オレは岡さんの勧めで初めての海外遠征に来ていた。不安もいっぱいだったけど、海外に慣れた夕貴さんが同行してくれているから心強い。
今日は空き部屋の都合で大きなダブルベットの部屋に泊まることになった。ダブルベッドなんて初めてで、男二人どうやって寝たらいいものか?と思ってたんだけど、オレがシャワーから出てくると先にシャワーを浴びていた夕貴さんは、そんな事お構い無しにベッドのど真ん中に横になっていた。
「夕貴さ〜ん!もうちょっと端寄ってくれても…って、もう寝たんですか?」
傍によると、夕貴さんは服のままベッドに転がり、寝息を立てていた。 昼間の疲れが出たんだろう…そう、今日は何も出来ないオレのかわりに入国手続き、車の運転、ガイドに通訳まで全部夕貴さんがしてくれたんだ。
(本当に御苦労様です…文句は言えないよな)
オレは夕貴さんの寝顔をそっと覗き込んだ。そして間近に迫った夕貴さんの寝顔に、ドキリとする。いつもの張り詰めた挑戦的な表情は欠片も覗かせず、なんとも無防備なその寝顔。
(……夕貴さんって…睫毛長いんだぁ…)
この口が開かれさえしなければ…黙っていれば、本当に綺麗で可愛いのに 。普段はこんなふうにじっくり顔を見る事なんてあまり出来ないけど(何見てるんだよ森川?って睨まれちゃうもんね…)寝顔の夕貴さんは、本当に、女の子みたいに綺麗だ。どうしてあんなにアイドル的人気があるのか、納得がいく。だって、綺麗だもの夕貴さん。でもその人気は整った外見だけじゃなく、騎手としての一流の実力もあって、そのうえ英語も堪能だしフランス語も出来るし、そんな彼のマルチ能力振りもその魅力なんだ。
本当に、夕貴さんはなんでも出来る人…だけどそれは、「天才」だからなんじゃないって事を、オレは知ってる。あの日、知ってしまった。この人は誰よりも何倍も努力する人だから、そしてその努力も、弱さも、人前では微塵も見せない人だから、人は彼をその結果だけ見て「天才」と呼ぶんだ。そう呼ばれる事で夕貴さんは「天才」で居るしかなくなってしまったんだとオレは思う。周りからの期待、信頼、当然の勝利。夕貴さんはそんな枷を背負わされた自分と、いつでも戦っているんだ。
(天才騎手…か)
はじめて夕貴さんのレースを見た時はオレもあなたを「天才」と感じた。あの時は貴方の事を本当に何も知らなかったから。でも今は、貴方を天才だなんて呼びません。
( だから…オレといる時は楽にしてて下さいね)
もっと自然に振舞ってていいんですよ?ここは日本じゃない、誰も貴方を天才だなんて呼ばないんですから。オレの前で天才を演じ続ける必要はないんですよ?
(…でも眠ってる時だけなんだよなぁ…)
夕貴さんが『自然体』に見えるのは。ここ最近起きている時はいつも、なんだか無理をして強がってるみたいに見えてしまう。痛みも苦しみも人に見せない事を美学とする夕貴さん。その裏では見ているこっちが痛くなるくらい無茶をしてしまう夕貴さん。
知ってますよ、昨日の夜必死に英会話の本読んで復習してましたよね?英語のまったく出来ないオレに解り易く通訳するために。だから今日はあんまり寝てなくて、眠いんですよね?オレの為にしてくれたんですね?それとも自分のプライドの為?いえ、どっちだっていいんです…それでもオレは…いや、だからオレは…そんなあなたが……。
(知ってますか…?オレ…あなたの事が……)
…好き。男として、騎手として、ライバルとして…それ以上の存在。あなたの笑顔がオレに向けられることは殆ど無い。オレは、自分にはめったに向けられない笑顔が向けられる対象に、いつからか嫉妬していた。岡さんは勿論、観客へのサービススマイルでさえ嫉妬した。それがあなたを恋愛対象として見ているからだと気付いたのは…この旅に出発してから。そしてオレは今、綺麗な寝顔の貴方を性的対象として見てしまう自分がいる事にも…気付いてしまった。
触れたい…。
オレがこんなこと考えてるなんて知ったら…軽蔑されるんだろうな…。夕貴さんはきっと潔癖性なんだろうから、こんな事、不謹慎で、不潔で、許せないだろう。 …そう、夕貴さんと一緒のこの旅で、オレは自分の気持ちを再確認してしまったんだ。この感情をあなたに言ったら戸惑うんでしょうね…正直オレも戸惑ってるんですよ今、あなたの綺麗な寝顔を見つめながら…。
(好きです…夕貴さん……スイマセン…本気で愛して…しまったんです…)
横たわる眠り姫に、オレは心の中で告白するんだ。
(好きです…!)
