断罪7
(あれ…?)
静まり返った本部近辺。人の気配はなく、戦に向かった形跡も無い。
「今日はもう解散したのかな…?」
イクシアは入れ違いに帰ってしまっただろうか、そう思いながらもアルスは仮設置移動本部のドアをあける。イクシアの設計した、ホログラムにより周りの風景に溶け込むカムフラージュ機能を備えた優れものの建物だ。その正確な位置を知っているものでないと入口を発見出来ないようになっている為、並み大抵の悪魔にはまずみつからないと言って良いだろう。
中に入るが、其所は真っ暗でやはり人の気配がない。
「イクシア…?」
いないだろうとは思いつつも、一応名前を呼んでみる。 返事は無い。だがアルスは、部屋の中を数歩歩いてその異臭に気付いた。
「なん…だ?」
嗅いだ事のない臭気では無い。だが、ここでその匂いがする事が相応しく無い。
「………」
妙な胸騒ぎを抱きながら、臭気のいっそう濃くなる奥の部屋へアルスは足を踏み入れる。
「……イクシア…!?」
そして、彼を見つけた。その異臭の源である雄の体液を体中に浴びたまま、彼は部屋の中央に転がっていた。
「なっ…一体何が…!?どうし…!?」
目の前の光景にアルスはパニック状態になってイクシアに駆け寄る。
「誰がこんな…誰に…ッ!?」
悪魔ではない。これは悪魔の仕業では無い。漂うこれは間違い無く人間の異臭…だとすると…。
「まさか…」
本来ならここにいるべきはずの者達。
「まさか!?」
信頼していたはずの部下達。
「う…嘘だろ…君をこんなめに合わせたのは…まさか…!」
アルスがこっちに向かっている事を発見した見張り兵がその事を告げると、室内は混乱状態だった。そして誰もが我先にと部屋から逃げ出していったのだ。勿論イクシアを治癒するなどという証拠隠滅も忘れて。
現行犯にさえならなければ、誰がやったかなんてわからない。
「……問題ないよアルス」
動揺し、戸惑ってばかりのアルスに、人形のように動かなかったイクシアが初めて口を開く。
「何も問題ない」
もう一度抑揚の無い声でそう言って、イクシアは無感情な笑みをアルスに向けた。
「なっ…何が問題無いもんか!?大有りだろ!?どうしてこんな事になったんだよ!?」
アルスはイクシアの肩を掴んで詰め寄った。
「…融機人、だからさ」
「なっ…」
その答えは余りにも単純で。
「人間が融機人を犯す…この世界では当然のことだ。そうだろう?」
アルスが忘れかけていた…いや、忘れようと努めていたリィンバウムでの常識。
「当然って…そんな!」
「ここはリィンバウムだ…僕の居るべき場所じゃ無い。どう扱われても仕方が無い」
アルスの表情が悲し気に崩れていく。
「そんなのってあるかよ!?誰にされたんだイクシア?どいつだよ!?イクシアを無理矢理こんな目に…!」
自分の傍に置く事でイクシアを守れたんだとアルスは思って居た。もう大丈夫なんだと油断していた。もうあんなめにあわせないと約束したのに、守れなかった。不甲斐無さと悔しさと、そして憎しみ。慕っていた者達による集団の裏切り。そいつを…許せない。
「違うよ…」
「!?」
アルスに芽生えた憎しみを否定するように、イクシアは言った。
「僕が自分でさせたんだ」
「なッ…!?」
自分で脱いだ。自分で乗った。自分で喰わえた。
「嘘を言うなよイクシア!?」
「嘘じゃ無いよ…」
すべて嘘じゃ無い。
「嘘だッ!?」
アルスはそんな言葉など信じない。あまりにも感情の籠らないそんな言葉など、信じられない。
「誰かを庇ってるのか?なんで、庇うんだよ!?庇い立てる必要なんてないんだよイクシア!だって君は…いままでこの軍の為に多大な貢献した功労者だ…君の策は皆を救って来た…!幾つもの勝利を導いた、そうだろ!?それなのにそんな君を…ッ…」
