失楽園
act:6 無くした破片
「…………」
目が覚めたセイロンは、暗い牢獄に入れられていた。城の地下室だろうか。ここには来た事がない。いや、こんなものは無かったと思う。おそらくはギアンが反抗的な部下が出てきた時の為に新たに作らせたものだろう。
「我は…生きておるのだな…」
死んだものだと思っていた命が其処に有り、セイロンは覇気の無い瞳を瞬かせる。
「…そうだ」
ぽつりと呟いた独り言に、誰かが返事を返してきた。
鉄格子の向こう側には、槍を携えた有翼の姿が逆光に照らし出される。
「随分と堕ちたものだ」
馬鹿にしたように聞こえる口調に、セイロンは影を睨みつけた。
「そなたに言われる筋合いはない…!」
言われたくは無い。仲間を裏切り先代に受けた恩義を仇で返すような、この男にだけは。たとえ今の自分が情けなくも捕われ、動けない身体だとしても、この男よりはまだましなつもりだ。
「下らない考えは捨てろ」
「…何…?」
格子の向こう側の声は、囚われの龍に問いかける。
「俺が憎いのではないのか」
「…憎いぞ…心底憎いと思っておる…」
その問いに答えると、更なる問いが重ねられた。
「守護竜の仇を討つのではないのか」
「いわずもがな…!」
「竜の子の成長を見届けるのではないのか」
「っ…!!」
続けざまにかけられた問いで自分に託された全ての事を思いだすように、セイロンは瞳を伏せ唇を噛む。
「………貴様に言われる筋合いなどない…!」
守護龍の仇、御子の平和な未来、御使いの次席、そして、本来の使命。自分の背負う多くのものがセイロンの思考を埋め尽くす。こんな形で想い絶たれる事は、それこそ最大の恥辱。自分を信じ思いを託したあの方との約束、自分を信頼しこの世界に遣わさして下さったあの方との約束、そして必ずお守りすると…御子とかわした約束。自分には多くのやらなければならない事が残されている。目の前の障害に心乱し、こんなところで、こんなことをしている場合などでは無いのだ。
「我は…約束を果たさねばならぬ」
何としてでも現状を乗り切り、仇を討ち、御子を護る。護らねばならない。その為には、死ぬわけにはいかない…何があってもだ。たとえどんな苦汁を舐めようとも。
「我は…そなたを殺すまでは絶対に死なぬぞ…!」
自分を陥れたその男。あの方を裏切った憎むべきその男を、仇の一つとして。
気高き龍は、皮肉にも憎むべきその声に、もう一度瞳の輝きを取り戻させられる。
「フッ……そうしろ」
そう言い残すと、その人影はセイロンに背を向ける。まるでその答えを聞いて安心したように。その答えをきくまでは動けなかったとでも言うように。
その影が動くと、冷気がすぅとセイロンの所に吹き込んできた。
「!」
階段から直に下る空気の流れが、セイロンのいる場所に直接ふきこんできたのだ。先程までは、そこに人がいたので直接受ける事はなかったのだが…。
「……そなた……ずっと其処におったのか…?」
「………」
答えないその背中は、その声を無視するように遠ざかる。
「クラ………」
その遠ざかる人影を見つめ、セイロンは何かを言いかけて…口を閉ざした。
「いたか?」
「…いや…」
「くそっ…!」
「………」
方々歩き回っても、探し人の姿は無く。行き先を告げずに姿を消したその人を、見つける事が出来ない。
「…たく、どこいったんだよッ!」
ライが苛立ったように地面の草を蹴る。必死に探す仲間達に混じり、一人無言でその様を眺めていた侍が、皮肉混じりに呟いた。
「どうせこの辺りにゃいませんよ…もう無駄な事は止めたら宜しいじゃございませんか」
それは、必死に探す仲間達の精神を逆撫でするに十分な言葉。
「ちょっとシンゲン、何よその言い方!」
「それはあんまりだろ!?」
「焦る気持ちはわかりますけど、だからこうしてみなさんで探して…」
