騎上の貴公子 

其の二:〜馬を見る天才・岡恭一郎との出会い〜 

「……彼だな、私が必要としているのは……。」
  その日、一人の男がボクのそのレースを見ていた…。

「なんですか、お話って」
 レース後、個室に呼ばれたボクの目の前に、ある有名な男が悠然と座っていた。
 岡恭一郎。馬を見る天才と呼ばれている男だ。この男の事はよく噂で聞く。いい噂も悪い噂もだ。取っ付きにくく一匹狼で、その馬主としての才能は超一級だが、取り入ろうとする輩には非常に冷たく冷徹な、扱いづらい男だという事。
「今日の君のレース、見させて貰ったよ。それで是非、君と話してみたくなってね」
 そんな人が、一体ボクになんの用があるっていうんだ?正直言ってボクは…今日は早く帰りたい。そろそろ痛み止めの薬が切れてくるし、いくらボクでも強がって立ってるのに限界ってモンがあるんだよ。
 それにボクは、どうも金持ちというのは好きじゃ無い。奴等は金でなんでもできると思ってやがる。金をもってりゃ誰でも自分に諂うと思ってんだろ。冗談じゃ無いぞ。
「そうですか、でもボクは何も話す事はありませんが」
 岡恭一郎はボクの失礼な口調を聞いて失笑した。
「夕貴君といったか、…君は随分と威勢がいいんだな」
「ありがとうございます、よく言われます」
 誉められたんじゃないのは承知の上だ。さぁ、ボクの態度に腹立ったらさっさと追い返して下さいよ。
「ますます気に入ったよ」
「は?」
 ボクは今、拍子抜けした変な声をあげてしまったに違いない。
 …なんなんだよこの人は?ボクはあなたに皮肉いったんだぞ、今。
「私は今、自分の馬を走らせる専属の騎手を探している。…その話は君も聞いた事くらいはあるんじゃないかな?」
「…はい」
 聞いた事も何も、それで今日あなたの馬にボクが乗ったんじゃないか。でも、あなたはもともとボクを乗せたかったんじゃない。…ヒロト先輩を、乗せたかったんだろう?残念だったね、乗ったのがボクで。ヒロト先輩はもう、いないんだよ…。だけど勝たせてやったんだから文句ないだろ?
「それで、専属騎手を君にお願いしたいと思っているんだ」
「ボクですか!?…………何故です?」
 岡恭一郎が専属騎手を探している。これは競馬業界じゃ有名な話だ。ボクは入院していたからよく知らないが、誰もが岡に選ばれたがり、取り入ろうと媚びを売っていたらしい。馬鹿みたいだ。別にボクは誰かの専属になりたくなんかない。
 なのにどうして、ボクなんだ?
「…何だろうな…君は、初めてあったのに他人のような気がしない。…君の走りは私の生き方に良く似ているんでな」
「…どういうことですか?」
 岡恭一郎はフッと微笑して言った。
「レースは一人で走るものだ。違うかね?」
「…そうです」
「自分以外は皆敵だ。違うかね?」
「…そうです…」
 …何…言ってるんだこの人は…?
「自分以外は信じない……そうだろう?」
「…………そうです」
 何で…この人はボクの精神を言い当てるんだ!? 今、初めて話してるっていうのに。
「だから私は君がいいんだよ。私には君が必要なんだ、夕貴君」
 岡恭一郎の顔が、真剣にボクを見つめてきた。
「私はずっと一人で、自分だけを信じてきた。才能を磨き、一代で財を築きあげた…だが落ち着き、ふと振り返った時、私は何か足りなく思ったのだ…だが今日、其れが何なのかようやくわかった。それは…夕貴君、君だ」
「…ボク…ですか?」
 岡恭一郎、馬を見る天才と呼ばれる男。誰にも媚びず、媚びさせず、自分の信じる事のみを貫く男。これ程の男が、何故ボクを必要とするっていうんだ? あなたはボクの事イロイロ知っているみたいだけど、ボクはあなたの事、全然知らないんだぞ!? はいどうぞお願いしますなんて、言うわけないじゃないか。
「こんな事を突然言っても困惑するかね?」
「…当たり前です」
「だが君も、私を必要としている」
「なッ…勝手に決めつけないで下さい!ボクは別に誰も必要としていません」
 自惚れるのもたいがいにしろよ岡恭一郎!ボクは誰にも頼らなくても、独りだって生きていける。新人だと思って馬鹿にしないでほしいよな。
「…己の能力のみを信じる、か」
 岡恭一郎はそんなボクの態度を、思った通りだというような顔で微笑した。
「君を見ていると…本当にまるで若い頃の自分を見ているような気分になるな。私は……自分以外を信じない男だった。誰に対しても尖っていた。だが、ある人物との出合いでその考えが変わった…おごっていた私は、人の忠告を初めて大事なものだと感じた。そして、人は一人では生きていけない事を、彼に学んだのだ」
