する。つぅーとそれだけで血が一筋勢い良く伝い落ちた。
「や…やめて下さいッ!そんな…そんな事したら手塚君が…ッ!」
 大石は、それまで何も言えずにいた自分に勇気を振り絞って叫んだ。先輩だけれど、恐いけれど、手塚君を助けなきゃと、大石は純粋にそう思った。
「お前はおとなしくしてるんだよ!」
 体格のいい二年の先輩が、大石の身体を床にねじ伏せた。
「……おい手塚、お前のお友達が何かギャ−ギャ−騒ぎ始めたぜ?」
 武居が手塚を突き上げながら耳元で言った。
「う…」
「このままだと手塚君のかわりにこの僕を、とかなんとか言い出しちゃいそうな勢いだぜ?お熱い友情の絆だなぁ手塚…どうするよ?別に俺達は一緒に遊んでやってもいいんだけどよ…」
 手塚はカチカチと小刻みに歯のぶつかりあう震える顎で、もう一度ハッキリと言った。
「お…大石君は関係ない…やるなら…俺だけ……」
「……良く言った、良い度胸だ手塚…」
 先輩の腕が手塚の腰を掴み、両腕に体重をかけて一気に引き寄せた。
 メリメリッ……
「う…!?」
 手塚の瞳が大きく見開かれ、口が何かを言いたそうにぱくぱくと動く。そして…
 メリッ…!!
 がくん、と手塚の身体が一気に沈んだ。
「アアアアアアァーーーッ!!」
「手塚君…!?」
 大石はその声にビクンと肩を震わせた。そんな声を手塚があげるのを聞いた事が無かったから。武居にラケットで殴られた時も悲鳴をあげなかった手塚が、今、耐えきれない苦痛に絶叫している。
「ひッ…いッ…うアアァーーッ!」
 ズッ…ズズッ…
 少しづつ手塚の身体が、更に沈んでいく。その無理矢理に繋がれた足下に、ポタポタッと大粒の紅い雫が垂れた。
「へっ…動くぜ手塚…」
「あ…」
 ズ…ズリュ…グジュッ!
「うあっ…うわあぁーーッ!!」
 手塚の身体が電気でも流れたかのようにビクビクと痙攣した。押さえ込まれた手塚の腰には、前後から真っ赤になった肉棒が刺し込まれ、激しく手塚を擦り始めた。
 ギジュッ…ズジュ…ズッ…ギュブッ!
「あぐッ…うッ、ひィッ!いあ…あひィッ!」
 二本の肉棒が、決して抜かれる事なく手塚を突き上げる。腕を縛られ身体を支えるべく脚も武居に持ち上げられている手塚は、その行為に抵抗する術も無く、ただ、その暴行を一方的に受け入れさせられている。
「やめ…やめて下さい先輩…!酷いッ!酷すぎるよッ!」
 大石は身体を捩って自分の腕を押さえる先輩の拘束から逃れようと暴れた。
「手塚…お前はこれでいいんだもんなぁ?そうだろ?」
「あうッ…うッ…うぐぅ…うあぁッ!」
 一際乱暴に武居が突き上げるのと同時に、手塚の中に熱い体液が放出された。
「あッ、あッ…あッ…!」
 腹の中が焼けるように熱く、中を満たす液体が傷に染みる感触にたまらず手塚が身を仰け反らせた。
 ズポンッ…!
「はぐッ…」
 手塚の身体から、凶器の片方が漸く抜かれた。手塚は倒れ込むように、まだ中にいるもう一人の先輩の腕に身体を預ける。もう手塚は既に意識を手放す寸前だった。だが、行為はこれでは終わらない。
「ホラ、次誰来る?」
「!?」
 ビクンと手塚が身を強張らせた。まだ、目の前の先輩は手塚の身体から出ていこうとする気配はない。それなのに、また、次の相手がもう、すぐ後ろまで来ていたのだ。
「あ…」
 手塚の双丘の柔肉を押し拡げ、迎え入れるその場所を次の先輩に良く見える様露にされる。既に一人喰わえている、其処。
 グリュ…
 押し当てられたそれが、先程のモノよりも…大きい。
「ひ…ぃッ…」
 ヌググ…
 まだ抜かれて間も無い手塚の其処は完全に窄まりきっておらず、簡単にその先端に吸い付いた。
「…もう一度言ってみろよ手塚、…なんだっけ?」
 痛みと恐怖で震える手塚は、それでも言った。
「……お…俺だけ……やれ…ば…いい…」
「そうだったなぁ」
 手塚のその言葉を待っていたかのように、手塚が言い終わるか終わらない内、腰に回された手が手塚を勢い良く引き寄せた。
 グッ…ヌ…ズボッ!
