断罪5






「……………」
 胸に拡がっていく黒い感情を自覚しながら、イクシアは森の中を歩いていた。軍の本部に向かうには方向が少し違う。
「あ、イクシアさん……おはようございます!」
 少し開けた草地に、その天使は居た。森の小鳥達と会話でもしていたのだろう、彼女の周りには森の動物達があふれ、木々の隙間から差し込む朝日を浴びてその姿は眩しい程に輝いて居た。人間に虐げられている融機人とはまるで正反対の、その神々しい姿…豊穣の天使アルミネ。
「……………」
 一歩イクシアが歩み寄ると、動物達は蜘蛛の子でも散らすみたいに林に逃げて行った。その様はまるでイクシアを拒絶するかのように。
「どうしたんですか?そんな怖い顔して…?」
 黙ったまま返事のないイクシアに、アルミネはちょっと困ったように微笑んだ。イクシアはその表情のまま、ゆっくりと口を開く。
「アルスが…怪我をしている」
「え!?」
「屋敷にいる…」
「まぁ…たいへん!私すぐ行って来ますね?」
「……………」
 なんでこんな事を自分がアルミネに言いに来たのかと、イクシアは自嘲したくなる。わざわざアルミネとアルスを引き合わせるなど…だが、アルスをあのままにはしておけない。イクシアにはアルスの傷を癒す力はない。アルスを癒せるのは…アルミネの天使の力。悔しい事に、それだけはイクシアには不可能な事だった。いつだって、アルスを癒すのは豊穣の天使アルミネ。自分には結局アルスを癒す事なんて…そう思うと、イクシアの中にまた、黒い感情が拡がって来る。原因不明の黒い病。
「…あら?」
  アルスが怪我をしていると聞いて急いで屋敷に向かおうとしたアルミネは、イクシアの横を通りかけて不意に脚を止めた。
「…………なんだ?」
 アルミネがすぐ傍に居るというだけで、なぜだかイクシアはこのうえなく不快な気分になってくる。できるだけ、表にはださないようにはしているが。
「イクシアさん、ここ怪我してるじゃないですか」
「え…」
  張り出した枝をかき分ける事も無く突っ切ってきたからだろう、イクシアの左頬には木の枝で切ったらしい傷が一筋走って居た。
「私、治してさしあげますね?」
「いいよ…このくらい、はやくアルスのところにいってくれ!」
「遠慮しないで下さい、すぐ終わりますから」
 アルミネはにっこり微笑むとイクシアの顔に手を当てた。
「!?」
 だがイクシアに触れた途端、アルミネは驚いたように瞳を見開くと、すぐにイクシアから手を離してしまう。
「………な…なんだよ?」
「あ……」
 アルミネがじわりと一歩後ずさる。怯えたようにイクシアを見る普通じゃ無いその動き。まるで、拒絶。
  必死に表には出すまいとしていたイクシアの心が崩れ出す。
「……………ふ……天使様は…薄汚れた融機人なんかには触れない…ってかい?」
 拡がっていく黒い感情。
「………どけ!」
 イクシアはギリッと奥歯を噛み締めると、アルミネを突き飛ばすように押し退けて歩き出す。
「…い…いえ…違うの……あの…私……」
 困ったように狼狽えているアルミネをそのままに、イクシアは歩みを駆け足にかえて森を走る。
 誰にでも愛され、そして誰にでも愛を注ぐ豊穣の天使。だが、その天使ですら融機人である自分を拒絶する。別にこっちだって好いてはいない。だが嫌われるような事だってしていない。それなのに。
「くそっ…くそぉッ……ちくしょぉッ!!」
 この世界の全てが自分を拒絶する。天使さえも。アルスさえも。
「………は…はは……当たり前だ…融機人など、誰が愛するものか…!あはは…あはははッ…!」
 愛されるなどと錯覚するからだ。愛してもらえるなどと望むからだ。そんな可能性など、もともとなかったではないか。
「…僕は……人形だもの」
 感情の無い機械人形。  
「何も望まない……何も感じない人形さ…そうだろアルス?」
 利用され、主人の命令を忠実に実行する都合の良い道具。融機人など所詮人間にとってその程度の存在。アルスだけは違うと信じたかったのに…信じていたのに、咄嗟に口から出たアルスの本音。かつてあんなに幸せを感じたあの時のあの言葉も、結局は融機人を都合良く踊らせる為の、人間お得意の嘘だったなんて。
「そんな嘘も見抜けないなんて…本気にするなんて…僕は、馬鹿だ…馬鹿だよ!!」
 誰も本気で愛してくれる者なんて、いるわけないのに。
「はぁ…はぁ……はぁ……」
 どれ程走っただろう、イクシアは立ち止まって乱れた呼吸と心を整えると、屋敷の方を見た。一つの眩い光が屋敷に向かって飛んでいくのが見える。アルミネはアルスの元へ向かったんだろう。
「………………」
 アルミネとアルスが、この後合う。二人で、二人だけで。その間自分は…。
「ーーー!!」
 ドクン、と騒ぎ出す黒い感情。
「う……!」
 アルミネに対してなのか、アルスに対してなのか、それとも自分自身に対してなのか。沸き上がる感情はイクシアの思考を掻き乱す。
「…だめ…だッ…!」
 イクシアはその黒い霧をかき消すように、平常心を取り戻そうと頭を振った。この黒い感情は自分をオカシクする。なにか、おそろしいものだから。
「僕が…感情なんて持つから…だからこんな…!」
 おそろしいものが芽生えて来るのだ。理解不能の心の病。過去にこんな感情を抱いた融機人の記憶が見つからない。
「感情なんか…捨ててしまえば…!」
 いっそのこと昔のように人間に従属するただの奴隷に戻ってしまえばいい。そうすれば…きっとこの病は治るんだ。
「そう、さ………それでいいんだ…」
 イクシアは最後にそう呟くと、踵を返し覚悟を決めたように軍の本部へと向かった。アルスの望むがままに、自分一人で。それが彼の…主人の望みだから。

「…ん?」
「おい、見ろよ」
 既に幾人か兵の集まっている其所へイクシアが脚を踏み入れると、雑談をして時間を潰していた兵達が現れたイクシアをみて一瞬シンと静まり返る。
「………お一人で?『軍師』様?」
 そのうちの一人が、嫌味っぽく言った。
「…………そうだ」
 どこからともなく薄笑いがあがる。
「…へぇ…懲りないなあんたも。昨日の今日だぜ?融機人てのはもうちょっと学習能力のあるモンかと思ってたけどよ。わかってんのか?」
 一人でくれば、どうなるかなど承知の上。
「わかってるさ……」
 イクシアはそう答えると、襟元に手をやり何かをはずした。 パサリ、とイクシアのマントが地面に落ちる。
「……!」
 人間達はその行動に少し驚くと、口元にいやらしい笑みを浮かべた。
「自分から脱ぐとは、さすがに無駄な事が嫌いな融機人だなぁ、おい?」
「…………」
 イクシアは無言で服を脱ぎ続け、全裸になり暫し立ち尽くす。
「……さっさとこっち来な!」
「…………」
 そして、かけられた声のほうへと自ら歩き出す…。

そうさ…僕は融機人だ
感情の無いただの人形だよアルス

だから
誰に何をされたって
なんとも思わないよ

無機質な道具だからね…


 

 

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2006.01.30

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