断罪4






「あ…帰ってたんだ?イクシア」
「…どこにいっていたんだアルス?」
 数刻遅れて其所に現れたアルスの姿に、イクシアは振り向きもせずそう言った。すこし怒ったようなイクシアの声。
「ちょっと外の空気を吸いにいっていたんだ。あ…行き先言わないで出てっちゃってごめんね」
「………そう」
 どうして、嘘をつくのかとイクシアは思う。アルミネと会って居たんだと言えば良いのに、と。なぜそれを自分に隠すのか。いら立ちが募る。
「イクシア、あの…
今日の戦闘は…」
 イクシアはアルスに聞かれる前に口を開いた。
「…今日は結局今後の打ち合わせをして終った。今の時期は其れが適切だと僕が独断で判断したんだ」
 戦火が上がらなかったのは離れていたアルスにもわかっただろう。戦闘をしたと嘘をついたってすぐにわかってしまう。だからそういう事にしておく。
「そ…そうか、いや、それでもいいんだ……」
 特に反論もせず、責めもしない。自分の軍の事なのに、まるで人事のよう。イクシアにまた、いら立ちが募る。
「…まるで上の空だな…」
「え…?」
 自分のついた嘘を隠すのに必死で、イクシアのついている嘘を詮索する余裕すら無い。そんな態度が見え見えのアルスにイクシアは苛立つ。
「僕が君の意思に背いて勝手に出陣しなかったんだぞ……何も感じないのか?」
 何かがおかしいと、気付いて欲しいのに。
「え?いや、君がそうしたのなら、間違いはないんだと思うし…それに………」
「それに…?」
 気付いて欲しいんだ。
「たまにはそんな戦闘のない日も…平和でいいよね?」
 微笑むアルスの笑顔に、イクシアの表情が次第に引き攣っていく。
「………は…はは……平和、か……そう……だな…」
 僕が今日、何をされたか…君はわかってるの…?それが…平和?これが…あれが!?
 イクシアの心は、次第に乱れていく。
「だよね?」
 その間…君は何も知らずに………!!
  ズキン
「………っ…!」
「イクシア!?」
 突如胸を押さえて蹲ったイクシアに、アルスが驚いて駆け寄った。
「どうしたイクシア?イクシア!?」
「う…うぅっ…」
 また、締め付けるような胸の痛みがイクシアを襲ったのだ。 あの女の…アルミネの事を思いだした瞬間に、収まりかけていた胸の痛みが、また。
「体調がすぐれないのか…?」
「…っ、いや…大丈夫…だから…薬をのめば…たぶん…」
 心配そうに必死にイクシアを介抱するアルスを安心させようと、イクシアは引き攣った笑みを浮かべる。薬などのんでもこの痛みは治まりなどしない。人間ならば直ぐに理解できるこの胸の痛み、だが融機人であるイクシアにとっては原因不明の病なのだ。
「待ってて」
 アルスは引き出しからイクシアの薬を素早く取り出すと、自分の口に放った。そして、蹲るイクシアをそっと上向かせる。
「ん…」
 舌と共にぬるりと入り込んで来た薬を、イクシアはゆっくりと飲み込んだ。そして、不思議と和らいでいく胸の痛み。
「…………」
 アルスの体温を感じ、乱れていた心が静まっていく。
「…薬、効いてきたみたいだね?」
 落着いて来た様子のイクシアをみて、アルスはホッとして優しく微笑んだ。
「…………」
 その、自分だけにわらいかける笑顔を見て、イクシアはさらに冷静さを取り戻していく。アルスが自分を間違い無く愛してくれている事を再認識する事で、胸の痛みは消えていくのだ。
「君の方こそ、最近戦闘やらゲイル計画やらで随分疲労がたまっていたんだよ、きっと」
「……そう…かもしれない」
 優しく自分を抱き締めるアルスの腕の中ですっかり落ち着きを取り戻したイクシアは、そう答えて苦笑した。
「きっと…疲れているんだ、僕は」
 あの意味不明の痛みも、理解不能な感情も、きっと、きっと…疲れているからなんだと、イクシアはそう思いたかった。



