眠れる蕾・夢見る蕾


 普段のさぼりが祟ったのか、今日は瀬戸口は一人遅くまで仕事をするはめになっていた。直接戦闘に出ないとはいえ、オペレーターという瀬戸口の職務は戦況を大きく左右する大事な機関。整備は念入りにしておかなくては軍全体の命取りになるので手を抜くわけにはいかない。
 気がつけば瀬戸口は結構な時間まで居残りをすることになってしまったのだった。
「や〜れやれ、ようやく終ったよ」
 目処がたった頃には既に皆自分の仕事を終えて帰っていたので、ハンガー内には誰もいない状態だった。最後になった瀬戸口はハンガーの明かりを消すとシャッターを締めようやく帰路につく。
 今日は特に用事があるわけでもないので急ぐ必要はないが、校舎の横を突っ切るのが表通りの道までの近道なので瀬戸口はいつものように校舎横を一人歩いていた。 そしてふと何の気無しに目線をあげた時、校舎二階に人影を見つける。
「…狩谷じゃないか」
 見間違うはずもない特異なその人影、彼以外には有り得ないシルエット。紛れも無くそれは狩谷夏樹その人だった。
「何やってんだ?あいつ…」
 もうハンガーにいた整備士達もとうの昔に帰っている。そんな時間に教室の前でひとり一体何をしているというのだろう?そんな疑問が頭に過る。
「…って、まさか?」
 
と同時に、瀬戸口は今日の仕事場に狩谷の姿が無かった事を思いだした。
 昨日の戦闘によって各機損傷が激しかったため、今日は皆授業が終ると同時に持ち場に急ぎ仕事に入った。誰が最初で誰が最後だとか、そんな順番など覚えては無いけれど、とにかく皆今日は急いで仕事場についたのだ。
 もし仮に、その最後になった人物が狩谷だったとしたら…。

「…ひょっとしてあいつ、今日の授業終ってからずっと…!?」
 自力で階段の昇降の出来ない彼は、最後に教室に残されたまま何も出来ずに、ずっとそこにいたというのだろうか。誰にも声をかける事も無く。
「ったく多目的結晶で誰か呼べばいいのに…」
 
多目的結晶という便利なものがあるのだから降りられないなら誰かを呼べばいい。だが、狩谷だから、そうしなかったんだろう。それは彼の性格上、充分に考えられる事だった。
「しょうがない姫さんだ」
 瀬戸口は苦笑して校舎に向かい歩み寄ると、二階にいる人影に声をかけようとした。だがその瞬間、
その人物は、瀬戸口の視界から消えた。
「…え?」
 何かが、空を飛んだ。
「狩谷!?」
  ガシャン
 何かが、壊れるような音。
「な…!」
 瀬戸口は歩みを全力の走りに変え、階段の下に急ぐ。
「ーー狩谷!!」
 そこには壊れた車椅子と、無表情のまま暗い空を見つめている狩谷が転がっていた。
「おい、狩谷!大丈…!」
 倒れている狩谷に駆け寄り、瀬戸口はその左脚が不自然な方向に曲がっているのを見つける。どうやら、大丈夫ではないようだ。
「……大丈夫だよ」
「なっ…大丈夫じゃないだろお前さん!脚、折れてるんだぞ!?」
 完全に折れている。そんなことは一目見れば明らかだった。
「…何も、感じないから」
「ーー!」
 狩谷の脚には、感覚がないらしい。立って歩く事はもちろん、痛さも、熱さも、あまつさえ其処に脚があるのかさえも、狩谷にはわからない。脚、という器官が狩谷には存在しない。その存在しない器官が損傷しようと、彼には関係ない。
「だからって大丈夫とは言わないでしょ、こういうのは!さ、早く病院に!」
 幸い頭部は打っていないらしく意識ははっきりしているようだ。脚意外に目立った怪我が無いのを確認すると、瀬戸口は狩谷を抱き起こした。
「病院なんて行く必要ないよ」
「馬っ鹿、何言ってんの!」
「どこも痛く無いから。平気だから」
「平気じゃないだろ、いいからホラ!」
 瀬戸口は壊れた車椅子の破片で骨折した脚に手早く当て木をする。これである程度動かしても大丈夫だろう。つい最近医療技能を取得しておいて良かったと、瀬戸口はつくづく思う。
「触るな!」
 だが抱えようとした腕を振払われ、瀬戸口は驚いた様に狩谷を見た。
「君も…他のやつらみたいに僕なんか放っておけばいいだろう!」
 睨み付けながらそう言った顔が今にも泣きそうで、瀬戸口は苦笑する。
「やれやれ…」
 そして抵抗する狩谷を強引にお姫様だっこで抱え上げた。
「は…離せ瀬戸口ッ…!」
「それで、拗ねてたわけだ?」
「なッ…違ッ!!」
 否定する狩谷を抱いたまま、瀬戸口は歩き出した。
「下ろせ!どこに行く!?」
「病院でしょ?」
「行かないっていってるだろ!」
「じゃ、この壊れた車椅子の横でみっともなく明日発見されるのをボケッとまってるか?」
「……!」
 みっともなく、というフレーズに狩谷の抗議が一瞬止む。だがすぐに、なにかぶつぶつと文句をいっているのが聞こえて来る。
「やれやれ…」
 瀬戸口はまた苦笑した。
 介護される立場でありながらプライドの高い厄介なお姫様。自分が介護の必要な人間だと言う事を、認めたく無いのだ。他人から受ける親切や救済の手も、彼には余計な御節介にしかみえていないのだろう。
「…なんで…あんなことした?」
 階段から落ちた狩谷。いや、過って落ちたのでは無いだろう。瀬戸口には自ら落ちていったように見えた。
「俺等への…あてつけか?」
 助けが必要だと皆しっているのに、うっかり彼を一人放置した全員への?
「…違う」
 狩谷はそれを否定する。
「じゃ、何?」
「そんなこと、言う必要無いだろう」
「…やれやれ」
 相変わらずの頑固な我侭姫だ。
「そんな可愛くない事言ってると…」
「な…なんだ…」
「無理矢理キスしちゃうよ?」
「なッ!?」
 狩谷の顔が見るまに赤くなる。
「ばッ…君は馬鹿だろう!?本当に馬鹿だ!冗談にしても低俗すぎるッ…!」

