『なにをするか!』
『フギャッ!』
鋭い蹴りが侍の顔面に入った。
『いっつつつ…角に触ろうとしただけじゃないですか!?』
不機嫌そうな目つきで扇子を仰ぐその人に、シンゲンは顔をさすりながら上目遣いで抗議する。 ちょっと角に触ってみたかっただけだった。だが、こうも激しい剣幕で応戦されると、かえって興味がわいてくる。
『いいじゃございませんか、ちょっとだけ触ら…』
『ならぬ!』
会話を一方的にぴしゃりと断たれ、その好奇心すら却下され、シンゲンは苦笑して溜息をついた。
『汚れた手で気安く触れるで無い』
『こいつは手厳しい…』
どうやら相当角と言うものは大事なものなのであろう。だが、シンゲンとてそのくらいで退くような輩ではない。だめだといわれれば、なおさら触りたくなる性分。
『それじゃあ触らせて頂くには…貴方の身体から切り離してみるしかないようですねぇ?』
冗談半分、本気半分。シンゲンは笑顔でそういって刀に手をかけ、相手の反応を伺う。
『!!』
突如感じた殺気にも似た気迫に、シンゲンの笑みが強張った。
『…冗談ですよ、冗談』
慌てて、戯けて謝罪する。
『冗談でもそのようなことを口にするでない』
『…すいません』
頭を掻きながら、シンゲンはへらりと笑う。
正直、怖かった。気迫の余韻で今も身体に震えが走るくらい。2度とこんなことを口にしてはならないと、シンゲンは一つ勉強になる。 龍人の角を冗談でも軽んじてはいけない。それだけ、大切なものらしい。
『どうやら貴方の目の輝き衰えぬ内に角を落とそうなど、不可能のようですなぁ』
今思えば、この時の会話はこれから起る事の前触れのようで。
『そうであろうな。おそらく、我のこの角が落とされる時は…』
セイロンの言葉が、シンゲンの耳に鮮明に思いだされる…。
『我の命が断たれた時であろう』
失楽園
act:10 対峙、衝突、迷走
(俺は…なぜあいつを助けようとする…?)
敵だ。もう敵なのだあの男は。
(俺はギアン様の忠臣…総てをすてた裏切り者だ…!)
それなのに、捨てられないものがある。
「くそッ…!」
自問自答を繰り返しながらも、クラウレは地上に向けて急下降する。
クラウレが窓から飛び出していった事は、当然ギアンも把握しているだろう。あえて追わず、止めず、むしろそうさせその様をみて楽しむような…そんなギアンの思惑が手に取るように解る。おそらくクラウレがそれを追うかどうか、ギアンは試したのだろう。もちろん、それを追えば…主人を裏切ったものとしての意を込めて。
だがそれがわかっていたとしても、地上に消えたあの二つの欠片を追わないわけにはいかないこの衝動。罪滅ぼしのつもりか、己の罪悪感をやわらげる為のただの自己満足か。
(なぜ俺は…こんな事をしているのだ…)
かつての仲間を裏切って、そして今は主人を裏切って。いったい己の目指すものは何だったのか。
「くッ!」
クラウレは思考を散らし、瞳を見開き地上を見渡す。今は、消えた欠片を探すのが先だ。総ては、それからでいい…考えるのも、迷うのも。
(………?)
そんな中、キラリと何かが光ったように見え、クラウレは翼を止める。速度をおとしゆっくりとその光に近付いて行くと、その正体が露に見えて来る。
「………あれは…!!」
クラウレは茂った葉影にひっかかっていた小さな枝を見つけた。どうやら風の流れる角度からこの辺りでは、と睨んだ見込みに間違いは無かったようだ。高い木の枝に引っ掛かっていたのが幸い、奇跡的にも上空からは見つけ易い位置にそれは在った。
陽の光を受け輝くそれは、美しい宝石のようでもあった。だが造形美のようでいて自然美を醸し出す芸術には、無惨にも人為的に破壊された断面が醜く残る。
(これがあればきっと…!)