かけられた声をシンゲンは鼻で笑って言う。
「今更探してどうなるんです、あの人は自分で勝手に出て行ったんですよ?…自分は宿にでも戻ってゆっくりしたいものですがね」
「…シンゲンッ!」
「ライさんだめだよ!」
止めにはいらなければ殴りかかりそうだったライを、ルシアンが後ろから押さえ込む。
「ライ!あんたも落着きなさい!」
直接手こそださないものの、皆気持ちはライと同じだった。皆苛立ちを隠し切れない。だからといってここで仲間割れをしたところで何の解決にもならないのだ。
朝、皆が気がつくとセイロンがいなかった。御使い達も誰もその行方を知らない。まったく突然の事だった。御子をほったらかしにしてセイロンが消えるなど、考えられないのだ。何かがあったとしか思えない。皆がそんな不安を抱えている時に、シンゲンのこの態度だ。皆苛立ちを募らせるのも無理は無い。
「お前…本当は何か知っているんだろ?」
グラッドがシンゲンを睨み付ける。シンゲンはセイロンの隣室だ。何かあったとしたら最初に気がつくのはシンゲンだろう。
「だから、何度も申しているでしょう?…月を見にでていかれた、と」
だが何度聞いても、シンゲンはそれしか言わない。本当は、他に何か知っているような雰囲気を匂わせながら。
「いつまでふざけてるんだ?いい加減にしろ!本当の事をいえよ!知ってるんだろ?セイロンはどこにいったんだよッ!?」
その返答に、ライの怒りが爆発する。
「…ふざけてなどいませんよ。そう告げて行かれましたから」
嘘では無い。言われた事は嘘では無いのだ。
「でも、それが嘘だってのはわかってたんだろシンゲン!?」
こんな時期に呑気に月を見るなど正気の沙汰とは思えない。明らかな嘘。疑り深いシンゲンが不振に思わないはずがない。
「えぇまぁ」
「じゃあなんで止めなかったんだよ!?」
悪びれた素振りも無く、さらりと答えるシンゲンにライは怒りを露にする。嘘をついてまで不振な行動をとるセイロンを止めもせずに行かせた事に。
「………」
シンゲンは、ライの言葉に反論もせずに押し黙る。
「何か…言えよ!」
詰め寄るライとシンゲンの間に、誰かが割って入った。
「やめて…」
小さな両手を目一杯に拡げて、責められるシンゲンを庇うようにコーラルが立ちふさがる。
「…コーラル…!」
「シンゲンの言う通り……この辺り…セイロンいない」
以前、セイロンやリビエル達御使いを匂いで探し当てたのはコーラルだった。あの時は所持していた遺産の匂いの方が強かったのだが、遺産を手放したとしても守護竜に長く接していた御使い達の匂いはわかるらしい。特に、セイロンは龍人だ。自分に近いものを感じるらしい。そんなコーラルもまた、この辺りにセイロンの存在を感じず、この一帯の捜索は無意味だと感じたのだろう。
「…セイロンの匂い、感じないの?コーラル」
「違う…」
だがコーラルは首を振った。匂いが無いからではないのだと。
「この辺は…シンゲンが…もう、一通り探してるから…」
「!?」
驚くライ達と、そしてシンゲン。
「昨日…夜中に一人で探してた…でも、いなかった…でしょ…?」
コーラルがシンゲンの顔を見上げ、確認するように問いかける。
「………」
「そうなのか?シンゲン」
「何で黙ってたんだよ?」
答えないシンゲンに皆が問いかけるが、シンゲンはまだ何かを隠す様に黙ったままだった。
「これ…」
コーラルの手がそっとシンゲンの腹をさする。
「!」
皆には何のことかわからなかったその動きだが、シンゲンのみがそのコーラルの行動に驚く。
「いやはや、すべて御存知…とはね」
シンゲンはバツが悪そうに顔を顰めた。竜というものは、どうしてこうも人を見透かすものなのか。そう思いながらシンゲンは苦笑する。
「お察しの通り…みっともない失態の痕ですよ…」