皆イクシアに少なからず助けられている。そんな相手にこんな仕打ちを出来るなんて、アルスには信じられない。信じたく無い。だが彼をこんなめにあわせたのは、紛れも無くその中の人物。恩を仇でかえすような、人として許さざる行為だというのに。
「そんなの、関係ない」
イクシアは強い口調で否定した。たとえどんなに貢献しようと、変わらない。これが現実。
「君も錯覚しているんだよアルス」
自分が錯覚してしまったように。
「融機人が…『人』だとね」
「ーー!」
アルスの瞳が大きく見開かれる。
「いや…違うな、君は表面上『人』だと思おうとしているんだ。だけど君の心の中では、ちゃんと答えを知っている…」
「ち…違…」
その続きを聞きたく無くて、アルスはイクシアの言葉を止めようとする。だがイクシアの言葉は止まる事なく、続けられた。
「僕が…感情の無い機械人形だという事をね」
「違うんだイクシアぁっ!!」
その言葉をかき消すようにアルスは叫んだ。
あの言葉を吐いてしまった事実は誤魔化すつもりはない。それは自分の過ちとして受け止める覚悟でいる。だが、その真意は知って欲しかった。
「全部誤解なんだ!あれは…」
「取り繕わなくてもいいんだよアルス…わかってるから。大丈夫だよ、今まで通り僕は君を護り続けるから…」
あくまでもその表情は変えず、イクシアはそういって笑みまで浮かべて見せた。君を護る事が自分の存在意義、それは何も変わる事などない。そう主張する綺麗な人形。
「違う…!」
その無機質な笑みに、アルスは自分の吐いた暴言がどれだけイクシアを傷つけたかを痛感するのだ。自分の言った言葉が、イクシアをこんなにもかえてしまった事に。
「全然わかってない!!」
アルスは掴んだ肩を大きく揺さぶると、汚いイクシアをそのまま乱暴に抱きしめた。
「わかってない…全然わかってない!わかんないよイクシア…!」
怒鳴る声は、そのまま涙声に変わっていく。
「どうして君は…自分に嘘ばかりついて…隠そうとするんだよ!?俺にあわせてばっかりで、イクシアが何考えてるかわかんないよ!?俺が行かなかったから…こんな…!こんな事になってるなんて…なんで黙って…!」
朝イクシアが一人で出かける事を一瞬渋った…その事を思い出す。その答えがこれだった。それに気付かずに、彼をここに来させてしまったなんて。
「ご…ごめんよイクシア…俺は…」
自分の事でいっぱいいっぱいで、彼の出した僅かなサインにも気づけなかった。
「どうして欲しいのか、俺鈍いから…ちゃんと言葉で言ってくれなきゃ伝わんないんだよイクシア…!」
心を読めるわけじゃ無い。伝えてくれなきゃ伝わらない。伝えなきゃ、伝わらない。
「ア…ルス…」
自分に縋り付き号泣するアルスの姿を、イクシアは見つめる。
「元に戻ってよイクシア…帰って来て…俺の傍に戻って来てよ!」
「…………」
人形の心が、揺らぐ。封じたはずの心が、揺れる。
だがここで絆されてしまえば、自分はまたあの黒い感情を抱き、遠からず制御できなくなってしまうだろう。それは愛する人を傷つけてしまう危険なものかもしれない。そんなものはやはり無い方がいいのだ…そう自分に言い聞かせる。
そんな自問自答を否定するかのように、アルスの言葉がイクシアの心を乱す。
「君は、感情のない人形なんかじゃ無いんだから!」
ビク、とイクシアが身じろいだ。
「違う…僕に感情なんて…いらない」
「じゃあこれは何?」
アルスはイクシアの頬を掴むと、それを指で拭った。瞳から伝い落ちる透明な雫。
「あ…」
自分が涙を流している事にも気付かなかったのか、イクシアはその事に気付いた時、久しぶりに人らしい表情を見せ戸惑った。
「どうして人形からこんなものが流れるの?」
「…………」
