MARIA
〜境界線〜
「狩谷君ではないですか、どうしました?こんなところで」
校舎の階段を降りた所にいた狩谷に、遠坂はにこやかな笑顔で話し掛ける。狩谷は階段の下で、移動するでもなく佇んでいた。そして階段を降りて来た遠坂と目が合ったのだ。
さきほど授業が終って二階からおりてきたばかりだから、狩谷は二階にいけずに困っているというわけではなさそうだ。
「…君を待ってた」
狩谷の口から出た言葉は、遠坂には意外なもので。
「え?狩谷君が僕をですか!?いやぁ恐縮です…」
狩谷が自分を待っている事など初めてだった遠坂は、喜びを表情に隠せずに、はにかむように微笑んだ。自分が追い回すような形で狩谷とはいつも一緒にいるが、彼の方から自分の所にきてくれれたことなど今までなかったのだから。
「話があるんだ遠坂」
「僕にですか?えぇ喜んで聞きましょうとも」
「…ここは人通りが多い、場所を変えないか?人が多いと声が良く聞こえないからな」
「いいですとも」
遠坂はその笑みのまま、狩谷の車椅子を押すと校庭の方に向かった。背の高い遠坂と車椅子の狩谷は、人の多い所では距離が離れている為かお互いの会話が聞きとりにくいことがあった。だからといって遠坂が聞こえ易いように狩谷の前に屈もうとすると、狩谷はその仕種を酷く嫌がった。だから狩谷は、いつも人気の無い場所を好んだ。
校庭は本来人の多い場所ではあるが、この時間は皆ハンガーに向かう為、授業の終った後の校庭へと続く道は人が少ないのだ。まわりに人がいなくなり、互いの言葉がクリアに聞こえる状況になっただろう時、狩谷は徐に会話を切り出した。
「君は…鶏と卵、どっちが先に生まれたと思う?」
「は?」
それはわざわざ君に話したかった、というには呆れる程どうでも良い事で。
「…そうですね……卵、だと思います」
だがそれでも遠坂はその質問に少し首をかしげて考えると、真顔で答えた。そんなくだらないこととはいえ、狩谷が自分に話したかったというだけで、彼には大事な内容にうけとれたのだ。それが謎掛けめいた娯楽であろうと。
「鶏は、もとは鶏に似た別種の鳥から次第に交配の過程の変異で生まれたものと考えられますよね?となると、その別種の鳥…仮に別種Aとしましょう、その別種Aが生活の過程で進化して来た肉体変化の特徴を、次の子孫に残す時に遺伝子メモリーとして卵の中に組み込んでいると考えるべきだと思うんです。
つまり…日常生活中に肉体変化し鶏に酷似した親鳥は、まだ鶏ではなく別種Aでしかありません。外観的に鶏そのものだとしても、遺伝子的には別種Aのままなのですから。生活の中で見い出した進化の過程を新たな情報として次世代の卵に遺伝子として刻みこんだ瞬間が、鶏の誕生ということになるのではないのでしょうかね?」
くだらない質問に、遠坂は思いのほか長い熱弁を繰り広げた。真面目な彼らしく、論理的かつまわりくどく。
「…そうだね」
狩谷はそんな遠坂の熱弁にたった一言だけ簡単に返す。自分から問いかけておきながら、まるでそんな答えには興味が無いというように。なぜなら狩谷が聞きたいのは、鶏だとか卵だとか、そんなことじゃなかったからだ。
「それじゃ、こんどは質問を変えようか。君は……」
狩谷の瞳が怪しく揺らめく。
「『破壊』と『再生』…どちらが先に行われるベきだと思う?」
「え…?」
遠坂が少し驚いたように言葉を詰めたが、直ぐにその問いについて真面目に思考を廻らせ始める。狩谷がその答えを自分に求めているのなら、彼の欲するように真剣で真面目な意見を遠坂は返したいのだ。
「そうですね…」
そして、自分なりに思うがままを口にする。
「『再生』とは、再び生を受けることです…『再び』というには、それの過程に『死』の存在なくしては『再生』とはいいません」
「……そうだね」
今度は、狩谷は興味深そうに遠坂のその答えに相槌を打つ。
「ですから僕は…『再生』を成す為にはまず、『破壊』であると結論づけますね」
それが遠坂の答えだった。
「……そうだね。ふふ…やっぱり君に話して良かったよ」
狩谷が満足そうに怪しく微笑む。
「いえいえ、僕もこのような問答遊びは嫌いじゃありませんから」
遠坂は狩谷が自分の答えに満足気なのが嬉しく、彼を喜ばせられた事に遠坂自身も満足していた。
「そういえば遠坂…」
「はい?」
今日は珍しく狩谷の方から色々と話し掛けて来てくれる。それが嬉しい遠坂は、上機嫌なのが顔にも出てしまう程だった。
「君の妹は、病気なんだってね」
「え…」
だが、思ってもいなかった話題に、遠坂の表情から笑みが消える。
「腕の良い医者でも治らないんだろう?」
「………どうして貴方がそれを…」
別に秘密にはしていない。だがその事は狩谷に話していないはずだった。あえて話していなかったのだ。
普通の、健常な人間であればその話題をすれば少なからず同情の偽善をみせるものだ。だが、狩谷に話したところでどうだろう。彼のような立場の人間からみれば、だから何だ?というだけのことである。病気だから、なんだというのだと。車椅子の僕に病気の妹の同情を君はしてほしいのか?と、皮肉たっぷりに言われる事だろう。それが目に見えているだけに、狩谷に妹の事は話していなかった。