 そう言うと岡恭一郎はサングラスを外した。始めてみる素顔の岡恭一郎。その瞳は、なんだか少し色素が薄く感じられるような不思議な感じがした。
「夕貴君、君はそうやって…ずっと一人でいるつもりかね?君だって誰かの存在が自分を強くしたという経験が、ないわけではないだろう?」
 ふっ…と無意識にボクの脳裏を誰かが駆け抜けた。 あの人が…ボクを強くした…っていうのか?違う、あの人と離れる事でボクは強くなったんだ。ボクは、独りだから強くなったんだ。
「ボクは誰の専属になる気もありません。ボクは集団で群れるしか脳のない奴等とは違います」
 あなたの過去がどうだったかは知らないけれど、自分とボクを一緒にしないで欲しい。あなたはあなた、ボクはボクだ。あなたはボクの才能を気に入ったかもしれないけれど、ボクにだって選ぶ権利がある事をわすれていないだろうね。ボクは誰かがいなきゃ生きていけないような、そんな貧弱な人種にはなりたくない。自分の実力を周りが認めさえすれば、ボクは一人でも充分に生きていけるさ。いや、生きていくんだ。
 岡恭一郎はボクの頑な姿勢に少し困ったような溜息をついた。
「しかしな夕貴君、今のような状態のままでは…君は身体を壊してしまうぞ」
「…よけいなお世話です」
 少し、どきりとした。医者にもそれは言われた。…あの人にも言われた。自分でも、多少自覚している。でもそうしなきゃ、短期間で周りに認められる事なんて出来やしない。……早死にしたっていい…どうせボクの死を悲しんでくれる人なんて誰もいない。天才と巷に言われ始めたこのボクを、夕貴潤を維持していく為にはそうするしかない。…そうするしか…ボクは知らない。
「とにかくこの話はお断り致します、…失礼します」
「あ…待ちたまえ、夕貴君!」
 岡恭一郎は帰ろうとするボクを引き止めた。
「そうだな…では言い方を変えよう。夕貴君、君は私を自分の好きなように利用するといい」
「…利用?」
「そうだ。私の財力と設備、優れた馬や調教師、君は自分の為に其れを自由に利用するといい」
 岡恭一郎のもつファーム、練習コース、トレーニング施設、調教スタッフ、どれをとっても騎手には魅力的なものばかりだった。それらを自由につかえれば、今なんかよりもずっと能率よく、効果的な実力UPが可能だ。それを自由に使えだって?そんなうまい話があるもんか。
「…世の中そんな都合のいい話はありませんよ」
 その見返りに、あなたはボクに何を求める?何をさせようっていうんだ岡恭一郎?
「勿論、かわりに私も君の『天才騎手』と呼ばれる能力を利用させてもらうぞ。君は私の指定した日に、指定された馬に乗馬し、必ず勝利してもらう。もちろん、その条件さえ満たせば他の馬主の馬に乗るのも君の自由だ。好きにしたまえ」
 …それが見返り?ただの騎乗依頼と何もかわらないじゃないか。
「……それだけですか…?」
「そうだ」
 必ず勝つだなんて、ボクには当たり前の条件だ。勝利はあなたの為にじゃなく、自分の為なんだから。…専属騎手って…そんなことだけで、いいのか?
「ただし私はその為に、自分の利益の為に、君の健康と安全は常に管理し、忠告させてもらうからな」
「………」
 ボクの…健康…安全?なんであなたがそんな事をケアしようとするんですか…? そりゃ、調整をしてくれる人がいれば、いないより助かるけれど…。
「どうかな?夕貴君」
 悪く無い条件だった、でも…。
「………」
「どうかな?」
 何かがボクを引き止める。
「……少し、考えさせて下さい」
「ああ、そうしたまえ」
 速答は出来なかった。なんでそんなにボクを気にかけているのか、何か裏がありそうで、少し不安だったんだ…。
「…では、失礼します」
 ボクはもう一度一礼すると、振り返り脚を一歩踏み出した。
 ズキン!
「ーーッ!?」
 全身を貫かれるような痛みが襲った。ボクは脚に力が入らず、よろけて壁にぶつかっていた。
「…夕貴君?」
「…なんでも…ないです…失礼します!」
 くそ…こんなとこで…痛み止めが…切れたッ…!
 それでもなんとか歩こうと脚を運ぶが、腰に、立つ力が入らない。壁にもたれたまま2、3歩歩くのがやっとだった。
 岡恭一郎はそんなボクの様子を黙って見つめていた。そして、静かに口を開いた。
「……新人の騎手が一人、先輩騎手から暴力をうけているそうだな」
「!」
 ボクは、突然の思い当たる話題に心臓が飛び出そうになった。
「だが協会側は被害者の騎手が一向に名乗り出ないので、被害者も加害書も特定できないらしい」
「………!」
 協会に…そんなことが…そんなことが漏れていたなんて…。
「それは、君だろう?夕貴君」
「………」
  ぐっと唇を噛み締めたボクに岡恭一郎が歩み寄ってきた。