「くああああぁぁーーッ!」
 少し楽になったばかりの手塚の身体を再び凄い質量が襲った。
「ぎゃ…あッ、ウッ…ああッ!はぅ…ッくああッ!」
 新しい侵入者は勢い良く手塚を突き上げた。勿論、もう一人の侵入者も、その手を緩める事も休める事も無い。脚を持ち上げ、支えのない身体を自分の胸に預けてくる手塚を、下から容赦なく突きあげ、抉り、擦り続ける。掻き出された武居の精液が、手塚の血に混じってボトボト床に落ちた。
「うあッ、ぐあぁッ…ヒィッ!」
 グヂュ…グチュッ、グチュッ…
 内側を乱暴に掻き回すそのすぐ横で、激しくピストンするもう一つの肉体。一貫性のない二つの勝手な動きは手塚の身体を容赦なく傷つける。
「はぅっ…くあッ!あッ!…ひっ…う…」
 手塚の視点が、次第に空を彷徨い始める。見開かれた虚ろな瞳には、先輩の姿も、大石の姿も、もう何も映らない。
「あ……」
 ドクッ!
 二人目の先輩が手塚の中に放った。一瞬ビクッと震えた手塚は、その後一気に脱力したように全身の力をガクンと抜いた。
「しっかし、よく入るもんだなこいつ…二本もよ」
 ずるりと無造作に性器の抜かれた手塚の傷口から、どろどろと液体が流れ落ちる。白く、そして紅い。
「どんどんいこうぜ!」
「やめて…もうやめてよ…!!手塚君が死んじゃうよーーっ!」
「はッ、こんぐらいじゃ死なねーよ!」
 大石の悲痛な叫びも虚しく、ようやくまた一本だけ抜かれた手塚の其処に、新たな凶器が突き付けられる。
 グチュ…
 濡れた其処が再び大きく拡げられる。
「そらよっ!」
 ズプッッ!!
 力の抜けている手塚の身体に、勢い良く一気に根元まで挿入された。だが、手塚は悲鳴もあげなければ、何の反応もない。
「やめてッ…お願いだからもうやめてーーッ…!」
 無力に泣叫ぶ大石の前で、動かない手塚はその後も揺さぶられ続けていた。  

 ドサッ……
ボロボロの手塚が、飽きて捨てられた玩具の様に部室の床に転がった。
「手塚君ッ!!」
 と同時に、大石の身体も自由になった。自由になったといっても、今更だった。大石自身は何もされなかった。そして、何も出来なかった。ただ、目の前で嬲られる手塚の姿を、反らす事なく終止見せられていた。
「手塚君…大丈夫かい!?手塚君ッ!」
 大石は手塚に駆け寄ってその身体を揺すった。手塚の返事はなかった。いや、手塚は既に随分前から何の反応も無かったのだ。
「丁度良いぜ、後はお前が後始末しとけよ。俺等帰るからな」
 順にシャワーを浴びてきた先輩達は、さっぱりした顔で大石に言った。
「まッ…まって下さい!そんな、こんな事しておいて、放っとくなんて酷いよッ!」
 あまりの仕打ちに、終いには意識を手放してしまった手塚。その手塚に目もくれず、自分等だけ汗を流すと先輩達はまるで何事も無かったかのように、普段の部活の帰りのように帰り支度をしていた。
「なぁに、こいつにゃいつもの事さ。そう心配するこたねぇんだよ」
「え……いつもの事…って!?」
(今日だけじゃ…ない?)