「………え……?」
 翌朝、イクシアは己の耳を疑った。
「いま…なんて…」
 聞き間違いであって欲しいと願うのだ。
「だから、今日も…軍を君にお願いしたいんだイクシア」
「………」
 聞き間違いなどではなかった。アルスの言葉は、ハッキリとそう言ったのだ。
「戦闘に出ても出なくても良い。君に任せるよ」
「…………」
 アルスが一緒に居てくれなければ、昨日の二の舞いになることは明らかだった。
「2日も…大将が軍をあけるわけにはいかないだろう…?」
 あんな目にあうのはもうたくさんだ。一人で軍になんて行きたくない。もう、行けない。たとえアルスが一緒だとしても、行くのは怖いくらいなのに。
「大丈夫だよ、君がいれば」
 そう言ってアルスがイクシアに微笑んだ。戦場においてイクシアに絶対の信頼をおいているアルスには、自分がいないことなどたいした苦にならないだろうと思っているのだろう。
「……買い被りすぎだよアルス…僕は…君のかわりなんて出来ない…」
 君と僕とでは、違いすぎる…そう心の中で呟いても、その思いにアルスは気付いてなどくれない。
「君はこの軍の中心人物なんだよイクシア?それに聡明なライルの一族だろ?…できるよ、君になら。他の誰でもない、君にだから頼めるんだ」
「……………」
 アルスの信頼を一身に浴びている事は理解できる。だけどその信頼こそがフィルターとなり、アルスにはイクシアの思いは届かない。
「………君が……そう言うのなら…」
 イクシアは苦笑を零しながら、そう答えるしかなかった。アルスがそうして欲しいと願うのなら、そうするしかない。
「でも君は…その間、どこで何をしているんだ?」
「え?」
 突如かけられた問いに一瞬アルスが狼狽えたように見えたのは、イクシアの気のせいだろうか。
「具合が悪いんじゃないんだろう?」
「それは…」
 昨日外に出歩いていた事で、体調がすぐれないからではなかったことは明白になってしまっている。体調が悪いわけでもないのに戦線に赴かないのならば、それなりの納得のいく理由をイクシアが求めるのは道理というもの。
「どうしてなんだ?アルス…」
 イクシアは本当の事をアルスの口から言って欲しいのだ。
「…………」
 アルスは暫し黙りこくると、呟くように話し出した。
「最近…ね……自信がないんだ」
「……何…?」
 アルスは苦笑して続けた。
「戦闘に出る自信がね……ないんだよ」
「なっ…!」
 予想外の答えにイクシアは驚く。
「今前線に出ても、まともに戦える気がしないんだ…。一時的なものなんだと思う…けど、こんな状態で皆を引っ張っていくなんて…俺には出来ない」
「アルス…」
 たしかに最近のアルスは何をしていても上の空だ。もし戦闘に出てもこのままの状態だというのなら、どんな結末になるかは想像がつく事だった。そんな危険な状態なら、イクシアだってアルスに戦闘に出て欲しくはないと思う。
「それで…昨日も…?」
「うん…君に言ったら怒るかなと思って、昨日は黙ってた。……ごめん」
「……いやいいんだ。もういいんだアルス」
 済まなそうにあやまるアルスに優しく抱擁をして、イクシアは昨日の出来事のすべてを許そうと思った。何かがアルスを苦しめ、追い詰めているのなら、その原因を除去しない限りアルスはもとの元気なアルスにはもどらないのだろう。
「その…原因はなんなんだ?」
 元凶を断つ事で元のアルスを取り戻そうと、イクシアはアルスに追求する。
「…………」
「アルス?」
「…………」
 だが、アルスは困ったように笑うだけで答えない。
「……わかったよ…君が言いたくないのなら、もう聞かない」
 イクシアは一つ溜息をつくと其れ以上の詮索をやめる。アルスが自分の問いで困っているのを見るのは嫌だったからだ。彼を困らせたくはない。自分さえ我慢すれば…いい。
「じゃあ…僕は行くよ」
 地獄のようなあの場所に。自分さえ我慢すれば…きっと、それでいいのだから。
「ごめんね…イクシア。また、直ぐに戦闘に出れるようになると思うから」
「いや…いいんだよアルス」