「……怪我をしているんだろう、立っているのも辛いんじゃないのかね?其所に掛けなさい…」
「…………どうして……」
 にわかに浮かび始めた冷や汗を拭いながら、ボクは岡恭一郎の示したソファにふらふらと腰掛ける。今このまま歩いて帰るのは、どうも無理そうだ…。薬の切れた身体が、先刻から随分と悲鳴をあげていた。必死に平気な素振りで立っていたけれど、もう限界。
「う…ッ…」
 座る、という行為の一つをとっても、苦痛に表情が歪んでしまう。
 岡恭一郎はゆっくりとボクの横に座ると、ボクに手を延ばした。ふと、延ばされた岡恭一郎の大きな手の影が、ボクに昨夜の暴行を思い出させる。
「…ッ…触らないで…下さいッ!」
 咄嗟にボクはその手を拒んだ。だが岡恭一郎はその反応を何も気に止めてはいないようだった。ボクが拒む事は、予想済みだってことか。
「酷い汗だ、熱が出てきたようだな…ちゃんと医者には診せてるのか?」
「い…医者ですって…!?冗談じゃないです!…ボクは…」
 なんで、なんでこんなにおせっかいをするんだこの人は!放っといてくれよ !
「そのままでいるつもりか?」
「…やッ…触らないで下さい!ボクの事は放っといて…」
 医者に診せろだって!?じょ…冗談じゃないぞッ…あんたは、何処を見られるかわかってないからそんなこと…!
「…………わかっている…『anal doctor』だから嫌なのだろう?」
「ーーーーッ!!」
 ボクは、火の出るように顔が熱くなるのと同時に、どうしようもない悔しさに溢れかえった。
 なんで知ってるんだよ?なんでわかるんだよ!?ボクがあいつらに何されたか、何であんたが知ってるんだよ…!!誰にも言って無いのに、誰にも知られたくなかった事なのに、なんで…!?
「私とて、自分の依頼した騎手の事は何も調べないわけではない……」
 岡恭一郎は胸ポケットから写真を一枚取り出した。
「………あ…っ!?」
 ボクはその写真を岡恭一郎から奪い取ると、瞬時にめちゃくちゃに破り捨てた。そんな光景を客観的に見たくなかった…。ボクは悔しさに身体が震え、涙が一粒零れた。とんだ弱味を握られたもんだ…それで脅しでもかけようっていうんですか…。
「君のプライドを傷つけるような事をして済まないと思う。君が不正行為に加担していないかだけを調べるつもりで探偵を雇ったのだが…彼はこんな物を私に渡してきた。正直、私も驚いたよ…ネガは既に処分してある。悪用するつもりはないから安心してくれ。」
 何だ…調べてたんですか、ボクの事を。だから当然知っているんですね、あの事も。だけどボクが黙っているから、あなたは協会に言わず黙っていたんですね…。
「…だがな、それとこれとは話が別だ。理由はどうあれ医者には診せなくてはいけないな…とにかく、今、医者を呼ぶからな」
「………い…や…です…嫌…嫌だッ…!」
「夕貴君……つくづく頑固な男なのだな君は…自分の身体がどうなってもいいのか?」
「…こ…これ以上人に知られるくらいなら…!」
「…放っておけば馬に乗れなくなるぞ…」
「…それでもボクは乗ります!」
「しょうがないな…」
 岡恭一郎は、ふぅ、と溜息をつくとボクの横から離れた。
 いまのうちに帰ろう…そう思い立ち上がろうにも、痛む腰はボクを立たせてはくれない。無理をしすぎたボクの身体は薬の切れた途端に激しく痛みだし、一度腰を降ろしてしまったらなかなか立ち上がる事が出来ない。
 ちょっと…やばいかもしれないと思った。無茶して昨日より酷くなったかな…でも…医者になんか診せたく無い…!恥ずかしい格好をさせられて、原因を聞かれて…そんな事、絶対嫌だからな…っ!
「夕貴君」
 咄嗟に声のする方を振り返ったボクの目に、右手に薄手のゴム手袋をはめた岡恭一郎が立っていた。
「そこに横になりなさい」
「……なん…です…?」
「私が診よう」
「なッ!?」
 なんだってぇぇッ!?
「何考えてるんですかッ!?冗談はやめて下さい!」
「私は医師の資格を持っている…もっとも獣医だがな。まぁたいして違いはないだろう」
「だからってなんであなたにっ…」
「これ以上他人に知られたくないのだろう?それともちゃんと医者を呼ぶかね?」
「…うッ…」
 なんで、こんなことになっちゃうんだ!?これなら医者を呼ばれたほうがまだまし…いや、ましでもない、どっちも嫌だよ!
「大丈夫だ、誰にも言わないから…安心しなさい」
「そんなことじゃ…!」
 岡恭一郎は抵抗するボクの額から頬にかけて、そっと汗をふくようにタオルで優しく撫でた。
「…大丈夫だ、怖がらなくていい」
「…………………」
 ボクはその時、何故だかその声にひどく安心してしまったんだ。
「………………お……おねがい…します…」


