巡る時の歯車
(終ったのだな…)
あまりにも色々な事があったその場所に、セイロンは一人佇んでいた。
「………」
かつての守護竜が座した椅子にそっと手を滑らせる。瞳を閉じると、かつての姿が思いだされるようだった。優しく、美しく、寛大な『守護竜殿』。その偉大な姿が次から次へとセイロンの脳裏に思いだされる。
明日、セイロンはこの城を発つ。先代守護竜に託されし遺言を果たし、城は役目を復活させ、平穏を取り戻した。もはやここに己の止まる理由は既になくなっていたのだ。もともとここに留まったのも、一時的なつもりが思いのほか長引いてしまったというもの。セイロンが本来果たさねばならない使命は、まだ果たせていないままに。
ここでの生活は楽しかった。平穏な時は、楽しいものだった。客人として招かれ、そして寵愛を受けた。課せられた使命の疲れを癒してくれる楽園のようであった。そのような時間が絶たれてしまった始まりも、今自分の立つこの場所で。
あの時、力ずくにでも止めれば良かったのではないかと、セイロンは何度も自分に問いかけた。だがわかっている、それではあの方の意志は尊重されない。そんな事をしても、あの方は喜ばない。むしろ、全てを受けとめ賛同してくれる事をセイロンに強く望んだだろう。そう思ったから…賛同したのだ。
(そうだ…我はあの時、あの方の命よりも…愛される己を選んだのだ)
己の我を通してあの方を生かし悲しまれるよりも、あの方の記憶の中で、最後まで愛されていたかったから…。
ふぅ、と溜息をひとつ吐くと、セイロンは椅子から手を放した。思い出ばかりに浸っているわけにはいかない。すべては終った事なのだ。この事を胸中に留め、先に進まねばならない。
行かねばならない、本来の使命を果たしに。
「…セイロン」
突如、背後より名を呼ばれる。
「あぁ…御子殿…」
そこにいたのは、コーラルだった。
「『御子』じゃない…『守護竜』だよ?」
「おぉ…そうであったな、これは失礼」
先代の能力を継承し、ラウスブルグのあらたな守護者となったコーラルは、幼いながらももう立派な守護竜としての役割を果たしていた。姿こそ子供だが、その知識も能力ももう一人前なのだ。
「立派な大人に対して御子は失礼であったな、守護竜…殿…」
『守護竜殿』…そう声に発して、セイロンは表情を曇らせる。かつてそう呼んだあの方と、同じ発音のその言葉に。もう一度その名を呼ぶことになるとは、と。
「だから…違うよ」
コーラルは表情を曇らせたセイロンに近付くと、セイロンの袖を掴んで引っ張った。
「『守護竜』…だよ」
「?…えぇ、わかってますとも。ですからそうお呼びして…」
「そうじゃなくて…!」
まるで駄々をこねるようにセイロンの袖を引っぱりながら、コーラルはちょっと困った様に考え込み、そして瞳を閉じた。
「だから…」
そして再び瞳を開くと、コーラルは大人びた口調で言った。
「ですから…『私』ですよ?セイロン…」
「ーーー!!!」
セイロンの全身に鳥肌が立つ。その口調、声色、その視線。驚いてコーラルを見つめたセイロンの瞳に、幼い竜の子の背後にゆらりと漂う高貴な幻影が映る。
「な…、あ…ぁ…」
口を開けど、言葉が何も出て来ない。諤々と顎が震え、言葉にならない。腰が抜けたように床に座り込んだセイロンは、コーラルの脚に触れ、手に触れ、肩に触れ…そして、その頬にそっと触れる。幼い器のその身体、だがセイロンには、最早その姿はそのようには映っていなかった。セイロンの瞳に映るのは、愛しくもお慕いする、あの人の姿。
「ようやく…気がついてくれたようですね?」
「そ…そんな…なぜ…いつから、そんな…」