 顔を赤くして必死に抗議する狩谷。知っている人は少ないが、狩谷が顔を赤らめ動揺する姿はこのうえなく可愛い。瀬戸口はそんな狩谷の顔がお気に入りだ。 その様をもっと見たくて、瀬戸口は更にからかう。
「おやおや、その低俗な冗談に思いっきり動揺してるのはどちらさんだい?満更でもないんだろう?ん?…ぷわっ!」
 わざとらしく唇を尖らせ、意地悪く近付けた瀬戸口の顔を狩谷の手が押し退ける。
「君は…本当にくだらない事を言う…!」
 拗ねたように黙った普段は見られない狩谷に苦笑すると、瀬戸口は小さな声で言った。
「んー…あながち冗談でもなかったんだけどねぇ?」
「…なんだと…?」
 狩谷が瀬戸口を睨み付ける。その表情はもう、動揺からおさまったいつもの顔だった。以外と切り替えは早いらしい。瀬戸口はちょっと残念になる。
「いんやこっちの話。
さ、とにかく病院!」
 そうだった、遊んでる場合では無いのだ。今はとにかくこの嫌がる我侭姫の御機嫌をこれ以上そこねないように病院まで連れていくことが先決だったのだ。
「そうだな」

「…へ?」
 だが意外な返答に瀬戸口は拍子抜けする。いま腕に抱いているのは、さっきまではあれほど病院などいかなくていいと豪語していた男だったはずだ。それが今、驚く程素直に瀬戸口の言葉を肯定し、首に腕までまわしてしがみついてくるではないか。
「…狩谷、お前って…」
「なんだ」
「…いや」
 本当は、力づくでも連れていって欲しかったのではないだろうかと瀬戸口は思った。自分からは決して口に出来ないだけで、助けて欲しかったのでは無いだろうか。だがそれを自分から頼む事は彼のプライドが許さない。だから、強引に連れられたんであれば仕方がない、と自分に言い聞かせる事ができるように逃げ道を確保している。自分から人に頼む事を屈辱とする狩谷の考えそうな事だ。
「……何を見ているんだ」
 言葉を途中で止め、じっと自分を見つめている瀬戸口に狩谷が嫌そうに眉を寄せる。
「ん?あ、いや。別に」
 こうやって嫌悪の表情を造りながらも、抵抗する意思の無い腕の中のその身体。
まったくもって素直になれないやっかいな我侭姫。
「…ふん、変なやつだ」
 お前もな、と腹のなかでつぶやきながら苦笑すると、瀬戸口は
狩谷を抱いて病院へと急いだ。

