断罪9





  コンコン
 アルスがバスルームに消えるとほぼ同時に、部屋がノックされる。
「………どうぞ」
 誰がノックしたかは詮索するまでも無い。イクシアの返事を聞くと、扉が開きアルミネが姿を現す。
「あの…お洋服、着替え持って来ました。太陽さんいっぱいあびて乾かしたから、すごく気持ちいいですよ」
 愛くるしい満面の笑みはそういった。
「あぁ…ありがとう」
 …なにが『大陽さん』だ。彼女の行動や言動の一つ一つを鼻で笑いたくなりながらも、イクシアは平常心を装い答える。
 着替えを運んで来たアルミネは、無意識に軽く部屋をみまわしていた。イクシアはそんな彼女の素振りを見逃さない。
「………アルスはバスルームだよ」
「え?あ…あぁ、そうなんですか?」
 その目線が何を探しているかなんて、すぐにわかる。だがそれを悟られた事に彼女自身は酷く驚いた様子で、顔を少し赤らめた。
 『アルミネは、アルスが好き』
 その事をイクシアは確信する。
「あの、ここに置いておきますね。それじゃ…」
 そそくさと着替えを置いて立ち去ろうとするアルミネに、イクシアは言った。
「……なんでそんな隅に置くんだい?部屋に入れば良いじゃ無いか。こっちにおいてくれないか」
「え?あ、あぁそうですね?そうですよね!」
 言われ、アルミネはドアの脇に置きかけた着替えを持ち直す。
「僕と二人じゃ、居心地が悪いかい?」
 ビク、とアルミネの手が僅かに揺れる。
「そ…そんな!あ、今そっちに持っていきますね!」
 アルミネは笑みを浮かべると、部屋に入りイクシアの腰掛けるベッドに二人分の着替えを運んで来る。
「……あら?」
 イクシアに近付いたアルミネは何かに気付いたのか、少し不思議そうな顔をした。
「この辺りなにか変な匂いがしませんか?」
「!」
 漂うのは、雄の臭気。
「…まぁ、イクシアさんからなんですね?」
「……ッ!」
 イクシアの眉がビク、と吊り上がる。そんなこと言われなくたってわかってる。いわれたくなんかない。面と向かって本人に言うなんて普通なら無神経すぎるというものだ。
「…僕が…汚いと言いたいのか?」
「いえ、そんなんじゃないですよ!きっとイクシアさん今日お仕事いっぱい頑張ったからお洋服凄く汚れたんですね?何の匂いかしら…すごい匂いしてますよ?」
「…………すごい匂い…か」
「ええ、イクシアさんは気にならないですか?…あ、そういえばその中にずっと居ると麻痺してわからなくなっちゃうっていいますものね?うふふっ」
「…そうだな…もう、麻痺してわからないよ……」
 イクシアは弱々しく、そして恨めしそうに苦笑した。彼女は汚れ無き純真な存在ゆえにその臭気の正体がなんなのかを知らない。悪気は無いのだ、アルミネには。だがその悪気の無い一言一言が、簡単にイクシアを傷つけていく。
「……もういいよ、ありがとう。着替えを置いたら下にいってくれないか」
 悪気はないとはいえ、知らないがゆえに何を言い出すかわかったものではない。ただでさえアルスがいなくては会話もぎこちないというのに。正直、イクシアはさっさと彼女に視界から消えて欲しかったのだ。着替えさえ受け取れば、彼女がこの部屋に留まる理由はないだろう。
 着替えを受け取ろうとイクシアはアルミネに手をのばした。
「あ、はい。わかりました」
 そしてアルミネは着替えを、ベットの脇においた。まるでのばされたイクシアの手に触れるのを…避ける様に。
「………」
 もしここに居たのがアルスだったなら、 アルミネは間違いなくアルスの手に直接着替えを手渡しただろう。
 汚れの無い天使と、汚れきった融機人と。あまりにも対照的なその存在。同じ世界の同じ部屋にいながら、決して並ぶことのないその価値。人間から蔑まれる融機人など、その人間から崇拝される位置にいる天使からみれば、どれだけ蔑まれる位置にいるというのか。
「…触れる事すら拒む程に…か?」
 イクシアは小さな声で呟いて苦笑した。すでにイクシアの傍を離れたアルミネには、その声は聞こえない。
「それじゃ、お腹空いたらおりて来て下さいね?下でまってますから」
 あいかわらずの邪気のない無垢な天使の笑みをうかべ、部屋を出ようとするその背中にイクシアは呟いた。
「そんなに僕が嫌いか?……汚い僕には近付くのも嫌か?」
 今度は、聞こえるようにハッキリと。
「え?」
 アルミネの動きが止まる。
「…違ったかな?」
「……イクシアさん……そんな…私は…」
 困ったように振り返ったアルミネに、イクシアは言った。
「僕は嫌いだよ」
「え…」
 アルミネの瞳が見開かれる。だがそれは、初めて聞いたような驚きの様子でも無かった。
「僕は、君みたいに綺麗なものしか知らずに生きている生き物は…大嫌いだ」
「あ…………」
 イクシアの自分に対する感情は知っていたアルミネだが、それを口に出して言われた事で彼女は酷く傷付いた表情を浮かべた。誰からも好かれ、愛されたことしかない天使にとって『嫌われる』という感情は、慣れていないものなのだ。
 イクシアはそんなアルミネの様子には構う事なく、続けた。
「君達天使はいつだってそうさ…いつも上から人を見下している。そして危険の及ばない安全な所で、手を貸してやったという事実を恩着せがましく振うんだ。自分に余裕があるから、その余裕分だけ余興に人間の手助けをしているに過ぎないだろう」
「そんな…そんなつもりで私…」
 そんなつもりで人間達を…アルスを助けているのではない。だが、ここ数日戦線に出ていないアルミネには何も言う事が出来ない。アルスに君は戦線に出なくても良いと言われ、皆が戦っているだろう間アルスと共に過ごす時間を楽しいと感じていたアルミネにとって、安全な場所にいたと言われても何も言い返せない。
「そうだろう。自分が人間よりも下だと思ったことがあるか!?ないだろう!」
「下…ですか?」