「……これは…裂傷が酷いな…」
 俯せに寝たボクは膝までズボンを下げられ患部を岡恭一郎に晒していた。ボクは後悔していた。医者は嫌だとはいえ、なんで一瞬でも…この人にまかせようなんて思っちゃったんだろう…恥ずかしくて、もう泣きそうだ。
 岡恭一郎の指が、先程から痛みを全身にまき散らしているその箇所に触れた。
「ッ…!」
 痛みと気恥ずかしさで顔が熱くなる。
「あいにく麻酔というものが無くてな…少し、痛いぞ夕貴君」
 乾いて血の塊が付着するボクの其所に、岡恭一郎の指が容赦なく入り込んで来た。
「ーーーッッ!!」
 ボクは身体の下にひかれたタオルをぐっと握りしめ、唇を噛んでその侵入を堪える。指くらいなら結構耐えられるボクだけれど、この傷付いた患部に差し入れられるのは普段のその比じゃ無い。
「い…ッ…つぅ…うッ!」
  乾いた傷痕が開く。岡恭一郎は剥がれた瘡蓋を取り除きながらその指を奥までしっかりと差し込んだ。ボクの身体はその侵入をぎゅうっと締めつける。 
「…どうやら括約筋は正常だな。どれ…」
「く…!」
 岡恭一郎は指をボクの中で蠢かせ始めた。内側の傷の様子を確かめているんだと思うが…その動きが、とんでもなく痛い…ッ!
「…ここが特に酷い裂傷をおこしているな」
 岡恭一郎の指が、痛む箇所をぐりっと撫で回した。
「う…ぁッ…!」
 あげかけた悲鳴に、ボクは慌てて口を押さえる。
「痛かったら声を出しても構わないんだぞ」
「…や…です…っ」
「本当に強情なんだな君は」
 岡恭一郎は苦笑し、 程なくしてその指をようやく抜いてくれた。
「はっ…はぁ…っ」
 拡げられていた傷口がようやく楽になり安堵の吐息を漏らしたボクの其処に、たいした休む暇もなく何か冷たい感触が触れる。
「!?」
「まだじっとしていなさい、今薬を塗るから」
「ひ…!」
 軟膏の滑る感触がボクの其処をぬるぬると撫で回す。
「中にも塗るぞ夕貴君」
 そう言った岡恭一郎のボクの表面を撫でていた指は、そのままニ本同時にボクの中に潜り込んだ。
 グチュ…
「…イッ…あ…あぁッ!」
 岡恭一郎は指に乗せた大量の軟膏を、少し指を曲げて奥まで運び込む。そうしないと、奥に届く前に軟膏が削ぎ落とされてしまうのはわかる…でも、ちょっと痛すぎるっ!!
「痛いか?」
 岡恭一郎は早く治療を終わらせてやろうとおもったのか、その指をボクの中で素早く動かした。岡恭一郎の長い指が、ボクの内壁に練り込むように軟膏を塗り込んでいく。その度にボクの其処はくちゃくちゃと淫猥な音を発していた。
「…ひっ、…くう…痛ッ!」
 今度は先程よりも滑りがよく動きも滑らかだが、あいかわらずの痛みは其処にあるわけで、それが消えるわけじゃない。それだけじゃ無く、内側の滑る感触と、滑らかに出し入れされる岡恭一郎の指、そして卑猥な音に、ボクは恥ずかしさで泣き出したくなる。
 くちゅ…くちゅっ、ちゅくっ…
「痛っ…うっ……うくっ…」
 今ボクに指入れてるのは、あの岡恭一郎なんだぞ!?
 恥ずかしくて、情けなくて、また涙が一筋零れた。
「……よし」
 そして、岡恭一郎の指が、ようやくボクの患部から離された。
「…もう服を着てもいいぞ夕貴君」
 その声にハッとして、ボクは急いで服を身につけた。ようやく、例えようもない恥辱地獄から解放される。
「そうだ、ちょっと待っていなさい」
 岡恭一郎はそう言うと部屋を出た。
「………」
 身体を起こしたボクは、思ったより身体が楽になっているのに気付く。鎮痛剤を塗布されたせいだろうか。かろうじて立ち上がったボクは、洗面所へと向かった岡恭一郎が部屋を開けた隙に、逃げるようにその部屋を飛び出していた。