シンゲンがそっと懐をはだけると、そこには真新しい痣がくっきりと鳩尾に刻まれていた。それはシンゲンがその夜、黙って彼を行かせたかどうかを刻んだ証。
「…情けない事に、自分にはどうしようもできませんでした…まったくもって面目ないです」
もう誰も彼を責める者はいなくなった。シンゲンも必死だったということは、その痣を見れば充分に伝わって来るのだ。知っていながら、わかっていながら止める事叶わなかった彼の気持ちは、誰よりも無念であろう。
「…結局、手がかりはなしか…」
だがそれがわかったところで、何も進展はなかった。探したが、いなかった。その事実だけが残る。
「いえ…自分が昨夜探した時に、奇妙なものを見つけましたよ」
「え?」
「なにかあったのか?」
シンゲンは頷くと、昨夜自分の見た全てを語る。
「カルセド峠に向かう山道で何者かが戦った痕跡がありましてね」
昨夜その現場を見つけてはいたが、直に嫌でもわかる事だからあえて皆に言う必要もない、とでも感じていたのだろう。だが今となってはもうそれを黙っている必要もない。
「そしてこれが辺りに散らばっていました」
シンゲンは懐から何か白い塊を取り出す。
「それは…」
「何だと思います?」
シンゲンの目線がちらりとアロエリを見た。
掌を解き握りしめた物を地に落とすと、ハラハラと右に左に揺れながらそれは地面に舞い落ちる。
「!」
アロエリの表情が強張った。
「それは…兄者の…羽毛…」
「…えぇ、そうです」
皆がざわめく。アロエリの兄、クラウレが自分達に宣戦布告をして立ち去ったのは、皆の記憶にも新しい出来事だ。
「まさかセイロン…一人で…?」
シンゲンは項垂れたように頷いた。
「えぇ、おそらく…たった一人で決着をつけに行かれたのでしょう。戦いの跡から見るに、本気で殺りあったと思いますよ」
抉れた大地、砕けた岩、拉げ、なぎ倒された木々…相当の戦闘があったはずだ。
「無謀だ!勝てるわけなどない…兄者はラウズブルグ最強の戦士だぞ!?」
声を強めたアロエリに、シンゲンが苦笑する。
「…そうでしょうか…貴方、本気で戦ってる若君を御覧になったことありますか?」
「…!」
シンゲンが止めようとした時に一瞬垣間見えた、セイロンの戦闘力。とめるなどとんでも無い、触れる事すら適わぬ程の身のこなしと瞬発的破壊力。あの時、普段共に戦っていたセイロンの能力を想定して戦いを挑んだがゆえに、シンゲンは油断した。普段の彼は全然本気などでは無かったのだ。セイロンの本当の実力は、底知れない。少なくとも自分のような一介の人間には想像も出来ない程なのだろうとシンゲンはあの時思った。答えを詰まらせたところを見ると、どうやらアロエリにも思い当たる節があるようだった。
「まぁ…幸か不幸か、どちらの亡骸もそこにはありませんでしたがね」
激しい乱闘の跡は確かに存在した。だが其所には敗者はいなかったのだ。
「良かった…それじゃセイロンさんは無事なんだね?」
ホッとするルシアンやリシェルとは対称的に、ミントが小首を傾げる。
「でも、それっておかしくないですか?」
「…それなんです」
シンゲンもその事をずっと疑問に感じていたのだろう、難しい顔をして腕を組んだ。
「…どういうこと??」
現場の痕跡と、現状の矛盾。子供達にはその意味する事を理解するには少々難しい事だったのかもしれない。ミントはわかりやすいように、丁寧に言い直した。言葉を選びながら。
「つまりね…もしその戦いに勝ったのなら、当然私達の所に戻ってくるよね?…考えたくは無い事だけど、でも、万が一にも負けてしまったなら…そこに…いるはずだよね?」
言われ、子供達はアッと口を開けた。
「そう……相当の覚悟で行き、本気で殺しあってるのに、どちらも倒れていない。おかしいですよね?突如仲直りしてお二人でどこかに飲みにでもいかれましたか?…そんなわけはないでしょうな」