 そんなことなど考えた事も無い。考える必要などないと思っていた。ただ人間と仲良く接する事ができれば、幸せだったし楽しかった。
「えっと…どっちが上とか下とか、そういう事って人間達と仲良くするときにはそんなに重要な事じゃ無いと思うんです。それに…」
 アルミネの言葉を聞いて、イクシアは瞬時にその言葉を遮る。
「…重要じゃ無い、だって!?」
 そして、イクシアは馬鹿にしたように笑った。
「君達天使は本当に馬鹿だよ…自分に対する扱いが普通だと思っているのか?…自分が特別な扱われ方をしている事に、気付いて無いのか!?」
「え…?」
 アルミネはただ狼狽えるだけだ。
「人間は天使に好かれたくて仕方ないのさ。自分達には持っていない、綺麗なモノだからね…だから好かれようと必死に努力している。君は人間のそんな一面しか見た事がないんだろう」
「イクシアさん?何を…いっているんですか?」
 イクシアの言葉が、アルミネには理解出来ない。
「何を言ってるか、だって?君の知らない真実ってやつを言っているんだよ僕は…!君はそんな事にも気付けない馬鹿な奴だっていっているのさ!」
「そんな…」
 アルミネの瞳が悲し気に揺らぐ。
「人間達も馬鹿さ。そんな天使を崇拝し、憧れを抱くなんてね。人間なんてのは本当に調子が良い猾い生き物だからさ…」
「ち…違いますイクシアさん!」
 人間の事を悪く言われ、それまで言葉を受け止めるだけだったアルミネは初めて強く反論した。
「彼らはとても純粋で弱い者よ、だけどその内側にはとても綺麗な輝きをした魂をもっていて…」
 その輝きが、天使を惹き付けるから。だからアルミネは人間が大好きなのだ。
「だからそれが!!」
 だが今度は、イクシアが声を荒げ反論する。
「それが、君は人間の事を何も知らないっていうんだ…!!」
 アルミネのそういう所が、イクシアには許せないのだ。人間を綺麗な存在と言い切るその精神が。
「人間は君に対して自分の良いところしか見せようとしない!君は人間の良い部分しか見た事が無い!君はしらないんだよ!人間がどれだけ醜くて非道な生き物かをね!」
 ちやほやされて、もてはやされて、それが人間と接する天使の常。その裏に人間がどんな感情を隠しているかなど、天使が知るよしもないだろう。普通の天使であったなら。
「そんな…っ、私だって、知ってます!」
 だが、アルミネは違った。アルミネは読心の能力を持った天使なのだ。
「綺麗なだけが人間じゃないわ!人間は迷いも悩みもたくさんもってて…だけどその奥に芯の強い魂が…」
 アルミネはアルスの中にあった感情を思い出し、イクシアに言い返す。読心で見たアルスの心の中は、悩み、迷い、後悔で渦巻いていた。その悩みや迷いは、決して綺麗なものだけではない。だがその奥に必死にそれらを乗り越えようとする強い輝きを秘めていたのだ。このアルスの心の中というのはアルミネしか知らないはずのもの、イクシアには見た事の無いもの。アルミネは人間の弱くて醜い部分をちゃんと知っている自信があった。イクシアよりも知っていると、アルミネはそう信じていた。この瞬間までは。
「魂の輝きがなんだって?そんな事を言ってるんじゃ無い!いいか、人間なんて生き物は…!」
 立ち上がったイクシアが少し乱暴にアルミネの手を掴んだ。
「きゃ…」
 そして、唐突に流れ込むイクシアの心。彼の、記憶。