クラウレの脳裏を弱り切った龍の姿が過った。相当衰弱していたのは明らかで、自己回復は不可能。その上今も尚兵士達に…もう、時間の猶予は幾許も無い。クラウレは急くようにその枝に手をのばした。
手にすると、触れただけでも伝わって来る強い魔力。あの男の力の源がいま、この手の中にあるのだ。だが、これで満足しているわけにはいかない。これは片割れをみつけたにすぎない。これで総べてではないのだから。片方がここにあったということは、もう片方もきっとそう遠く無い所にあるはずだ。
(…絶対に、見つけだす…!)
見つけられるはずだ。いや、見つける。見つけなくてはならない。クラウレは瞳をギラつかせ茂った森を睨む。小さな枝を探すにはあまりにも広く、雄大な自然。闇雲に探しても、奇跡は二度は起きないだろう。だがそれでは済まされない。必ずや探し出さなくてはならない。あの男を、死なせたく無い。今はただそれだけなのだ。
(しかしどうすれば…)
時間がないというのに、焦る気持ちを嘲笑うかのように立ちはだかる大自然。こんなところを虱潰しに探してまわってはあまりにも要領が悪いというもの。無情にも時だけが刻まれて行く。
「…!」
ふと思い立ち、手に握ったそれに視線を落とす。
(少し借りるぞ…セイロン)
クラウレはそれをそっと口に含んだ。
「ッ!」
途端、身体が痺れそうな程の強い魔力の流れを感じた。クラウレのような魔力の低いものには、その強さにあてられてしまいそうな強大な魔力だ。当然、このような力を自分の物として使う事などは出来ないのだが、クラウレとてその力を自分が使おうなどと考えていたのでは無い。
(………あっちか…!)
クラウレの読みは悪く無かった。口にくわえたその一瞬だけ、僅かばかりに片割れの魔力を感じる事ができたのだ。同質の魔力が呼応しているのだろう。クラウレはこれを狙っていたのだ。
魔力の波動を感じたその場所は、皮肉にも以前命をかけ手合わせをした場所の方からだった。
(急がなくては…!)
その右手に大切な欠片を握りしめ、翼をひろげクラウレは空に舞い上がった。
(さて…どうしたものか…)
勢い良く飛び出したはいいが、正直なところ方角しかわかっていなかったのだ。そちらにいけば探し人にあえる気がして…深く考えずにここまできていた。 だがここにきて、ようやくシンゲンは少し冷静になってくる。
(そういえば、おかしな事を言っていましたっけね…)
セイロンが、二つ。半分だ、と。
(……二つ……半分……ということは……二つは二人…?…半分は、小さい…?)
おもわず子供のような小さなセイロンが二人、ちょこんと座している姿を想像してしまい、あまりの不謹慎さにシンゲンは苦笑した。
(いくらなんでもそれはないでしょう…)
あまりにも非現実的。多少、理想と妄想が満たされてはいるが、意味のない想像にすぎない。だがそうでもしないと、あまり想像したくはない事象しかうかばないのだ。現実的に考えれば、それらの単語から想像できる事は限られて来る。
(やはり……胴体…もしくは首から斬り落とされ、空から捨てられた…か…)
現実的に考えれば、好ましくはない仮説しかでてはこない。セイロンが二つに分かれた、というからには、そういう意味になってしまうのだ。しかし幸いにもこれではコーラルの言っていた事とは矛盾が生じる事に気づく。
(龍人とはいえ…それじゃあおそらく無事ではいられないでしょうな…)
そんな状態であるのなら、さすがの龍人といえども死亡、良くて瀕死であるだろう。しかしコーラルはセイロンの魔力を強く感じた、といっているのだ。そんな状態の者が、強い魔力を放つなど考え難い。切断された破片そのものが魔力を放っていれば話は別なのだが、そんなことは有り得ないだろう。
(たしかに御主人のいっていたとおり、罠という可能性も無きにしも非ず…)
ならばセイロンの魔力をなんらかの形で偽造し、こちらをおびき出そうという魂胆か。
(それにしては……ですね?)