シンゲンは冗談を交えながら自嘲する。ちっとも笑えないのに、何故か笑いが溢れてしまう。本当に困った時に、人は笑い出してしまうように。
「考えられるのは、二つ」
そして、自分の到達した結論をシンゲンは語る。
「一時休戦して、場所を替え今もどこかで戦っておられるか…それとも…」
一番濃厚だと睨む、その答えを。
「奴さんに…連れ去られたか」
現場と現状の一致。そうだとすれば全ての説明がつく。この辺りのどこからも強い戦闘力の衝突を感じない現状、後者がどうしても濃厚なのだ。
「…でもなんで?連れ去る意味がわかんねぇよ?」
「そう…よね…」
奴等が欲しいのはコーラルだ。セイロンではないはずだ。皆に沸き上がるのは当然の疑問。
「人質にとり、交渉の駒として使おうと戦略を途中で切り替えたんじゃないのか?」
「…そうだね、そう考えるのが自然だね…」
必要では無いものを捕えた時に使う目的といえば、一つだろう。セイロンを交渉材料として竜を手に入れようという向こうの魂胆が見えて来る。
「だとすれば、向こうからなにかしらの接触をしてくるはずだ」
グラッドの言葉に、シンゲンは黙って頷いた。
「そう…ですから、このような捜索をするのが、するだけ無駄だといったんですよ」
そうしてようやく、シンゲンの最初の暴言に繋がるのだ。こんな事をしているよりも、相手の動向を待つべきだと。
「だったら、一旦宿に戻ってみようぜ?何か進展するかもしれない!」
ライが先陣をきってそういうと、宿に一目散に走り出した。
「そ、そうだね、ひょっとしたらセイロンさん一人で先に帰ってきて、僕らの帰りを待ってるかもしれないよ?」
「…そ、そうよね?きっとあいつ平気な顔してお茶でも飲んでるわよ?」
無理に笑顔を作り元気に振舞う子供達は、次々に宿に向かって走り出した。皆を元気づけるように。
「私達も、一旦戻って様子をみましょうか?」
「はい、ミントさんがそう仰るのなら」
僅かな望みを期待したい気持ちは皆も同じで、その後を追うように宿へと向かった。ただ一人を残して。
「…………」
宿に戻る面々の背を見ながら、シンゲンはひとり腕組みしたまま考え込む。
本当にそうなのだろうか…?疑問は消える事は無い。竜の子との交換交渉に使うのに、わざわざセイロンを捕らえるだろうか?御使いの中でも、一番手のかかりそうなセイロンを。天使のお嬢さんや、自身の妹のほうがよっぽど捕え易く扱い易い。それなのに、なぜセイロンなのか。それは、セイロンでなくては意味のない何かがそこにあるのではないだろうか。だが一晩悩み考えど、答えは見えてこない。敵さんがいったい、何を考えているのかなど。
「どちらにしろ…」
シンゲンは地に堕ちた羽毛を踏み付ける。
「今度見かけたら…只では済ましませんよ…」
普段のシンゲンからは想像もつかない程のするどい目つきをした男は、殺気を放ちながら羽を何度も踏みにじった。
遅れながらも宿に辿り着いたシンゲンは、宿の中の暗い様子に何も進展など無かった事を悟る。セイロンがいなくなって半日、まだ向こうからの接触は…ない。
「こんなふうにじっとしてて…本当にいいのかな…」
「………」
不安そうなアルバの問いに、誰も答える事が出来ない。どうしたらいいのかがわからないのだ。
その時だった。
「!!」
コーラルが急に立ち上がる。
「どうしたの?コーラル…?」
「………」
コーラルは無言のまま瞳を閉じると、すぅ、と息を大きく吸い込んだ。
「………セイロンの……匂い…!」
「!!」
皆がその言葉を聞き立ち上がる。
「どこだ?コーラル!?」
「近いのか!?」
「………すごく、僅か……でも…近付いてくる…!」
「本当か!?」
弱り傷付いたまま、ようやくかえって来れたのかもしれない。かえって来れたという事は、きっとどこかで今まで戦っていて、勝利したのだ。