 大石はその時にようやくハッとした。
(じゃあ…じゃあ最近先輩達が毎日のようにミーティングしてるってことは…必ず手塚君もその中にいるっていうことは…)
「それじゃあ先輩方はいつもこうやって手塚君をッ…!?」
「…あぁっと、一年はこのこと知らねェっけな」
 先輩は口が滑ったとばかりに舌打ちした。
「一体どういう事なんですか!?部長に…大和部長に言いつけますからねッ!?部長に知れればこんな事…ッ」
 大石は必死に叫んでいた。それが凄く他力本願で情けない内容だとは自覚しながらも、無力な自分に出来る僅かな抵抗。この部内で絶対的な権力と信頼を集めるその人に頼るしか無い。だが先輩達は顔を一瞬見合わせて、その後笑った。
「何が可笑しいんですかッ!?」
「部長にねぇ…ふーん、どうぞいえば?ってかんじ。とにかく、明日までに部室綺麗に掃除しとけよ大石!」
 そう言うと先輩達は次々と部室を出ていった。
「ちょッ…先輩ッ!?」
 後を追い掛けようとした大石は、部室に転がされたままの手塚を思い出し、駆け出しかけたその脚を止めた。
「………手塚君…」
 大石は振り返るとゆっくりと手塚に歩み寄り、ぐったりとしたその身体を抱き起こす。いつのまにか眼鏡の外れてしまった手塚。閉じられた瞼はただ気持ち良さそうに眠っているようにも見える。太陽の下でスポーツをしているにしては白い手塚の肌。その白い脚を伝う、痛々しい紅い体液。
「どうしよう……」
 救急車を呼ぶべきなのか、でもそんな大事にしては後々大変な事になりそうだ。部としても、学校としても、手塚にとっても。とりあえず大石は意識を失っている手塚を、シャワー室に運んで身体を洗ってやる事にした。
「今、綺麗にしてあげるからね…」
 シャワーの水をあてても、手塚は一向に目覚める気配はなかった。しかしながら大石は、こんな時の処理の仕方を全く知らず、どうしていいかわからない。持っていたタオルを手塚の傷に押しあててみると、白い布がじわりと紅く染まっていく。大石はそれを洗いながら、その紅い染みが殆ど付かなくなるまで何度もくりかえした。
「良かった…出血…止まった…」
 そうしているうちに、このまま止まらなかったらどうしようかと思っていた出血が、ようやくある程度治まった。大石は少しホッとして、表面上は綺麗に見えるように彼なりに一生懸命手塚の身体を洗ってやっていた。
「 君は……いつもこんな事を…されてたのかい……?」
 返事の無い手塚の身体を拭きながら、大石は涙が溢れてきた。自分の、自慢の友人。テニスが上手くて、カッコよくて、頭も良くて…凄く尊敬もしてる自慢の友人。それなのに、こんなふうに先輩達に扱われていた事が…大石はショックで、悔しくて、涙が出た。先輩のなすがままになっていた手塚。悔しくて、悲しかった。先輩をテニスでどれだけ負かしても、先輩達に何も臆せず堂々としていた手塚国光が、カッコよくて、尊敬して、…そして憧れていた。
 見た目的には綺麗になった手塚をタオルを敷いた床に寝かせ、大石は部室に散らばる手塚の衣服をかき集めた。そしてそのままにしておくわけにはいかない汚れた床を急いで拭く。こんな跡は早く消えて無くなればいいと思った。部室の床を拭いているうちに、大石は手塚の眼鏡を発見した。ロッカーの隅に滑るように吹き飛ばされていた手塚の眼鏡。そういえば、部室に入った時から既に手塚は眼鏡をしていなかった。 きっと、組み敷かれる時に暴れて飛んだんだろう。
(随分……抵抗したんだろうな…)
 抵抗しなければ、腕なんて縛られないだろうから。大石がいたからその抵抗をやめただろう手塚。大石のかわりに倍の苦痛を自ら受けた手塚。最近様子がおかしいと感じたのは、こんな仕打ちを受けていたからだったんだろう。それを、まったく気付かずに、むしろ毎日のように手塚を部室に連れていったのは、手塚を部室に行くよう呼びにいったのは、大石だった。ひょっとしたら自分が行かなきゃ、大石が先輩に怒られる。手塚はそう思っていたんじゃないだろうか?そこに行けば自分が何をされるか知りながら。だとしたら…。
「きっとボクは…いつも知らずに君を苦しめていたんだね…………ゴメン…手塚君…ッ!」
 大石は自責の念が膨張し、また涙が溢れてきた。
 ガタン、
 その時、部室の戸が動いた。
「!?」
 誰か来た…!それがさっきの先輩の一人なのか、違うのか、とにかく大石は咄嗟に手塚を抱きかかえて身を隠した。
「…おや?誰ですかそこにいるのは」
 聞こえてきたのは予想外の声。
「……部長ッ!?」
 大石は、安堵するその声にどっと肩の力が抜けた。隠れるようにロッカーの隅にいた身体を、大和部長の前に現した。
「一年の大石君ですね?どうしました?」
「部長…大和部長ッ!!」
 こんな先輩達の中で、唯一心から信頼できる先輩。大石は今見た事を、自分の感じている責任すらも、全てを吐き出すように大和部長に話していた。
「…そうですか…でも大石君、あなたが気に病む事はないと思いますよ?手塚君は自分の意志で 、先輩達のいる部室の中に入っていったのですから」
 眠る手塚の頬をそっと撫でながら、大和部長は言った。
「…それは…そうなんですけど……」
 やっぱり、この人のいう事は説得力があるなと大石は改めて思った。実際彼のその言葉は、すくなからず今の自分の気持ちを楽にしてくれた。確かに、嫌だったら嫌だと手塚なら意思表示するだろう。かつて先輩の腹立たしい暴挙の前に、いきなりテニス部を辞めるとまで言った手塚なのだから。逃げる方法はいくらだってあったんじゃないだろうか。
(それじゃあ…どうして?)