だが、まわりの気配をさぐるも、殺気は欠片も感じられない。これだけシンゲンが派手に移動しているにもかかわらず、だ。敵が潜んでいるような雰囲気では無い。耳に聞こえるのは風にざわめく茂った葉の音と、時折聞こえる鳥の羽音くらいだ。
(…………勘繰り過ぎ…なんですかねぇ)
敵の気配はない。ということは、罠では…ない?
(まぁ…案外自力で逃げ出して来た可能性だってありますし)
頭のきれるセイロンのことだ、逃げる際に敵を惑わす為、己の分身を造った可能性もある。鬼妖界において龍神に精通するセイロンなら、ヒトカタの符くらい常備していてもおかしくはない。
(しかしそれなら…もうこちらの気配に気づいてくれてもいいのでは…?)
これだけシンゲンが気配も消さず動き回っているのに、一向に探し人には遭遇しない。セイロンならば離れた場所からでもシンゲンの気配ぐらいさぐれるだろう。それならば、出てきてくれてもいいものを。
(いや、まてよ…)
先のクラウレとの接触で、セイロンが傷を負わされている事は明白だ。血痕がついていたのだから。もしかしたら、脱出したはいいがその場から動けないのかもしれない。有り得ない話ではない。…そう、普通の戦士なら。
(でもあの人ならストラで自力で治すでしょうし…ねぇ)
そうなのだ、セイロンは自力で回復ができる。そんな状態なら己の身体に使わないわけがない。それなのに姿を現さないという事は、ストラが使えないほど弱っている、という事だろうか。でもそれだけ弱っていると言うのなら、コーラルの感じた強い魔力の正体は…?
いくら考えても、まとまらない。考えれば考える程、どこかに矛盾が生じて来るのだ。いったいセイロンが二つに分かれて落ちてきた、とはどういう意味なのか。
(………えぇい、ようは見つければいいってことです!)
シンゲンは色々と考え込むのを止め、脚を進めた。この奥は、かつてシンゲンが戦いの痕跡を見つけた場所。できれば、あまり近寄りたくはない場所だった。あの男への憎悪が、押さえ切れなくなってしまうから。だがコーラルはまっすぐこちらを指し示したのだ。きっとこの方角には、何かセイロンの手がかりがある。
シンゲンは森を駆け、奥へと進む。
「…!?」
ふと木陰の茂みを駆け抜ける一瞬、セイロンの香りを感じた気がした。風に漂うように、ほんの一瞬。
(…いまのは…?)
それは、特に目立った香りではない。無臭といってもいいくらいだ。強いて言うなら、澄んだ空気や流れる水の香りのような、まして自然のなかではいくらでも溢れていそうなものだった。だが、何度も間近で感じたその香りは、シンゲンにとって間違える事はないものだった。間違い無く、確かにセイロンの香りだった。
シンゲンは憑依を解き、その場に脚を止める。ざわざわとざわめく木々の下で、シンゲンの瞳は姿の見えないその人を探した。人影などどこにもみあたらない。
「……そこにいるんですか?」
声をかけてみるが、返事は無い。かわりに答えるように、ざわざわっと頭上の葉が風に騒ぐ。 見上げたシンゲンの視界で、なにかが光った。陽の光を反射するように一瞬輝き、それは風に揺れて撓む枝から奥の茂みへと落ちる。
(…?)
その正体など、今はどうでもいいことだった。だが…何故か気になった。シンゲンは何気なくそれが落ちた茂みに腕を伸ばす。
(…なんだ…?)
指先に何か堅く冷たいものが当たった。ピリ、と何かが身体に流れ込むような刺激。思わず指を引き、そして改めてそれにもう一度指を伸ばす。
ガサ…
(!?)
その時、反対側の茂みから何かがこちらに向かって来る気配を感じた。シンゲンは咄嗟に指先に触れたそれを掴むと、懐に入れ振り返った。
殺気は、感じない。敵ではない。ということは…。
(若!?)
