失楽園
act:5 虚言砕けて
「クラウレ…ッ!クラウレッ!」
自分を組みしく男に、セイロンは声を荒げる。目の前の男はまるで感情のこもっていない瞳をしていて、暴れるセイロンを力で押さえ付けていた。枷さえなければ、なんとでもなるかもしれない。だが、この枷は思った以上に強力な魔力の込められたもので、その力の差は歴然。もともと開かれていたセイロンの身体を組敷くなど雑作もない事だった。抵抗しようとも最初から結果は見えていたのだ。
「…!」
熱い物が敏感な部分に触れ、セイロンの口元が引き攣った。まさかこのような形でこの者と再会し、このような形で再び身体を割られる事になろうとは…前に身体を重ねた時には、思いもしない事で。
「我は…絶対に許さぬぞ…!」
絶望的な体勢をとらされながらも、彼の者を睨み付けるとセイロンは虚勢のように吐き捨てる。
「許されようなどとは…思ってもいない」
それまで何を言われても無言だったクラウレは唯一その言葉にのみ答えると、熱い塊をそのままセイロンの身体に強引に突き刺した。
「…ッア!!」
熱い肉がセイロンの身体を貫く。何の前触れもなく突き刺されたそれは、セイロンの身体を傷つけた。切れた其処からは赤い糸が一筋。
何度も身体を重ねた事はあった。だが、クラウレは決してセイロンを傷つけるような乱暴を強いたことなどなかったのだ。このように、施しも何もせずにいきなり貫くなど有り得ない事で。このような状況になって初めて、クラウレがいままでどれだけ気を使って自分に触れていたのかをセイロンは知る。只でさえ立派なクラウレの事だ、強引に捩じ込まれれば、このように当然セイロンの身体は傷ついてしまうのだから。
「うっ…、くぅッ…ぐッ!」
クラウレの腰が激しくセイロンの臀部に打ち付けられる。あまりにも乱暴なその動き。滅茶苦茶に突き上げられ掻き回され、あえて快楽を感じる隙を与えぬような激しい律動。痛みが退く余韻を追うように痛みを重ね、クラウレはセイロンの内側を傷つける。力の差を叩き付けられるような、屈辱的な痛み。
「…どうだい?久しぶりにクラウレにしてもらう気分は」
セイロンの耳元に屈み込み、突かれるその表情を覗き込みながらギアンが問いかける。
「…ッ…!」
その薄笑いの顔を睨み付け、苦痛を顔に表さぬようセイロンは口を結ぶ。この男を愉しませるような顔などしない。
「クラウレはとても逞しくて硬いんだろう?わかるよ… だって、私もクラウレをよく知っているからね?」
「な……!」
わかってはいた。クラウレの態度を見れば嫌でもわかった。だが…。
「なぁ、クラウレ…?」
セイロンの目の前で、自分を辱める男にその男は口付けを与えた。まるで御褒美のように。
「ギアン…様…」
恍惚の表情でその唇を吸い上げ、そして、セイロンを乱暴に突き上げる。相反する明と暗。
「ッ…!」
セイロンは瞳を伏せた。それでも聞こえる、甘い吐息。我が身を襲う、変わらぬ痛み。
わかってはいた。わかっている。なぜクラウレが裏切ったのかを。他にも何かを目的とした理由は勿論有るだろう。だが、それよりも何よりもクラウレを突き動かしているのは…全ては…全てはこの男の為なのだと。
わかったところで…直視する事などできないのだ。目の前のこの光景を。
「ギアン様……っ!」
興奮したようなクラウレの声と共に、セイロンの内側の暴力が体積を増して行く。
今までクラウレはセイロンの中に放った事はなかった。行為は、確かに何度もした。だが、クラウレは己の欲をセイロンに吐きかける事はしなかった。守護竜への恩義か、セイロンへの気遣いか、セイロンの身体を汚す事はしなかったのだ。
「う、あ…ッぁ!」
腹の奥に熱い汚れを感じ、セイロンが呻く。身体の深い所に広がってゆく汚れた体液。これが、今のクラウレが自分に向ける感情の現れなのだとセイロンは思考の片隅で冷静に理解する。もう二人の関係が以前の様に戻れるとも思わない。戻りたいとも思わない。そして悟るのだ…クラウレも、欠片もそれを望んでなどいないのだと。
何かが、砕け散った。
「クラウレ…」
抑揚のない声が、目の前で接吻に夢中になっている男に向けられた。
