長い長い間に降り積もった雪が
厚い厚い氷になり
そして

それはある日突然に
溶けていく。

 

 

 

密会











「大丈夫ですか?ヒロト先輩」
「あぁ、大丈夫だ。もういいよ潤」
 足の悪いヒロトに肩をかしながら、潤は表彰台からヒロトと共に降りてきた。 右足を引き摺って歩くヒロトを潤が心配そうに見上げる。

「でも…」
「ありがとう夕貴君、もういいわ。ここからは私が替わるから」
 ヒロトの妻の皐月が感謝を込めた笑みで潤に軽く一礼した。
「………はい」
 だけど、この手を彼女に渡してしまう事が酷く躊躇われた。まだ子供だった自分を支えて包んでくれたこの手。初めて愛される事を教えてくれたこの手。今この手を離したら…もう…。
(…いや、何を考えているんだボクは。ヒロト先輩には奥さんがいるじゃないか…)
 皐月はおとなしそうでとても綺麗な女性だ。足の悪いヒロトの面倒もまめによくみてくれる良き妻なのだろう。とてもお似合いだ、と潤は思った。本当に、そう思う。
「…………」
 ヒロトの手を皐月に渡す。寄り添うように触れあった二人に、潤は胸の奥が痛む。
(…お幸せに)
 もう、会う事もないだろう。仕事以外の場所では。
(…さようなら、先輩…)
 後ろ髪を引かれる想いを断ち切るように、潤は二人に背を向ける。
「潤」
 そんな潤を、呼び止める声がした。
 ヒロトだった。
「…はい?」
 ヒロトは皐月に肩を借りながら、潤の方をみていた。
「今夜…いいか?」
「…え!?」
 7年前、ヒロトが潤を誘う時にいつも使っていたその台詞。下心見え見えでバレバレのその台詞にいつも呆れながらも付き合っていた懐かしいその響き。
「な…にを…そんな…っ」
 突然の誘いに潤の鼓動が高く脈打つ。だってヒロトがあまりにも堂々として、大胆だから。奥さんの前だと言うのに…
「一緒に…勝利の祝杯をあげようぜ?」
「祝杯…」
 祝杯。今日の勝利を祝おうと言う、それだけだ。
(…何を期待しているんだボクは…っ)
「…無理か?お前、俺と違って忙しいモンな…」
 返事に時間のかかっている潤に、少し残念そうなヒロトの声。
「あ…!」
 少し勘違いした自分に顔を赤くしながら、潤は笑顔で答えた。
「い…いえ、大丈夫です!はい、喜んで…!!」
 潤の、営業用のスマイルがヒロトに向けられる。仕事仲間との交流、ただそれだけ、他意は無い。…そう割り切らなくては、なんだか辛い。
「…そっか、じゃ夜にな!」
「はい…」

 そう言い残し皐月と共に去っていくヒロトの後ろ姿を見つめ、その光景を遮断するかのように潤の瞳はせつなげに伏せられる。
 もう、彼は自分のものではない。
 もう、自分は彼のものではない。
 理解している、わかっている。それが誤解から生まれた別れだったとしても、あの日確かに二人は終ったのだ。そんなことは、充分に…わかっているのに。
「せん…ぱい…」
 一方的に彼の事を誤解してしまった事はもう取り返せない過去の事。お互いにもう自分の世界がある。あの頃に戻りたいとは思っていない。今が、とても大切な何かを持ってしまったから。
 だからこそ今夜、会いたい。長い間に深まったお互いの溝を、少しでも埋めておきたい。誤解していたヒロトの優しさと、伝えたかったいくつもの言葉達。ただ一緒にいられる時間が出来ただけでも、それでも良いと思った。二人で話し合える時間が作れるのなら。
 たとえそれが昔の二人のようではなくても…。

 

