断罪6
「……はい、もう大丈夫ですよ!」
アルスの傷を治癒したアルミネは、にっこり微笑んでそう言った。
「ありがとうアルミネ…」
お礼を言ったアルスには天使の驚くべき治癒力で、すでに痛みの欠片も感じない。
「それにしても…どうしたんですか?あんなところで倒れているなんて、びっくりしちゃいましたよ?」
「あぁ…ちょっと、ね」
アルミネが屋敷に訪れると、アルスは玄関に向かって這うように倒れていたのだ。怪我といってもまさか倒れているとは思わなかったアルミネは、驚いて、慌てて治癒を開始したのだ。
「でも、思ったより軽傷でよかったです」
大きな瘤はできていたが、軽い脳震盪程度だったのだ。放っておいても意識は回復していただろう。
「それにしても…君もどうしてここに?」
「え…?あ…あの…なんとなく、です!」
アルミネは、咄嗟にイクシアに言われて来た事をアルスに言えなかった。何故か先程イクシアに会った事を言ってはいけないような気がしたのだ。先程の彼とのやり取りを、アルスに知られたくは無かった。自分がイクシアを傷つけてしまっただろう事を。
「なんとなく、か…君はやっぱりすごいんだな」
「…いえ…そんな…私……」
なんだかもう、本当のことを言い出せなくなってしまう。アルミネは少し困ったように俯いた。
「君にはなんでも悟られてしまうんだな…不思議だよ、まるで君は僕の心が読めるみたいだ」
「…………」
アルミネは何も言わずに、ただ微笑んだ。
癒しの力を持つ豊穣の天使アルミネ。その彼女のもう一つの能力、それは『読心の奇跡』といって触れた相手の心を読む事ができる能力だった。だがアルミネはこの能力をもっていることを、人間達には一言も告げていない。もちろんアルスだって知らない。心を読まれるなど、誰しも気持ちの良いものでは無い。そのことを知られると、皆が警戒して自分に近づきづらくなってしまうのではないかと思い、アルミネは誰にもこの事実を伝えていないのだ。もっと自然に皆と触れ合いたいと思って。だからアルスが一人で思い悩んでいる事も誰よりも理解でき、相談を聞いてあげる事ができる。なにしろ、彼に触れるだけでいいのだから。
「また、イクシアさん…ですか?」
「…………」
アルスは暫し無言になり、苦笑して言った。
「…アルミネには隠せないな…」
「喧嘩なさったんですね?」
「……うん…」
アルスはアルミネに隠し事をするのはもうやめていた。隠しても、何故かいつも言い当てられてしまうのだ。だから彼女には全てを話していた。先祖の事も、ゲイル計画の事も、イクシアとの事も。
「俺はいつも…イクシアを傷つけてばかりだ…。前にもいったろ?…ゲイル計画。あれだって…もう戻れない程計画は進んでいるというのに、いまだに俺は迷ってばっかりで、この間とうとうイクシアを泣かせてしまったよ…だめだな俺は」
「アルスさん…」
「ゲイルが…良く思われない事なんてわかってる。それを承知の上で、二人で…納得の上で進めてるんだ」
「……………」
ゲイル計画の事を聞いたアルミネは最初は凄く驚いた。天使の認識としては、生体を改造するなどというそんな計画を考える思考自体が有り得ないのだ。だが、アルミネは計画を中止しろというような口出しはしてこない。それがないと、この人を…アルスを護る事が出来ないから、それが苦渋の決断だったのだと理解したからだ。一度決定したら、イクシアには迷いは無い。だがアルスは、自分で決断したものの、ずっと迷って、迷って、迷い続けているのだ。今も。
「イクシアが…酷い奴だなんて思わないでくれよアルミネ…。彼は必死なんだ、俺を護る事のできる唯一の方法を実現する為に…本当に必死なんだよ」
「えぇ…わかっています…」
ひた向きなイクシア。ひた向きな融機人。そういう種族。
「だけど…イクシアのそんな姿を見る度に………」
アルスは俯く。
「俺は、そんなに必死に護られる程の価値のある人間なんだろうか?って…思うんだ」
「そんな…アルスさんは…」
フォローしようとしたアルミネの言葉をアルスは自ら遮る。
「この戦争を起こしたのは…俺の先祖なのに…!俺の先祖の……嘘つきでずる賢いクレスメントの起こした自業自得な闘争に、みんなが巻き込まれているだけなのに!皆、それに気付かないし…そんな本当のこと、言えないし?そのうえ俺を英雄みたいに言うし…違うよ!違うんだ本当は!俺…俺っ…」
「アルスさん……」
泣き崩れたアルスの身体をアルミネは優しく包み込む。
「アルスさんは、アルスさんですよ…今まで皆を導いて来た立派な方です。もちろん、これからも皆を引っ張って行くのは貴方にしか出来ない事ですよ?貴方の信じた事を貫いて下さい……私はついていきますから。貴方のお役にたてるのなら、私はなんだってします、だから…泣かないで下さい?」