音の源に駆け寄り、シンゲンは向かって来るその人を迎えるように茂みをかき分けた。瞬間、互いにかき分けた茂みが左右に分かれ一気に視界が開ける。
その先には…。
「「ーーー!!?」」
鉢合わせた者達は、すかさず背後に後ずさり距離を取る。
「侍…なぜ貴様がここに!?」
「それはこっちの台詞だ!」
そこにいたのは、セイロンではなかった。シンゲンにとって許さざるベき宿敵ともいえよう男、クラウレだったのだ。
セイロンだと思い、殺気の欠片も発しなかったシンゲン。一方、欠片を探すのに夢中で周りの気配を探りもせず、同じく殺気を発していなかったクラウレ。全く警戒心のない状態での、あまりにも突然の遭遇。互いに、予想だにしていなかった再会だった。
「この地で再び貴様に巡り合ったのも死神の導きか…!!」
シンゲンは刀に手をかけると、戦闘体勢をとる。
「邪魔をするな、貴様とここで争う気は……」
「問答無用!!」
クラウレの言葉を聞き終らぬ内に、シンゲンは刀を抜き飛びかかる。
「クッ!!」
咄嗟に後ろに跳ね退きその攻撃を躱すと、クラウレはシンゲンの次の攻撃に戦闘の構えをとろうとして、表情を強張らせた。
「武器ももたずに敵地に乗り込むとはまた余裕なことだ…」
「……ッ」
そうだったのだ。槍は、持ってきていない。右手に握っていたのは、槍では無かったのだ。
「あいにく自分はね…丸腰の女子供でさえ切り落とせる鬼畜生なんですよ…」
ジリと躙り寄るシンゲンが刀を振り上げる。
「その首、貰い……ッ!?」
刃を迷い無く振りおろそうとしたシンゲンの動きが、ぴたりと止まる。シンゲンの瞳は、クラウレの右手を見ていた。握りしめられた、その欠片を。
「……なんだそれは…」
見覚えのある形状。
象牙色の枝。
「なぜ貴様がそれを…どういう事だ……それは…それは一体…」
そして…思いだされるあの言葉。
『おそらく、我のこの角が落とされる時は……』
「………説明をしている暇は…」
「なんだと聞いているんだァァ!!」
「!!」
鋭い刀筋が避け切れずにいたクラウレの羽を掠め、羽毛が舞い散った。
「貴様…貴様がッ……殺したのかァーーッ!!」
雨のように襲って来る刃を表皮を裂かれながらクラウレは必死に躱し続ける。本気の殺気を迸らせる目の前の夜叉は、どうやらこの角の意味を少なからずわかっているようだった。そして、勝手にもう死んだものだと思い込んでいる。凄まじい激昂。
「待て、話を聞け!」
「聞く耳もたぬ!!!」
「やつはまだ…」
「貴様の愚翼を切り落としてくれる!!」
怒りに我を忘れているこの男には、言葉など総てが無意味だった。こういう場合は己が敗北したとき初めて相手の言葉に耳をかたむけるものだが…あいにくと獲物をもたぬ身ではそうすることも叶わない。
(ならば…!)
クラウレは刃を躱しながらも行動に出る。相手の隙を突き、一刻も速くこの近くにある片割れを探し出すのだ。それが手に入ればこの地に用など無い。早々に空へ舞い上がってしまえばこの男も手も脚も出まい。
さきほど魔力の波動を感じたのは確かにこの近辺だ。ここまで近付けば正確な位置が反応するだろう。クラウレは再び右手の欠片を口に喰わえた。
「……!」
そして、愕然とする。確信したのだ。
「…っ…そういうことだったか…!」
片割れは…目の前の夜叉が持っている…!