何度も。
眠れぬ夜に…
「じゃあな潤ー!元気でなー!」
「う…ん」
今日も夕貴孤児院からは養子縁組を終えた孤児が姿を消した。同年代の子は彼で最後だった。潤を除いては。
「… 寛もいきましたか」
「……院長…」
「寂しくなりましたね潤…でも彼らは幸せになりに行くのです、祝福してあげなくてはいけませんよ?」
「…はい」
もうこの孤児院には歳の離れた卒院間近の兄さん達と、まだ乳児の赤ん坊しかいなくなってしまっていた。話し相手も遊び相手もいなくなった潤は院内で一人でいる事が多くなる。そんな潤にはいつも院長がやさしく声をかけてくれた。
「どうしました潤、みんなと遊ばないのですか?」
「……兄さん達の遊びはボクには向いてません。ボクは体も小さいし…ボクじゃ遊び相手にならないんです」
「そうですか…では一人でさびしい時は私の部屋に来なさい潤。一緒に遊びましょう」
「…いいんですか?」
「ええ…いつでもいらっしゃい、待っていますよ…」
院長は優しかった。一人になった潤にとても優しかった。いや、潤だけに異常な程、優しかった。
ある日、夢見が悪く夜中に目が覚めて寝つけなくなった潤は院長の部屋の扉をノックした。遅い時間にもかかわらず、院長は起きていて、潤を快く部屋に招き入れてくれる。
「おや潤、眠れないのですか?」
黙ったまま部屋の前に突っ立っていた潤は、突如何かが切れた様に泣き崩れた。
「……院長…どうして…どうしてボクだけ貰い手がないんでしょう?みんな貰われていったのに、みんなにはお父さんもお母さんも出来たのに、どうしてボクは…ボクは悪い子なんですか?ボクは可愛く無いんですか?院長…ねぇ院長…」
院長は潤の頭を撫でながら、泣き出した潤を暖かく抱きしめた。
「いいえ潤、あなたは良い子ですよ。とっても可愛い良い子です。私はよくわかっていますよ…」
「院長…」
暖かく、優しい院長の腕に、潤は縋り付いた。この腕だけが、自分を抱きしめてくれる。自分を可愛いと言ってくれる。
「私が誰よりも大きな愛をあなたに注いであげますよ…潤」
院長は零れ落ちた潤の涙を指で拭ってあげながら、その小さな潤の唇にゆっくりと自分の唇を重ねてきた。
「い…院長!?」
突然の院長の見た事も無い行動に、潤は戸惑う。
「可愛い潤…どこにもいけなくても私が大人になるまで面倒をみてあげます…大丈夫…」
院長は潤を抱きかかえると自分のベットに運んだ。その年にしては小柄な潤の体をベットにそっと置くと、院長はもう一度キスをしてきた。
「い…んちょ… 何…するの?」
「あなたに大きな愛をあげるのですよ潤」
「愛?」
「そう、だから何も恐れる事はないんですよ…」
「さ…てと、オレも寝ようかな…」
明日の用意も済ませたし、父さんにも電話したし、そろそろオレも休もう。そう思っていた時だった。
「……う………や……ぁ……」
「夕貴…さん?」
夕貴さんが何か寝言を呟いた。いや、それはただの寝言じゃ無かった。
「う…うぁ…いや…嫌……だ…っ…」
夕貴さんは突然、呻き出した。
「…や…いや…ッ…院…長…っ…やぁ…やめ…て…」
「夕貴さんッ!?」
夕貴さんが何か悪夢に魘されているのは明らかだった。オレは躊躇わず夕貴さんの肩を揺すり起こす。彼を苦しめるものから、今直ぐにでも助けてあげたい。せめて寝ている時の彼だけは、苦しませないであげたいから。
「…っ………森…川…?」
魘されていた夕貴さんが、ハッと我に帰ったように目を開けた。夕貴さんはオレの姿を見てようやく夢から覚めた事を把握したようだ。ゆっくり体を起こし、息を整えながら暫し無言になる。
「…大丈夫ですか?」
まだ呆然としているように見える夕貴さんに、オレはそっと声をかける。
「大丈夫だ…なんでもない、……なんだ、まだ起きてやがったのか…お前もさっさと寝ろよ」
そう言った夕貴さんは一瞬で随分と汗をかいたようで、全身を汗ばませ顔色もあまり良くなさそうに見えた。
「そのままだと風邪をひきますよ?汗だけでもふいた方がいいです。ただでさえ夕貴さんはこの旅で疲労がたまって…」
オレはタオルを出すと、夕貴さんの汗ばむ額に当てようとした。
「なんでもないといってるだろッ!ボクに触るな!」
突如さっきまでの綺麗な寝顔のその人は、急に荒れた様子で…いや、むしろ怯えた顔でオレの手を払った。
「夕貴…さん?」
どうしたっていうんだろう、何か気に触ったのかな?…でも、こんな顔の夕貴さんを、オレは見た事がない。
「……あ…」
夕貴さんは戸惑ったように視線を数秒泳がせると、小さな声で「すまん」と言った。
「…お前には…何も関係ないのにな……ちっ…みっともない姿見せちまった」
オレはそれが自分に向けられた感情ではないんだとわかってホッとした。夕貴さんはまだ、悪夢の続きに怯えていただけなんだ。
「そんな事ないです、誰だって悪夢には魘されますよ。 さ、明日早いしもう休みましょう」
「………ああ」
よっぽど嫌な夢だったんだろう。慣れない土地で、疲労も溜まっていれば、どんな人だって悪夢の一つも見る。オレは着替えると夕貴さんの横にそっと潜り込んだ。明日も早くから見なければならないところがいっぱい有る、オレもゆっくり休んでおこう…。
オレは深く息を吐くと瞼を閉じた。
潤の小さな体に院長の男性部が押し付けられた。ビクッと潤の体が身構える。
「力を抜いているんですよ潤」
「な…に……ひっ!?…いや……いんちょ…いああああああぁぁーーッ!」
逃げられない潤の体を院長はゆっくりと自分の腰に引き寄せる。幼い体が大人の男を喰わえて裂け、血を流す。