「アル…ミネ…ッ!」
嗚咽を漏らしながらアルスはアルミネの膝で泣き続けた。誰にも見せる事の出来ない自分の情けない弱い姿を、彼女の前でだけアルスは晒す事ができた。彼女は否定するでもなく、叱るでもなく、ただ受け止めてくれるから。それはまるで迷える小羊が神の前で懺悔をするように。
「イクシアさんだって…そうですよ?アルスさんについて来てくれます!貴方には、その価値があるんですよ?さぁ、もっと自信もって下さい!ね?」
「……ありがとう…アルミネ」
励ましてくれるアルミネの言葉に、アルスの心は癒されていく。いつもこうやって泣き言をいっては励まされて、喝を入れてもらって…自分を取り戻すのだ。自分がこんなではいけないと、自覚し直しながら。
イクシアにはこんな自分の姿を見せられない。見せたく無い。必要以上に彼に心配をかけてしまうから、だから…。
「あ………!」
アルスはその名前で何かを思い出したように顔をあげる。
「そうだ、俺…イクシアに酷い事を言ってしまったんだ…!」
そもそもの、この喧嘩の要因をアルスは思い出す。なんでイクシアとこんな大喧嘩になってしまったかを。
「君といると、話さなくてもなんでもわかってくれるから、だから……イクシアといてもそんな気になっちゃって…でも、イクシアには俺の気持ちが上手く伝えられなくて、それでなんだかイライラしてて…だから俺、酷い事を…ッ!」
また、彼を傷つけてしまった。それも、かつて無い程激しく。
「どうしようアルミネ…俺…」
まるで悪い事をして言い訳に困り果てた子供のようなアルスに、アルミネは優しく微笑んで言った。
「…大丈夫ですよ、イクシアさんはアルスさんの事を本当に大事に思っています。そうじゃなきゃ………」
自分を…わざわざ呼びに来たりなんかしないはずだから。アルミネはその言葉を音には発せずに濁す。
「大丈夫、大丈夫ですよ…きっと仲直り出来ますから!」
「そう…かな?」
微笑んでそう言ったアルミネに、アルスもつられて苦笑する。
「イクシアさんはアルスさんの事大好きなんですもん!だってあんなに……」
言いかけて、アルミネは伏目がちに俯いた。そして、先程のイクシアの事を思い出す。
読心の奇跡…先程イクシアの頬に触れた時、彼の溢れんばかりの自分に対する憎悪が流れ込んで来たのだ。そのあまりもの黒い感情に、驚いて手を離してしまった。だが自分の心を読まれているなどとは知りもしないイクシアは、意味も無く彼女が自分を拒絶したようにみえたのだ。
アルスを想うがあまりに溢れる、イクシアのアルミネに対する憎しみ。イクシア本人に自覚は無いものの、それはアルミネには伝わってしまったのだ。
「でも…イクシアさん……私の事、なんだか嫌いみたいです」
「アルミネ…」
アルスは否定せず、気をおとすアルミネの肩をそっと抱いた。
「でも、話し合えばきっとわかってくれると思うんです……私、イクシアさんともっとお話してみます!」
「……そう、だね」
アルスは明るく前向きにそう言った天使の頭を慈しむように撫でると、溜息を一つついた。
「いや…僕もだ。…僕こそ、もっとイクシアと話をしなくちゃ……」
「そうですよ!みんなで、ちゃんとお話して仲直りしましょう?ね?」
あくまでも明るく前向きな天使にアルスは微笑む。
「まったく、君にはかなわないよアルミネ」
全てを見透かし、そして包んでくれる聖母のような存在のアルミネ。戦闘ばかりで荒み切ったアルスの心をだれよりも癒してくれる存在。アルスの中で彼女の存在は、特別なものだった。その感情が、なんというものなのかの自覚はないままに。
「俺…いまから本隊の所にいってくるよ」
もう逃げてばかりじゃいけない。人間軍総大将として、自分の在るべき場所から。
アルスは剣を手にとると立ち上がった。
「では、私も…!」
次いで立ち上がったアルミネにアルスは言った。
「いや、君はいいよ。今日も今の所戦火は上がっていないみたいだし、怪我人は出ていないだろうから君がいかなくても大丈夫だ」
「でも…」
「いいから!ね?」
それでもアルスについていこうとするアルミネの肩に手をおくと、アルスは彼女を座らせた。そして、触れた掌からアルミネにアルスの心が流れ込んで来る。
『イクシアと二人で話したいんだ』
アルミネに気を使っているのか、声に出さないアルスの心情。アルミネが行けば、事態がもっとややこしくなってしまう事を懸念している。イクシアに嫌悪されている自覚のあるアルミネは、それでもついていくなどとはとても言えない。
「……わかりました、いってらっしゃいアルスさん!」
アルミネは素直にそう言うと、笑顔でアルスを見送った。
2006.06.03