「我は、これ程自分を恥じた事はないぞ…おぬしに一時でも気を許したという事をな」
その声には躊躇いもなく、感情も無い。心からそう感じている思いを、淡々と告げる。そして目の前の光景を直視する冷めた瞳は、まるで哀れむかのようにクラウレを見下していた。
「………」
クラウレはギアンから唇を放し、目を伏せ暫し黙る。
「……そうか…ならば、存分に恥じるがいい!」
そして、唐突にセイロンを突き上げた。
「くぁッ…!?」
ふいを突かれ、セイロンの口から短い悲鳴が漏れる。果てた直後とはいえ直ぐさま威を取り戻したクラウレが、再びセイロンを突き上げ始める。
「恥じるがいい…貴様が愛した男が裏切り者だということをな…裏切り者を愛したという事を…!」
「うッ、あッ…ッ!」
先程よりも数段乱暴に、クラウレがセイロンを突き上げる。セイロンの身体が壊れてしまうのではないかという程、激しく。白い肌をつたう赤い跡に、白い糸が絡まり伝い落ちる。
「………愛…ねぇ」
ギアンはクラウレの口にした単語に疑問を感じるように首を傾げると、一歩離れ眼鏡を押し上げる。そして離れた所から、二人の様子を黙って伺っていた。
「ふ…ッ、滑稽よの…クラウレ、よ」
「…なにを笑う…」
乱暴に突かれながらも、セイロンがクラウレの言葉に笑いを零す。
「自惚…れる、のも…大概に、致せ…よ…っ…?」
「なんだと…?」
苦痛に顔を歪めながらも、その瞳は冷やかにクラウレを見下した。
「おぬしなど…愛した事も無いわ…戯れに…気を許しただけ、の事!…それを、愛されて…いたなどと、とん…だ、自惚れよの…クラウレ…ッ!!」
途切れ途切れの言葉ながらも馬鹿にしたようにそう吐き捨て、セイロンは口元に微笑を浮かべた。たとえそれが虚言でも、その言葉を発したセイロン自体に迷いなどなく。
「無礼であるぞ……失せよ…!」
睨み付ける瞳には憎しみを込め、絶対的劣勢な状態から繰り出されながらも威圧感のある虚勢。生まれ持った高貴な気が、見るものを圧倒させる。
「貴様の…そのような態度が………ッ」
クラウレの無骨な掌がセイロンの横髪を乱暴にわし掴みにし、引き寄せた。
「!」
ぶつかるように唐突にかわされる、口付け。
だが その唇は、直ぐに放れた。突き飛ばすように、その身体も放される。
「………」
クラウレの口の端から流れる赤い血が顎を伝い床に垂れる。そして同時に、それはセイロンの唇からも。どちらが先ともなく、ほぼ同時に互いの唇に歯を立て、その噛み切った皮膚を吐き捨てる。それは口付けなどと呼べるものでは無く、暴力でしかなかった。口の中に血の味が広がる。
見つめ合うその瞳は、今にも互いの息の根を止めんとするように鋭く光る。
「ふ…ふふ……ホラ…ね?」
その様を見ていたギアンはおかしさを隠し切れないという様子で一人笑う。
「愛なんて…存在しないんだよ。どこにも…ね」
冷めきった瞳で二人の様を傍観し、自嘲したようにそう吐いた。
「愛なんて…偽善の欲望なんだ」
誰に話し掛けているわけでもなく、自問自答のように。この男には、愛などという言葉そのものが、すでに虚言でしかないのだ。
「……さぁクラウレ…いつまでそんな事をして遊んでるんだい」
にらみ合う二人を止めるのは、またもギアンの言葉。そして、手にした物をクラウレに差し出した。
それは一本の槍。血に濡れたクラウレの槍。
「貫け」
「!」
非情な命令。
「淫乱な若君の事だ、喜んで飲み込むだろうよ?」
ニィと口元を好奇に歪ませ、セイロンを見おろす赤い瞳。
「く…ッ…なんと悪趣味な…」
睨み返す赤い瞳が僅かに怯む。
「さぁ…」
クラウレの手に槍を握らせると、ギアンはクラウレの頬に口付ける。そしてセイロンを見て、勝ち誇ったように薄笑いを浮かべた。
これは自分の思い通りになる傀儡なのだと、所有権を主張するように。
「…クラウレ…ッ…」
傀儡が、動く。
セイロンの呼吸と共に白と赤の混じった液体を溢れさせる其処へ、冷たい金属が突き付けられた。
「ーーッ!」
セイロンの身体が強張る。
「うっ……ッア…ッ!!」
矢尻が押し込まれた。クラウレで充分に慣らされていたせいだろうか、思いのほかすんなりと矢先を飲み込み、入口も思った程の傷が付かない。