「いッ…痛ッ!痛いッ…痛いよ、い…ちょ…院長ぉーーッ!」
「あぁ…本当に狭いですね潤、でもすごく良いですよ…」
一向に円滑に入りきらない其れを院長は潤の中に強引に詰め込んでいく。
「あぅッ…うっ、あぅ!あひィッ…!」
体の中がいっぱいになっていく感触と痛覚は、勿論潤にとって初めてのもので、幼い体にとってただの苦痛でしか無い。
「可愛いですね…潤は。私の可愛い潤…」
院長は小さなその身体に容赦なく自身を打ち付けてきた。
「あうっ!あぐっ、ひぅッ!やッ…やぁっ!やめてよ院長ぉっ…!」
泣き叫ぶ潤の身体を院長は強く抱きしめ、いつまでもその身体を解放してはくれなかった。
それから毎夜、院長の部屋に行くのが幼い潤少年の日課になっていた。断る事は出来なかった。自分に差し伸べられる唯一の『愛』を、拒む事が恐くて…。
院長は確かに潤を愛してくれている。だけどその形は、潤には苦痛だった。でもそれすら拒んでしまったら、自分は本当に誰からも愛されなくなってしまう事が、潤には耐えられなかった。だから潤は、苦痛を耐えるしかなかったのだ。
「…院長?いないの?」
その日、潤が院長の部屋に行ったが院長はいなかった。 電気は付けっぱなしだったので、すぐに戻ってくるのだろう。潤はベッドに寝転がりながら、院長を待つ。ごろごろとベッドで転がって遊んでいた潤は、ふとベッド脇のゴミ箱の紙切れに自分の名前が有るのを見つける。
「…なんだろう?」
潤は二つに裂かれたその紙切れを何の気無しに拾い、目を通した。頭の良い潤は、同年代の子供よりもずっと難しい漢字を読む事ができる。
「………!……これって…!?」
裂かれた紙にはこう書かれていた。
『夕貴院長殿 先日はありがとうございました。この度一筆致しましたのは、一昨日お伺いした際にお話した潤君を正式に養子として貰い受けたく…』
手紙は其処で裂けていた。
「……!」
その内容が何を表しているのか、賢い潤少年はすぐに把握した。
この院にも養子縁組希望者は結構やってくるのだ。先日も養子を探していると言う夫妻が院に訪れ、潤は彼らと数時間話をした。良い人達だった、彼らも潤を気に入っているように見えた。だが潤は彼らに何の期待も抱いていなかった。…どうせ親しい素振りも、それは表向きだけなんだ。きっと彼らも自分を養子にしたいとは思わない、いままでの人達のようにと。だが、この手紙は潤のその思考を覆すものだった。そして、無惨にも破られている其れ…。
「まさか…!?」
潤はゴミ箱をあさるように手を突っ込んで中を探った。そして探り当てた手紙の切れ端は、その手紙の続きでは無く、それとはまた別の、同じ内容の手紙だった。
一通だけでは無かったのだ。
「…………どういうこと?こんな……そんな………院長…が…?」
その二通の手紙の切れ端を握りしめ、潤はその場に力無く座り込んだ。
「……見たのですね…潤」
「!?」
潤は驚いて振り返った。
(………う…眠れない…)
もう寝ようとは言ったものの、正直、オレは夕貴さんの隣では緊張して眠れない。夕貴さんが直ぐ横に寝ていると考えただけで、興奮して目が冴えてきてしまう。
ちらりと横目で夕貴さんを見ると、夕貴さんも先程の夢のせいか寝つけないでいるらしい。何度も寝返りをうったり、蒲団を被ったりして、落ち着かない様子だ。
「夕貴さんも眠れないんですか?」
「………」
返事のかわりに、夕貴さんは蒲団を肩にかけ直した。夕貴さんが寝つけない理由はオレとは全然違うんだろうけど、オレは夕貴さんも起きている事に少しだけ安心する。だって、先に寝られたら…夕貴さんの無防備な寝姿を見ながらじゃ、オレきっと朝まで寝つけない。
「……森川」
「はい?」
夕貴さんは不意に寝返りを打つと、体をオレの方に向けた。突然間近かに夕貴さんの綺麗な顔が現れ、オレは脈拍が妙に速くなる。真直ぐな綺麗な瞳がオレを見つめ、オレの心を金縛りにさせる。
「ボクは…今何か言っていたか…?」
夕貴さんは少し不安そうな顔でオレに聞いてきた。…どうしてそんな顔をしてるんですか?
「何か口走らなかったか?」
夕貴さんはもう一度、同じ質問をオレに問いかけた。 寝言…?たしか何か言っていたけど…。
「たしか…院長…って」
捨て子だった夕貴さんは、孤児院で育ったと以前言っていた。だからきっと孤児院の院長の事だろう。 一人で生きていく為にこの世界に入ったんだと、自分にはなにも頼るものも何所にも帰る場所もないと、そうオレに言った夕貴さん。彼のその強さはきっと幼い頃のその環境で育まれたのだろう。
「…それだけか?」
「え?」
他にも何か寝言を言っていたはずだ。オレは再び先程の記憶を読み返す。そういえば、夕貴さんは魘されていたんだ。
「えっと……嫌だ、とか……やめて……とか、いってましたけど…たしか」
「……そうか」
「…嫌な夢、みたんですね…?」
…どんな夢だったんだろう、オレは少し気になってきてしまった。夕貴さん…孤児院で院長と何かあったんだろうか?余計な詮索をしてしまいそうになる。
「ふん……夢…か、そうなら良かったんだけどな…………」
夕貴さんは自嘲っぽく鼻にかけた笑いを零した。
憂いを含んだ表情の夕貴さんを見て、オレはハッとした。
「 ……夕貴さん……ひょっとして…」
オレは、今更ながらある事に気がつく。
夕貴さんの強さを生んだ環境…それは、夕貴さんの人一倍の忍耐力を育てた環境。そして同時に彼の人間不信に陥る程の人嫌い、自分一人で生きていく事への異様なまでのこだわりをも形成した。何事にも耐える事と、他人を遮断する心。誰も信じない、頼らない、信じられるのは己のみ…そう、その彼の思想は『其所』で育まれたのだ。