 ならばどうして手塚は逃げずに毎日部室に行くのだろう。
「それにしても…」
 大和部長はフッと顔を綻ばせ、横たわる手塚の傍を離れた。
「もう一ヶ月半ですか…手塚君も思ったよりずっと辛抱強い子で、正直ボクは嬉しいですよ」
「………辛抱強い…?」
(…………え…?)
 大石の頭の中が一瞬真っ白になり、疑問符が飛んだ。
(ま…さ……か…?)
「…ひょっとして大和部長………前から…この事…知っ…て…?」
 大石はまさかと思いつつ、恐る恐る聞いた。
「ええ、知っているも何も、これはボクが提案した事なんですよ…」
「!!」
  大石の中でガラガラと音を立てて何かが崩れる。中学生とは思えない風貌と落ち着いた物言いの、尊敬に値するその人に対する信頼感が一気に壊れていった。裏切られたような失望感。この人だけは、信じられる先輩だと思っていたのに。
「何で…何でそんな事するんですか?手塚君をあれだけ賞賛していたあなたがッ!?」
 手塚を敵視する先輩達の中で、部長だけは手塚の味方だった。大石はそう思っていた。
「…獅子は我が子を谷底に突き落とす、という話を知っていますか?」
「それが何だっていうんですか!?」
 大和部長は自分のロッカーから英語の辞書を取り出しながら大石に話しだした。どうやらそれを取りに部室に来たらしい。
「手塚君…彼は一年で異例のレギュラーになりましたね?それに反感を持たない先輩がいると思いますか?」
「………いえ…」
 それは大石もわかっていた。だから…だから、こんな事になったのだ。
「手塚君の実力は誰もが認めています。ただ、皆いきなり一年にレギュラーを奪われるのが悔しいだけなんです、自分が適わないという事を認めたく無いんです。私としては彼を一年とはいえレギュラーとして迎えたい、でもそうすることで部の統制が乱れる事は、避けたいのです。…わかりますか?」
「…はい………わかります…けど…」
 それは大石にもよくわかる。レギュラーの座を奪われるのは誰だって悔しい。ましてそれが、急に現れた年下の奴に突然奪われるなんて、そりゃきっと面白く無いに決まってる。そんななかで手塚がレギュラーになっては、やってられないとばかりにサボるものや怠けるものが続出してしまうだろう。今の青学テニス部は、正直そんな輩の集まりと言っても過言じゃなかった。そんなだから、ここ4、5年この名門校が都大会止まりなのだ。
「では逆に聞きましょう大石君、キミは手塚君がレギュラーになって以来今日まで、彼が部活中に先輩に暴力を振われたり、練習を邪魔されたりしているのを、見た事がありましたか?」
「え……?」
 大石は突然大和部長に聞かれ、記憶をさかのぼって思い起こした。暴力…といえば、手塚が武居に殴られる例の事件があって…その後に手塚のレギュラーが決まって…そして…。
「……あ…れ…?」
 先輩達が手塚を良く思っていないのは紛れも無い事実だ。大石にだって大石以外の一年にだってそれが解る程。だが、いくら思い出そうとしても、部活の時に先輩が手塚に暴力を振ったり邪魔したりしている光景は出てこないのだ。幾つ過去例があったっておかしくない位なのに、手塚がレギュラーになってから、今日のそれまで、一度も見た覚えがない。
 手塚がコートに出た時は、先輩達はちゃんと他のレギュラーに対するのと同様、手塚の為にコートを開けた。手塚を他の一年の様に、無意味にパシリにつかったりはしない。手塚に練習試合で負けても、誰も理不尽な文句を付けなくなった。でもそれは、手塚が先輩達にも認められたからなんだと大石は思っていた。
「……そういう事ですよ、大石君」
「…え?…えッ?」
  どういうことなのか、大石にはさっぱりわからない。大和部長の話の内容が、一つにまとまらない。
「…ボクは、部をまとめる部長としての苦渋の選択をしました」
「 どういう事なんですか…大和部長!?」
 大和部長は少し困ったように苦笑して、溜息をついた。
「簡単にいうと…先輩達の不満のはけ口を設けなくては、手塚君を青学レギュラーにする事はできなかった、という事ですよ」
「………え…?」
 その一言で、大石の頭の中で今までの話が点を線で結ぶように繋がっていった。先輩達の、手塚の実力に対する不満…そのはけ口…そう、今日見たあの光景こそが。
(あれが…不満の…はけ口…だって!?)