 その間、自分が我慢さえすれば…きっとそれでうまくいくのだ。この緊迫した戦況も、二人の関係も、きっと。 きっと元に戻るから、だからそれまでは我慢すればいい。
「僕は…慣れてるから」
 我慢するのにも自分を押し殺す事にも。
 イクシアはすまなそうに自分を見つめて来るアルスに抱きつくと伏目がちに自嘲した。
「…気をつけて、絶対無理はしないで」
「………うん」
 アルスが自分の身を案じてかけてくれる言葉に彼の愛情を確認し、イクシアは覚悟をきめる。また今日も昨日と同じ時間が流れる事に。彼の為なら、我慢できる。彼の頼みなら、なんだって受け入れられる。心配もさせたくない。だから…また今日も平気な振りをして、時間を過ごして帰ってくればいい。あの地獄を回避する方法などないのだから……いや、なくは無いかもしれない。
「そういえば…」
 イクシアは思いだしたようにいった。昨日と同じ状況を回避する方法があったのだ。不本意ながら、一つだけ。
「アルミネは…今日も森にいっているのか?」
 彼女が一緒にいれば兵士達も昨日のような事をイクシアに出来ないだろう。天使様の前でそんなこと、人間に出来るわけは無いはずだから。だからアルミネを連れていけば、今日はちゃんと軍としての機能をはたせるのではないだろうか。それはイクシアの見つけた唯一の回避策だった。
「え!?あ…アルミネ…かい?」
 だがその名前に過剰に反応したアルスに、イクシアの声が無意識に少しキツくなる。
「……今日の戦闘には彼女も参戦してもらおうと思う。彼女は重要な回復役だからな。…君も異論はないだろう?」
 軍を任せるというのなら、その編成の決定権はイクシアに有る。本来ならアルスの許可を仰ぐ必要などないのだが、あえてアルスの前で、イクシアはその事をつげた。アルスの反応はイクシアの思った以上に狼狽えていて、イクシアのこころに靄がかかっていく。
「………でも」
「どうしたアルス?」
「……いや、アルミネは…」
「アルミネは、なんだ?」
「彼女は…だめだよ」
「何故!」
 かばうようなその態度にいら立ちを覚え、捲し立てるように棘の有る口調で問えば、数秒遅れでアルスの答えが返って来る。言葉を選びながら答えているように。
「彼女をあまり戦線に出したくはないんだ…」
「………なぜ?」
 イクシアでなくとも、そう問うだろう。アルミネは戦力の援軍としてやってきたのだ、その彼女を戦線に出さないなど、おかしな話なのだから。アルスは躊躇った後、イクシアに言った。
「人が傷付くところを…あまり彼女にみせたくないんだ」
 イクシアの眉がぴくりと吊り上がる。
「何を言っているんだアルス?これは戦争なんだぞ?アルミネは我軍にとって重要な駒の一つなんだぞ!?」
 自ら志願してこの軍の加勢にやって来た戦力に、戦争に参加させたくない?そんな勝手な話などない。何を甘えた事を言っているのかと、イクシアはアルスに怒鳴りかかった。
「駒だなんて、そんな風に彼女を呼ぶなよ!」
「な…!」
 イクシアの発言に声を荒げたアルスに、イクシアは逆に驚いて怯む。
「彼女はこの戦いに胸を痛めているんだ…誰にも傷付いてほしくないんだ…その思いが人一倍強い優しい子なんだよ!!」
 アルミネは人の傷付いた心をまるで自分のダメージのようにうけとめてしまっているのではないだろうか。アルスはそれに薄々勘付いていた。だからこそ、あれだけ多くの傷ついた心の中にいては彼女自身が参ってしまうと、アルスなりの気づかいだったのだ。
「そんなのは誰だって同じだ!皆その中で堪えてこそ敵に立ち向かって…!」
「違う!」
 アルミネが感じているものは、なにか常人とは異なるものだ。だがそれが本当に確かなものなのかアルス自身確信は持てていなかった。アルミネが何もいわないからだ。彼女はいつも辛そうな顔で大丈夫と笑うだけで、彼女が戦地で何を感じているのか、ハッキリとしたものがない。だから、上手く言いあらわせない。
「何が違う?」
「そうじゃない!」
 おそらくは天使独特の、人間にも、まして人間より感情の乏しい融機人には理解できない感覚で、彼女は戦地でダメージをうけている。人間の心や悪魔の心や、その痛みや憎しみで。
