失楽園
act:2 想い、舞い散る
「やはり、来たな」
「………」
人気のない山道、セイロンが来る事がわかっていたかのように、その男は現れた。
「クラウレ…」
セイロンは月明かりに浮かぶその姿を見つめる。自分の見知っている時と何もかわらないその姿、だが自分には理解出来なくなってしまったその男。
「そなたがまだあのような策を使ってくるとは思わなんだぞ…」
セイロンは袖口から一枚の羽を取り出した。それは かつてラウスブルグにて、夜の逢瀬の印として交わされた、二人だけの合図。
それを今、こんな状態で…この男はセイロンに使ったのだ。昼間の、裏切りを露見し立ち去るその瞬間に。自分の羽を一つ、セイロンの袖口にと。
「どういうつもりか説明をしてもらいたいものだな」
このように一対一で呼び出したからには、それなりの思惑があるのだろうと睨む。心配してくれた仲間を踏みにじるような真似までして出てきたのだ、納得の行く理由を聞かせてもらいたい。
「用件を率直に言おう」
セイロンに目線を合さず、クラウレは言葉を紡ぐ。
「俺の前から消え失せろ」
「な…んと?」
「お前は本来御使いではない…死んだ者にいつまでも義理立てる必要はあるまい。行けセイロン、俺の目の届かぬ所に」
「ふ…ふざけるでないぞ…」
(これはふざけなどではない…)
我が主人が望まない。同じ世界にこの龍人が存在していることを良く思わない。だから、消えろ。俺の前から、主人の前から。そうすれば…この手にかけずとも、済むのだ。
それがクラウレの…僅かな希望。
「そんなことできぬ!」
強い否定。一遍の迷いもない。儚くも打ち砕かれる僅かな望み。
「御子殿を立派な守護竜になるべく見届けるのが我の使命!あの方との約束なのだぞ!?」
「やはり…そう答えるかセイロン」
だが、そんな事を言った所でこの男がそれを素直に受理するともはなから思っていない。
「そなたも、本当はそんなことを言う為に呼んだのではあるまい…?」
セイロンもまた、この男の用件の本質がそれだけでは無い事を察している。
手にしたクラウレの羽を握りつぶし、散った羽毛を空に蒔き、セイロンはクラウレを睨み付けた。
「我を呼んだ、真意を申せ!」
セイロンだけにわかるように合図を出し個人的に呼び出し、自分も配下を一切連れていない状態で待ち構えていた。その行動の意味するものとは何か。
…いや、薄々はわかっている。ただ話す為に呼んだのではないという事は。だがそれを確認するまでは…まだ、信じる気持ちを残したいという思いがセイロンにはあった。
「まさか…いまさら、我等の元に戻りたいなどというのではあるまいな?」
皮肉めいた口調でセイロンは言った。
それは…僅かな希望。
「それは、無い」
即座の否定。一遍の迷いもない。望みは儚くも打ち砕かれる。
セイロンの表情が悔しげに、切なげに、歪んだ。
「そなた…本当に…っ」
「真意、か…そうだな、では…」
そんなセイロンの言葉を聞かず、クラウレは風に舞い流れて顔にかかった羽毛を払い除け、微笑する。
「以前の様にお前を抱いてやろうと思った、と言えば信じるか?」
思いもよらない言葉に、セイロンの表情が強張る。
「ッ…ふざけるなクラウレ!そんな戯言信じられるものか!」
「フッ…」
強い口調で否定され、クラウレはまた微笑する。
(そうだ…信じるな)
クラウレは威嚇するように羽を大きく広げると、槍を手に握り直す。月あかりが羽の影をセイロンに落とし、暗く覆う。月夜の逆光にクラウレの瞳が光った。
「ッ…!」
殺気を感じたセイロンが、身構える。
(もう、俺を信じるな)
「セイロン…」
クラウレは羽を広げ威嚇したまま、言った。
「貴様も…本当は抱かれるつもりでここに来たのだろう?」
「!?」
先程といい、今の発言といい…この男は、冗談でもそんな事を口にする男ではなかったはずだ。セイロンの心は乱れる。
「抱かれた肉欲の感触が忘れられず…俺に男の肉を求めに来たのだろう?」
「な…!?」
「守護竜亡き今、夜が疼くのだろう?貴様は淫欲の強い男だからな」
誇り高きセルファンの戦士。その男がこのような下賤な言葉を紡ぐ事が、信じ難い。この男は、本当にもう自分の知らない別の男になってしまったのだろうか…セイロンにそんな思いさえ過らせる。
「それとも守護竜に抱かれた温もりを、あの竜の子にでも求めているのか?だから貴様は竜の子に執着しているのだろう…」
しかもその内容は、適確にセイロンを逆撫でし煽っていく。度重なる侮辱の数々。
「クラウレ…」
