「お前、俺が見えるんだな…?」
男は驚いてこちらを見ていた。
…あぁ、まただ。
「…見えるよ」
すれ違いざまにちらりと男を見たその少年。明らかにその行動は、男を見た。見えるはずの無いその男を。
霊を『見る』事が出来る。
その少年、石田雨竜にとってそれは物心ついたときからの、当たり前だった。
「…本当に俺が見えるんだな…!?」
「見えるよ…それだけじゃない」
雨竜は手を延ばすと、男の肩をトン、と押した。
霊に『さわる』事が出来る。
「!?」
驚いた男が、雨竜の腕に手を延ばした。
そして、更に驚く。
霊に『さわられる』事が出来る。
「…お前みたいな奴に会ったのは初めてだ…人とこうして話すのも何年ぶりか…」
自分に触れる、そして自分が触る事の出来る人間に、この霊は初めて出会ったのだ。
「…あまり馴れ馴れしくしないでくれないかな?」
雨竜は掴まれていた男の腕を振り解いた。霊が見える事を気付かれると、大抵の霊は喜んで寄って来る。雨竜はそれが鬱陶しかった。不必要な霊と関わるのを彼は好まない。だからいつもの様に釘を刺すのだ。
「気をつけた方がいいよ…僕は『死んだ者を殺す』ことが出来るんだからね」
霊体を『滅却』する事が出来る。
それが僕、
滅却師石田雨竜。
「君も消されたく無かったら、僕に近付かない方がいいよ…それじゃ」
雨竜は踵を翻し男に背を向ける。大抵の霊はこれでビビってそこでオシマイ。
「ちょ…待てよ…!」
だがこの霊は違った。逆に雨竜を追い掛けてくると、手を延ばした。
霊に触れられてしまう体質というのも不便な物で、 男の手に肩を掴まれた雨竜はイヤでも歩みを止められてしまう。
「死んだ者を、なんだって…?」
雨竜の先刻の言葉を確認するように尋ねる霊に、雨竜は不敵に笑んだ。
「…信じないのかい?」
雨竜は右手をスッと差し出し霊力を解放した。すると瞬時に、霊の目の前で雨竜の右手の弧雀が具現化される。
「うわ…!?」
その光が霊体を傷つける事が出来るものかどうかという事が、霊には直感的にわかるらしい。
そう、信じなければこうやって弧雀をちらりと見せてやればそれでいいのだ。
「これでも信じない?」
「わ…わかった、信じるよ…!」
「…そう?」
雨竜は霊気を拡散させ、弧雀を消した。
「わかったんなら僕にもう用はないよね?…それじゃ」
勝ち誇ったように薄く笑うと、雨竜は霊に手を振った。これで、この霊も自分にはよってこない。そう思った。
「…ま…待ってくれ!」
だが霊は何を思ったのか再び雨竜を追い掛けてくると、またその肩を掴んで雨竜の歩みを止めた。雨竜の顔が露骨に嫌そうに歪む。
「なんだよ君はッ…!」
しつこく追い掛けて来る霊に雨竜は苛立ち、わざと恐い顔つくる。
「お前に頼みが有る…!」
「馴れ馴れしくしないでくれって言…」
「頼む!」
そう、この霊は今までの霊とは少し違っていた。疎ましがる雨竜を引き止めると、彼は雨竜でさえ驚くような事を口走ったのだ。
「俺を…殺してくれ!」
「!?」
『掟』
「な…何いってるんだ…君?」
「お前は俺を殺せるんだろう!?」
「殺すっていうか…うん…まぁ…」
「俺は死にたかったんだ、死にたくて、死んだんだ!…なのに…何故か死ねずにここにいるんだよ!?なぁ俺を殺せるんだろ?殺してくれよ、なぁッ!」
死んだ者を殺すことも出来るなんて、逆に余計な事を言ってしまったような気がして後悔する。 雨竜は霊を見ると、はぁ、と大きく息を吐いた。
「…あの…ね、僕は君を殺すというよりも…『滅却』させちゃうんだ。消しちゃうって事なんだよ」
「だから…それで俺は今度こそ死ねるってことなんだろ?」
「…え〜と…」