黙り込んだイクシアに、アルスはたたみかける様に言った。
「悲しいからでしょ?辛いからでしょ?苦しいからでしょ?君は、こんなにも感情があるからでしょ!?」
「………あ…」
「君は感情の無い人形じゃ無い」
アルスはもう一度言った。
「君は…感情を表現する事に不器用なだけなんだよ…?」
押さえる事が当たり前の状況で育ったがゆえに、それを上手く表に出す術を知らない不器用な人種。不器用なイクシア。
「だから…もっと表現してイクシア。俺が受け止めるから…どんな感情も受け止めてあげるから!一人でなんでも背負わないで…俺も、一緒に背負うから…だから…!」
アルスは今まで伝え足りなかった全てを補うように、イクシアを抱き締める。
「戻って来て…」
抱きしめて来る暖かさが、イクシアを包み込む。崩れ落ちる心の鎧と共に、溢れんばかりの涙がイクシアから流れ出す。
「う…」
嘘を付けない感情が、ごまかせない感情が、イクシアの奥深くから溢れて来る。
「うわあああああああぁぁ…っ!」
心の不安も闇も包んでくれるような暖かさに、イクシアの心の殻は砕け散る。ずっと不安だったアルスの心の内を知る事で、薄れていく黒い闇。いやむしろその闇すらも受け入れてくれるアルスに、人形を演じる必要などもうないのだから。
「うん…もう我慢しないでイクシア……」
泣き崩れるイクシアをアルスは強く抱き締め、抱きしめた肩ごしに覗く白い首筋にそっと口付けた。
「!?アルス…?だめッ…僕は…汚いから…」
いまだ凌辱の後を残したままの身体に口付けてきたアルスに、イクシアは困ったように抵抗する。
「…いいんだよ…俺も…汚いから。 俺も汚い人間だから…お互い様だ」
それに構わずアルスはイクシアにまた口付ける。イクシアの顔中にこびり着いた凌辱の跡を、愛おしそうに舌で舐めとっていく。
「俺達はこれから二人で重大な罪を犯そうとしているじゃないか…?」
ゲイル計画という、大罪を。
「でも……君はいまだにそれには反対しているんだろう…」
なんでもアルスの意見に従って来たイクシアが唯一衝突した意見が、このゲイル。世論を気にするアルスにイクシアは計画続行を唱えて一歩も退かなかった。他の何を退いたとしても、それだけは退けなかったのだ。これでしかアルスを護る事ができない、ゲイルを成功させる事でしかアルスを助けられない。例えアルス自身が拒んでも、世間体がどうでも関係ない。イクシアがアルスを助ける為にはゲイルを作るしかないのだ。それでも渋るアルスとはもうずっと衝突してばかりで、イクシアはアルスの同意無しでも一人で計画を続けようとまで密かに考えていたくらいだった。
その、ずっとゲイルに悩んでいたアルスが…今それを受け入れようとしている。
「綺麗事なんて、もうそんな事をいっている場合じゃ無いんだ…世間体なんか気にしていられない。俺は俺の信じた事を貫く事に決めた」
ついて来てくれる人がいるから、もう迷わない。
「だから…みせてやろう?その罪が、世界を救う事を証明してみせよう?融機人の力が…人間を救うところをさ…」
「あ…」
有無を言わせぬ結果を出す事で、自分達が選んだ事が間違いでは無かった事を示してやろう。アルスの強い意思と決意には微塵の迷いも感じられなかった。
「俺達二人の罪だ…同罪だ…一緒だよイクシア」
「ア…アルス…ぅ…」
硬く抱き合いながら、二人は確かめ合うように長い口付けをかわす。それでもまだ足りないというように、お互いの手で互いの存在を確認するように強く抱く。互いの必要性を再確認した求め合う二つの影は闇をも受け入れ飲み込んでいくように。
ぶつかり合っていた気持ちが今、再び一つになり歯車は動き始める。
そう、僕達は…同罪なんだ
一緒だよ
だから二人で
全てを受け止めよう。
2006.10.10