 なんとか動けるようになったボクは、大通りからタクシーを拾って宿舎の側まで来た。でも交通機関に頼れるのはここまで。門から宿舎までの林の間をぬった長いのぼり階段は、自力で登っていかなくてはならない。いつもならこれも鍛練になっていい、なんて思ってたのに、今日はちょっと億劫な気分だ。だけど、意外にもボクの足どりは自分が思っていたより随分と軽かった。…彼が、ちゃんとした治療をしてくれたからだというのは疑いようもない事実だ。
(そういえば…お礼も何も言わなかったな…)
 恥ずかしさのあまり逃げ出してしまった。痛かったけど、一応なりとも治療を施してくれた人に、何の礼も挨拶もしなかった。ちょっと嫌な気分だ。
「ようやくお帰りか?天才騎手サマ」
「……?」
 長い階段をちょうど半分程登った頃、聞き覚えの有る声が聞こえた。今同じ宿舎に泊まっている、2つ先輩の騎手だ。ヒロト先輩の同期らしいけど、ヒロト先輩に比べて本当に屑みたいに下手な奴。よく、騎手になれたよな。例のごとく、いつも虫みたいに群れて現れやがる。
「レースの後、岡恭一郎氏に呼ばれたんだってなぁ…何話してたんだよ…?」
「別に」
「岡氏に取り入ってたんだろうが夕貴ィ?」
 冗談言うな、あんたと一緒にしないで欲しいね。
「ったく冗談じゃないぜ!今日の岡氏の馬は俺が乗るはずだったんだ!なんでお前なんかが…何か裏工作しやがったんだろッ」
 …あぁなんてガキ臭いんだ。本当にボクより年上なのかよ?それにあんたに依頼なんて、天地がひっくり返ったって来やしないよ。
「…フン 、何言ってんだ、依頼の話があったのはヒロト先輩だぞ?ボクは急遽ヒロト先輩の代わりに乗っただけだ」
 ボクがそう言い返すと、奴の取り巻きは少し驚いたように奴の顔をみた。おいおい、知らなかったのか?本気でこいつに依頼が来てたのをボクが横取りしたって思ってたのか?こいつになんか来るわけないだろ、頭悪いな。
「…チッ…煩い黙れ!」
 奴はバツ悪そうな顏するとボクの胸ぐらを掴み、引っ張った。ボクはそのまま近くの林に連れ込まれる。
「う…!」
 労りのないその行動に、身体がズキンと痛んだ。
「お前、本当生意気だぜ…!」
 人目のつかない所までボクを連れ込み立ち止まると、奴はそう言うが早いか突然拳をボクに振りかざした。
「なッ…こいつッ!?」
 ボクは、右手で瞬時にそれを受け止めていた。見た目華奢なボクが、拳を片手で受け止めるとは予想外だったらしいね。悪いけど、ボクはこうみえてもあんたなんかより腕力あるんだよ。それにボクの動態視力にはあんたの動きは止まってみえるんでね。あんたに比べれば、昨夜の襲撃騎手達の方が、まだいくらか強かったよ。
「実力で適わないと暴力ですか?低俗ですね」
「くッ…この…!」
「勝負ならターフで……うぁッ!?」
 突然背中に激しい衝撃を受け、ボクは前に吹っ飛んだ。
「こっちは一人じゃないんだよ!」
 体勢を立て直して振り返ると、バットを手にした取り巻きが薄ら笑いを浮かべていた。
「う…ッ」
 ズキン、また、身体が痛んだ。
「……そうそう、聞いてるぜお前の噂」
「…な…に…?」
「誰にでも突っ込ませてるんだってなぁ?」
「くッ…!」
 同じ宿舎内にいれば、知れ渡るのは当然の事だった。だけどその表現には、腹が立つ。
「そうやって…岡氏にも身体で取り入ってきたんだろ?あぁん?」
「何を…ッ」
「ボクを使って下さ〜いってか?ぎゃははッ!独身男にャたまんねぇなぁ?おい!」
「冗談もいいかげんにして下さいよ…!」
 ボクは本気で頭に来た。あの人は…そんな人じゃないぞ!何も知らないくせに…!
 ズキン!
「ッ…」
 立ち上がろうとしたボクをまた痛みが襲い、ガクン、と思わず地に膝をついてしまった。こんな時に、脚に力が入らない。
「果たして冗談なのかぁ夕貴?」
「何…うあっ…!」
 立ち上がれないでいるボクを、奴等は4人がかりで大地にねじ伏せた。外道な薄ら笑いがボクの顔を見下す。
「放…せ…ッ!」
 押さえ付けられたボクは、集団で襲い掛かる奴等に服を脱がされる。ズボンを脱がされ、下着を放り投げられた。気がつけばボクは下半身を露出した状態で、四肢を完全に押さえ込まれていた。
「今その身体を調べてやるぜ」
「この…ッ!」
 振り解こうと力を込めた腕も、碌に力の入れられない脚も、集団で押さえ込まれる力の合計には適いっこなかった。
「おとなしくしてろよ夕貴チャン?」
 クチュッ…
「ひ…ッ!」
 指が無造作に傷に差し込まれる。裂けた傷に指が触れる度にボクの身体はビクンと震えた。
「あん?随分使い込んだ痕があるじゃねぇか夕貴ィ!それにべとべとだぞ?お前岡氏とどんなプレイしてたんだよ!?」
「うくッ…!」
 屈辱的な暴言と共に中を掻き回され、ボクはその痛みと恥辱に唇を噛んだ。
「…なんだよおい、意外だなぁ…お前本当に岡氏と何もしてないのか?それともキレ〜に洗って貰ったのかよ?」
 ボクの中に岡恭一郎の形跡を感じなかった奴は、それでも馬鹿にした口調で言った。
「まぁ、そんな事この際どうだっていいんだけどな」
 散々ボクの中を掻き回した後、奴は指を抜くと自分のファスナーに徐に手をかけた。ゆっくりとファスナーを降ろす音と供に、ボクの鼓動がドクドクと早まっていく。また…また、あの瞬間が訪れる。
「先輩がよぉ、言ってたぜ」
 抑えられた四肢を必死に動かそうと力を入れると、押さえ込む周りの奴等が更にその手に力を込めた。
「お前は性格は最悪だけど、身体は最高だってな」
 ゆっくりとボクの上に影がおりてくる。何度経験しても、この瞬間は…耐えられない。
「や…!」
 ボクの其処に熱い肉の塊が触れ、岡恭一郎に施されたばかりのその治療の痕に、奴の欲肉が力ずくで捩じ込まれた。
 ズヌッ!!
「う、…あ…あぁーーーッ!!」
 傷に触られる感触ではなく、傷を拡げられる感触。
「噂通りだ、すっげぇ締めやがる」
 それでも必死に締め付けるボクの筋肉が、奴を喜ばせる。御機嫌な奴は、軟膏で滑る其処をいきなり激しく擦り始めた。
「イッ…うあ、クッ…ぅ!」
 ズキン、ズキン、痛みが強くなる。快感なんて、そんなもの欠片も感じる気配がない。乱暴でその素早い腰使いに、ボクの其処からまた出血が始まる。
「俺はな、一度てめぇをめちゃくちゃに犯してみたかったんだよ…へへ」
「うあ…あぁッ!くッ…あッ!」