セイロンの顔が怒りに高揚し、かつて感じた事が無い程のびりびりと張り詰めた気を放ち始めた。ラウスブルグでは見せうる事のなかった、強い波動。みているクラウレの方が気後れしてしまいそうな勢いだった。
だがクラウレは、言葉を止めず更に続ける。
「そうだろう…所詮貴様は暇を持て余した守護竜にとってただの愛玩稚児だったのだからな。里の民を顧みず肉欲に溺れた竜どもが…!」
怒りを増幅させるが如く、更なる暴言を。
「ーークラウレッ!!」
ドン、と何かが爆発したような気の流れがセイロンを中心にまきあがる。
「ッ…そなた…貴様!我のみならず守護竜殿をも愚弄するか!許さぬ…許さぬぞクラウレ!!」
木々が撓む程の気を放出させ、セイロンはクラウレを睨む。咆哮する龍が如く、圧倒される程の強い気。
(そうだ、それでいい。怒れ…俺を憎め)
その為に、わざと逆撫でしたのだから。
「竜の流れを組むものの誇りにかけ…我等を愚弄した貴様を全力を以て成敗す!覚悟いたせ!」
「ならば…誇りを抱いて散るがいい!」
(本気で、俺を殺しに来い…!そうでなくては…本気でお前を殺せぬ!)
それが、御使いだった男としてしてやれる最後の恩情。
「一対一だ、邪魔は入らん!命尽きるまで手合わせ願おうぞセイロン!」
「…望むところよ!」
決して本気で戦う事の無かった男達が、本気を出してぶつかれば生き残るのははたしてどちらか。たとえどちらか散ることになろうとも、主人の命を受け全うする為に散るも本望。誇りを以て死ぬのも、本望だろう。
これで、いい。
捕らえられ恥辱に塗れたこの男など、見たくは無い。
これで…いい。
もはや、この戦闘は最初から避ける事などできなかったのだ。
「何を考えている!隙だらけだぞクラウレ!」
「うッ…!」
本気で戦うセイロンは、強かった。感じた事も無い気の濃さ、動きの速さ、そして破壊力。 これだけの戦闘力を今までどこに隠していたのか、かつて平穏なラウスブルグで手合わせした時などとは比べ物にならない。
だが、クラウレの隙を見つけながらもセイロンは其処を狙っては来ない。躊躇いが、感じられる。
「このごに及んでまだ手を抜くか!…あまり俺を見くびるなよセイロン…!」
本気で、戦ってみたいと思っていた。ずっと思っていた。ラウスブルグ最強の戦士と唱われていた自分の前に現れた、武道の達人。この者を倒さなくては、最強の戦士などではない。そう思い何度か手合わせを請い対峙したことがある。その手合わせは常にクラウレの勝利で終っていた。だがその結果には一度も満足いく事はなかった。戦いながらも、この男が自分に対して手加減をしているのが、わかってしまったから。それは最強の戦士には屈辱でも有り、侮辱でもあった。だからクラウレは、何度も、何度も手合わせを請い続けた。自分に対してこの男が本気で向かってくるまではと。
それが、今こうしてこのような形で叶う事になろうとは。
「嬉しいぞセイロン…貴様を倒す今日というこの日が!」
純粋な戦士となり戦いを楽しむが如く、クラウレもまた本気でセイロンに挑んでいた。最強という称号はいつわりないもので、そのパワーはセイロンのそれを上回る。強烈な蹴りを槍の柄にて受け止めれば、一振りでセイロンを間合い遠く払い除ける。一進一退の攻防が続いていた。
「……ぜだ…」
どのくらいそうして戦っていたか、間合いが詰まるその一瞬に、独り言のようなセイロンの声がクラウレの耳に入る。
「なぜ…我等…このよう……ねば…ならぬのだ……っ」
「…………」
間を詰め、間を離し、途切れ途切れに聞こえる悲痛な思い。
「すべては…我が主人の願いの為…!!」
自分に言い聞かせるようにそう叫び、クラウレは夢中で槍を振う。今更迷ってはならない。
もう、引き返せないのだから。
すべてあの日に捨ててきたのだ。御使いの長という立場も、守護竜への忠義も、愛する妹も、共に歩んだ仲間も…そして。
この男との、過去も。
「ならば……我が敵にかける情けは無し…!!」
「!?」
遠く間合いをとっていたハズのセイロンの声がすぐ後ろで聞こえ、クラウレはハッとして振り替える。そこには両の拳に爆発的破壊力の気を溜めたセイロンが、完全にクラウレの背後を捕えていた。
その表情は、直視できない。
「く…!」
クラウレは咄嗟に空に舞い上がる。羽根を持つ戦士の最大の回避術。
「逃がさん!!」
だがセイロンは木々を足場に、かけ昇るように跳躍し、クラウレの飛び立った高さまで瞬時に追い付いてきた。
「何…!?」
ここまでは追ってこれない、という油断がクラウレにはあった。そのため防御の構えを取るのが遅れたのだ。無防備な自分の目の前には、今にも攻撃を繰り出さんとするセイロンがいた。
勝負は、あった。
(ここまで…か…!)