「あぁ…これは骨折ですね」
 医者が眉を潜めてそういった。素人が見たってそうとわかるくらいだ、いいかえれば、それだけハッキリとした酷い怪我ということだ。
「ずいぶんと痛むでしょう、鎮痛剤を打っておきましょう」
 医者が注射器に手を伸ばし、狩谷に注射しようとした。
「いえ、いりません。痛みなどありませんから」
 狩谷は医者の言葉と行動を冷めた口調で即座に否定した。
「痛く無いわけなどないだろう?こんな酷い怪我をして…」
「痛く有りません」
 狩谷の口調は次第に怒りにも似た響きにかわっていく。
「しかしだね君…」
 医者は不思議に思った。やせがまんで堪えるには痛みが強すぎるはずだ。だがこの患者は本当に痛みなどないかのように汗一つかかず涼しい顔をしている。
「先生」
 瀬戸口がそのやりとりを見兼ね、口を挟んだ。
「こいつ…その…、脚が…」
「……!」
 困ったような顔で首を横に振った瀬戸口の態度をみて、医者はようやくこの少年の脚に神経が行き届いていない事を悟る。それならば先程の平然とした態度も合点がいくのだ。
「失礼な事を言うなよ瀬戸口…」
 自分の脚の事を医者に告げようとした瀬戸口に、狩谷が棘のある口調で言った。
「医者である先生が…そんな事にも気付かないわけないだろう?」
「!」
 馬鹿にしたような強烈な皮肉に、医者の表情が困った様に曇る。
「…いいから少し黙れ狩谷」
 なだめるように狩谷の肩をさすり、瀬戸口は溜息をついた。
 いつもそうだった。狩谷は誰にでも牙を向き噛み付いていく。 それが自分を助けてくれる相手であったとしても、だ。それは見ていてとても痛々しく、気持ちの良いものじゃ無い。
  自分を助けようと差し伸べられた手に気付けず、それを傷つけ払い除けようとする…それはまるで、あの時の光景のようで。忘れる事の無い遠い記憶が呼び起こされるような錯覚に捕われる。
 だから瀬戸口は、正直いって狩谷が苦手だった。出来れば、深く関りたくは無いと思う程に。
「…直接な痛みは無くとも、次期に発熱と共に節々の痛みが来るでしょう。一応、痛み止めを出しておくから…」
 処置を終え、医者は言葉を選びながら薬を出した。
「ところで、帰りはどうするんだい…?一晩くらい入院していったほうが良くはないかね?あいにくうちにはちょうど今、その…貸出用の車椅子は…」
 脚の動かない人間に松葉杖など出しても意味が無い。車椅子は壊れたのだと瀬戸口に聞いた医者は、ちょうど車椅子が貸し出し中だったのを濁らせてそんな事を言った。
「いえ、大丈夫です。帰ります」
「しかし…」
「彼が家まで連れて帰ってくれるので大丈夫です」
 狩谷は当然の用に瀬戸口を指差す。
「ちょ…おまッ…!?」
「自宅にはスペアの車椅子がありますから」
「そうか、それなら良かった。頼んだよ君?」
「え………あ…はい」
 結局瀬戸口は、成りゆきでまた狩谷を背負っていく羽目になってしまった。だがこの場合、それを受諾するしかない。狩谷をここに連れて来たのは瀬戸口なのだ。乗りかかった船というか、最後まで付き合うのが道理と諦める。
「それじゃ頼んだぞ瀬戸口戦士?」
「…へいへい、わかりましたよ狩谷十翼長!」
「ふふ…いい返事だ」
 折しも最近狩谷は瀬戸口よりも一つ階級のあがったばかり。瀬戸口は苦笑しながら冗談ぽくそういうと、狩谷も悪戯っぽい笑みを浮かべながらそう返して来た。こういうときに軍属というのは何も言い返せないものだ。
(や〜れやれ…)

 瀬戸口は狩谷を背負うと病院を後にした。 行きも帰りも自分とそんなに体格の違わない男を背負いながら、瀬戸口は溜息をつく。これが可愛いお嬢さんとかならまた話は別なのだが、…まぁ、この男も顔だけで言えば可愛く無いわけでは無いのだが…なんというか、精神的に疲れる。
「お前ンちって右でいいんだっけ?」
 会話も無いまましばらくして十字路にさしかかり、背中に背負った人物に確認するように問いかけてみたが、その返事がない。
「…おい?」
 首を後ろにまわしその表情を伺うと、覗き込んだその瞳は閉じられ小さな寝息を立てていた。おそらく先程投与された薬の中に睡眠薬の類いでもはいっていたのだろう。
「…まじですか」
 狩谷の家がわからない。だからといって、気持ちよく寝ている怪我人を叩き起こすのもどうかと思う。
「ほんっとしょうがない姫サンだなもう…」
 瀬戸口は今日何度目かの苦笑を浮かべると、十字路を左に曲がり狩谷を連れて自分のアパートへと向かった。

