いつの日か
あの客人が来てから、守護竜様は変わられた。
それまでは、落着きのある穏やかな気質でいらっしゃったが
いささか感情に起伏が無く退屈そうに見受けられた。
あの客人が来てから…よく笑うようになられた。
以前よりも活き活きと元気になられていたのではないかと思う。
客人は、龍人だった。
守護竜様にとっては、自分に近い同族が大層心和む存在であられたのだろう。
だが、それは同時に
守護竜様が我等御使いよりも、あの客人を愛でている事に他ならない。
兼ねてよりこの身尽くしてお慕い申し上げている我等御使いよりも、
突然ぶらりとこの地に現れた、あの龍の若君を。
「オレは…あいつ、好きじゃ無い!」
我が妹アロエリは、ハッキリとものをいう娘だった。
守護竜様を人一倍お慕いしていた妹の事だ、
突然、守護竜様を横取りでもされたような気分になっているのだろう。
解らない感情ではない。
だが。
「そのように申すな妹よ。貴人は守護竜様に一番近い身であられる龍人の若君だ。
同じ竜の流れを組むものとして、通じるところがあるのであろうよ」
御使いの長としての発言を俺は強いられる。
誰に強いられるでもなく、自ら強いる。
「でも、オレはあいつがこの城にいつまでもいる事に納得いかないんだ!」
そういって妹は飛び出して行った。
俺は止めなかった。
ひょっとしたら、賛同していたのかもしれない。
長である立場上そう発言する事が出来ぬ変わりに
妹の感情を黙認していたのかもしれない。
その後、妹が客人に手合わせの勝負を申し込んだという事をリビエルからきいた。
事実上、手合わせと称した決闘だ。
まったく我が妹ながら血の気の多い。
馬鹿な事をと思い、妹をきつく叱りはしたが、
俺はその手合いを取り消すように、とはいわなかった。
もしかしたら、客人が妹に負かされる様を 見たかったのかもしれない。
「…本当に、するというのか?」
「黙れ、オレはお前のように男のクセにヒラヒラしたやつが大ッ嫌いなんだよ!」
飄々とした様子で扇子片手に笑っている客人と、
不満を爆発させている我が妹。
妹は、我が妹ながら本当に強い娘である。
このラウスブルグの娘の中ではまぎれもなく最強だ。
俺はおそらくこう思っていただろう。
あの客人も少しくらいは思い知るが良いと。
だが、大事な守護竜様の客人に怪我をさせるわけにはいかぬ。
それなりに妹の気を晴らせてやった後、
丁度良い頃合をみて仲裁に入れば良いと、おそらくそう思っていた。
「覚悟!」
「やれやれ…仕方のない…」
勝負は、一瞬で着いた。
「…な、に…!?」
弓に手を駆けたまま、我が妹は身動きを取れずに硬直していた。
その身に、いつのまにか貼られていた一枚の札。
呪縛の封印、札縛りの術。
「ひ…卑怯だぞ!こんな…っ」
「ほぅ…弓で遠くから射らんとするのは卑怯では無いというのか?」
「ぐッ…」
妹の言葉を軽くあしらい、売り言葉に買い言葉。口も相当達者のようだ。
この勝負、我が妹の負けだ。
相手が上手すぎたのだ。
「いかがする?まだ…続けるか?」
扇子を仰ぎながら笑っている客人に、妹の怒りは爆発する。
「あ、あたりまえだ、卑怯だろこんなのは!術抜きでオレと戦え!男らしくないぞ!?」
戦士たるもの、その己の肉体の強さのみで勝負をしたいのが性分だ。
だが、あの客人の外見はどうみても術者系統とお見受けする。
妹の気持ちもわからないでもないが、術者に術を使うなと言うのは如何せん、
ここは潔く戦士として負けを認める事も覚えなくてはならないと言うのに。
まだ未熟な妹にはそれが出来なかったようだ。
「…そこまでいうのであれば、あいわかった。術は使わぬよ」
だが客人は、そんな妹の売り言葉を、受け入れた。
妹の術を解き、呪縛を解除する。
「…いい度胸だ。お前も男らしさが少しはあるのだな?」
妹は、弓を置くと槍に持ち替える。
弓を卑怯と言われた事が、屈辱だったのだろう。
「お前も得物を選べ」
「いらぬよ」
「何?」
「我はこの身一つで充分だ」
余程の余裕か、単なる考え無しか。
客人は扇子を仰ぎながら笑ってそう言った。
「女だからと馬鹿にするなよ…!!」
その様は妹を腹立たせるには充分すぎたもので、
妹は怒りに任せ槍を構え客人に突進した。
「てぃ!せいッ!はぁッ!」
妹の渾身の突きを右に左にヒラヒラとかわす客人。
さながら舞を踊っているかのように。
「貴様っ!いい加減逃げてばかりいないで戦え!!この弱虫!」
一向に手をださない客人に苛つき煽る妹に
客人は困ったように苦笑した。
「やれやれ…女人を傷つけるのは好かんのだが…致し方ない!」
そういってパチンと扇子を閉じ帯に挿すと、
すぅ…と息深く吸い込み、ゆらりと拳を前方に構えた。
「!」
あの構えはーーー
「アロエリ!気をつけ…!」
思わず叫んだ俺の声より早く、勝負はやはり一瞬だった。
「…か…はッ…」
槍が地面にがらんと落ちる。
「アロエリ!!」
妹が地面にどさりと倒れる。
「少々、力が入り過ぎたか…骨の2、3本いったかもしれぬな」
素早い一撃だった。