この男は、強い。本当に強い男だ。適わなかった。だが最後に、どんな形であれ本気のこの男と戦えた事は戦士として誇りに思いたい。
一人の戦士の死としてはクラウレは本望だった。
「我は…」
己の最後を悟ったのか、セイロンの攻撃を受け止める覚悟を決めた目の前の戦士にセイロンは呟く。
「我は…そなたを…ッ…」
そこまでで言葉を止め、 セイロンの拳はクラウレに向けて振り降ろされた。ここでとどめを差さない事は、それこそ最大の侮辱に値する。それは『敵』の戦士に対するセイロンのせめてもの手向けだった。本気の自分に倒される事を望む男を、本気で倒す事が。
そのセイロンの表情を、最後まで直視できないままクラウレは瞳を閉じる。
「…っ!?」
だが衝撃を受けずして、突如、セイロンの動きが止まった。
自ら止めたというのではなく、何かに強制的に止められたような、不自然な動き。空中でバランスを崩した身体はそのまま落下し、地面に叩き付けられた。
「…セイロン?」
地に倒れているセイロンに近付くが、既にこちらに攻撃して来る気配も無い。
「ぐッ…こ…れは…っ」
身体を動かそうとしているのか、セイロンが動かぬままの全身に力を込めているのがわかる。
「クラウレ…我を、謀ったな…ッ…一度ならず二度までも…ッ」
憎しげに悲しげにクラウレを睨む赤い瞳。正々堂々一対一と見せ掛けて、一服盛られたという悔しさ。またも、裏切られたと言う失望。
(…違う…!)
言い訳は、声にならない。
これは…邪眼、だ。
「…だめじゃないかクラウレ」
「!!」
クラウレは、後ろを振り返った。
「何を本気で殺しあってるんだい?」
そこには、月明かりに浮かぶ麗人が妖しく微笑んでいた。
「殺すんじゃ無くて、『連れて来い』って言ったんだよ?」
「ギアン…様…!」
「ギ…アン…だと…!?」
まるでクラウレの行動を監視していたかのようなタイミングで現れ、ギアンは動けずにいる龍人を見つめる。
「はじめまして…龍の若君。いや、二度目…かな?」
赤い瞳、赤い髪。そして白過ぎる肌。放つ気が…人間のそれではない。
「……何者だ、そなた…」
この者が味方ではないということは、嫌でもわかる。自分の自由を奪っているこの技も、この男のものだ。危険で、妖しい光を放つ瞳で自分を見つめる男にセイロンは怖れすら抱く。余りにも、狂気的なその瞳に。
「ようこそ若君…『我が城』ラウスブルグに御案内致しましょう」
「な…ッぐぁ!?」
近付いたギアンの拳が、動けないセイロンの鳩尾に強烈な一撃を浴びせる。と、同時に邪眼を解くと、セイロンの身体はぐったりと地にひれ伏した。
「さぁ…歓迎の宴をひらこうかクラウレ」
「…………はい……」
クラウレは楽しそうに月明かりの下で微笑む赤い瞳を、今は直視する事が出来ない。
今宵は、無情にも格別の月夜であった。
2007.02.10