何と言ったらいいかな?と雨竜はちょっと困ったように目を閉じ、眼鏡を指で押し上げた。
「…いや、なんていうか…君はもう……残念ながらちゃんと正式に死んでるんだよ?」
死んだ自覚のない霊は大勢いる。自分はまだ生きてると思い込んでいる為に、いつまでもこの世にうろうろと徘徊してしまうのだ。少し残酷だが、雨竜はそういう霊には自分が死んだという事を理解させてやっていた。その事実を理解した時に、ようやく成仏出来るようになったという例もあるからだ。
雨竜はこの霊もそうであって欲しいと願った。
「俺は死んでる…?ん〜そうだよな、俺ちゃんと自分の葬式見たし、俺の姿みんな見えてねぇみたいだし、やっぱり死んでるんだよな……ん?じゃぁここにいる俺は何なんだ?」
「…だから、『霊』だよ」
「霊…俺は幽霊ってことか?……ん?死んだらみんな霊になるんだったら、なんで周りに俺みたいなのがいっぱい溢れていないんだ?おかしいじゃねぇか!?」
「だからそれは…」
雨竜は、はぁ、ともう一度大きく溜め息を吐いた。
どうやらこの霊、自分が死んだという自覚だけはあるようだが、あまり頭の良さそうなタイプではないように見受けられる。この霊にコレ以上の説明が通じるかどうか、と雨竜は頭を傷めた。だがちゃんと納得させないと、いつまでも付きまとわれそうでかなわない。
「あのね…普通はこの世界で死んで…え〜と分かりやすく言うと…そう、もう一つの世界みたいな所があって、皆死後にそこに行くんだ、他の人達は皆そこにもう行ったんだよ」
「別に俺は行きたくないぞ?」
話途中に口を挟んだ霊を雨竜はキッと睨み付ける。
「そういう決まりみたいなモンなんだよ!だけど君はこっちの世界では死んだんだけど、そこに行けずに迷ってるの!いまの君はそういう状態。ここまではわかる?」
霊はちょっと考えると頷いた。
「おう、なんとなく解るぞ。で、それが何だ?」
本当にわかってるんだろか…と疑問を持ちながらも雨竜は続けた。
「僕が関わると君の霊体そのものが消えちゃうんだよ。もう一つの世界にもどこにも行けずに、跡形も無くね」
「だから、それが本当に死ぬってことだろ?」
…やっぱりわかってない。
「そうじゃなくて、だからぁ…向こうの世界に行くはずの君を僕が手をくだすと行けなくて、それはイレギュラーなんだよ、これ以上必要以上に双方のバランスが崩れる事はさけなくちゃならないから…」
「双方ってなんだよ?」
「だから言ったろうッ!?こっちの世界とあっちの世界があって…って、何回言わせるんだよ!?あ〜〜もう、わかんないかな!?この意味が!」
「…なぁ、お前さっきから何一人でややこしくしてんだ?」
「君が理解しないからだろッ!」
雨竜は苛々しながら必死に説明した。なんだって自分がこんなに一生懸命になってこいつに説明してやらなきゃならないんだろうと切なくもなる。だがこの先もうろうろ憑いてこられるよりは、ここで一気に縁を切っておきたいというもの。
「いいかい?君は…」
ふと、背後から女性の笑い声がした。
「…くすくす…やぁねぇ、あのコ一人で大声はりあげちゃって」
「居るのよね、たまにああいうコ」
「真面目そうに見えるのに、勉強のし過ぎでちょっと壊れちゃうコって」
霊の見えない一般の人間が、一人で喋り続けているようにしか見えない雨竜を見て小声でひそひそと話す声が聞こえた。
「………っ!」
雨竜の顔面が耳まで一気に真っ赤になる。
「ほ…ホラッ!君が引き止めたりするからッ…僕が変なヤツに思われたじゃないかッ!」
雨竜は小声で霊に言った。
大体、こういうのは『死神』の仕事。浮遊霊や自縛霊の類いを成仏させるのは彼等の役目で、滅却師である雨竜の仕事では無い。それに成仏させるだなんて、雨竜にはそんな能力はない。