 だがそのことを上手く伝えられない。
「そうじゃなくて…」
 だから、つい口が滑ってしまったのだ。
「アルミネは君と違って感情が豊かで人の気持ちに敏感な子なんだよ?」
「な………ッ」
 長い沈黙が流れる。
「僕と…違って…だと?」
 イクシアは目の前に黒い霧がかかったようだった。思考が停止し真っ黒になり、イクシアはその場にへなへなと力なく座り込む。それはイクシアにとって『天使様はお前みたいな融機人なんかとは全然違う』そう告げられたも同前だったのだ。
 アルスだけは、自分に対してそんな事を言わないと信じていたのに。
「あ……!」
 そのイクシアの様子を見て、アルスは自分がとんでもない事を言ってしまったことにようやく気付く。いくらうまい言葉が見つからなかったとはいえ、取り返しのつかない事を…。
「イ…クシア…ごめん、俺そんな事をいうつもりじゃ…」
 『君と違って』…無意識にアルミネとイクシアを比べてしまっていた。違うのは当たり前なのに。融機人とはそういうものなのだと、理解しているつもりでも表に出さずに内に秘めていたもどかしさを口にしてしまった。アルスの発言は融機人の思考そのものを否定し、また、イクシアを否定していた。
「…………ふ…ふふ…そう、か…」
 イクシアは項垂れるように俯いて…笑い出す。
「アルミネは危険な戦闘には出さないで…僕が危険な前線で戦えばいい…そういう、事か…?」
「イクシア、違う…」
「彼女は感情が豊かだから悲惨な現場に胸を痛める…だからそういう凄惨な現場には僕みたいな感情のない機械人形が赴けばいい、そういう事かアルス!?」
「違うんだイクシア!誤解だ!」
「何が違うというんだ!?」
 アルスはそう取られてもおかしくない発言をしてしまった自分を責めた。そうじゃないのだ、と説明したくても今のイクシアにはまともに会話ができそうにない。
「あぁ…行くさ!君の望む通り僕は行くよ!」
「待ってイクシア…」
 伸ばされた手をイクシアは払った。
「そうだ…だって僕は、君に『利用』されているんだったよな?僕だってそれは承諾済みだ…そうだったよ…わすれていたよ…はは……あははっ!」
 イクシアが、次第に壊れはじめる。
「待ってくれイクシア…話を聞いて…」
「君は…君だって融機人なんかより…天使様がいいんだろうッ!」
 激しい見幕で屋敷を出ようとするイクシアを静止させようとアルスがイクシアの腕を掴む。
「聞くんだイクシア!」
「放せ!」
 イクシアはその手を激しく振払った。今までに見た事もないようなイクシアの激しい拒絶。力の弱いイクシアにそんな力があるとは思わなかったのか、予想外のその抵抗にアルスの身体は逆に吹き飛ばされそのままテーブルに叩きつけられた。
「うッ…!?」
 家具の倒れる音と共にアルスが頭を押さえて蹲る。
「あ…!?」
 イクシアは倒れ込んだアルスに、一瞬済まなそうな顔をうかべた。だが、すぐにその感情を振り切るようにキッと目もとを釣り上げる。
「………どうせ…今日もアルミネと会うんだろう…っ…!」
「!?」
 その事をイクシアが知っている事に驚いたのか、アルスの瞳が大きく見開かれる。
「…知ってるさ…昨日君がアルミネと会っていたって事……知ってるさ!!その間……僕は…ッ…」
 何か言いかけて言葉を濁すと、イクシアはアルスを残し部屋を飛び出していった。
イク……シア…っ」
 アルスは打ち付けた後頭部に手を当てながら、まだぐらぐらとする視界のなかで必死に起き上がる。が、数歩と歩かないうちにすぐにまた膝をついてしまう。
「つぅ……」
 頭がズキズキと痛む。床に手をついたアルスは、そのまま視界が遠ざかっていくような感覚に襲われ、その場に倒れ込みイクシアを追う事は出来なかった。

 

 

→next

 

 

 そろそろイクシア壊れ始めます(笑)ていうか二股はいかんよね?いかんよ、うん。

2005.07.11

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