 狩谷を自分のベッドに横たえさせると、瀬戸口はその脇に椅子を引っ張り腰掛ける。
「………さて、どうすっかな…」
 冷蔵庫から出した缶コーヒーを片手に、瀬戸口はすやすやと眠る狩谷の存在を持て余す。速水に連絡すれば狩谷の家を知っているだろうか。だがどっちにしろ起きるまでは動かせないし…といろいろ思考を巡らせる。
「ん…」
「…お?」
 狩谷が小さく呻いた。
「ようやくお目覚めかい、我侭姫サン?」
 目を覚ますのかと思いその顔を覗き込むと、瀬戸口の目の前でその瞳はゆっくりと開かれる。
「!?」
 赤い、瞳。
「ーーーーーーー!!」
 言い様のない悪寒が瀬戸口を襲った。
「な…」
 ドクン、ドクン。
 鼓動が急速に高まり、汗が全身を伝う。さきほどまでの空気とは明らかに違う気配を感じ取り、強い警戒が瀬戸口の身体に緊張を走らせる。
 赤い瞳がギョロリと動き瀬戸口を捉え、ゆっくりとその身体を起こす。
「か…狩谷?」
 いや…違う、瀬戸口は知っている。これは狩谷じゃない。
 これは…彼は…とてつもなく危険な『何か』だ。瀬戸口にとってそれは、知っている、なんてものじゃ無かった。それは、かつての自分が倒したはずのモノ。
 あの時の、友の姿が瀬戸口の中で急速に思いだされる。自分を見つめる赤い瞳。
「だめだ…だめだ狩谷…」
 飲み込まれようとしている。紛れも無く、着実に。終らない夢の中へと。
「だめだ…狩谷…!いくな、そっちにいくな…!」
 瀬戸口は狩谷に腕を伸ばすと、その身体を強く揺すった。赤い瞳の口元が僅かにニィと笑う。
『……アァ……オマエカ…』
「!!」
 瀬戸口の脳に直接響くようにその声は言った。
「狩谷から…離れろ!」
 ザワ…と伸びた瀬戸口の髪の下から覗く瞳が強い光を放ち、全身から常人ならぬ気が放たれる。
「出ていけコノヤロウッ…!!」
 叫んだ口元に野獣のような牙を剥き、鋭い爪をはやし異形に変型した腕が狩谷の身体を締め付けた。
『ーーー!!』
 赤い瞳が苦痛の表情を浮かべ、閉じられる。
 次の瞬間、フッ…と狩谷の身体が重くなり瀬戸口に体重を預けて来た。と同時に、瀬戸口の容姿が整った顔立ちの人間の姿に戻っていく。さっきまでの姿は一体なんだったのだろうかとも思えるほど、跡形も無く。
「…っはぁ…はぁ…」
 全身に玉のような汗を浮き上がらせ、瀬戸口は意識のなくなった狩谷を抱きしめる。
「なんてこった…」
 深く溜息をつき、瀬戸口自身も疲労したようにベッドに身を投げ出した。
 かつて倒したはずのものが、いま狩谷の中にある。消えたと思っていた。消せたと思っていた。だがそれは、決して消滅などせずに繰り返す宿命なのだと言うのか。
「飲まれるな…狩谷…だめだ…いくな!」
 過去を知る男はその苦しさを知っていた。悲しさを知っていた。今以上に全てを失うということを。
「うぅ…ん…」
「!」
 呻いた狩谷の瞳が再び開かれる。その瞳の色は…。
「ん…うるさいぞ瀬戸口…」
 赤くは、なかった。
「狩谷、か…?」
 瀬戸口は自分にまだそんな力が残っていた事が正直驚きだったが、一先ず、追い返す事が出来たようだ。それが一時的に退散しただけである事はわかっていた。そんな簡単なものじゃない、そんな弱いものじゃない。また、狩谷を襲いに来るだろう…。
 だが、少なからずダメージを与えたはずだ。また力を貯える為に、奴は眠るだろう。しばらくはこれで持つはずだ。大丈夫、今は狩谷の瞳は赤くないのだから…大丈夫。
「はぁ〜…やれやれ」
 瀬戸口は深く呼吸を吐くと、安堵してまた狩谷をギュッと抱きしめた。
「なっ、ななッ!?何をしている瀬戸口!?」
 自分が瀬戸口に抱き締められているのを認識した狩谷は驚いて声を強めた。目覚めたら急に男に抱きつかれているのだ、相当動揺している。
「ん?あぁ…なんだか急に人肌恋しくなってねぇ…?」