ずっと傍にいたはずだった。卵となり脱出した後、再会してからずっと。こんな姿は、いままで一度も見た事など無い。こんなふうに自分に話し掛けてきた事も、いままで無かった。それが今、突然に。
「『継承』ですよ」
穏やかに微笑む面影は、まさしくその人のもの。コーラルは静かに語り出す。
「最後の遺産を継承した時…私は全てを知りました。いいえ、本来の『私』に戻ったのです。そして思いだしました…私がかつて何を考え、何を志し、そして…」
コーラルの小さな手がセイロンの頬を優しくなで、そっと口付ける。
「何を…愛していたのかを」
「…!」
かつてと同じ暖かさ。間違い無い、間違えようが無い。紛れも無くこのお方は…。
「今までよく頑張りましたねセイロン…偉かったですよ…?」
「…っ護…竜…どの…ッ」
セイロンはコーラルの小さな胸に顔を埋めると、幼子のように声をあげて泣いた。
「守護竜殿…!守護竜殿ぉ…!」
小さな身体に縋り付き、泣きじゃくるセイロンの頭をコーラルの小さな手が優しく撫でる。
「辛い思いをさせましたね…」
愛しげに髪を撫で、角を撫で、その頭を胸に抱く。 蘇った記憶の中でも一際強く輝いていた存在、紅い龍。我侭な最後の望みを否定する事なく黙って聞き入れ、押し付けがましい程の遺言を必死に果たそうとしているその姿を…ずっと、ずっと傍で見てきた。常に率先して皆の指揮をとり、時に非情に、時に己を卑しめ、託された遺言を果たすその為だけに、彼は傷付き悩み苦しんでいた。それはどんなに重く、辛い事であったろうか。この幼く未熟な龍人にそれを押し付けてしまった不甲斐無さを呪い、そして、深く感謝した。
「…しかし…なぜ、なぜ今なのです…思いだして下さったのなら、なぜ今まで…ッ」
ようやく落ち着きを取り戻したセイロンは、愛しいその胸に顔を埋めながら拗ねた様にそう言った。継承をした時に思いだしたのなら、その時に既にかつての記憶が戻っていたと言う事だ。記憶が戻っていたのなら、なぜ今のこの瞬間までそれを黙っていたのかと。
「それはですね……『ボク』が…コーラルだから」
「!?」
急に口調が幼くなり、顔をあげたセイロンの瞳に映ったのは、見なれた御子の姿。
「お父さんの前…変わりたくなかった……だから…」
「そう…でしたか……」
継承したことで自分が全くの別のものになってしまい、今まで自分を慈しんでくれた人が自分を見る目が変わってしまうことが、嫌だったのだ。その思いが、全てを思いだし『守護竜』となった後も『コーラル』を共存させ、彼らの前では『コーラル』を優先させていたのである。彼らの前で『守護竜』を出す必要は、無かったのだ。
「それに…」
コーラルが再び大人びた笑顔で微笑む。
「あなたも…こんな姿を彼らに見られたくはなかったでしょう?」
「!!」
小さな子供に縋り付き泣いていた自分の姿を思いだし、セイロンの顔が赤く染まる。コーラルはくすりと笑うとそんなセイロンの頭をまた撫でた。
「愛しくて、懐かしくて…その姿を視界に入れた時には、すぐにでも抱きしめてしまいたい程でしたよ」
「そんな…あれからずっと…『守護竜殿』は、御承知の上で我を見ておられたのですか?…意地が悪いですぞ…っ」
ふふっと笑うとコーラルは少し拗ねた様子のセイロンをあやすように撫で続ける。
「でも、本当は…」
撫でていた手が、静かに止まる。
「貴方の前にもう姿を現さない方がいいのかもしれない、と思っていたからなんです」
「…え…?」
コーラルは穏やかに微笑みながら、語り出す。
「私を失った事で、貴方はとても強く、逞しく振るまい続けていました。私が居た時とは比べ物にならない程に」
「………」
「貴方だけではありません、リビエル、アロエリ、そして…クラウレ。彼らも皆、私を失う事で成長し強くなっていったのです。私が姿を現す事は、その強き思いを揺らがせてしまう事になるでしょう」