雨竜が滅却出来るのは、暴走して変わり果てたいわゆる『虚』と呼ばれている悪霊のみである。霊を殺せる、なんて霊を追っ払う為のでまかせで、実際は滅却師は普通の霊は滅却しない。人に危害をくわえない普通の霊に手を下してはいけない、これは滅却師の昔からの暗黙の了解である。
「とにかくッ、そういう事は僕じゃ無く死神に言ってくれ!僕に言ったって成仏なんか出来ないんだからね!」
そうだ、さっさとこう言ってしまえば良かったのだ。
「死神?…どうやってそいつにあうんだよ?」
「それはこっちが聞きたいよ!」
雨竜だってそいつを探しているんだから。
師匠を見殺しにした師匠の仇、死神。あの日以来一度も巡り合えていない。でも絶対探し出して、見つけたら…滅却師の存在を認めさせてやる…!そんな思いを胸に抱きながら、必死に探し続けているのに未だ見つからないのだから。
「とにかく、死神ってやつなら君を望み通り殺してくれるよ。会い方なんてしらないよ!君も死神を頑張って探すんだね。…ほら、これでもう僕に用はないだろ? それじゃね」
「待てって…」
今度こそ本当に別れようとした時、またも霊は雨竜を引き止める。
「何だよッ!?」
「それじゃ結局さっきの光はハッタリかよ?」
「ム…!」
突然の侮辱に雨竜の表情が強張る。
「…君は本当に失礼だな…嘘じゃない、僕はいつだって君を滅却できるさ。だけど僕は、罪の無い霊は滅却しないんだよ!」
「罪…だと?」
「そうだよ、人に危害をくわえない霊体には僕は手をくだしたりしない!罪の無い魂を消す理由なんかないだろう?」
「理由…?」
「それに僕は君に何の恨みの感情も抱いていない、そんな君をむやみに殺せるワケが無いだろう!?そのくらい、人としてわかって欲しいね!」
「恨み…」
滅却師としての誇りを侮辱されたように感じ、雨竜は言いたい事を一気に言い切った。本当に失礼なヤツだと思う。腹立たしい。だが、別に恨みはないし、憎いとは欠片も思わない。滅却する理由などないのだ。
霊は雨竜の言った事をまとめるようにぼそぼそと復唱すると、暫し考えていた。
「…OK、OK。…よ〜くわかったぜ」
霊はようやく何かを理解したように深く頷く。
「…やっとわかったのか…」
雨竜は呆れたように、ホッとした溜め息をついた。
「ようするに…」
「…わッ!?」
だが、霊はそんな雨竜の肩を掴むと乱暴に路地裏に引き込んだ。
「アンタに恨まれる悪い霊になれば、アンタは俺を殺してくれるワケだ?」
「な…ッ!?」
どうやったら自分が死ねるのか?霊がたどりついたその答え。それは、人に危害をくわえる悪い霊になり、かつ雨竜の恨みをかえば良い、そういう事だった。
「何言って…ーー!?」
霊の口が雨竜の口を塞ぐ。
「…アンタよく見りゃ結構な美人だな…」
「や…め…ッ!」
霊とはいえ、雨竜にとっては生身の人間と何ら変わらない感触。雨竜より背も高くガタイの良いこの男に、雨竜は力でねじ伏せられてしまう。
「な…にするんだッ!」
「嫌だったら俺を殺れよ」
「……!」
それは出来ない。滅却師として、人として。
「…いいのかよ?殺したくなるまで…続けるぜ?」
「や…」
それでも、手を下す事は出来ない。
『雨竜や…決して虚以外の霊に力を使ってはいかんぞ』
『はい、師匠!』
生前、いつも言い聞かされていたその言葉は、雨竜には絶対だった。いまだに鮮明にその声が雨竜の耳に響いて来る。
(…でも…師匠…ッ)
雨竜の瞳が絶望の色を含んで、揺らいだ。
…はいここまでv
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