「…ッ、貴様…それを渡せ…!!」
もはやこの男を無視して通る事は出来ない。
「何の事だッ!」
突如渡せといわれても、シンゲンにはこの男に渡すような物など所持している覚えはなかった。むしろ、こちらが渡してもらいたいくらいだ。身に覚えのないシンゲンの刃は、勢い衰えることなくクラウレに降り注ぐ。どちらにしろ怒りに我を忘れているシンゲンには、クラウレの言っている意味など解ろうはずがなかった。
クラウレは何度皮膚を切り裂かれようと、退く事無く何度も言葉を繰り返した。
「やつを殺したいのかッ…さっさとそれを渡せーーッ!!」
「何をふざけた事をッ!貴様が殺したのだろうがァーーッ!!」
終わりの見えない押し問答。互いが互いの主張のみを繰り返し、一歩も退こうとしない。求めている答えは同じはずなのに、解り合う事は無い。
「ーーシンゲンッ!!」
「!?」
突如舞い降りた声が、二人の男の戦いに割って入った。
「…御主人…!」
「大丈夫か!?」
後を追い掛けてきたライは、シンゲンがクラウレと戦闘になっているのを見ると、剣を抜き身構える。さらにその後ろには、ライに隠れるようにしながらも竜の子が戦闘体勢をとっていた。
「やいクラウレ!どういうつもりだ!?」
「……ッ…援軍か!」
3対1、そのうえこちらは武器も持たない状態。クラウレが圧倒的不利なのは誰が見ても明らかだった。この状況でクラウレの勝ちめは零といっていいだろう。
「くッ…」
なんとしても角を持ち帰らなければならない。だが、今ここで果てるわけにもいかない。そんなことになれば総てが無駄になってしまう。時間も…無い。ならば、せめて今持っている片方だけでも…。
クラウレは右手の欠片をキュッと強く握ると、後ろに飛び退き素早く上空へと舞い上がった。
「逃げるか貴様ッ!?」
シンゲンが追うように跳躍するが、所詮は人の肉体。空を舞う翼に追い付く事などはできない。
「この勝負は一時預ける…次に合う時に心ゆくまで相手をしてやろう!」
「待て、貴様ァーーーッ!!」
逃げるしかなかった。諦めるしかなかった。事実上、クラウレにとって屈辱的な敗北。 こんな負け方は、初めてだった。背中に罵声を浴びながら、クラウレは広い空を敗走する。その右手に僅かばかりの期待を握りしめて。
「ーーーーくそおぉっ!!」
シンゲンは地面に膝をつくと刀の柄を地に叩き付けた。もう手の届かない憎き背中を見送る事しか出来ない悔しさ。
「シンゲン…」
「くそっ…くそっ…くそぉっ!!」
「落着けよシンゲン!」
激しく感情を露に地を殴るシンゲンに叱りつけるようにそういって、ライはシンゲンの肩を掴み身体を起こさせる。
その拍子に、シンゲンの懐から何かが転がり落ちた。
「……!!」
象牙色に輝く二叉の枝。二人の視線が釘付けになった。
「これ……って…」
ライが驚いて伸ばした手から攫うようにそれを奪い取ると、 シンゲンはそれを両手で握り締める。
「そう…か、彼奴これを渡せと…」
確認もせずに、咄嗟に懐に忍ばせた欠片。まさかこれが、探していたあの人の手がかりだったなんて。所持していたことに気づかなかったとはいえ、これが憎き男の手に渡らずにいたことが僅かばかりの幸いにも思える。
彼の人の角からは、懐かしい香りと、雄の異臭がした。
「…一体何があったんだ?」
「…………」
シンゲンは答えない。
「それ…セイロンの角だよな?」
「…………」
シンゲンは答えない。
片方だけかとも思った。だが、彼奴が一つ、そしてここにもう一つ。触れているだけでわかる強い魔力は龍人の力の源であるのだろう。セイロンが二つに分かれて落ちて来るという答えは見つかった。だが、セイロンの角がどちらも単独で存在したと言う意味を、答えたく無かった。これは…もう、形見だ。
あの人は言ったのだ。己が角を失う時の事を…。
「!」
気がつくと、目の前にはコーラルの顔があり、シンゲンの顔を覗き込んでいた。
「な…っ」
シンゲンは驚いて目を瞬かせる。シンゲンはどうもこの子は苦手だった。こんな幼子だというのに、総てを知りつくし、見透かすような瞳をする。今も、シンゲンが答えないでいる理由を見透かすような瞳。