「そのまま力を抜いていることだな」
「う…あぅ…く…ぅ…!」
矢尻がじわじわと奥に進む。ゆっくりと、それはまるで内側を傷付けないように気を使っているかのようで。
「ひッ…!」
チクリと槍先がセイロンの奥壁を突つき、クラウレの手はぴたりと止まった。
「……クラ…ウレ…?」
「…………」
表情を読ませないような瞳で、無言の侭クラウレは動きを止めていた。それ以上手を動かす事が出来ない。
「な…ぜだ…」
殺しに来たはずだ。殺そうとしたはずだ。殺せたはずだ。殺せるはずだ。それを今になってなぜ、情けをかけるような行動をとるのか。先程のような目で、貫き通せば良いものを。
セイロンの心が乱れる。
「我を…惑わせるなクラウレ…っ!」
「…………」
このような屈辱的な状況にかけられる情け程、屈辱的なものはない。憎み切れない感情程、残酷なものはない。一貫せず迷いを見せ始めるクラウレに、セイロンの虚勢が乱れる。
もう、憎む事しか残されていないはずなのに。
「つくづく、甘い男だな…」
「ギアン様…」
その様子はギアンも当然みているわけで。手を抜いているようにしか見えないクラウレにギアンが呆れたような声をかけた。
「この男はお前を性欲処理の対象としか見てなかったと、そう言っただろう?」
「…………」
ギアンはクラウレの背に後ろから抱きつくと、槍を握る手にそっと己の手を添える。
「己の欲で他人をもて遊ぶような奴は…」
ギアンの手が、クラウレの腕から、槍の柄へと。
「みんな消えてしまえばいいんだ…!」
握りしめた槍を、ギアンは力を込めて押し出した。
「ギアン様!?」
「!!!」
槍が、一尺程深く沈む。肉を貫く感触がクラウレの手にも伝わる。
「がッ…アアアァッ!!」
悲鳴と共に、セイロンが大量の血を吐いた。
いくら身体を鍛えようとも、身体の内側を鍛える事など出来ない。もともと何の抵抗力ももたない粘膜は鋭い矢尻に簡単に破かれ、臓器をその刃に貫かれる。
「セイロンッ!!」
腹の薄皮を押し上げ辛うじて皮膚を破かずに止まっている刃を、クラウレはギアンの腕ごと即座に引いた。
大量の赤が溢れだし、視界を埋める。
「くっ…くっくっく…何故だ?何故私を止める?クラウレ」
「あ…」
咄嗟に主人の行動を否定した事に気づき、クラウレはギアンの手を放す。
「この男を…殺したくないのかい?あんなに殺したそうな目をしていたじゃないか」
「それは…」
「どうなんだいクラウレ?」
ギアンは槍先についた龍の血を舌先で舐めながら、何かを試すようにクラウレに問いかける。
「それは…ギアン様がこの男の死を御望みではないからです…!」
クラウレの口からでたのは、忠臣の言葉。
「…………」
その答えにギアンは暫し黙ると、突如笑顔になり、手を叩き賞賛する。
「そう…そうだよクラウレ、よくわかっているじゃないか。私もこの男を殺したくて連れてきたんじゃあないんだったよ」
殺したいのならば、あの場でとっくに殺している。殺さずに連れて帰ってきたのには、それなりの目的があったから。この男を前にすると、ギアンは不意に頭に血が昇り我を忘れる瞬間がある。うっかり殺してしまいそうになる。だが、それでは本来の目的を果たせない。
死なないように何度でも痛めつけてやるという、本来の目的を。
「ふん…」
赤い池に浮かぶ龍をちらりと見やると、ギアンはもう興味ないというように目を背けた。
「次に私が来るまでに回復させておけ」
「……はい」
部屋を立ち去るギアンの背を見送り、クラウレは視線を床に向けた。
「…さっさとストラをかけろ」
その龍は息も絶え絶えに弱り切っていた。臓器を幾つも損傷したことだろう、普通ならば死に至る深手だ。自己回復ができるこの男でなければ、確実に死ぬであろう。だがその言葉が聞こえていないのか、反応がない。
「早く回復をするんだ」
歩み寄り、その顔を覗き込む。瞳は開いているので意識はあるようだ。だが、一向に回復をしようとしない。
「……ッ!何をしている?死にたいのか!早く回復しろ!!」
声を荒げるクラウレに、血まみれの龍の口元が微笑を浮かべ、かすれた小さな声が言葉を紡ぐ。