孤児院にいた人間がみんなそうか?と聞かれたら答えはNOだ。孤児院で育てば誰もがそうなるわけじゃない。夕貴さんは何か『特別な体験』を其所でしている。もしかして其所で夕貴さんは……
「……虐待…ですか?」
「………」
夕貴さんは何も答えなかった。
「院長に暴力を奮われていたんですか…?」
夕貴さんはフッと笑うと再び寝返りを打って天井を見つめた。
「…お前…ボクを愛情を知らない惨めな子供だったと思ってるな……」
「あ…いや、オレはそんなつもりじゃ…」
夕貴さんはオレの問いを否定し、馬鹿にするなよ、という口調で返してきた。
「ボクだって…愛されて育ったサ。親ではないけれど…ボクの保護者、院長にな…」
オレは自分の読みが外れて、内心安堵した。そうだよな…まさか、そんなわけないか。
「なんだ…そうだったんですか。オレの勝手な勘違いですね、スイマセン」
オレは夕貴さんに対しても、院長に対しても失礼な事を言ってしまった事をちょっと後悔した。でも夕貴さんは、その事に怒るでもなく、ただ無言だった。
「…………」
「夕貴…さん?」
夕貴さんは天井を睨み付けたまま暫く黙りこくっている。そして思い立ったように、話し出す。
「 普通…孤児達は養父母に貰われていくんだ……だけどボクは最後まで貰い手が見つからなかった。自慢じゃ無いけどボクはその辺の子供より可愛かったし、こんなに良いコにしてるのになんでだろう?こんなに頑張って勉強もしてるのにどうしてだろう?っていつも思ってた」
オレは母さんがいない。でもオレには父さんがいた。父さんはオレを本当に愛してくれた。優しく、時に厳しく。だが夕貴さんにはどちらもいなかった。それがどういう状況なのか、片方でも親のいたオレには想像もつかない。
世の中は養子縁組という方法で家族を得る事が認められている。しかし夕貴さんにはそれが見つからなかったらしい。孤児という環境は、養父母を見つけられるかどうかで大きくその人生が変わってしまうのだ。
「……たいへんな世界ですね…」
…でも もしみつかっていれば、いまオレの横に夕貴さんはいなかったかもしれない。いや、いなかったろう。そう思うと、夕貴さんには悪いけど見つからなくて良かった、ってオレは少し思ってしまった。こんな話をしている時に本当に不謹慎だとは思うけど。
「だけど違ったんだ…見つからなかったんじゃない……すべて断られていたんだ、……院長に!」
「えっ!?」
オレは驚いて声をあげた。だって、自分の院の子供達が貰われて幸せになっていくのが院長の喜びであるはずなのに?それが、院長としての義務でもあるんじゃないの?
「なんでですか!?」
「 …言ったろ、ボクは院長に愛されていたんだ……異常な程に愛されていたんだよ…」
「夕貴…さん…」
夕貴さんが何を言っているのか、オレにはなんとなくわかってしまった。夕貴さんを人間不信にさせた『異常な愛情』の意味。オレが手を延ばした時の、異常に怯えた夕貴さんの瞳。その、悪夢の内容…。
夕貴さんが魘されていたのは『悪夢』なんかではなくて…それはきっと、忘れたい『記憶』だったんだ。
「院長の嘘つきッ!酷い…酷いよぉ…!」
「何をいうのです潤!あなたに相応しくないから、お断りしていただけですよ!?」
「嘘だぁッ!良い人達だったよッ!」
「潤…」
「院長の嘘つきッ!院長なんか嫌いだッ!」
「黙りなさい!」
暴れる潤を院長は力ずくでベッドに押さえ付けた。
「…誰が…あなたをここまで育てたと思ってるんですか…?何処の、誰の子かもわからない、あなたを!」
「……!!」
見た事もない程の恐い顔の院長に、潤は言葉を失う。
「い…んちょ……?」
「…わかりました、あなたがそこまで言うなら、あなたを養子に出してあげますよ……」
そう言って笑った口元は、いつもの優しい院長ではなく別人の様だった。
数日後、潤はとある夫婦に養子に出される事になった。あの後、院長の強姦とも言える行為にひたすら耐え続けた潤は、その生活から解放されることに心から喜んでいた。解放される日が近いという事を思えば、その暴行にも耐えられたのだ。
迎えにあらわれた夫婦は、とても優しそうな、人の良さそうな夫婦だった。
「おいで潤君、今日から君のお父さんだよ」
差し出された手に引かれながら、潤は幸せでいっぱいだった。暖かい家族の団欒。憧れていた生活。その筈だった。
だが、その生活に変化が訪れたのは、潤が引き取られてから僅か一週間の事。
「潤、お父さんと風呂に入ろう」
「はーいっ!」
父親になった男に連れられて風呂に入った潤は、『父』の背中を流したり髪を洗って貰ったりと、それだけで楽しい気分になっていた。
だが、突如潤の背中を流してくれていた父の手が不意に潤の前に廻され、小さな潤の性器を弄り始めた。
「えッ…?ちょっ……おとう…さん!?」
「何を驚くんだ潤…どうせ慣れているんだろう?くく…」
「ーー!?」
石鹸で滑る指が、潤の窪みをくちゅくちゅと弄る。
「さぁ、挿れるぞ潤…」
突き付けられた父のソレは、院長と比較して勝る大きさ。硬く熱いソレに、潤の身体が強張り全身の血の気が退いていく。
「あ…」
一週間ぶりに拡げられる感覚。
「や…あああぁッ!ひッ…痛い、痛いッ!」
「くぅっ…いいねぇ、いいなぁオイ!いいぞ潤!」
(なんで!?どうして…!?助けて…だれか………お母さんッ!!)