 安堵した途端、瀬戸口に悪戯心が沸き上がる。
「ちょっくらお相手して貰いましょうかね、夏樹ちゃん?v」
 動揺する狩谷の反応が面白くて、瀬戸口はわざとからかうように手をいやらしく狩谷の背に這わせた。ビクン、と過敏に反応するのもまた、面白い。そうすればまた、瀬戸口のお気に入りの顔で凄い見幕で怒って来ると思ったのだ。
「………?」
 だが…意外にも狩谷はそうはしなかった。
「…狩谷?」
 腕の中の狩谷はおとなしかった。暴れなかった。罵声を吐く事も無かった。ただ静かに、こう言った。
「……すればいいさ」
「は!?」
 瀬戸口の悪戯な手が止まる。
「君は僕をここまで背負ってきたんだ…その権利は充分にあるさ」
「な、ななッ!?」
 今度は瀬戸口が驚き、動揺する。
「権利って…何いってんのオマエ、そんなつもりで病院つれてったんじゃないぞ!?冗談だよ冗談!」
「……冗談?それじゃこっちの気が済まないな」
 狩谷が不機嫌そうな口調で瀬戸口を睨み付ける。
「あーハイハイ、からかったのは悪かった、謝る!でも俺マジでそういうつもりじゃないから…」
 怖い目で睨んで来る狩谷をなだめるように謝罪するが、狩谷はそれでもおさまらないのか怒った口調のまま言葉を続けた。
「君は僕を偽善なりとも助けた…だったら、僕を好きにすればいいだろう」
「だから何いってんだよさっきから…」
「このままじゃ、対等じゃ無いだろう!僕の気が済まないって言ってるんだよ!」
「え?」
 瀬戸口はようやく狩谷のいら立ちの意味を知った。
「お前…」
 一方的に受ける介助を嫌う狩谷、それは何故か?やむなく
介助をうけてしまった場合…今まで相手が彼に何を求めていたのか。そして狩谷もまた、そうすることで一方的に受けた恩恵ではないと自分に言い聞かせ、保ち続ける自尊心。これは、そうやってずっと自分で自分を追い詰めて来た彼の、いままでの生活全てに対する彼自身の苛立ち。
「ったく、お前さん…本当イタイわ」
 瀬戸口は溜息をついて苦笑すると狩谷の頭に手をのせ、髪をわしゃわしゃと乱暴に撫でる。
「なっ、にをするッ!僕をバカにしてるのか!?」
 今度は、予想通りの反応。
顔を真っ赤にして怒る狩谷に瀬戸口は満足そうに笑う。
「それで対等だっていうんなら、 そうしましょっか?」
「…!」
 自分でそういったくせに、瀬戸口の返事に狩谷はびくりと身体を強張らせた。それをみて、瀬戸口はまた満足そうに笑う。
「ただし…今はちょっと興醒め」
「な…」
 瀬戸口は狩谷から手を離しベットから降りると、拍子抜けしたように安堵している狩谷に意地悪く言う。
「その権利、後で使わせてもらうわ。俺の好きな時でいんでしょ?」
「あ…あぁ…」
「そうだなぁ…じゃあ、この条件が揃った時な」
「…条件?」
 瀬戸口はちょっと考えるフリをすると、指を折りながら条件を提示し始めた。
「まずこの戦争が終って…… 次に俺とお前がまだ生きていて………ついでにお前の脚が治った時、な?」
「なっ!?」
 それは、その条件の瞬間がありえない事を意味していた。狩谷の脚が治るのがありえないのか、いやそれだけでは無い。戦争が本当に終るのか?そしてその時に二人が生きているのか…そのすべてが、今この瞬間にはありえないことでしかなかった。
「…君は、そんな時が来ると思っているのか?」
「思ってるんだけど?なによ、次期は俺の好きな時でいいっていったろ?文句ないでしょ」
「………」
「俺がこれからお前にちょくちょく御節介なちょっかい出すようなことがあっても、その時に倍返ししてもらうつもりでストックしてるってことなんだからさ?一方的にしてやってるわけじゃあない。それが対等でしょ?」
「…あ、あぁ…」
 狩谷の納得のいくよう、狩谷を対等に扱う為の瀬戸口の優しい意地悪。そういわれれば、狩谷は条件を受けざるを得ない。