一瞬で『気』を練り、迫るアロエリの腹部にその拳を叩き付けた。
メイトルパの獣人達が使うパワーに任せた戦闘法とは異なり、
これは『気』の流れを利用し己の力を増幅させる
シルターン独特の、気巧を用いた武道による戦闘法だ。
妹はそれを見た事がなかったのだろう、
見知らぬ技に対処できず、そのまま直に食らってしまったのだ。
「もう勝負はあった、この勝負は客人のものだ。良いなアロエリ?」
「う…うぅ、くそ…」
悔しそうに呻くも、自分でももう叶わない事を悟ったであろう。
痛みと無念でぐったりと床に伏した。
「リビエル、頼んだぞ」
自業自得とはいえ、可愛い我が妹。
…苦しむ姿を見ていたくは無い。
「えぇ、ここはわたくしが…」
回復術に長けたリビエルが 蹲る妹にかけよろうとするも、
先客の動向に動きを止める。
「そなた、大丈夫か?」
妹の傍には屈み覗き込む客人。
「う、うるさい!貴様の勝ちだ!敗者に情けなどかけるな!オレは…」
かけられた声にさえ、妹はまだ喰って掛かっていた。
本当に未熟な妹よ。
だが客人は、そんな妹の態度など気にせず話し掛ける。
「そう呼吸を乱すで無い。さぁ、息を大きく吸うのだ」
「な…」
「我の唇を見よ。我の呼吸にあわせるのだ」
身体を捕まれ、顔を向かい合わされる。
打撃を受けた妹の腹に、客人の手があわされる。
「なッ、何をする貴様……っ」
「いいからあわせよ!」
「っ…!」
怒鳴るようにいわれ、妹はいわれるがまま呼吸を整えていた。
強制的に見つめあわされたまま、何時しか二人の呼吸が揃った時、
妹に添えた客人の掌から、暖かい気が迸り妹に流れ込む。
「これは…?」
「間違い無い…ストラ、ですわ」
みたことのない回復術だった。
攻撃だけではなく、回復に気の流れを応用したもの。
「相当武術に長けたものでなくては使いこなせないものですわよ…」
「…………」
先程の戦闘でも、相当の使い手だということは理解できた。
しかも、あれぐらいが本気ではないだろう。
この客人、飄々とした風貌の中にそうとうの戦闘力を隠し持っている。
間違い無い。
「さ、もう良いぞ」
傷が治癒すると、客人は気の流れを止め人の良い笑みで妹に笑いかけた。
「…………」
妹の顔が、赤くなって見えた気がした。
「き…ききッ…気安くオレに触るな!」
「それだけ元気ならもう大丈夫であるな?
それでは我は城にもどらせてもらうぞ?」
「か、勝手にしろ!」
慌てたように客人の手を払い除け、逃げるように空ヘ。
どうしたことか礼をいう事すら思い付かぬ程に動揺しているようだ。
「まぁ…アロエリったら、もしかして、もしかするのではありませんの?」
呟くようにリビエルが何か言ったが、俺には意味がよくわからなかった。
だがあれだけ勇んで空を駆けているところを見ると、
もう傷の方は完全に回復しているようだ。
たいした術だ。
「…面白い」
俺は、妹では無く
客人の後を追った。
「妹が、迷惑をかけた」
客人は、城の中庭に面した廊下で庭を眺めていた。
「手を抜いて頂き感謝する」
「…なに、構わぬよ」
たいした事でもないというように、余裕のような笑みで笑う。
いや、ような、ではない。余裕なのだろう。
…面白い。
「貴殿と、戦ってみたくなった」
気づけば俺は、そんな事を口にしていた。
客人は少々驚いた様に瞳を数度瞬かせ、そして笑い出す。
「はっはっは、我ではラウスブルグ最強の戦士殿にはかなわぬよ」
その笑いが少し勘に触る。
「そのようなことはないだろう?」
俺の目はごまかせない。
「俺が戦いたいのは、本気の貴殿だ」
「…………」
笑いを止めた客人は、扇子を口元に当て妖しげに微笑した。
「……やめておいた方がよいぞ?」
ピリ、と空気が警告するように張り詰めた。
だがそれは逆に、俺の戦闘意欲を、昂ぶらせる。
このラウスブルグで既に適う者のいなくなったこの俺に
これだけの威圧をかけるこの男。
武者震い。
「…クラウレだ」
俺は庭に出ようとする客人の進路を遮るように立つと、
客人を正面から見据えて言った。
「俺の名前はクラウレだ、セイロン殿」
俺を、見ろ。
俺という人物を。
俺はこのラウスブルグ最強の戦士、クラウレだ。
「………」
しばし沈黙していた客人は、口元を緩ませると、口を開いた。
「『殿』はいらぬよ、クラウレ?」
セイロンは、その時初めて俺を見た。
御使いの長ではなく、俺を。
「いつか…本気のお前を負かすぞセイロン」
これは宣戦布告。
この地にお前がいくら留まっても、もう構わない。
好きなだけいるがいい。
だが、留まっていると言うならば
いつか俺はお前を負かし、名実共にこの地の最強の戦士となろう。
その挑戦を受ける覚悟は常にしておくが良い。
「…やってみるがよいぞ?あっはっは」
扇子片手に愉快そうに笑う男につられ、
俺も、笑った。
あのような形でお前と本気で戦う事になろうとは、
この時はまだ、思いもしなくて…。
end
セイロンがラウスブルグに来て間も無い頃のお話。
最初絶対皆と衝突してたと思うんだよね、若様あんなだし(笑)
2007.02.10