ガラガラ…
風呂場の戸が開き、現れた『母』の顔に潤は救いを感じる。
「ねぇちょっと着替えなんだけど…やだ、もう手出してるの?ホントあんたって人はしょうもないわね!」
「あ…助け…ッ…おかぁ…さんッ…!」
必死に母に救いを求める少年の姿は、母と呼ばれた女の目には入っていない。
「まぁいいわ、ソレでもう他所の子に手出すのは勘弁してよね!この若さで犯罪者の妻なんて、あたしヤなんだからさぁ!」
無情な言葉と共にピシャリと戸が閉められた。まったく、この性癖さえ無ければイイ男なんだけど…とぶつぶつ言う声が遠ざかり、潤は此所に救いなど無い事を知る。
(ボクは……『ソレ』…なの…? )
男が潤の上に獣のように馬乗りになり、潤の小さな尻に激しく腰を打ち付けた。
「イッ…ひ…っ、アッ!アァッ!う…っ、うあぁッ!」
風呂場に響く皮膚を打つ音と啜り泣く声。助けなど来ない密室。
潤は男が満足するまで、その小さな身体に暴力を受け入れ続けた。
夕貴さんはそのまま蒲団を被って向こうを向いてしまった。その背中が妙に弱々しくて、寂しそうで、泣いているみたいに見えた。
「…どうして、そんな事をオレに話してくれるんですか?」
プライドの人一倍高い夕貴さん。その彼にとって、そんな過去は絶対他人に知られたく無い傷のはずだ。
「……わからない…」
問いかけたオレの声に、夕貴さんの弱々しい声が返ってくる。こんなに弱々しい貴方を、オレは知らない… 胸が、あつくなってくる。
「夕貴さん…」
オレは無意識の内にその肩を後ろから抱きしめてしまった。壊れそうなその後ろ姿を抱き締めずにはいられなかった。その身体を、この腕に包みたいと思って…その衝動の赴くまま行動してしまっていた。
「!!」
ビクン、と夕貴さんが身を強張らせる。伝わる拒絶。
「あッ…すいません!…つい……」
オレは我に帰り、慌ててその手を離した。
何やってるんだオレは!?
「………」
無言の夕貴さんがオレを振り替える。先程より少しきついカンジの綺麗な視線でオレを睨んだ。いや、睨んだ、とまではいかなかったかもしれない。オレを、見た。
きついようで…それでいて何か憂いを含んでいるような、悲し気な瞳。
「…森川…お前ボクを抱きたいのか…?」
「なっ…」
ドキン、鼓動が急加速する。
「ちっ…違いますよそんなッ…!」
ストレートな夕貴さんの問いに、オレは慌てて蒲団から起き上がった。でも逆にそれが良く無かった。
「……お前…ボクに興奮するのか…?」
「え?…な…ーーーッ!?」
オレは『ソレ』に気付き慌てて前を隠した。夕貴さんの横で、服の上からでも解る程めいっぱい興奮しきっている下半身を、オレはわざわざ立ち上がって夕貴さんの目の前に見せつけてしまったんだ。無理も無い、夕貴さんの隣で、綺麗な寝顔を思い出しながら、その温もりを近くに感じながら、そのシャンプーの香にすら…オレはすでに、ずっと前から興奮しきっていた。
「………」
「………」
身体は嘘をつけない。口でつく嘘ですら得意ではないのに、身体に嘘をつけなんて無理だった。たとえ口ではいくら聖人のような言葉を紡ぐ事は出来ても、きっとオレは身体は己の情慾を求め反応してしまう男なんだろうと自らを思う。
最低だ、最低だ、最低だッ!こんな時に…! 見た事も無い弱々しい夕貴さんに、オレは…オレはッ…堪らなく欲情したんだ…!!
顔を真っ赤にして今にも泣きそうなオレに、夕貴さんは蒲団をはだけるとゆっくりと近付いてきた。
「だ…だめです…ッ!今オレに近付かないで下さいッ!!」
オレは最後の砦まで壊れてしまわないように、中腰のまま必死に後ず去った。
「…い…ぜ…」
「え……?」
夕貴さんが何か呟いた。
「いいぜ…森川……お前に………抱かれてやってもいいぜ…」
「ーーー!?」
夕貴さんの綺麗な口元が艶かしく微笑んだ。
「ひっく…うっ…うっ…」
どうやってここに来たかは覚えていない。風呂場で散々暴行を受けた後、どうにかして、あの家から飛び出した。此所がなんていう街なのかも、よくわからない。元居た孤児院から近いのか遠いのかさえも…。ふと孤児院の事を思い出した潤は、それを否定するように首を振った。
(孤児院になんて…もどらない…っ!)