うわっ融機人だ出ていけバケモノこっちくんな気味悪い模様晒してんじゃねぇよ僕も石投げようっと融機人はケツで充分いけるぜ男でも問題ねぇスクラップかそりゃいいやうるせぇよ黙れ融機人がすっげやっぱ融機人の孔サイコ〜淫乱雌豚一族だな嫌とか言える立場じゃねぇだろ融機人

人間様に逆らう気かこの機械人形め!!

「あ……」
 イクシアが先程まで人間に何をされていたのか、何を言われていたのか、今までどんなふうに扱われていたのか…それがアルミネの心に一気に流れ込む。イクシアだけではなく、過去の融機人の記憶に遡り人間達に与えられて来た暴力、屈辱、恥辱、非道の数々。憎悪、殺戮、略奪…日常的に平然と行われる融機人への虐待の数々。アルミネの知らない、 決して天使達には見せる事のない、もう一つの人間の姿…醜くも恐ろしい、人間の姿。
「きゃあぁッ!!!」
「なっ…!?」
 アルミネはイクシアを突き飛ばすように自分から離すと、腰が抜けたようにその場に座り込みガクガクと震え出した。
「嘘…よ…こんな…」
 アルミネは知らなかった。人間というものが…どんな生き物なのか。
「…………また、か」
 イクシアはそんなアルミネを見おろすと、呆れたように溜息をついてベッドに座った。
「君は、僕が触れるといつもそうなんだな。そんなに僕が嫌いなら…口で言ってくれた方がましだよ。無理に作り笑いなんか浮かべてないで、君も僕が嫌いだってハッキリ言えばいいじゃないか…人間達みたいに、さ」
「あ……あぅ…あ…ぁ…」
 アルミネは今見た光景があまりにも衝撃的すぎて、声にならない。今見た光景は、天使の知らない世界ばかり。肉体的接触を持たない天使にとって肉体の交わりの光景というだけでも衝撃的だと言うのに、それに輪をかける血と暴力。こんなことを人間がするなんて…自分の大好きな人間達が…こんなことを…。
「ちが…う…違う…の…っ」
「偽善はいらないんだよ!蔑みたければ蔑めばいいだろう!?天使様は融機人なんかと口も聞きたくない、私に触るな、ってね!」
「違うのイクシアさん…わたし…!」
 必死に何かを訴えようとしたアルミネの瞳から、ぽろぽろと涙が零れ落ちた。
「な…!?」
 その涙に、イクシアが怯む。
「な、何も泣く事はないだろう……?」
 仮にも、女の子だ。泣かせて気持ちの良いものじゃ無い。
「………」
  イクシアの良心がイクシアのいら立ちを静めさせる。
「少し…言い過ぎたよ…」
 いくら怒鳴っても罵っても、アルミネはかわらずへらへら笑っているものだとイクシアは思っていた。まさかこんな人間みたいに泣くなんて予想外の出来事で、少し戸惑ってしまう。
「ちがっ…違うんです…私…この涙は……」
 アルミネは小さく嗚咽をあげながら、涙を必死に拭き取ろうとした。
  バタン!
 そして、タイミング悪くそこにアルスが戻って来てしまう。
「イクシア、お湯が丁度いい温度に…」
 部屋に戻って来たアルスはその光景を見て言葉を止める。
「アルミネ…!?」
 彼の目にうつったのは、イクシアの足下に座り込み泣いているアルミネの姿。
「どうしたんだアルミネ!?」
 座り込むアルミネに駆け寄ると、アルスはイクシアを見上げた。
「……イクシア…?」
 疑惑の視線をアルスに向けられ、唇を噛み締めたままイクシアは二人を見つめていた。どうみても、イクシアがアルミネを泣かせた光景。弁解のしようがなかった。実際、泣かせる程の言葉を浴びせた自覚があるイクシアには上手い言い訳など思い付くわけもなく。
「ぼ…僕は…、ただ…」
 さきほどまで愛しているといってくれたアルスの責めるような目線が、イクシアの言葉の語尾を小さくさせた。
「………」
 疑惑を含めたアルスの視線がイクシアを見つめる。
「違うの、イクシアさんのせいじゃないわアルスさん…わたしが、勝手に泣いているの…」
 その視線を否定したのはアルミネだった。
「貴方まで…イクシアさんを責めないで」
「え?」
 アルミネは自分で立ち上がると、ごしごしと目もとを擦る。
「ほら、もう大丈夫です!ね?笑顔!」
「…………」
 アルミネはそういって二人に笑顔を見せる。
「でもアルミネ…」
「わたし、すごいビックリしておもわず涙でちゃっただけなんです」
「へ?」
 あまりに突拍子もないアルミネの答えにアルスが面喰らった。