「人間はとても精神の弱い生き物です。自分の超えられない壁に直面した時に、それを排除したり否定したくなるんですよ。手塚君はまさにそれです、必死にレギュラーを目指す彼らにとって突然現れた壁だったのです。ところが、その壁を乗り越えようと真っ向から挑むのではなく、別の角度からそれを崩す事で、実際はそれを超える事が出来ていなくても、人間というのはある程度の安心感をもてる生き物なんですよね…。擬似的勝利というべきなのかもしれませんね」
「…………」
「だから今まで彼に…手塚君に不満ばかりいっていた者も、正式な『はけ口』を設けてあげる事で少なからず手塚君の『テニス』を邪魔する事がなくなりました。そう…彼らは『はけ口』で手塚君より優位に浸る事で、『テニス』での手塚君の優位を、素直に認められる様になれたのです」
「………」
 大石は黙って大和部長の話を聞いていた。
「……難しかったですか?…この話は」
 大和部長は何も答えない大石に、ちょっと小首を傾げた。
「いえ…わかります…わかりました…部長のいいたい事も、いっている事も、理解しました…ボク
にも理解は出来ました……でも……」
 大石はグッと拳を握りしめた。
「でもッ納得は出来ません!」
 そのはけ口が、手塚自身に降り掛かってくるんじゃ、何も意味が無い。その方法があんなのじゃ、酷すぎる…!先輩も部長も、部が表向きまとまってそれで満足かもしれない。だけど手塚は!?彼の意志はどうなる!?大石はそこだけはどうしても納得が出来なかった。
 大和部長は怒りを握りしめる大石に、落ち着いた口調で言った。
「大石君……手塚君も…この事には賛同しているのですよ…?」
「えッッ…!?」
 大石は驚いて固まった。
(手塚君が…納得してるって…いうのか?この状況を!?)
 信じられなかった。だってあんなに…あんなに嫌がって見えたのに。
「彼がレギュラーとして候補にあがった時、ボクは彼を呼んで言いました。部の統制を乱さない為に、貴方を今のまま普通にレギュラーにすることは出来ないと。それでも貴方がレギュラーを希望するなら、人には測りしれない辛い思いをしなくてはならないですよ?とね」
「その話に手塚は…なんて…?」
 部長と手塚がそんな事を話していた事なんか、大石はこれっぽっちも知らなかった。手塚はそんな事一言も言わなかった。いや、言わないだろう、手塚なら。だから大石は、本当に手塚が皆に認められて堂々と晴れてレギュラーになれたんだと、そう思っていた。
「……彼は、『それで先輩方がちゃんとテニスをしてくれるなら良いです』そう言いました。」
(あぁ…手塚君らしいや…)
 彼らしいやと思う気持ちと、馬鹿だよ君は…、と思う気持ちが大石の中に同時に生まれた。
( 本当に君はテニス馬鹿で、その答えも君らしくて、呆れてしまう程…純粋なんだ)
 テニス以外の場でそれを解消する事で、自分も先輩も心置きなくテニスの時間はテニスに打ち込めるのなら、それでいいと思ったんだろう。どうしてそこまで…と疑問を持ちかけて、大石はその疑問を捨てた。疑問など持っても無意味だから。それが、手塚国光なのだから。
「そのかわり他の一年の誰も巻き込まないで欲しい、誰にも知られないようにして欲しい。…そうとだけ要求してきました。はけ口の方法は…彼らの優位感を煽るものでありながら、それでいて手塚君の肉体に外面上の変化が起こり、周りに悟られるものであってはいけません。外傷をおうような暴力などもってのほかです。だから…そういう方法なわけです」
「そういう方法…って…」
 あれだって暴力と同じだと、大石には思えた。あんなに辛そうで、痛そうで、血がいっぱい出ていた。外傷は…たしかに見えないかもしれないけれど。
「もちろん、やめても良いと手塚君にもいいましたよ?そうなればやむを得ずレギュラーは外されますが…彼の実力なら、きたる時期には間違い無くレギュラー選抜されるでしょう。何も無理してそう急がなくとも…ともいったのですが、でも彼は『構いません』といったのです。彼が自分で、そう決めたのです。本当は彼だって逃げ出したいくらい嫌なんですよ…そんな嫌な行為だというのに、身体は拒否を示しても、その場から飛び出そうとはしないんです。…彼は自らその試練に飛び込む事を選んだのです。手塚君は…きっと、もっと強くなりますよ。テニスも、精神も」