戻って、どうする?また院長に抱かれる日々に戻って…それで一体何になるというのか。
「坊主どうした?ママは?パパは?」
不意にかけられた声に潤は泣くのを中断し、声のする方を見上げた。
「ボク…お父さんもお母さんも…そんな人いない…」
「………そうか、坊主は一人か…おじさんと同じだ」
視界に入ったお世辞でも綺麗とは言えない格好をした中年は、そっと潤を抱きしめた。それが潤には酷く暖かく感じられた。
「…おじさんも、お母さんやお父さんがいないの?」
人気の無い夜の公園のベンチで、潤は男の膝に抱かれながら男に聞いた。
「いや…いたけど、今は独りだ。ホラ腹減ってるだろ、喰え!」
「…うん」
潤は男の膝の上で、男のなけなしの金で買ってもらった肉まんを涙を拭いながら頬張った。男の膝は暖かかった。とても安心した。この人は、身内でも保護義務のある人でもないのに…こんなにも自分に優しくしてくれる…。
肉親なんて関係ない、親なんていなくたっていい。あの院長の元を離れれば、こんなにも暖かい手が外には溢れている…。
そう思いかけていた潤の身体がビクンと強張る。服の上から尻にあたる、硬い男の感触。
「…今日は寒ぃなぁ坊主…こんな日は人肌が恋しくてよ…」
「………っ!?」
手にした肉まんの温もりが、潤の手から滑り落ちる。
「坊主も寒いだろ…おじさんとあったかい事しような…」
「や…」
潤の腰をしっかりと支えて居た腕が、潤のズボンを下着ごと膝までズリ降ろした。
「!?」
いつからか既に露出されていた男のモノが、潤の蕾に押し当たる。
「い…いや…ーーーッ!!」
今思うと院長の『モノ』は一般的には貧弱な方だったらしく、潤は今日、一般的なソレの大きさをイヤと言う程知った。拡げられる痛みが先程の義父よりも強い。だが散々義父に弄ばれた潤の身体は、太い男の肉茎をたいした抵抗もなく受け入れてしまう。
「……なんだ坊主…、『そういうコ』だったのかい?…こいつはイイ…」
男は潤の両足を持ち上げると、軽い身体を上下に揺らした。
「ひッ、アッ…あっ!あぅ!ひんっ…嫌…あひィっ!」
男の茎が潤の中を激しく擦りあげる。義父の暴行から間もない潤の身体を、容赦なく貪る。疲れ切った幼い身体には耐えられないものだった。
(………あぁ…そうか………)
上下に揺れる薄れ行く視界の中で、潤は何かを理解した気がした。
目が覚めた時、潤は自分が交番という所に居る事を知った。あの後、何がどうなってここに来たのかはわからない。ただ、痛む下半身と疲労しきった身体だけが、ぼんやりとした記憶を事実として潤に残す。
「きがついたかい?ボク、名前はなんていうんだい?」
「………潤……夕貴潤」
本当に、自分がそんな名前なのかは潤にはわからない。院長が付けた只の意味の無い固有名詞。だけど自分の本当の親が、本当は何と名付けたかったのか…そんな事はもう…どうでもいい事だった。
「おうちの住所は?」
「………ないです」
「パパとママの名前は?」
「………………いません」
「いないって…君ねぇ」
「そんなものはいません!」
「…やれやれ、家出でしょうか巡査長?」
潤をいろいろ質問していた警官達は潤の対応に困った様子だ。しかし彼らはそんな潤に優しかった。泣き腫らしてやつれた様子の家出少年に、暖かいココアを入れてくれたり、玩具を出してきて楽しませてくれようとしている。だが潤は、彼らのそんな行動に、もう何も感じなくなっていた。
彼らが優しいのは、仕事だから。仕事の時間じゃなければ…きっと自分になど見向きもせずに通り過ぎていくのだろう。それでもし興味をしめしたなら…それは薄汚い欲望の序章なのだ。幼い少年の心は、そう思い始めていた。
「…巡査長、ひょっとして夕貴って……夕貴孤児院の事なんじゃないでしょうか?」
一人の警官がふと思い出したように言った。孤児院、というその響きに潤がビクンと震える。
「…なるほど、それで両親はいないって…そうだったのか、スマン事きいたなぁ…ごめんなぁ」
謝るようにポンポンと潤の頭を優しく撫でる手も、潤にはちっとも暖かくは感じない。
「今連絡を入れてみます」
「おう」
「あ……嫌、やめて!」
潤は必死で電話をかけようとした警官の脚に縋り付いた。
「おいおいなんだい?大丈夫だよ、怒られないように言っておいてあげるから、大丈夫 !」
そういうと警官は夕貴孤児院に電話をかけた。
「……はい……ええ、そうです……今から………はい、お願いします」
「……院長……」
電話の向こうの人物を思い出し、潤は嫌悪に身体を震わせる。
「寒いのかい潤君?あっちでこたつにはいって院長が来るのを待とうな」
震える潤の身体を、巡査長と呼ばれていた男がひょいと持ち上げた。
「や…やだッ…帰らないよッ!あんな所…院長のところなんて…!」
「はいはい、はやく院長にちゃんと謝って仲直りしような潤君」
暴れる潤を担ぎ上げると、潤は奥の部屋に連れていかれた。
院長は一時間後に現れた。警官達と何やら話しているのを、潤は奥の部屋のこたつの中で息を潜めるようにして聞いていた。そして、部屋の扉が開き中に人が入ってきた。もちろん、それは院長だった。
「…さぁ潤、帰りましょう」
「…………」
優し気な院長の微笑み。
「いつまで拗ねているんですか?怒らないから、さぁ、これ以上おまわりさんに迷惑をかけてはいけませんよ?」
「…………」
穏やかな口調。尤もらしい正論を紡ぎ出すその口。
「……それとも……あっちの家の方が良かったですか?向こうに電話しますか?」
静かな、脅し。
「…………」
潤に思い出されるのは、先程の義父の暴行。そして激痛。愛情もいたわりの欠片も無い、ただの性欲と言う名の暴力。ニ度と戻りたくは無い。自分を物同様『ソレ』呼ばわりしたあの家には。
