失楽園
act:1愛無くしては
「…危ない、とな?」
外に出ようとした赤い髪の御使いを、一人の男が引き止める。
「ええ…ひとりで行くのは危ない、と言っているんですよ」
服の袖をきつく握り制止したその侍は、いつになく真面目な顔でそう言った。
「はっはっは、何を申すのだ?我は女子供ではない。龍人の長になる男セイロンであるぞ?」
「そんなことは、どーでもいいんです」
いつものように笑ってかわすセイロンに、シンゲンは声を強め笑いをぴしゃりと止めさせる。
「一人でいる時に敵に狙われでもしたら…」
「狙われておるのは御子殿だ。我では無いよ」
言い切るセイロンに、シンゲンが言い返す。
「そうでしょうかね?大体貴方、最初に御主人に会った時、敵に追われて囲まれてたっていうじゃありませんか?」
その場にはいなかったが、後に聞いた話しによると相当ヤバい状況に陥っていたという。本人は至って余裕な素振りであったというが、もしライ達が手助けに入らなければ、おそらく敵に捕らえられていた、と。
「あぁ、うむ。あの時は先代の遺産を所持しておったからな…だがもう、それはもっておらぬぞ?」
「それは…そうですけどね…」
狙われる要因となった、守護竜の遺産。だがそれはすでに御子に継承され、現在セイロンはそれを所持していない。敵がセイロンを捕えても、何のメリットもなくなっている、はず。
「何をそんな神経質になっている?大丈夫、我は自分の身も守れぬような男ではないぞ。我はそなたよりも上手のつもりでいるのだがな?」
「そう…なんですけどね」
たしかに、セイロンは強い。肉弾、召喚、そして回復術に至るまですべての戦闘術を使いこなす。総合的にみれば、この宿の誰よりも強い。 相手が普通の敵にたいしてならば。
「今日…昼間に会った有翼の御仁」
セイロンの扇子を持つ手が僅かに揺れる。
「随分と、面識がお有りのようでしたが?」
「………御使いの長だった男だからな」
「それだけでしょうか?」
久々の再会、そして、裏切り。立て続けに起きた激動の一日。その時のセイロンの動揺を、シンゲンは見逃さなかった。再会した時の、いつになく嬉しそうな顔。そして見ていられない程のつらそうな顔と、いつにない怒りの顔。あんな彼をみたことはなかった。セイロンにそんな顔をさせた、あの男。
「どういう御関係だったんでしょうね?あの方と」
「余計な詮索は許さぬぞ」
勘ぐるシンゲンの言葉を即座に差し、セイロンの瞳がきつくシンゲンを睨む。
もう、それが答えを言っているようなものだった。
「…妬けますね、まったく」
「詮索は許さぬと言っている」
シンゲンは半ばムキになっているようにもみえるセイロンに苦笑し、溜息をつくと静かに言った。
「あの御仁、本気でこちらさんを殺すつもりのようですね」
「………」
「勿論…貴方の事も」
今日は様子を見に来ただけだといって退いて行った、あの男。今日は戦う事は無かった。それが幸いだったのかもしれない。
「もし、出会ったら…貴方普通に戦えるんですか?」
セイロンの扇子が僅かに揺れる。
「貴方…」
シンゲンが再び真顔に向き直り、言った。
「何処に行く気です?」
旧知の者に裏切られ、そして、夜中にひとり出ていこうとする。
「昼間の、今で…こんな時間にお一人で何処にいくつもりなんですか?」
皆があの男のことで失望し、悲しみと途方に暮れる夜に。
「………月見の散歩、と言うておるであろう?」
しらじらしくも、良い月夜。
「それじゃ…御一緒させてもらいましょうかね?」
「ならぬ」
空気が、キンとはりつめる。
「どうしてもというなら、力ずくでも…!」
「邪魔をするな!」
「ぐぁッ!?」
一瞬だった。シンゲンが刀に手をかけようとした気配を読み、セイロンは瞬時に間合いを詰めると鳩尾に一撃。刀を抜く事も無く、シンゲンはその場に崩れ落ちた。
「…すまぬな」
セイロンは倒れているシンゲンを部屋に運び、ベッドにそっと降ろす。自分を心配しての行動だということは、痛い程わかってはいるのだ。だが、ここは退けない。
「我は…御使いの次席として、あ奴の真意を確かめなくてはならぬ…!」
思いつめた表情で、セイロンは皆が寝静まる宿をひとり飛び出して行った。
2007.02.06