 その場には、自らの意志で行く。だが、行為になると、身体が反射的に拒絶し、抵抗をする。それでも、其所から逃げ出さずに、じっと耐える。手塚はいつもそれの繰り返しだった。
 実はその態度こそが、逆に先輩等の優越感を満たす事にもなっている事は、手塚自身も知らない。
「手塚君が…自分で…そうなんですか…」
 ふぅ…と大石は溜息をついた。プライドが高くて、頑固な手塚。自分がそうだと決めたのなら、他の者が何を言っても変えようとはしない。そのプライドを削り落としてまでそうしようと決めた事を、大石がどうのこうのと止めたところで、きっと聞き入れないだろう。手塚自身がそうする事を選んだのなら、大石が何も言う事は出来ない。
「だったらボクは…彼の意志を尊重しますよ…ボクは今日は……何も見なかったんだ…」
 今日は、鞄を間違えてそのまま帰った。僕は部室には来なかった。それが、理想の状況。だったらそれでいい。
「でも………」
 今のこの部の状態では、レギュラーを一年が獲得するには、そうするしかないのかもしれない。それが現実なのかもしれない。それでもレギュラーでいることを望んだ手塚は、この状況を自分では納得しているかもしれない。たしかに手塚は…これをバネにずっと強くなるだろう。でも…大石は、そんな方法で強くなっても、何かが間違っていると思う気持ちに嘘はつけない。
「でもボクは…そんなことをしなくても、実力のある一年が堂々とレギュラーになれる部をつくりたい…」
 大石はぽつりと呟いた。
「…………そうですね」
 大和部長は辞書を鞄にしまうと、部室の戸を開けた。
「あなたなら…あなたと手塚君なら、もしかしたらそんな部ができるかもしれませんね…?期待していますよ大石君」
 大和部長はそう言い、やんわりと微笑むと部室を去っていった。
「…………」
 また、部室に一人になった大石は、横たわるその身体を振り返った。先程と同じ体勢で横たわったまま、動かない手塚。
「手塚君…」
 そっと近付き、手に持っていたままだった眼鏡をかけてやろうと、それを手に手塚の顔を覗き込んだ。
「!?」
 大石は暗い夜道で後ろから誰かに驚かされたみたいに、驚いて後ずさる。大石が驚いたのは、意識の無いままだと思っていた手塚の瞳が、見開かれていたからだった。
「てッ…手塚君…!?…い、いつから起きていたんだい!?」
 ビックリした心臓を押えながら、大石は、はい、と眼鏡を手塚に差し出した。
「……手塚君…?」
 だが手塚はその眼鏡を受け取る事なく、部室の天井を…いや、正確にはもっと上の、何かを見つめていた。
「…ん…こく……に…」
「え…?」
 何か呟いた手塚に、大石が耳を傾ける。
「青…学を………全…国に…導くん……だ…」
「!?」
 手塚の呟いていたその言葉は、 いつか、学校帰りに二人で話したその目標だった。
「俺達の…全国に…導く……ん……」
「…手塚…く…ん?」
 小声で譫言のように呟いている彼の顔は、全くといっていい程、表情が無かった。傷のついたCDのように同じ言葉をブツブツ呟きながら、碌にまばたきもせず動きもしない。まるで壊れた人形みたいにみえる。今この瞬間だけの彼を切り取ったら、誰もが異常者だと思うだろう。
 手塚を襲った行為による極限のショック。それが彼を一時的な精神トリップ状態にしていた。耐えきれない精神的痛みと身体の痛み、それらから逃れる為に一時的に造り出される仮想空間に今、彼は居る。自分の目標だけを其所に連れて。
「手塚君…しっかりしなよ…」
 大石はそんな手塚を胸にぎゅっと抱きしめた。
「全国に…」
「…そうだよ手塚君!」
 手塚の譫言に大石が答える。
「俺達の…代で…」
「そうだ、ボク達が導くんだ…!」
 ぴくん、と手塚の身体が僅かに反応した。
「青…学…」
「そうだ、青学は絶対に全国に行くんだ!そうだろ?」
「………大石…君…?」
「そうだよ!ボク達は……あ、手塚君!?」