「だから……そんときまで、逃げるなよ?」
「逃げる?僕が?…君からか?」
「………んーまぁいろいろ、な」
 その問いには瀬戸口はハッキリとは答えなかった。
 今の狩谷は非常に危険な状態だ。だが、どうやら彼にまだ自覚が無い。自分に何がおこっているかを、彼は知らない。だったら気付かせては逆効果だ。瀬戸口から逃げるな、という意味も勿論だが、そうじゃない。 この世界から、現実から、自分自身から、そして『人』という枠から。その全てから逃げた時、狩谷は、人ならざるモノへと変わるだろう。
「ふん……だったら逃げないよう君が見張っていれば良いさ」
「そうだねぇ……それいいわ、そうする」
 それが一番いいのかもしれない。傍にいて見ている存在が彼には必要なのだ。それが誰もいないのならば、 自分が見ていればいいのだ。こんな事を思うなんて、つい先程まで狩谷に深く関りたくはないなんて思っていたのが嘘のようで、瀬戸口は自分で自分が可笑しくなる。
「な…っ、本当に僕を見張る気か?悪趣味め」
「あら?今頃気付いた?」
 瀬戸口は狩谷の悪態を軽い笑いでかわす。あいかわらずの調子の良い返答に狩谷は溜息をついて呆れ返る。
「…まぁ好きにすれば良いさ。約束だからな、どうせそんな時なんか来るわけないし」
「来るって」
「来ないね」
 否定する狩谷の言葉を即座に肯定した瀬戸口に、狩谷がムキになって言葉を返す。平和になって、自分が健康になっているなんて、狩谷にとっては有り得ないし望みも持っていないから。だからそれを無意味に肯定するようなやつには、狩谷は苛立ちしか覚えない。だが、瀬戸口も引かなかった。
「絶対来るから」
「来ないったら!なんで君は何の根拠もないくせに…」
「俺が来させる」
「……!」
 狩谷は最初瀬戸口が何を言っているかよくわからなかった。だが一呼吸おいて、ようやく理解する。瀬戸口は、自分がこの戦争を終らせる、と…そうハッキリ言ったのだ。
「何を言い出すかと思えば…まったく無意味な自信でしかないな」
 普段あれだけふざけた男がいくら真面目に語ろうと、狩谷にはただの妄想夢物語にしか受け取れない。
「あら?そうでもないよ?瀬戸口君…以外とやるときゃやるのよ?」
 だが瀬戸口は戯けた口調でそう言いながらも、その瞳からは常人ならぬ光を放っていた。まるで、人ならざるモノのように。
「………」
 その輝きに、狩谷は言葉を失ってしまった。もしかすると本当に何かやらかすかもしれない、と僅かながらそんな事を思ってしまう。
「まぁ見てなさいって」
 おそらく狩谷の変化に気付いてしまったのは自分だけだろう。そして、それをとめる事ができるのも…おそらく自分だけだろう。それは、瀬戸口が邪と聖の二つの面を持つ唯一無二の人ならざる存在だから。
  だからきっと、とめられる。とめなくてはならない。戦争を。人間を。狩谷を。自分自身を。
「…まぁ、思想は自由だからな。そう思いたかったら思っていれば良いさ」
「そそ、そういうこと。お互いにな」
 誰も信じなくていい。知らなくて言い。狩谷の変化と自分の存在など、知らない方が良い。誰にも知られず誰も傷付かずに終らせられる可能性があるのならば、その可能性を信じたい。自分の時のような悲劇を狩谷には繰り返えさせたくはない。だから、信じる。自分はそれを食い止められるのだと。
「それじゃ、そういう条件で文句なく交渉成立ってことで?」
「別にいいさ…」
 戦争が終って、お互いが生残れる事。これが大前提の当てのない約束。約束は守るものだ。たとえ当てのない条件でも、約束という形にしてしまえば守らなくてはならない使命になる。自らに課す膨大な責任感。
 瀬戸口は思った。久々にこういう気分も悪く無い、と。自分がこの世界に存在している意味を感じられるから。
「それにしたって…二つはともかく、僕の脚は関係ないだろう。それこそ、そんな瞬間が一生来る事など無い」
 狩谷にとって仮に戦争で生き残る事が可能だったとして、脚が治るなどありえないことだった。勿論瀬戸口だって、狩谷の脚が現代医学で回復の見込みが無い事など知っている。
「関係無くなんてないぜ?俺の条件には関係大有りなんだから」
 それでも瀬戸口は、そ知らぬ振りで軽口を叩く。
「だって、そんときゃ…」
 瀬戸口はニヤリといやらしい笑みを浮かべた。
「腰抜けるまでお前に騎乗位してもらうんだからな?」
「なーーーッ!?ばかッ!君は考える事が本当馬鹿げてる!大体いつだって君は…!!」
 狩谷が顔を真っ赤にして流れるような罵声を浴びせかけて来るのを、瀬戸口は楽しそうに受けとめる。
 脚が治ったら、なんてのはただのおまけだった。もし仮に戦争を終らせ生き残ったとしても、狩谷の脚を直してやる事だけは瀬戸口にはできない。もともと狩谷を抱く気なんて瀬戸口にはなかったのだ。
  だが、もし不可能だと思って居た前者2つを瀬戸口がやってみせたなら、最後の一つは狩谷自身が結果を見つけだすかもしれない。
「ーーそれじゃぁ」
 瀬戸口は立ち上がると、窓に向かって大きく伸びをした。