 軟膏と血でぬるぬるのボクの其処は、一見其れを平気で喰わえ込んでいるみたいだった。だが引き攣れる粘膜は、傷を更に少しづつ裂き、ちりちりと痛みの輪を広げていく。
『君はそうやって…ずっと一人でいるつもりかね?』
 おせっかいな誰かの声がボクの脳裏をよぎった。そうだ…そうだよ、皆敵だ、屑だ、最低だ!こんな奴等といるくらいなら一人の方がずっといい!…そうだ、だからボクは………一人だって平気だ…!だってボクは、生まれた時からずっと独りだったんだから…!
「いいぜ夕貴…すげぇイイ…ッ!!」
 興奮した奴の声と共に、ボクの内側の奴が膨張する。
「あッ…うあぁッ…あっッ…!」
 膨張した其れが、素早くボクに出し入れされる。
 パン、パン、パンッ!
「あッ、あうッ…あぁッ!」
 ぶつかり合う、皮膚を打つ高い音に、水気を含んだ卑猥な音。
 ジュプッ!ジュッ、ヌプッ!
「ひ…うぅッ!」
 嫌だ…嫌だ、こんな音が自分の身体から出ているなんて…嫌だ…!
「くうぅッ…!」
 ドクン!!
 突如中に放たれた熱い感触に身体が痙攣した。
「はぁ…楽しませて貰ったぜ夕貴潤…!」
 ヌポンッ…!
 奥深くまで突っ込まれていたそれが一気に抜き取られる。
「あ…ッ」
 すぐに、抜かれた其処から体内を逆流した体液がコポコポと溢れ出して来る。血の色と混じった薄紅い体液が脚を伝い、外気に晒され、冷えてひんやりとした感覚をもたらす。酷い不快感。
 結局いつもこうだ…ターフでなら絶対に負けないのに、一対一なら負けない自信もあるのに、大勢で襲われたら太刀打ちなんて到底できない。悔しい…無力な自分が悔しい…!
「く……」
 ボクは瞳に涙を滲ませながら、視界に入る屈辱的な光景に耐えきれず目を伏せた。奴はそのボクの顔をじっと見ると、不意に口元をニヤつかせた。
「……夕貴ィ、なんて顔してやがんだ?へへ…お前よく見りゃ結構可愛い顔してんじゃん?」
「………ッ!?」
 奴はボクの顎を掴むと、嫌味な口元をボクに重ねてきた。
「ーーーッ!?」
 …ざ…けるなッ!
「痛ッ!?」
 奴は口元を押さえて慌ててボクから離れた。
「……フン」
  ボクは噛み千切った奴の唇の甘皮を、さも不味そうに吐き捨てる。
「この…!」
 自分の口元を拭い手についた血の色を見ると、奴はみるみる瞳に怒りを込めだした。
「…おい、それ貸せ!」
 奴は取り巻きの持っていたバットを奪い取ると、ボクを見て嫌な笑みを浮かべた。
「へへ…俺を本気で怒らせた事を後悔しろよ」
「な……?」
 ちょっと待て……バット…って…!?
「…おい、しっかり押さえてろよ」
 奴は手にしたバットのグリップで、暴力を受けた直後でまだ痛みにヒクついているボクの其処を突ついた。反射的にボクの身体が跳ねる。
「やめ…」
 ま…まさか…冗…談だろ…!?
「いや、違うな…こうだ!」
  奴はニィと笑うと、そのバットを持ち直し、先端の太い方をボクの其処に押し当てた。
「や…!?」
 なんッ…嘘…だろッ!?
「…とんでもない快感が待ってるぜ夕貴」
「やめッ…」
 ボクの其処を指で強引に押し拡げ、開いた門の隙間にバットが押し当てられる。
「やめろッ…や…!」
 そして奴はバットを握る右手に力を込めた。
「あ…ぐッ…あッ…」
 傷付いたボクの其処は強引な押しに、次第に耐えられなくなってくる。そして…
 ヌグ…グッ………ゴリュッッ!!
「うあああああぁぁッッ!!」
 凄まじい激痛が脳まで駆け巡る。切れた其処を更に大きく裂きながら、太い先端はボクの中に無理矢理挿入されていた。
「うわ…ッ」
「凄ぇ…」
 周りで見ていた取り巻きも、おもわず眉を潜めて息を飲んだ。
「へへ…いいザマだ」
 奴は辛うじて挿入された其れを、力任せに奥へ押した。
 グリュリュ…ッ!
「あががぁぁッ!!」
 ボクの身体はその衝撃に跳ね上がる。
「ちゃんと押さえろ!」
「あ…あぁ…」
 奴は取り巻きに命令すると、力任せにボクをバットで突いた。激しく捩りながら、届く可能な最奥まで容赦なく突き刺した。
 グポッ!ズリュ…グボッ…!
「ぎゃあああああぁッッ!!」
 拡がるというより裂かれたボクの其処は大量に出血し、その動きを助けながらその凶器を受け入れていた。
 ズブッ!ズッ、ズッ…ズンッ!ドスゥッ!
「はぐッ……あがッ…ぐぅーッ!」
 奴は 杵でもつくみたいに、ボクの身体をバットで突き上げる。腹の奥の壁に一番太い部分が突き当たる度に、吐き気と目眩がしてくる。痛いとか、苦しいとか、そんな感覚じゃ無い。壊れる…壊されるッ…!
「どうだ夕貴ィ!どうだ!?」
 ズコッ、グヂュ…ズズッ…ズリュッ…ズポォッ!
「ひッ…………ひい……っ…!」
 加減の欠片も無い極太の突き上げに、次第にボクの意識は薄くなる…。
 ふと頭に誰かの声が響く。
『今のような状態のままでは…君は身体を壊してしまうぞ』
(……あ…れ…?これ…誰が…言ったんだっけ……?)
「おい、もうやめろよ…ッ」
「夕貴が死んじまうぞ!?」
「うるせぇなッ!」
 その凄惨な光景に、周りの取り巻きがついに止めに入った。だけどそれはボクの身体が心配だからじゃない。この行為の結果の、責任を負うのが恐くなっただけだ。だが奴は、そんな声にも一向にその手を緩めようとはしなかった。
 そんなにボクが憎いんだ?そんなにボクが嫌いなんだ? ボクが…一体あんたに何をしたんだ…?…何もしちゃいない。それでもボクは…こんなにも嫌われるんだ…?
「あ……うぁ…」
(……助け…て…っ)
 遠のく意識の中で、無意識に何かに救いを求めているボクがいた。
 何に…?…誰に…!?いまさらボクを見捨てたあの人なんかに?…違う。ボクを助けてくれる人なんてもう何処にもいないんだ…ッ!ボクは一人だ…望んで一人を選んだんだ…ボクは…ボクは…!
『人は一人では生きていけない…』
(…誰…?……そう言ったのは…誰だっけ…?)
「誰か来るぞ!!」
「やべぇッ!」
 その声に、取り巻いていた人影が一気にサアッと退いた。 暗闇を彷徨う懐中電灯の明かりが次第にこちらに近付き、遠くで声がした。
「そこに誰かいるのか?」
 聞いた事のある声だ…でも、誰だっけ…。
「チィッ…」
  最後まで残り、バットを握っていた奴も、懐中電灯の明かりがまっすぐこちらに近付いてくるのを見ると、ようやく立ち上がった。
「続きはまたにしてやるよ!」
 奴はそう吐き捨てると、右足でバットを蹴った。
「あがぐッ……!!」
 内臓に伝わる激しい振動。ボクはその激痛に意識を失っていた。