「どっちからくるの?玄関?それとも裏の方?」
だとしたら、迎えにいってあげなければ。そう思い皆がコーラルに詳しい場所を問いただしていると、コーラルの顔が急に曇った。
「どうしたコーラル…?」
コーラルは怯えたような表情で、ゆっくりと天井を見上げ、指差した。
「………上……!」
「上!?」
ありえない場所、ありえない角度。セイロンがそんな所から帰ってくるわけがない。そんなところから来る者といえば…。
「…シンゲン!?」
誰よりも早く、シンゲンが庭に飛び出した。そして、宿の上空を睨み付ける。
そこに浮かぶは、有翼の戦士。
「会いたかったですよ…貴方に」
「…侍か…」
シンゲンの放つ殺気を感じ取り、その男もシンゲンに視線をあわせた。睨み合う二人の男達。
「なぜ…貴方からあの人の匂いがするんでしょうね…?」
「………」
「その…下衣についた赤い染みはなんなんでしょうね…?」
「………」
シンゲンは歪んだ笑顔で言葉を叩き付けた。答えなど、聞かなくてもわかっている問い。
コーラルが感じたセイロンの匂い、だがそこにいたのはセイロンでは無くこの男。コーラルが間違う程、セイロンの匂いをしみ込ませたその男。下衣に付着した染みが、探し人を主張する。
「答える気は更々ないみたいですね…?」
シンゲンの瞳が吊り上がる。
「…かまいたち!」
シンゲンは鎌鼬を召喚した。現れた獣は刃物を振りかざし、吸い込まれるようにシンゲンの身体へと同化していく。殺気走るシンゲンの瞳が獣のように光った。
「…じゃあ切り落とした首にでも聞くとしましょうか!!」
「!」
シンゲンの周りに突風が巻き起こり、ひと蹴りで屋根の上まで飛び上がった。上空にて刀を抜き、その男に切り掛かる。
「シンゲン!!」
「兄者!!」
あとから出てきた皆が目にしたのは、屋根の上空でぶつかりあう男達の殺気と刃。空を飛べる者も、二人のあまりの迫力に近付く事すらできない。屋根の上からはキン、キン、と刃物がぶつかり会う音が頻りに聞こえて来る。
「よせシンゲン、一旦退け!」
「空ではクラウレ相手に不利ですわ!」
屋根を足場に鎌鼬の風を使い、飛び上がっては空を駆ける戦士に刃を放つ。普段の思慮深いシンゲンにしては無謀すぎる戦い方だった。それほどまでに、今のシンゲンは冷静さを欠いている。
「…戦いに来たのでは無い」
「黙れ…!!」
クラウレの言葉など耳にも入らないように、シンゲンは攻撃の手を止めない。だがリビエルの言う通り、上空ではどうあってもクラウレの方が絶対的に有利なのだ。
そして、時が来る。
「残念だったな…時間のようだぞ…」
「…!?」
フッ…とシンゲンを取り巻く光が消える。憑依時間の限界だった。
「くそ…」
「フン…!」
シンゲンの最後の一太刀を槍で受け止めたクラウレは、その槍を思いきり振り降ろした。
「ぐあッ!?」
弾かれたシンゲンは、重力に従い屋根に叩き付けられ、転がる様に屋根の斜面を下り地に落ちる。地を這う者と空を駆ける者の、決定的な高所の利。
「シンゲン!大丈夫か!?」
「いま治療を…!」
「平気です…」
急いで駆け寄り回復をしようとする天使を、シンゲンは自ら押し退けた。そして上空にうかぶ戦士を睨みつける。
「そう睨むな。今日は…戦いに来たのでは無い」
その視線を受けとめ、クラウレは槍を下げた。
「そうやって油断させてコーラルを捕まえるつもりだろ…そうはさせないからな!」
ライが剣を抜き空に向かって構える。
「待ってライ君、彼の言っている事は、嘘じゃないと思うの」
ミントが言った。
「でも…っ!」
「あの人…今屋根の上にいるのに、結界が反応していないよね?」
「!」
「そういえば…」
「どういうことだ…?」