「こんな戦争、ちゃっちゃと終らせちゃいましょっか?」
「…全然緊迫感がないな」
 まるで、宿題をはやく終らせて遊びにいこっか?的物言いに、狩谷があきれたように突っ込む。
「よく言うでしょ?面倒事は明日から、ってね?」
「初耳だな」
「あれ?そう?違ったっけ?」
 また、ふざけた事を言って笑う瀬戸口に、狩谷が苦笑する。
「まったく…こんなやつに戦争が終らせられたら、僕だって歩けそうな気さえするよ」
「おー、そいつは一石二鳥!」
「冗談にきまってるだろう!…ったく!」
 皮肉にすら冗談を返して来る瀬戸口のペースに乱されっぱなしの狩谷は、呆れたように其れ以上言葉を投げるのを止める。
「ま、ま、とりあえず今日は家まで送るから。あぁ、勿論これもあとで倍返しだからな?騎乗位だからな?」
「またそれか…わ、わかってるよ…」
 そんな冗談をいいながら狩谷を再び背負うと、瀬戸口は狩谷の家に彼を送った。特に会話もせず、狩谷の指事通りに道を曲がるだけ。瀬戸口にとってあいかわらず何を考えているのかわからない苦手な存在、狩谷。それでも、先程背負った時よりも狩谷の手が瀬戸口に強くしがみついて来るのだけが瀬戸口にはわかっていた。
 狩谷の家には、彼の言った通り部屋の隅に降り畳まれたスペアの車椅子があった。瀬戸口は
それを組み立てると、その上に狩谷をそっと降ろした。
「明日、来れそうか?」
「いつもと何もかわらないよ」
「そう、か…」
 例え骨折していても、痛みもなく車椅子の彼には何も普段とかわらない。
「それに…」
 狩谷は皮肉な笑みを浮かべて微笑む。
「明日から君がどう変わるのか、見てやりたいしね?」
「む?」
 先程の言葉が口先だけではない事をどう見せてくれるんだ?とばかりの挑発的な表情に、瀬戸口も不敵な笑みで言葉を返す。
「…ま、明日からのスーパー瀬戸口君を期待しなさいって」
「ふふっ…それは楽しみだな?」
「なにしろ騎乗位のためだからね」
 その単語に、また狩谷の顔が赤くなる。
「なッ…君は本当に品性下劣極まりないな!そんなことばっかり考えてるのか!」
「当たり前でしょ?俺からそれとったら何が残るって言うの」
「…何も残らないんじゃ無いか?」
「……正解!」
「…ぷ…くく…」
「…あはは!」
 不敵な笑み同士で笑い合っているうちに、それが可笑しくて二人は砕けて笑いあった。
 今日初めて、狩谷は笑った。
(あぁ、こいつだって笑えるんだよな…)
 瀬戸口は当たり前の事をなんだかとても嬉しい事のように感じた。この笑顔を、消したく無い。誰にも消させたく無い。瀬戸口の中でまたひとつ決意が固まる。この貴重な笑顔を護る為に。
「…………たまに…」
 笑いの治まった頃、狩谷がぽつりと呟く。
「たまに、自分が…歩けるような錯覚に陥る時が有る」
「え…?」
 狩谷は、聞いてもいない事を自ら語り始めた。
「一人で色々と考えを巡らせていると、どうして自分は車椅子に乗っているんだろう?って…思うんだ」
「………それって…さっきも、か?」
 狩谷は黙って頷いた。
 階段から、自ら堕ちていった狩谷。ふと、歩けるような錯覚に駆られ、階段から身を乗り出したのだろう。
「可笑しいだろう?僕の脚は…もう動かないのにさ」
「いや…それは…」
「でもね…?」
「…!」
 瀬戸口を見上げた狩谷の瞳が、薄らと紫に輝いている。狩谷の瞳は…茶色のはずだ。
「ゆめの中では歩けるんだ…僕は自由なんだ。歩くだけじゃ無い、空だって飛べる。なんだってできる…そう、なんだって、ね……ふふ…うふふ…」
 ザワ、と瀬戸口の全身が総毛立つ。あやしく笑う瞳に吸い込まれそうな錯覚を起こしそうになる。瀬戸口は警戒するように一歩後ずさった。
「たまに現実なのかゆめなのか…わからなくなるんだよ僕は」
 そういってまばたきをした狩谷の瞳は、もとの色に戻って居た。
 狩谷が階段から堕ちた時、瀬戸口には狩谷が一瞬宙に浮いたかのように見えた。その身体は、瀬戸口が声をかけた瞬間、自由落下した。あれはきっと見間違いなんかではない… ゆめから、醒めたのだ。
「…………」
 同調が思ったより進んでいる。もうあまり時間が無い。瀬戸口の額に焦りの汗が一筋流れる。
「瀬戸口……?」
「…あ、あぁ」
 無言で固まった瀬戸口は自分の名を呼ぶ狩谷の声で我にかえる。
「僕を…変なやつだと思ったのか…?」
 自嘲気味に笑う狩谷に瀬戸口は優しい笑みを浮かべる。
「いや……きっと誰だって、そういう時も…あるんじゃねーかな?」
「そう、か?」
「あぁ…」
 狩谷がおかしいんじゃない。狩谷が悪いんじゃ無い。これは、宿命だ。自分に科せられた宿命の渦に、狩谷は巻き込まれてしまったのだ。
「ごめん…な」
「え?」
 自分に関る者は皆、不幸になる…これは、逃れられない運命。
 小さく呟いた自分の言葉を打ち消すように、瀬戸口は即座に明るく言った。
「じゃ、明日な」
「あ、あぁ…明日」
 別れ際にそう交わすと、瀬戸口は狩谷の家を出た。明日からの自分の事、狩谷の事を思いながら。
 そう、全ては明日から。世界は明日から動くのだ。