 懐中電灯の明かりが闇を照らし、 不意に何か白いものを映しだした。
「…?」
 それは、人影だった。
 急いで歩み寄った彼は、見覚えのある人物の変わり果てた姿に驚愕した。
「な!?……夕貴…君…なのかッ!?」
そして意識の無いその小柄な身体の全身を懐中電灯で照らし、
その身体に深く捩じ込まれたままの凶器に、再び驚愕する。
「…な……なんて酷い事を…ッ」
 彼は暫し躊躇い、そして意を決した様にその凶器を掴むと、
痛々しい身体から一気に引きずり出した。
ビクン!
「あぐッ…」
大きく揺れたその小さな身体は、その衝撃に覚醒した。

「……う…」
 激しい衝撃で意識を取り戻したボクは、いつのまにか下半身の圧迫が取り除かれているのに気付いた。持続する傷の激痛は残るものの、拡げられる痛みは無くなっている。
「夕貴君…!!」
 ふと傍に、人の気配を感じる。
(………岡…恭一郎…?)
 昼間会った、岡恭一郎。彼がボクの目の前にいた。
 さっきの声は…そうか、あなただったんだ。
「……なんで、あなたが…ここに…?」
「 ……これを届けに…」
  岡恭一郎の手にはボクの乗馬用の靴が入った鞄が握られていた。あぁ、ボクは急に飛び出してしまったから、彼所に忘れて来てしまったのか…。
「すいません……わざわざ届けに……ありがとう…ございます……」
「いい…そんなことは、もういい!それより大丈夫か夕貴君!?」
 岡恭一郎はそう言うとボクの身体を抱きかかえようとした。
「…大丈夫……です…自分で…」
 ボクは、その手を断った。結果的に助けられたみたいになったけど、こんな所で、他人に借りをつくる気はない。
 すると、岡恭一郎は一瞬沈黙し、大きな声でボクを怒鳴り付けた。
「…馬鹿ものッ!」
「!?」
 ビクッとボクは身体を震わせた。
(何を…怒ってるんだ…?)
「…何が大丈夫だ?どこが大丈夫なんだ!?自分で歩けるとでも言うのかね!?だったら、さぁ!自分で立つんだ!一人で立って歩いてみろ!」
 岡恭一郎はボクを突き放すと、立てと指図した。酷く腹が立った。なんで…こんな時にあなたにそんな事指図されなきゃならない?ボクは意地でも立ってみせてやろうと思った。でも…
「……うあッ!……ッ、うッ、うぅッ…!」
 自力で身体を起こそうとして、ボクは地面に突っ伏した。膝がガクガクと震えていて、腰を持ち上げるなんて到底不可能。酷くなった傷からは夥しい血が内股を伝っていて、貧血を起こした視界はぐらぐらとボクを揺らした。自分が思っているよりも、身体のダメージは激しかった。自分が思っている程…ボクは…強く無いらしい…。苦しい…痛い………助けて…。
「無理だろう…どうだ、それでも一人で大丈夫だというのかね!?」
「………」
「これで……自分がどれだけ強がっているかが、自分でも解っただろう…」
「………」
 何も言えなくなり俯いたボクに、 岡恭一郎は優しい声で囁いた。
「……夕貴君…、人の手を借りるのは…決して恥ではないぞ…?さぁ…」
 岡恭一郎はボクに右手をさしだした。差し出された岡恭一郎の立派なスーツの袖は、ボクの血で汚れていた。 …高いんでしょう?そのスーツ…それなのに…。
「辛かったろう…もう、大丈夫だからな」
 …なんて目でボクを見てるんですか…?そんな目でボクを見る人なんて…あの人しかいなかったのに。
「………岡…さん…」
 ボクはその手に、恐る恐る手を延ばした。がっちりとした大きな手が、ボクの手をしっかり握りしめる。優しく背中に回された腕がボクの身体を持ち上げ、動けないボクを抱え上げた。浮遊感と、深い安心感。どうして、この人の腕はこんなにも自分に暖かいのだろう…。暖かくて、優しくて、力強く包んでくれる大きな手。ボクの知らない、想像上の父親みたいな大きな胸、そして背中。
「岡……さん…っ…」
 次第に目頭を熱くする感覚に、ボクはきゅっと唇を噛む。
「 泣きたい時は泣きなさい…泣いていいんだぞ…」
 岡恭一郎がボクをぐっと抱きしめた。あたたかい…凄くあたたかい…。こんな風にボクを抱いてくれる人が、他にいるだろうか…ボクを『心配』 してくれる存在がいるだろうか?父も母もいないボクに、こんな抱擁をしてくれる人なんて…誰もいなかったのに。
「う…う…うわああああぁ…!」
 ボクは、生まれて初めて人前で思いきり泣いた。涙を堪える事なく、初めて大声をあげて泣いていた。堪える必要なんてないと思えた。
「それでいい…それでいいんだ」
 岡さんは泣きじゃくるボクの頭を優しく何度も撫でてくれた。ボクを叱り、そして包んでくれる大きな存在感。この腕を失いたく無い…この感覚に包まれていたい…この人に、傍にいて欲しい…。
「岡…さん…………ボク…、ボク……」
 嗚咽を漏らしながらも、この場に及んで尚もその続きを言い淀んでいるボクに、岡さんはボクの気持ちを読んだかのように優しい瞳で話し掛けた。
「…………来るか?…潤」
「岡…さん…」
  何も言わなくとも、この人は自分をわかってくれる…ボクはこの時そう確信した。
「………はい…お世話に…なります…っ」
 ボクにもう、不安はなかった。この腕に、何の疑問も感じなかったから。