コーラルに向けた敵意に反応する結界、それが無反応ということは、クラウレの言う通り本当に敵意がないということなのだ。
「じゃあ…何しに来たってのよ、さっさと言いなさいよ!」
敵が戦いに来たのでは無いのならば、何かを伝えに来ると言う事。おそらくは、皆が聞きたいその事を。
「………」
クラウレは腰の袋から何かを取り出した。其れは陽の光を反射し、赤く光る。
「…貴様等に、これを返しておこう…」
そういうと、クラウレは地に倒れているシンゲンに向かって其れを投げた。
「!」
シンゲンの頬をかすめ、其れは地面に突き刺さる。
「これは…!」
朱色の扇子。
「それはセイロンの…ッ!」
「なんであんたが持ってるのよ…!?」
『何故』それはもうわかっている事だった。現場と現状の、一致。予想していた事態の肯定だった。皆は把握する。どうやら本当に、最悪の状態にセイロンが陥っているのだという事を。
「それで、コーラルと交換だ…って伝えに来たのか…?」
ライはコーラルを自分の後ろに隠すように庇い立つと、クラウレを睨み付けた。シンゲンにあらかじめ言われ、想定していた事態ではあった。ライは取り乱す事も無く冷静にクラウレに話し掛ける。もちろん、交渉を受けてコーラルを渡すつもりはない。でも、セイロンをそのままにしておくつもりもない。なんとか交渉の場にセイロンを連れてこさせて、連れてきたら…そしたら、その後はそこで考えるつもりだ。無茶苦茶ながら、彼なりの筋書きは出来ていたのだ。
「………いや」
だが、クラウレはそれを否定する。
「…いや、って何よ?どういうことよ!?」
「………」
「竜の子が欲しくてセイロンを連れ去ったんだろう!?」
「………いや」
「いやってどういうことだよ!!?」
交渉など存在しない。何も求めていない。ただ、預かっていると伝え、それだけだ。
「ひょっとして…返す気は無い、と言う事ですか…?」
「………」
クラウレは何も答えず、無表情でその言葉を受け止める。否定も肯定もない。なぜなら、クラウレ自身もわからないからだ。我が主人がどうしたいのかを。
気がつけば、此所に来ていた。気がつけば、扇子を手にしていた。この者達に伝えなくてはならない気がした、セイロンの無事を。どうしてこんなことをしてしまっているのか、わからない…主人が快く思わないだろう行動をとっている自分が、わからない。
もしかしたら、この者達に自分の出来ない何かを期待しているのかもしれない…。
「勿論…生きているんでしょうね…?」
殺気走った瞳が、レンズの奥で光った。その男の問いに、クラウレは答える。
「……今は、な」
「…ッ!」
「動かないで…!」
起き上がろうとして崩れたシンゲンに、リビエルが問答無用で治癒をかける。全身を強く打っているのだ、起き上がる事もままなら無いだろう。悔しげに憎しげに、その瞳だけがぎらぎらと光る。クラウレを睨みつける中でも、一番鋭いその瞳。おそらくは、自分と一番似ているのだろうとクラウレは思う。
「…たしかに、伝えたぞ…」
なんの進展も何の解決策もなく、クラウレは現状だけをライ達に突き付けると、空に舞い上がった。
「待て…!」
それを追うように、アロエリが舞い上がる。
「追ってくるなアロエリ。これ以上追えばお前を討つ」
立ち去るクラウレに唯一追いつけるその人物に、クラウレは忠告をした。アロエリはそれでも後を追いながら、クラウレに話し掛ける。
「…どうして…だって兄者とセイロンは…」
「………」
クラウレの妹であるアロエリは、兄の交友関係を知っていた。それゆえに、信じられないのだ。自分を裏切った事もさることながら、セイロンをも裏切る兄が。アロエリの知る限り、兄にとってセイロンは…。
「…昔の事だ」
だがクラウレはその一言で、全てを切り捨てる。
「兄…」
「俺を兄と呼ぶな!」
「アッ!!」