 手塚のリピートがいつのまにか途切れていた。大石はそのまま抱きついていた事に気付き、慌てた様にがばッと手塚から離れた。
「……気がついた…?」
 大石が眼鏡を差し出すと、手塚はありがとうと言ってそれを受け取った。今度はちゃんとした、いつもどおりの手塚国光の反応だ。手塚はだるそうに身体を起こすと、のろのろと側にあった服を身につけだした。その表情は、なんとも無表情。さっきまでの苦痛に歪んでいた顔とは思えず、さっきまで酷い暴行を受けていた人物とは思えない、冷めた無表情なその顔。
「…………手塚君…」
「なんだい大石君」
 いつもとかわらない手塚。むしろ、日に日にどんどん冷めていく手塚の表情。現実、苦痛、現実逃避、その繰り返しの彼の毎日。『喜』の感情の消えた手塚。このままこんな事が続けば、彼はもっと無表情になっていくのかもしれない。それでも彼は、青学でレギュラーであることを止めない。青学を全国に導くという目標の為に。その為だけに。
「…………ボクは今日……何も見なかったよ…」
「………」
「君がそれで…良いなら……ボクは何も言わないよ…」
「…………」
 手塚は何も言わず、 詰め襟の前を合わせていた。そしてそのまま立ち上がろうとして、ぐらりとバランスを崩す。
「手塚君!」
 間一髪、大石の腕が手塚の身体を抱き支え、転倒を免れた。
「…ありがとう大石君…」
「いいよそんな事、それより大丈夫かい?」
 体勢を立て直し、そのまま離れるかと思われた手塚。だがその腕は突如大石の背に回され、服の皺をグッと握りしめた。
「どうしたんだい手塚く…!」
 手塚は大石の肩口にその顔を埋め、その身体は小刻みにふるえていた。
「手塚…君」
 ポツ、ポツと大石の肩に落ちる水滴。僅かに聞こえる嗚咽。
「………」
 大石は無言でその身体を強く抱きしめた。
(良いわけないよね?本当は嫌なんだよね?辛いよね? 苦しいよね? だけど…それでも君は…目標の為に、この現実から逃げたくないんだね…。)
 大石はぎゅうと震える手塚の背を抱き、その瞳からは堪えきれなかった水滴が数滴、手塚の背に零れ落ちた。
 暫くして、震えの止まった手塚が、すっと大石の肩口から顔を離した。真直ぐ大石と向き合う形になった手塚の顔は、さっきまで泣いていたというのが大石の気のせいなのかと思うくらいの無表情。
「え…手塚君…?」
「バッグ…」
「え?」
「俺、大石君のと間違えたんだね。ごめん大石君」
 大石も忘れかけていたその事を、手塚は急に謝った。
「え、いや、いいよそんな…」
 こんな時に、そんな事を言い出す手塚が大石には不思議でもあった。
「もう遅い、帰ろう大石君」
「え…」
 淡々とそう言って、自分のバッグを肩にかけた手塚の背中を、大石は呆然と見つめる。何事も無い部活帰りのように、手塚は部室を出ていく。まるでスイッチが切り替わったかのように豹変した手塚の態度に、大石はただ驚くばかりだった。
(…………ああそうか…そうだったんだ…)
 だが大石は、理解した。『今の涙』で、手塚の『今日の部活』が一通り終わったのだということを。 彼はこうして、毎日一区切りする事で、翌日からまた何事も無いように振る舞えるよう、自分を作り上げたのだ。
「……ま…まってよ手塚君!」
 何も、見なかった。
(だからボクも…いつも通りに手塚君に振舞わなきゃ…いけないんだ)
 大石は側にあった自分のバッグを背負うと手塚を追い掛けて走り出した。
 
 次の日も、またその次の日も手塚はミーティングに呼ばれた。無表情に何事も無いかのように部室に入っていく手塚。大石は、そんな彼の背中を沈痛な面持ちで見つめて居た。
 もう、笑わない手塚。悲しみも、表に見せない手塚。その失った感情に反比例するように、更に上達していく彼のテニス。いつしか手塚は、テニスをする機械のようにも大石には見え始めていた。
 その表情を見る事のなかった手塚の涙。それが大石の見た最後の手塚の感情の露呈。 その感情は…悲しい事に『哀』だった。

あれからもう、2年なんだな…。

「手塚」
 大石は廊下で見かけた手塚に走りよった。ちょうど大石もいまから部活に行く所だ。
「大石か」