 こうしてボクは、岡さんの専属騎手になったんだ。
 傷の癒えたボクは約束通り彼の馬に乗り、勝ち続けた。そしてボクはあっというまに名実共に『天才騎手』の名を恥じぬ、不動の騎手NO,1の地位にのし上がった。ボクの実力を誰もが認め、賞賛した。遅かれ早かれ、こうなることはボクの計算通りだった。だけど岡さんの元に行った事で、その現実はボクの計算より早く訪れた気がする。
 岡さんはボクに私生活の環境も提供してくれた。住む場所を与えてくれたからあの嫌な宿舎からも出る事が出来たし、ボクの身体にも合うような食事にもよく連れていってくれた。プライベートで一緒に旅行なんかもした。どうしてただの専属騎手にそこまでしてくれるんだろう?と不思議に思う事も無くはなかったが、その疑問は時が経つに連れて薄れていった。そんな事はどうでも良いと思ったからだ。
 ただ一緒にいられて、ボクは…嬉しかったから。

 

そして、三年の月日が流れていた。


「岡さん…一つ聞いてもいいですか?」
「なんだね潤」
 最近ボクはどうしても気になっている事があった。昔はそんな事たいした気にもとめなかった。だけど最近は…それが知りたくてたまらない。
「ボクを選んだ時岡さんがボクに求めていたもの…それはなんだったんですか?」
 当時、『互いの利益の為』という名目上結ばれた契約。でも本当に岡さんは、自分の利益の為になるからボクを専属騎手に選んだのか、本当にただ…それだけなのか。最近その事を考えると少し不安になる。ボクは…自分の利益の為だけにここにいるんじゃない…。あなたも違うと…信じたい。
「……そうだな、もう言ってもいいか…。」
 岡さんはボクを見て優し気な目で微笑んだ。
「私は…あの時、金も地位も手に入れていた…すべてが満ち足りていた。だが何かが足りない。そう、あの時の私は『守るべき何か』を欠いていた。守りたいものがなければ、人は強くなどなれないものだからな」
「守るべき…何か…」
 岡さんにとって守りたい存在…それが…。
「そうだ潤。私はその『守るべき何か』を君に感じた。自ら自分を壊してしまい兼ねない君を、私に良く似た君を、守りたいと…思った。それが君を選んだ本当の理由だよ潤。…そして君もあの時、『守ってくれる誰か』が、必要だっただろう?」
「岡さん…」
 ドキン、と胸が熱くなった。それでも、「そんなことないです!」そう強がって答えたと思ったボクの口は、違う言葉を発していた。 
「…はい」
 尖りまくっていたあの頃、こんな事をいわれたらボクは絶対素直にはなれなかっただろう。だから岡さんは、まわりくどくボクに声をかけたんだろうな。『利用』なんて言葉を使って形式めいた形にし、ボクのプライドに傷がつかないようにしたんだろう。  
 顔を赤らめながら答えたボクに、岡さんはフッと笑ってボクの頭をくしゃくしゃと撫でた。
「随分素直になったじゃないか潤」
「そんなこと…ないですよっ」
 ボクは照れ隠しにその手を振払い、そして…岡さんの胸に抱きついていた。
 一度心配される事を知ってしまったボクは、その存在を失った事で酷く弱くなっていた。心配される心地よさを忘れられないまま、強がって、そして…探していたんだ。きっと『あの人』の欠けた穴に、それに変わる、それ以上の『誰か』を求めていたんだ…。無くしたパズルのピースを必死で探し、欠けた隙間を埋めようとするように。

 そして見つけた、かけがえのないボクの片割れ。誰かの替わりなんかじゃない、それが、最初からボクが探し求めていた運命のピースだったんだ。

 今、 彼の夢の為に走るのもそんなに悪くないと、本気でそう思えるボクがいる。

 


end

2002.11.04
 貴公子第二話の完結版です。こうして潤は岡のもとへ…てなわけです。良かったねぇ潤!ってことで。(いや、バット突っ込まれて良かったねぇっつうのもどうかと/笑)今回は潤様、バットで頑張って みました(笑)いや、馬が入る君ならきっといける!(あ、それは別の話か/笑)しかしバットは…痛いでしょうねぇやっぱ。しかも太い方からだし(苦笑)
 岡と潤は基本的に似てると思うのね、魅夜としては。若い時の岡の尖り具合とか、ある意味潤以上に激しいもんね(ケンカっぱやいし/笑)岡さんはきっと自分みたいな潤を見て、どうにも放っておけなくなっちゃたんですヨ。もちろん魅夜の憶測ですけど、原作の理由もなんとなくそれっぽい感じしませんか? たとえ当時駿がいても、やっぱり潤を選んでいたと思うのね。魅夜岡×潤ドリ−マ−すぎ?(笑)
 

 

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