コーラルの小さな手がすっと伸び、シンゲンの握りしめているセイロンの角を握った。そして何かを訴えかけるようにシンゲンを見つめ続ける。
「……渡せ…と?」
こくん、とコーラルが頷く。
「………」
シンゲンは己の手を離すと、それを素直にコーラルに渡した。そうしなくてはならない気がして。
コーラルは受け取ったセイロンの角をじっと見つめると、そっと小さな口に運んだ。
「コーラル?おいッ、食べ物じゃないぞって…!」
「いいんです!」
それを見て驚いて止めようとするライを制止し、コーラルの様子をシンゲンは黙って伺った。
喰わえたそれをすぅと一息吸い込むと、瞳を閉じ、コーラルは暫し動きをとめる。その間が待つ者にはとても長く感じられる。
「…どう…です…?」
不安そうな声に答えるように、コーラルの瞳がぱちりと開いた。
「………セイロン、生きてる」
「ーー!!」
その答えに一気に脱力し、シンゲンはふらふらと後ずさると地に尻を付く。
「そう…ですか……生きて…」
泣き出しそうな苦笑。今にも声を出して笑い出しそうな自嘲。どっと溢れる安堵感。 角を失いはしたが、あの人は生きているのだ。
「どういうことだ…?セイロンのことわかるのか?コーラル!」
ライは突然コーラルがセイロンの気配を察知した事に驚いていた。なにしろこの前までは、上空の城にいるセイロンの様子は全然わからないと言っていたのだから。
コーラルは角を握りしめるとこくんと頷いた。
「強い魔力…角から出てた。呼応してる…これと、もうひとつと…あと…上空の城に…セイロン…………感じる」
「そっか、落ちてきた魔力の正体って、セイロンの角のことだったのか…二つに分かれてるなんていうから、凄い変な想像しちまったよ…!」
どうやらライも、シンゲンと遠からずな事態を想像していたようだ。前者か後者かは解らないが。
セイロンが生きていると言う事を知り、ライの表情にも、ようやく安堵が浮かぶ。
「じゃ、セイロン自体は無事なんだなコーラル?」
コーラルはこくんと頷いて、そしてちょっと首を捻る。
「…たぶん…」
自信なさげな不安な答え。
「たぶんって…」
「…詳しくはわかんない…ごめんなさい」
困ったように眉を寄せるコーラルに、一度は安堵を浮かべた一同に再び不安が過る。
「角を失った龍人ってのは…どうなるんですかね」
しかも、片方だけではなく両方を。
「………わかんない」
「………」
目の前の角を見つめながら、その持ち主の安否を思うと気が重くなる。
「…でも、生きてることはわかったし…な?な?」
ライが必死に前向きに振舞おうとするのが、痛々しくも見えた。
結局は…もとのままなのだ。生きている事がわかったとはいえ、どんな状態かも解らない。上空に消えた敵を追う事も出来なければ、乗り込んで救出する事も叶わない。何も進展していない。
「また…自分は何も出来やしない…」
シンゲンは溜息をつきながら呟いた。
「ただ闇雲に暴れて、血を流して…それだけで。何も…」
連れ去られる時も、クラウレが宿に来た時も、そして今もまた。
「なんて…無力なんでしょうね…」
無駄に暴れて、ただの道化。くだらなくも無力な己。気持ちだけが空回りし、それは何にもなってやしない。
「………」
シンゲンの言葉を黙って聞いていたライは言った。
「人間って、誰だってそうなんじゃねぇのかな」
一言それだけで、その続きはなかった。続けられなかったのかも知れないし、わざと言わなかったのかもしれない。その言葉はシンゲンにはとても深い意味に感じ取れた。時折、年齢の割に恐ろしく大人びた事を言うライ。シンゲンは自分よりもずっと子供の言葉に諭される己を知り、また自嘲する。
「そうですね……」
鬼と呼ばれ夜叉と呼ばれながらも、所詮は無力な人間。人は、人の枠を越えられない。
「だから…崇高なものに惹かれるんでしょうな…」
「シンゲン……」
遠く空を見つめるシンゲンの瞳に、普段は見た事のない悲しみと不安の色を感じ取り、ライはシンゲンの肩にそっと手を置いた。
空は遥か高く、届かない。
2007.07.11