選択の余地などない。
「…………」
黙ってこたつから這い出てきた潤を、院長は愛しそうに抱擁する。
「あぁ…戻る気になったのですね潤…良い子です。さぁ、帰りましょう」
自分を愛するただ一人の男。自分を偏愛する最大の枷。そこに有るのは愛情という名の鎖。
「……………はい」
だが、そこにしか潤の帰る場所はなかった。
帰りのタクシーの中、潤の肩を抱きながら院長は優しい口調で話し掛けて来た。
「……どうでした?義理の親御さんは」
「………」
「ふふ…その様子では、見知らぬ人に貰われて行くのが本当に幸せなのかどうか、判った様ですね? 」
「………はい」
(ええ…判りましたよ院長…)
「向こう様には私の方から連絡しておきますから、後の事は大丈夫ですよ潤」
「………はい」
(この世の中誰一人…そう、あなたも含めて…)
ボクを愛している人なんて
誰もいない
「ボクが院長と何をしてたか…察しはついてるんだろ?……ああそうさ、その通りだよ」
「夕貴…さん?」
「院長と寝たよ…毎晩…そう、毎晩ね。その事を夢に見ると今でもボクは…」
夕貴さんの手が、壁際に追い詰められたオレの頬に追い付き、滑るように少し乱れた胸元に入り込む。
「興奮して…寝られないんだよ森川」
オレのシャツをはらりとはだけると、夕貴さんはオレの腹筋を撫で上げた。
「ーーッく!」
ずくん、と熱く疼く下半身をオレは必死に押さえ付ける。
「フフ…お前日本に可愛い彼女残してきたから…溜ってるんだろ?」
「か…彼女だなんてそんな…うわッ…!?」
美雪はそんなんじゃない…と言おうとして、夕貴さんの手の動きにオレは思わず声をあげてしまった。服の上からオレのモノを撫でるその手が、オレの膝を震わせる。
「ボクに欲情すんだろ…したいんだろ…?」
「ちっ…違いますッ!」
嘘だ。本当は…抱きたい。
「 …抱けよ森川」
「そ…そんな事できませんよ…!」
「フン、抱きたいんだろうが?だったら抱いてみやがれ!出来ないのかよ?……出来ないんだろ、この根性無し!」
夕貴さんの罵声めいた挑発に、カァッ、と顔が熱くなった。
「……ええそうですよ…ずっと好きでしたから…ずっと焦がれてました、あなたに。…抱きたいって…何度もそう思ってましたよ!抱きたいですよ!!」
「もり…ッーー!?」
オレは強引に夕貴さんを床に押し倒していた。
「抱きたいんですよ…!」
「んっ…!」
生意気な口を自分の口で塞ぎ、一回り小さいその身体の、その腕を押さえ付ける。
「何度も夢に見ました…貴方を抱くのを…!」
「も…かわ…ッ!」
ずっと焦がれていた憧れの人。その唇、肌、触れたかったその身体。
「夕貴さん…」
吸い上げるように口付けて、その肌に手を忍ばせる。
「ん…もり…かわっ…」
誘ってきたのは貴方の方。
「……夕貴………さん…?」
だけどどうして…そんな悲しそうな目をしているんですか?そんな泣きそうな顔をしてるんです!?誘ったくせに…オレを。これじゃ強姦みたいで…こんな形で触れるなんて…こんな形でも触れたいのか…オレ…?
組みしいた夕貴さんの、今にも泣きうな顔にオレは…一気に身体の熱が冷めていくみたいに、急に冷静になる。
「本当は…嫌なんでしょう…?」
「………」
オレの問いに夕貴さんは押し黙った。
「………じゃあなんで…誘うんです?」
「………」
「嫌なくせに…抱かれるのなんて嫌なくせに…そうなんでしょう?」
「………」
夕貴さんは何か言いかけるように口を開き、そのまま何も言わずにその口を閉じ、オレから目を背けてしまった。
「あ…いいですよ……っ」
「ン、はぁ…あんッ!」
まだ年端もいかない少年が、甘い声を出して男の上に跨がっている。
「もっと腰を…あぁ、そう、そうです…いいですよ潤」
「あっ、ふぅ…はぁんッ!ん、んッ!」
その小さな体に大人の男性器を飲み込み、上下に腰を揺らす。
「い…きますよ、潤!」
「あ、あ、ああぁんッ!」
院長の愛をその体に染み渡らせながら、イク事を覚えたその体は自らをも院長の腹の上に吐き出す。
これが本当の愛なんかじゃ無いって
知ってる
でもこんな愛さえ 失うのが恐い
何も無いよりは マシ
「…潤…!?」
「ヒロト先輩…」
「……いいのか?」
無言で頷いた潤にヒロトはゆっくりと腕を廻した。そのまま近付いたヒロトの顔が潤の唇に重なる。
「…はじめて…か?」
「……はい」
咄嗟に口を突いた嘘に、潤の胸が痛む。初めてかどうかは、抱かれればわかってしまう事なのに。
それでも、この人がはじめての人だと思いたかった。
やっとみつけた かけがえの無いもの
なんとかして繋ぎ止めておきたくて
ボクはこんなやり方しか知らなくて
それでも
繋ぎ止めておく事は出来なくて…
あなたは
消えた
「遅くなったが大丈夫か?」
「平気ですよ」
「………どうだ、泊まっていくかね?」
その日の岡の言葉には、潤は何か違う色を感じていた。
「……………お言葉に甘えて」
しかしそれでいながら、 同時に何かを期待していた。
何の抵抗も迷いも無かった。
何も恐くなかった
むしろ待っていた
そうすればきっと
あなたはボクを手放したく無いと
思ってくれるのじゃないだろうかと
「きゃーーッ!潤様ーーっ!!」
「こっち向いてぇッ!」
「愛してるーーぅ。」
潤は観客の声援に手を振りながら笑顔を振りまく。
彼女達の言う『愛してる』って何だろう?
ボクの事など何も知らないのに
それでも彼女達は
記録されたデータを再生するように
『愛してる』と繰り返す
『愛してる』
ボクはこんなにも
『愛されてる』
「…夕貴さん…何をそんなに演じてるんですか?」
何を言おうとして、やめたんですか?