「久しぶりですね、こうして話をするのは」
 夜景の綺麗なホテルの一室で、潤はその夜景を見下ろしながらグラスにワインを注ぐ。
「悪ぃな、こんな豪勢な部屋まで手配してもらっちまって。そんなつもりで誘ったんじゃねんだけどよ」
 ソファに腰掛けたヒロトは、慣れない雰囲気に照れくさそうにそのグラスを受取る。いまや日本のトップジョッキーたる潤にとっては普通のその部屋も、田舎の生産者にとってはこのうえなく豪勢な演出に見えてしまう。
「雰囲気ですよ先輩。勝利の優越感っていうね」
 悪戯っぽい笑みを浮かべ、潤はヒロトの隣に腰掛ける。
「…………」
「なんですか?」
 そんな潤をヒロトがじっと見つめ、ふっと目を細める。
「大人になったんだなぁ潤…」
 ヒロトの手が潤の髪を撫で、その頬を捕えた。
「!」
 潤の顔が赤くなる。
「…………何を考えてるんだ潤?」
  間近に迫ったヒロトの顔、これだけでもう、思い出さずにはいられない当時の感触。
「……あなたと……同じ事ですよ…」
 ヒロトの顔が、意地悪く微笑む。学生の頃によくみた、潤をからかう時のヒロトの顔だ。
「そうか……そんな事考えてたのか?えっろいなぁお前…!」
「なッ…!」
 笑い出したヒロトに、潤の顔が更に紅葉する。ヒロトと同じだなんて言ったためだ。まったく、この男はどんだけエロイ事まで想像していたと言うものか。
「なっ…なっ何考えてたんですか貴方は!?ボクはただ、き……!」
 抗議の言葉を塞がれ、潤の全身から力が抜ける。
「わかってるって…こいつだろ…」
「…ん…」
 7年前と同じ熱い唇。変わらない感触。潤の身体が懐かしさと嬉しさに震える。昔を思い出し勝手に熱くなる己の身体。
「あ…」
 だが、その唇は名残惜しくも直ぐに離れていってしまう。
「……ほい、ここまでだ」
「…………」
 ヒロトの言いたい事はわかっている。ヒロトは既に妻帯者、そして潤には…そう、久しぶりにあった『勢い』で許されるのはここまでだ。だが、熱くなる身体は懐かしい温もりをひたすらに求めている。今自分達の置かれている状況を無視してしまいたい程に。
「…潤?」
 離れたヒロトの唇に吸い付いて来る潤に、ヒロトが驚いて目を丸くする。ヒロトの記憶にある潤は決して自分からこんなことをするやつでは無い。
「……一度ゲートを出たら、もう止まれないんですよボクは」
「な…」
 こじつけ的な言い訳をして、悪戯っぽく笑う潤にヒロトが苦笑した。
「いいのか潤…怒る人、いるんじゃないのか?」
 そう言いつつもヒロトの腕は潤の腰にまわり、もう片方の腕はすでにベルトを外しにかかっている。
「あなただって、でしょう?」
「ま…そーだな」
 苦笑しあいながら、再び唇は重ねられた。
「…絶対内緒だぞ」
 ヒロトが悪戯な笑みで、じゃれるように潤の鼻に自分の鼻をこすりつけた。
「ふふ …二人だけの秘密ですよ?」
「…おう」
 その会話を最後に、二人の会話は途切れる。夢中で絡みあう二つの身体にはそんなものはいらない。
 どうしても伝えたい言葉があった。だけどもう…伝える必要なんて、ない。きっとこの肌から伝わっているはずだから。
 ごめんなさい。
 ありがとう。
 そして

 大好き。


 

 これはいけない事、でも一日だけ、今日だけ、今だけ…目を瞑って見逃して下さい、 神様…。
 

end

 

 潤の心情を描くにあたって今までなにかと記憶の中に出て来るヒロト先輩ですが、ヒロト×潤って文でちゃんと書いたのは初だったかも。
 いわずとしれた21巻の番外編の後のお話ですね。久々に再会してあのあと二人がナニも無いわけないじゃんよ?なんたって相手はあのヒロトですからね(大笑)
 そんなわけで、聖なる夜にらぶらぶ満開なお話でしたv

2004.12.25

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