勝利の代償

「どうでした?マキシマムのデビュー戦は?」
「…潤…」
 にこやかに微笑みながらオーナーの岡 恭一郎に夕貴 潤は話しかけた。三億の値で話題を総嘗めにした名馬のデビュー戦を、華々しい勝利で迎えた事を潤は嬉しそうに、誇らし気に岡に報告する。勝利する事は最初からわかっている事ではあったが、それよりも岡の指示通りにレースを運べた事に潤は喜びを感じていた。そのレースを見た者に、岡の望むよう圧倒的な強さを見せつける事が出来たのだ。
「少し傷を負わせてしまいましたが…たいした傷ではありません。大丈夫、マックスは強い馬です」
 三億の名馬マキシマムこと通称マックスは馬群を抜きにかかった時に他馬と接触し、少し体に傷を負ったが、ただの擦り傷でたいした怪我ではない。逆に傷付く事を恐れずに馬群に突っ込んでいく、たいした心臓の持ち主であることも本日判明した。マキシマムには何も問題はない。それよりもむしろ、岡が気にしているのは…
「……足を見せろ潤…」
「え…?」
 笑顔で迎えてくれると思ったその人は、険しい顔で潤を手招きした。潤は何かを庇うように咄嗟に後ずさる。だがその足どりは、随分と鈍い。
「来なさい…見せるんだ!」
「あ…!」
 岡は強引に潤の腕を掴むと自分の傍に寄せ、潤をソファーに押し倒す。
「……ッ…!」
 岡ビッグファームの騎手である真紅の勝負服、その上椀部が不自然に濃い赤に染まっている。接触時に服が裂け、皮膚を傷つけていたのだろう。だがそれよりも岡の目につくのは、足首の部分が激しく裂けた左足の靴。
「…なんでもないですッ…」
「…黙るんだ」
 岡はその靴を掴むと抵抗しようとする潤を押さえ付け一気に引き脱がした。
「ーーーつぅッ!」
 潤が眉を潜めその表情に苦悶の色を浮かべる。
「!!」
 靴の下では、白かったであろう靴下が真紅に染まっていた。岡は真っ赤に染まったその靴下を、今度は労るようにそっと脱がす。その下からは何とも痛々しい傷が姿を表した。擦り傷…と言うよりは鋭利では無い刃物で何度も斬り付けられたような…骨こそ見えないものの、その皮膚は裂けて捲れあがり、生々しく下の肉の色を浮き上がらせている。酷い傷だ、彼はこんな傷でレースを続け、そのまま表彰台に立ったのだ。
「……やはりな…あのまま走り続けたんだ…当然の結果だ」
「……そうですね…当たり前ですね…みっともないです」
 レースが終わってからずっと誰にも気付かれないようにしていたが、やはり岡にだけは隠し通すことは出来ない。潤にとって、怪我など恥でしかなかった。
「…私が……強さを見せつける走りをしろと言ったからなんだな…」
 岡は溜息をついた。たしかに、他者を圧倒させるような勝ち方をしろ、と潤に指示した。だから潤はわざと馬群の最後尾に着け、最後の追い上げでインから一気に全ての馬を抜いていった。見るものには最後尾の馬が一気に先頭までワープしたかのように見えた。それほど、今日の潤の騎乗は「有り得ない」コース取りをしたのだ。当然だ、通れない程の狭さの隙間を内ラチに左足を擦られながら400mも馬を全力で走らせるなど、誰もするはずがない。
「凄かったでしょう?マックスのデビューは」
「……あぁ、たしかに凄かった。素晴らしかったよ…だが…君がこんな傷を負ってしまう結果になるとはな…」
「平気です」
「………」
 その勝利の代償は岡には痛すぎた。この男は、夕貴 潤は時折とんでもない無茶をする。そしてそれをさも何でも無い事のように振舞うのだ。実際、今日のレースで潤がこんな傷を足に負った事に気付いた者がいただろうか?人前の彼は足を引き摺る事も庇う事も無く、堂々と振舞っていた。こんな傷を負った事など誰にも悟らせず、余裕の笑顔で強さを見せつける。それが自分のレースなのだと誇りをもっている反面、無茶な程に常に『強い存在』であろうと無理をする。
「次のレースには出るな潤…」
「大丈夫ですよ」
「ダメだ、私は乗させんぞ」
 岡の言葉は潤には絶対だった。きつい表情で睨まれ、潤は畏縮とする。しかしそれが自分を思って言ってくれているのだと言う事も充分に理解できた。この世でたった一人だけ、自分を大切にしてくれるその人だから。
「……はい、わかりました」
 潤は今度は素直に頷いた。

「痛むか?」
 簡単な応急処置を済ませ、岡は潤に問いかけた。
「大丈夫です」
 あいかわらず『平気』を装うとする潤を、岡は不信な目つきで睨んだ。潤はその目で見つめられ、少し苦笑して言い直した。
「……いえ、結構…痛みます」
「そうだろう…当たり前だ。私の前で何をそんなに強がるんだ潤?」
「…すいません」
「とにかくすぐ病院で診てもらう事だ。大丈夫、マスコミには知られないように私の車で連れていこう」
 岡はそう言うと治療を終えた潤をソファーから抱きかかえた。
「あ…、自分で歩けます!」
「いいから無理をするな」
 顔を赤くして岡の手から逃れようとする潤に構わず、潤の小柄なその体を岡は子供を抱くように抱き上げる。
「それから…今後に向けて指示をだすぞ潤」
「はい?」
 そして岡は早くも今後のレースについての話を始めた。
「もう怪我をするな…わかったな?」
 岡の目が、きつく、優しく潤に言い聞かせた。
「……はい…もうしません」
 潤は素直にあやまると、広い岡の胸にぎゅっと縋り付いた。

end

 

 マックスデビュー戦直後のお話。単行本を見る限り骨まで見えそな大出血ですが平気なんですかい?潤様!?ってかんじな(平気なわけねぇや)お話のその後。そんなわけで潤が岡の指示の元、レースで怪我をするのはコレっきりなのだ。
 関係ないけど岡はマスコミの前では「夕貴君」なのに普段は「潤」って呼ぶよね。なんかやらしぃよねぇ(笑)。

2002.07.11

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