 三年になり、部長になった手塚と副部長の大石。青学テニス部の頂点に立つ二人に、誰も逆らえる者はいない。もっとも部員からの信頼感も厚いため、逆らおうと考える輩もいない。
「なぁ手塚、どう思う?あの一年」
「………そうだな」
 越前リョ−マ。先日入部した新一年でありながら、その実力は測りしれないものがある。
「即レギュラーにとでも考えてるんだろ?手づ…」
 いいかけて大石は口を噤む。あの一年は、かつての手塚の境遇によく似ていた。似すぎている。勿論、今はあの時のような惨劇を繰り返すような事は、大石だって部の頂点に立つものとして絶対に許さないつもりだ。今のこの部内であのようなことが起こる心配は、まず無い。だが、その話題は手塚が当時の事を思い出すには充分なものだった。
 手塚が二年になり、『はけ口』制度はようやく廃止された。だがその後も、味をしめた先輩等に手塚が人気の無い場所に無理矢理連れ込まれる事は、一度や二度だけじゃなかった。勿論この事は現部員では大石しか知らない。手塚が本当に解放されたのは、三年になった今年…つい先日の事だ。これは手塚にとっては忘れたい、消し去りたい過去のはず。
「………いつまでも変な事を気にするな大石、もう忘れろ」
「…すまん手塚」
 気を使ったつもりが、逆に大石の方が手塚に言われてしまった。実際、当の手塚はその話題にも表情一つ変えていなかったのである。手塚は当時よりずっと強い人間になっていた。テニスはもちろんだが、メンタル面でもだ。手塚はいつでもその表情を崩さない。何を言われても動じない、何をされても臆さない。自分の弱さを他人に見せる事無く、相手に感情を読ませない。
 暴行を受ける度にその感情を顔から消していった手塚。あの行為の積み重ねは手塚の精神を強固な物にすると同時に、手塚から表情を奪っていった。手塚はそれでも別に何も構わないだろう。むしろ、そんな事には自分では気がついていないだろう。だが大石は少し寂しかった。彼の、たまにみせる『喜』の気配が…好きだった。いつでも綺麗な人形のようなその顔。三年になった今はもう、大石ですらその表情を読む事は出来ない。
「なぁ手塚…」
「何だ」
  だけど大石は、その顔に感情が再び戻ってくるだろう日を知っている。
「いよいよ…俺達が青学を全国に導く年が来たな」
「……そうだな」
 それに答えた手塚の口元が少しだけ緩んだ。
(あれ…今……笑った…?)
 ほんの一瞬の、僅かな変化。微かに覗かせた『喜』の気配。だがもう、あっというまにいつもの無表情に戻っていた。
 それでも、大石が久しぶりに感じた手塚の『喜』の気配。手塚を苦しめる環境の無くなった今、彼にまた、少しづつ表情が戻り始めた兆候だったのかもしれない。今はまだ、それくらいの表情の変化しか見られない。だけど…。
「 絶対行こうぜ…全国」
「ああ…」

俺達の夢が叶ったその瞬間、君の笑顔が見られると俺は信じているよ。

 

end

 

2002.11.04 
 ほんのり大石→手塚っぽいほのぼのストーリーです(嘘言え)なんかね、相手は別に誰でも良かったんですが手塚の過去エピソードの辺りの原作って、もう大石×手塚仕様になっちゃってて、他の人使えなかった。でもこのポジションには一番大石がはまってるかな、と。手塚って一年の時は今よりもうちょっと表情豊かだったじゃないですか?(そう見えますよね?)それが今や鉄仮面…(笑)その辺の変化していく経緯の話をかいてみたいと思ったんですね。内容は真面目なんですが、輪姦シーンが激しくなりすぎて上の階に置けなくなりました(苦笑)ちょっと虐め過ぎましたかね?OKですか?(笑)

 ちなみにこのストーリーの一番の鬼畜野郎は魅夜的に大和部長です。この話では一見良い人そうな振り(?)してますが、絶対彼が一番最初に手塚喰ってます(笑)
 そして一つ気になった事が。14才の手塚の2年前って…良く考えたら中1って12才じゃん!12才…お子様やんか…(汗)12才に2輪挿しって(しかも輪し)…有り得ねぇ(爆)魅夜の最年少受け男記録またも更新!?(笑)
 
 

 

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