 翌日、瀬戸口はモニターを通して芝村準竜師と対面していた。その面持ちは、何時になく真面目そのもの。
「ほう、お前が直々に私に陳情とは珍しい事も有るものだ。…して、用件は何だ」
 瀬戸口は誰も来ない朝早くから、芝村準竜師にこれをいう為に待って居た。
「はい…現パイロットの部署変えの要望を通して頂きたく思っております。相応の部署には適任の者を配属するべきかと」
「…ほぅ?」
 まるで今の配属が不適切だと言わんばかりの物言いに、準竜師が興味深気に身を乗り出した。
「では貴様は、誰が適任だと言うのだ?」
「自分です」
 煥発入れずに瀬戸口が答える。
「………」
 その、あまりにもの自信が満ちあふれた発言に準竜師は愉快そうに笑い出す。
「ハハハ…そうか。よかろう、やるがよい!そして結果を見せるのだ!」
「…ハッ!」
 瀬戸口の陳情は受け入れられ、皆のどよめきの中、部署替えは行われた。
 ただのオペレーターとして存在していた瀬戸口の、突然のパイロット転向。それは誰しも予想外で驚くべき突然の事だったのだ。狩谷以外にとっては。
「……本当にやるとは……馬鹿としかいいようがないな」
 ある程度予想していたとはいえ、本当に行動に起こした瀬戸口に狩谷はあきれを通り越して笑いが漏れる。
「瀬戸口君、やるときゃやるって言ったでしょ?」
 得意げにそう言って笑う瀬戸口に、狩谷はまた何か小声で漏らして溜息をついていた。狩谷もまた、少なからず他の皆と同じ不安を抱いていたのだ。こいつに何ができるのだろう、と。
 だが、これは決して瀬戸口の無謀な挑戦などでは無かった。皆は知らない。今まで瀬戸口が人知れず夜中出陣し、単独で幻獣を撃破していた事実など。そして過去に伝説の絢爛舞踏の一人として存在して居た事など…誰一人知るものはいない。瀬戸口に言わせれば、それは誰も知らなくて良い事なのだ。
「まったく…君ときたら本当に…」
 そんなことなど知らない狩谷は、またグチを零しはじめる。
「まぁ…見てなさいって」
「うわ!?」
 そんな狩谷の首を背後から抱きすくめる腕があった。そしてその頭を胸に抱き、そっと呟く。
「今度は……絶対助けるからな…」
「……?」
 あの時助ける事が出来なかった友の姿が狩谷と重なり、彼に言えなかった言葉が今、瀬戸口を突き動かす。
「それじゃ…ちょっくらヒーローの降臨といきますか…!」
 いつものふざけた口調と態度でありながら、その言葉には真実味のある深いものが潜んで居た。昨日までの瀬戸口とは明らかに違う、何かが。決してその言葉がいつものような軽口な冗談などではない事を感じさせるものがあった。

「機体オールグリーン、異常なし! 瀬戸口機…出陣する!」

世界が今、動き出す。

 

end



 というわけで瀬戸狩です。瀬戸口のペースに翻弄されっぱなしの狩谷とか、そういうのいいっすよねぇ。瀬戸口は狩谷の2つ上のお兄さんですからね(実際もっとずっと上だけど/笑)狩谷を軽くあしらうくらいの余裕で接してほしいものです。
 お調子者で女ったらしで、じつは…な瀬戸口のレベル2以降設定、かなり好きです。つえーよ隆ちゃんスゲーよカッコえぇよ!そんなわけで多大なネタバレ作品かいちゃいましたヨ。ガンパレやった事ある人でも、なにこれ?瀬戸口何者!?って思っちゃった人は裏設定とか世界の謎とかちょこっと調べて見るのも面白いかもです。
 まぁ実際、魅夜も瀬戸口の設定把握しきっちゃいないので間違いも矛盾もあるんですがね。たしか瀬戸口って女の家とか転々としてて自分の家ってないよね?まぁそのへんは同人的御都合設定てことで(笑)

2005.11.02

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