「……な…?」
「…誰に演じてるんですか?何を…演じてるんですか?」
オレはまくしたてるように言った。観客の前で天才で有り続ける彼のように、夕貴さんの不自然なまでの強がる仕種に、何を求めているのか、知りたくて。
本当のあなたは、儚く弱いというのに。
「……もっと自然体でいたら…いいじゃないですか?」
オレのその言葉に、夕貴さんは逆上して怒鳴った。
「……ッ…うるさいぞ森川…!お前にボクの何が解って…」
「わかりません!」
「!?」
「だから…知りたいんです。教えて下さい」
「な……」
「本当の夕貴さんが知りたいんです」
「……!!」
オレを見つめる見開かれた瞳。 不安と驚きに揺らめいたその瞳をオレはまっすぐに見つめ返す。
「教えて下さい、本当のあなたを」
オレを見つめていた夕貴さんの瞳が、ふっとオレからそらされる。
「……ボク…は…」
一瞬聞き逃してしまいそうな小さな声が、その口から発せられた。
「何ですか…?」
オレは怯えた子供をあやすように、優しく夕貴さんに聞き返した。
「ボクは…っ…」
今にも泣きそうな夕貴さんの瞳がふせられるのと同時に、その目尻を透明な涙が伝い落ちた。
ボクは『愛されてる』?
違う
違うよ
愛されたくて
必死になって
もがいてる
ボクが『天才』ならボクを見てくれるのですか?
ボクの体が気に入れば傍にいてくれるのですか?
それならそう有り続けましょう
だから…
誰かボクを
『愛して下さい』
「………れ…たい…っ…」
夕貴さんは消え入りそうな声でそう言った。
「…され…たい…愛されたいんだ…」
ポロポロと夕貴さんの頬を涙がこぼれ落ちる。張り詰めていた彼の心が崩れ落ちるように。
「やっと…みせてくれましたね夕貴さん」
本当のあなたの心を。
「……好きです夕貴さん」
「………」
「…愛して…います」
「……森川…」
「スイマセン…本気で愛して…しまったんです…」
何度も告白したその言葉を、オレは初めて音として口にする。
「……違う…」
夕貴さんは伏目がちに首を横に振る。
「…オレなんかに愛されたくないって思ってますか…?」
あなたが好きなのは…岡さん…ですよね?知っています、わかっています、そのくらい。あなたを見ていれば、嫌でもわかってしまいます。
「…そうじゃない」
「あなたが愛されたいのがオレなんかじゃなくっても…ダメです!」
「違う森川…」
「オレは…愛してるんです…!」
「森川…?」
「あなたが誰を好きでも、…迷惑でも関係ないです!オレはあなたが好きなんです…!!」
オレは顔を真っ赤にして…半泣きになっていた。
あなたが誰を好きでも、誰を愛していようと、誰に愛されたいと思っていようと、あなたを愛しているオレの気持ちはおさまる事などないから。受け入れられなくても、この気持ちは消える事など出来ない。
「もり…かわ…」
誰か気付いて下さい
ボクがこんなに強がってる事
誰か解って下さい
本当のボクのこの姿
そんなボクを
『愛している』と言って下さい…
「……勝手な事ばかり言うなよ森川」
夕貴さんの口元が僅かに笑った。
「不細工な顔しやがって…違うといってるだろう?」
夕貴さんの手がオレの頬に当てられる。
「え…?」
寄せられた唇がゆっくりとオレに触れる。しっとりとした感触がやんわりとオレを包む。離れ際にオレの唇を名残惜しそうに吸い上げる愛しい唇。
「ゆ…っ…夕貴さん?」
「何…あやまってんだよ馬鹿野郎」
「え…っ…!?」
「迷惑だなんて…言ってないだろ…」
夕貴さんは少し照れたようにそう言うと、もう一度オレに唇を重ねてきた。
お前がボクを見てるのなんて知ってたよ
だけどその視線がボクから反らされるのが恐くて
いっそのことボクの虜にしてやろうと思ったのに
本当調子がくるうよお前って奴は
「……ほら…」
「………え…なんですか?」
手招きされた意味が解らず聞き返すと、夕貴さんは急に顔を真っ赤にして言った。
「なッ…何って…お前…、だ……抱きたいんだろう…ボクを……」
語尾がどんどん小さくなりながら顔を赤らめる夕貴さんを見て、オレはようやく状況を把握する。
「あ…っ…えッ…!?あ…っと、その…いいんですか……?」
思わず遠慮がちに聞いてしまうと、夕貴さんはさらに顔を赤らめて怒ったように言った。
「し…しないならしないで、全然構わないんだからなボクは!な…何も…んぅ…っ」
オレは言葉が終わるのも待てずに、その口を塞ぐ。
「………ではお言葉に甘えて…。」
オレを拒んだわけではなかった夕貴さん。むしろ、オレの気持ちを受け止めてくれた夕貴さん。先程の余裕を臭わせる誘い方と違い、照れながら慌てる貴方に、本当のあなたの姿を見た気がした。
「……痛くしたら許さないからな…」
「そ…そんな事言わないで下さいよ〜っ!」
困ったように眉を寄せたオレに夕貴さんは…嬉しそうに微笑んだ。
なんだ…
ボクはこんなにも
『愛されてる』じゃないか
end
潤様の孤児院秘話(悲話?)書きたかったんですよ。前にメールでも、潤様が最後まで貰われずに残るなんて有り得ないっ!て意見頂きましたが、ですよね、魅夜もそう思っていました。あんな愛らしい子供が孤児院に一人だけ貰われずに残るなんて、普通に考えたらおかしいですよね?あの孤児院には何か絶対裏があったんですよ!そんなわけでなぜ潤様が貰われずに孤児院に残されたか、なんであんなに人間不信になったかってカンジのお話でした。
そして駿×潤の初めての夜v え?寸止めじゃねぇかよって?そんなあなたに特別なお部屋を御用意しました(笑)地下二階入りするほどではないのですが、ちょとだけ隠しになってます。中二階ってカンジでしょうか?えっちなあなたは探してみてね(笑)入口はこのコメントの中にありますよっ♪(簡単過ぎ/笑)
2003.01.12