「我は…な……クラ…………い…の………だよ……」
「 喋るな!早くストラを使うんだ!」
次第に焦りを見せ始めるクラウレを、セイロンはじっと見つめる。
「フ……なん…いう…顔をして…おる……」
「!」
今の自分がどのような顔をしているかなど、気にしている程の余裕もクラウレには無かった。時は一刻を争う状況なのだから。血の気の失せて行く肌と流れ出る大量の血。
「早く回復しろセイロンッ!!」
「そなたは……ゴホッ…かはッ…!」
言いかけた言葉途中で、セイロンは激しく咳き込んだ。喉に競り上がった大量の血を吐き出し、その度に力の入る身体からも血の海を拡げる。
「だから喋るなといっただろう!馬鹿者が!」
クラウレは苛立つように言葉を吐きながらその背をさする。乱暴な語調とは裏腹に、労るようなその掌。
だがようやくそれがおさまった時、セイロンは…動かなくなっていた。
「…セイロン?」
返事のない閉じた瞳。もう自分を睨み付ける事も無いあの赤。憎まれ口を紡ぐ事の無い唇。
「セイロン!!」
クラウレはセイロンを抱きかかえると、呼吸の止まったその口に自らの呼気を吹き込む。その時のクラウレの意識には主人の姿はそこにはなく、周りにいる配下の者も視界に入らず、ただ、目の前の男のみを映し出す。何度も、諦める事なく己の呼吸をセイロンの唇へ。
「……がはッ!」
突如、セイロンの身体が喉から血の塊を吐き出し痙攣する。
「…!」
「すぅ……」
そして意識のないままに乱れた呼吸を整え、己の身体にストラをかけた。むしろ意識のない状態だからこその、無意識による自己防衛的生命維持本能の行動か。おそらくセイロンは、意識のある状態でのストラをもう使わないだろう。
「ふぅ…」
ストラがかけられた事を確認すると、クラウレはセイロンを床に降ろし大きく息を吐いた。少しづつ血色を取り戻す肌を見ながら、確実に安堵感を覚えていた。
殺しに行ったはずだ。殺そうとしたはずだ。殺せたはずだ。殺せるはずだ。それを今になってなぜ、このように焦りを感じているのか。迷いなど捨てたと思った心に浮かぶ疑問。主人の望みだからなどではない、虚言に綴られた上辺の言葉ではもはや押さえ付ける事など出来ない。殺したいと口にすればする程、それは相反する感情の抑制に他ならなくて。
「死ぬ事は…許さん」
この男を…死なせたくない。
「屈辱を浴び醜く汚れても…自ら死を選ぶ事は俺が許さん」
かつて己の逃げ道に死を選んだ者を見て居るがゆえの、自害に対する激しい否定。それは我侭で勝手な一方的な感情。相手の意志もプライドも打ち砕く、押し付けがましい感情。
「……絶対に…な」
そうだ、自分は裏切り者。敬愛する主人に全てを捧げた身。そのように一方的で勝手な感情で構わないのだ。敵であるこの男に対して意志を尊重する必要もない。
「一命を取り留めたのですか?」
「あぁ…そうだ」
一部始終を見ていたギアン配下の者が、クラウレに問う。
「…龍というのは…なんともしぶとい生き物ですなクラウレ殿」
「………そうだな。浅ましく醜い生き物だ」
そう答えながらも自分の感情と言動の狭間にクラウレは迷いを覚える。この男と再会するまでは、揺れる事の無かった心を揺らす。
だが幸いな事に、現状は主人の意志を貫きながら己の感情を共存させる事が可能。
「…今後は致命傷を与えないようにしろ」
クラウレはセイロンを囲む配下に命令を下した。
「ギアン様の意思だ。その者を死なせるな」
「…御意!」
それはあくまでも主人の意志という主張。間違ってはいない。少なくとも、配下の者を納得させるだけの説得力はあるものだった。ギアンの命令を尊重するために、この者の命を繋ぎ止めた忠臣。配下の者の瞳にはそう映っているだろう。
クラウレが主人、ギアン。何よりも愛しく、心底慕う存在。彼の乾いた心を満たす為ならば自分はなんでもしよう。何でもできると…そう思っていた。ギアンがこの男をここにつれてくるまでは。
血に濡れ眠る龍を見おろし、 クラウレは自分に問いかける。
楽園が平穏だった頃の自分は、どんな男だったのだろうと…。
2007.02.28