槍がアロエリの翼を掠め、失速したアロエリをおいてクラウレは飛び去った。そして、距離を取ったところで転送されたように、姿を消す。
「兄者…」
悲痛な妹の思いも…全てをかき消すように。
「…どこにいっていたんだいクラウレ?」
戻ったクラウレを待っていたかのように、その声は言った。紅い瞳がクラウレをじっと見つめている。
「………トレイユに…行ってまいりました」
「ほぉう…?何をしに?」
「偵察です…」
「ふゥん…」
クラウレのまわりをゆっくりと回ると、ギアンはクラウレの羽にそっと手を滑らせる。そしてその羽毛を撫で手触りを楽しむと、その一つを掴み引き千切った。
「ッ…!」
クラウレが僅かに顔を歪める。
「私の許可無く出歩いてはいけないなクラウレ」
「…申しわけありません…」
跪き謝罪するクラウレを睨み付けていた紅い瞳は、暫く服従する男を眺めていたが、すっとその瞳を和らげる。
「まぁ…今回はこれで許してあげるよ。今日は機嫌が良いのでね」
ギアンが手にした羽を指で弾き、はらりと床に羽毛が落ちる。
「ありがとうございます…」
深く頭を垂れ、その寛大な対処にクラウレは感謝する。
「そういえば、地下はもう見たかいクラウレ」
本当に機嫌が良いのか、今はもう怒った様子何一つなくギアンは楽しそうにクラウレに言った。
「…はい」
「どうだい、良い部屋だったろう?」
「…………」
それは良い部屋とは決していえない牢獄。
「あの部屋はね…同じなんだ。広さ…暗さ…冷たさ…全くといって良い程にね」
何と同じか、それはギアンの過去を聞かされたクラウレには言わずもわかる。昔自分が幽閉されたその地下牢獄を、わざわざそっくりそのまま再現したのだ。
そこに、自分と同じようにセイロンを閉じ込める…。
「…何故、そのような物を…」
「何故か、だって?」
ギアンの顔が高圧的に歪む。
「罰だからに決まってるじゃないか…!私の怒りを買ったあの男を罰するためにね!」
「………」
クラウレは無言で床に視線を落とした。このお方はわかっているのだろうか。知っているのだろうか。そうすることが自分を傷つけているのだという事を。過去の記憶を蒸し返したところで、何も解消されなどしない事を。過去に受けた虐待を再び目の前で再現する事に、一体何を求めているというのか。
「クラウレ、君にはあの男の見張りを命じよう」
そしてこれも、罰なのだろう。わざわざクラウレにあの男を監視させるという事も。
「…はッ…御意のままに!」
だがそれで気分が晴れるというのならば、命ぜられるが侭に。この人の心がそれで少しでも癒されてくれるのならば…そう思えばこそ、囲われた龍にどれだけ罵声を浴びる事になろうとも。クラウレは覚悟を決め地下に向かう。愛しくも可哀相なこのお方の為なのだ。全てを捨ててでも護ろうと決めた、このお方の望みだから…自分は傀儡を演じよう。
献身的なクラウレの思いは、忠誠よりも崇拝に近く、盲目的な愛を形造っていた。たとえそれが正しいかどうかの判断は出来たとしても、もう、それに従う事しか出来ない。
「そうそう…さきほど、地下に私の配下を数十名いかせたよ」
そんな地下に向かおうとしたクラウレの背中に、ギアンが話し掛けた。
「今頃は…ふふ…っ…くくくっ…」
「…?」
そこまで言って笑い出すと、ギアンはクラウレに背をむけ立ち去って行った。
クラウレにはその言葉の意味する事を想像する間も詮索もする間も無かった。
「!」
地下から聞こえた悲鳴とも怒鳴り声ともつかぬ龍の叫びに、クラウレの脚が止まる。今これから目にするだろう光景を思うと、階段をおりる脚が竦んで動かなくなる。だがこれが己の選んだ選択なのだと覚悟を決め…進む。
この男の苦しみが、あの方を癒す唯一の方法なのだから。
瞳を閉ざし耳を塞ぎ、ただ、其れを監視する…。
2007.03.13