コーラルは少し淋しそうに、しかし嬉しそうに微笑む。
「必要なのは、新しい守護竜であり、もう…私では無いのです」
悲しみを乗り越え、幼き竜を支える為に己が出来うる最大限の役目を果たそうとする御使い達。必死にラウスブルグ再建の為に働いている。 新しき守護竜、コーラルの為に。
「私が姿を現せば、懐かしさに甘えも生じましょう。ですから、私は彼らの前向きな姿勢に水をさすような事はしたくないのです」
必要なのは、過去では無く未来なのだ。過去を乗り越えた者達を、再び過去に戻す必要は無い。
「……では…なぜ、今このように…?」
しかし、そう言いながらもセイロンの前にだけ、その姿を再び現した守護竜。姿を現せば甘えが生じ心が揺らぐと知って、なぜ、セイロンの前にだけ現れたと言うのか。
「えぇ…貴方の前にも現れないと、心に決めていたのですが…ね」
コーラルの腕がセイロンの頭をきゅっと胸に抱きしめる。
「淋しげな貴方の後ろ姿を見ていると、抱き締めずにはいられなくなってしまいました…私も、まだまだ未熟です」
コーラルは幼い器で照れ笑いをすると、セイロンに愛おしげに口付けた。
「それに…貴方には私が心配していたような事はないようですしね…?」
「守護竜殿…」
その口付けを心地良さそうに受けとめながら、セイロンは満ち足りたように頷いた。
「我は…明日ラウスブルグを発ちます」
「……えぇ」
そう言うとわかっていたように、コーラルはゆっくりと頷いた。
姿を見せても、もう揺らがないとわかっていたから。
「任ぜられた命を果たし…役目を終えたその時は…」
言葉を止め、上目遣いでコーラルを照れたように見上げるセイロンに、コーラルはもう一度ゆっくりと頷いた。
「……是非、立ち寄って下さいね…待っていますよ?」
「……はい!ありがとうございます…」
その言葉にセイロンは嬉しそうに微笑むと、恭しく頭を下げた。
「次にお会いする時には…至った者同志として…!」
「えぇ…」
かつて至る事への迷いと不安を抱いていた幼子の見せた決意を前に、コーラルはまた満足そうに頷く。
この子は今回の事で一段と大きくなった。本当に強くなった。それが、嬉しかった。
「それでは私も、次に合う時までには…」
そっとセイロンの耳に口を近付け、コーラルは囁く。
「再び貴方を満足させてあげられる身体になりましょう」
「!…しゅっ…守護竜殿ッ!」
セイロンの顔が、一気に真っ赤になる。それを見てコーラルはくすくすと笑った。
「ふふ…冗談ですよ」
あやすように口付け、セイロンの髪を最後にもう一度だけ撫でる。
「さぁ、そろそろ時間のようですね。こちらに誰かが向かっているようです」
「………守護竜殿…」
セイロンは離れようとするコーラルの腕を掴み、自分から口付ける。それはほんの一瞬でありながら、永遠とも思える程の静止した空間。
「お元気で」
頷くコーラルは、幼い表情で微笑んだ。
翌日。楽園を去る一人の龍人の姿があった。
迷い無く、躊躇い無く、振り返らず。
その背中を、小さく暖かな微笑みが、いつまでも見送っていた。
end
コーラル×セイロンです。
御子×セイロンはコーラル以外では今のトコ考えられません。
ていうかほとんど先代×セイロンなんですがね。
これも魅夜の中でははずせないCP。
絶対記憶継承で全部思いだしてるって先代様。
セイロンとあんなことやこんなことした事とかっ!(笑)
でも周りの状況判断してずっと黙ってたんだと思うな。
だからセイロンと二人っきりとかになっちゃうと、
我慢できなくなっちゃうんだよきっと(笑)
そしてセイロンを子供扱いするコーラル!
そんな己の妄想に激しく萌えた(痛)
若総受の野望作品、御子×セイロンでした。
2007.03.04