狩谷の指摘通り、確かに遠坂の妹は病に臥せっていた。今直ぐにでも命の危険が…という程ではないが、慢性的で質の悪い病だった。原因は、大気汚染や科学物質によるアレルギー。いわゆる現代ならではの都会病といったところだ。
「たしかに現代医学では治せない。でも、それを治せる方法があるって知ってたかい…? 」
「な…!?どうやって…どんな方法なんですか!?」
最愛の妹の病を治せる可能性が有ると聞き、遠坂は狩谷の話に食い付いて来た。狩谷の思惑通りに。
「興味があるかい? それなら…君をある場所に連れていってやってもいい。君が秘密を守れる口の硬いやつなら、ね」
「守ります!闇医者でも…金ならいくらでも都合を付けます…!どんな裏情報でも口外はいたしません!」
思った通り、遠坂は返事ひとつで快諾だった。それは普段の彼の性格からみて予想がついていたのだ。そして最後に確認した彼自身の思想、それは狩谷にとって合格証書を出したと言って良い。
「それは良かったよ。むしろ…君には一緒にきてもらいたいんだ」
狩谷は意味深な笑みを浮かべ微笑んだ。
「えぇ、勿論喜んで!…で、ある場所…とは?」
「フフ…それじゃあついておいでよ」
狩谷の車椅子が静かに動き出す。
「はい!」
その後を遠坂は何の躊躇もなく追い掛けていった。
「…ここは…?」
人気のない路地の、とある建物の地下。そんな場所に狩谷は遠坂を連れて来た。
「君も噂ぐらいは聞いた事があるだろう?」
「え…?」
どくん、遠坂の鼓動が大きく波打ち始める。
「ここは…幻獣共生派の本部さ」
「!!」
どくん、遠坂の鼓動がより早く波打ちはじめる。
「君はどんな事も口外しないと、そう言った…よね?」
「は、はい…でも」
まさかこんな所に連れてこられるとは、遠坂は夢にも思わなかった。幻獣共生派といえば、自分達の所属する軍と敵対関係にさえある組織、テロやゲリラを得意とする過激派の組織だ。そして、かつて自分の父が撲滅させようと激しく弾圧をした対立組織でもあるのだ。
どうして、狩谷がこんなところに自分を連れて来るのかが理解できず、無駄に吹き出る汗が遠坂の額をつぅと伝い堕ちた。
「言った、よね?」
もう一度狩谷が念を押すように問いかけて来る。その表情は…威圧的では無く、とても穏やかに微笑んでいる。
「あ……はい」
遠坂は怪しく微笑む狩谷の瞳に、吸い込まれそうな錯覚さえ起こした。学校や仕事場で見た彼とは、何か雰囲気が明らかに違った。…いつもと何が違うのだろう?と自分を落着かせる為、遠坂は動揺の中で冷静に考える。あぁ…そうだ、瞳の色だ。狩谷がいつもと違ってみえる理由、その原因に遠坂は気付いた。一体何の光を反射しているのか、今の狩谷の瞳は薄赤く輝いていたのだ。
「こっちだ。おいでよ遠坂」
「……はい」
遠坂はその瞳を見ているうちに、彼に逆らおうという意思が薄れていくのを自覚していた。逆らっても適わない存在だと感じたというべきだろうか。
この感覚は…何と言う感覚だろう。恐ろしい、か?いや違う、そんな言葉では表せない。一番近いであろう言葉は…そう、神々しい、だ。
「……誰だ?ここは会員しか通せない。紹介なら紹介状をみせな」
扉のまえにくると、目の高さ辺りに開いた穴から遠坂の姿を確認し、中から声だけが聞こえて来た。簡単に開けるような気配は無い。弾圧を受けている組織なのだから、当然の対応だ。
「…大丈夫、彼も同志だ」
遠坂の足下から、彼らにとって聞き慣れた声が聞こえる。
「!失礼致しました……直ちにお開け致します」
その狩谷の声をきくと、中の男は急に警戒を解き声色を変えた。狩谷の、たかが14才の少年のたった一言で、だ。
キィ…
重いドアが開く。
「お待ちしておりました、狩谷殿」
ずらりと並んだ大人達。その全てが、狩谷に恭しく頭をたれ道を開けていく。紛れも無く、彼らは狩谷に対して敬意を表している。
「こっちだ遠坂」
「は…い…」
遠坂は狩谷の後に続いて部屋に通された。
「………すごいんですね…?」
財閥の息子である遠坂には周りが自分に恭しく振舞う事には慣れっこであったが、ここまで物々しい雰囲気は見た事が無かった。金持ちに対する礼儀というよりは、なにか宗教がかったような敬いで狩谷に接しているようにみえる。一体狩谷とこの組織と、どう言うつながりがあるというのだろうか。
「僕の扱いに驚いたかい?ふふ…それは僕がここの、幹部の一人だからさ」
「え…!?」
「ただの幹部じゃ無い…そう、僕は…」
狩谷は車椅子を止め、振り返る。
「この世界の『救世主』 さ」
嬉しそうに誇らしそうに、赤い目の彼は言った。
MARIA
〜境界線〜
end
前編からずいぶん間空いておりますが、MARIAの続きようやく更新。前後編っていってたけど、前中後編になっちゃいました。中間のお話『境界線』です。いろんな意味で境界線です。後編はいつになるかなぁ?描きたい事全部書ききれればいいな。
2006.10.10