「急にイクシアさんに後ろから肩叩かれたから… ほら、御飯がおいしいとか景色が綺麗とかですぐポロっときちゃうじゃないですか?それと同じなんです!ビックリしてポロッときちゃっただけですから!」
「そ…そうなの?」
「はい!」
 アルミネはさっきまで泣いていたとは思えないような笑顔でアルスに笑いかける。アルミネが例にだしたポロッとくるポイントはいまいちよくわからないが、悲しかったのならこんなにすぐには笑顔に切り替えられないだろう。
「そっか…なんだ、びっくりしただけなんだ?こっちもびっくりしちゃったよ」
「えへへ…驚かせてごめんなさいアルスさん」
 照れ笑いするアルミネに、アルスも笑顔で答えた。ただひとりイクシアだけは表情は硬いままに。そんなイクシアにアルミネが気付き、アルスに声をかける。
「あ、ほらぁ、アルスさん!ちゃんとイクシアさんに謝って下さいよ?」
 アルミネの言っている事が本当なら、イクシアはまったくもって無罪だ。アルスはイクシアを疑うような行動をとってしまった事を思いだし、いつものように反省顔になってイクシアに素直に謝った。
「あぁ…そっか、ご、ごめんイクシア!…そうだよね、君がそんなこと、するわけないよね?」
「…………」
「そうですよぉ!さ、アルスさんもイクシアさんも仲直りですからね?」
「…………」
 イクシアは目の前の茶番劇のような光景を冷めた視線で見つめていた。すっかりアルミネのペースで流れていく空気と、それに流され、とてもいい顔で笑うアルスの姿。
  …自分は、あんなふうにアルスを笑顔にする事ができるだろうか。
「……っ」
 ザワ、とイクシアの中で黒い感情がざわめいた。やはりそうだ、この感情は、アルスがアルミネといると生じる黒い渦。イクシアはそれを確信した。原因が、全てアルミネなのだと。
 この感覚は酷く不快で、気分が悪い。こんなものを長く抱いていたら…おかしくなってしまう。
「……湯が丁度いいんだったな、僕はバスルームにいってくるよ」
 まるで自分の事などもう忘れてしまったかのように、アルミネと楽しそうに笑いあうアルスに恨めしそうな視線を送り、二人の横を掠めイクシアはその場を逃げるように立ち去ろうとした。
「あ、イクシア、大丈夫?一人じゃ歩けないだろ?」
「大丈夫だよ…」
 まるで、君の事を忘れたわけじゃないよ?とばかりにタイミングよくかけられるアルスの声。それがなんだかとって付けたようで、素直に受け取れずイクシアは強がった態度を見せる。
「…ぁ!?」
 だが一人でふらふらと歩いていたイクシアは、脚がもつれてよろけてしまった。
「あぶない!」
アルスが伸ばした手の中に、イクシアが飛び込んで来る。
「はら、いわないことじゃない?」
「………」
 労るように優しく抱き起こし、微笑むアルスにイクシアは目線をあわせられなかった。アルミネが作ったその笑顔を、見つめる事が出来なかったのだ。この笑顔は自分に向けられているものでは無い。アルミネによってアルスに与えられた笑顔。ただその延長で、自分に向けられたに過ぎない。
「少し…一人にさせてくれ…」
「…イクシア?」
 イクシアはアルスの手をそっと払うと、バスルームに消えていった。


 

 

→next

 

 

2008.10.19

戻る