失楽園
act:8 潜在する漆黒
獣皇に貫かれ、ぐったりとしたセイロンをギアンは獣人達に次々と輪姦させた。獣皇に暴力を受けた身体は、その後も獣の巨根を休む間もなく捩じ込まれ、すっかりと緩み、締り悪く伸びてしまっていた。いまや巨根の先端を押し付け軽く力を入れただけで、ずるりと奥まで飲み込んでしまう。セイロンはその瞬間にビクリと身体を震わせ、掠れた悲鳴を喉から絞り出す。いつ終るともしれない獣の凌辱はセイロンの体力を奪い、肉体を酷使し続ける。
ようやくひととおりの獣人の相手を終えた時、セイロンは青白い顔をして衰弱しきっていた。拡げられた秘処からは獣の体液と己の血液を垂れ流し、開いた脚を閉じもせず。
「そろそろ…ストラでも使ったほうが身の為なんじゃないのかい?」
その様を眺めていたギアンが、床に転がる龍を見下ろし言った。ギアンのいうことも最もだ。今の動かないセイロンはまるで生気を失ってしまったかのようだったのだ。ただひとつ、その瞳の光をのぞいては。
「なに…言うか…まだ、…その必要…ない」
セイロンはそれを否定し、視線をギアンに動かした。赤く光る鋭い瞳。
「…強がりを…!」
ボロボロになるまで犯し、その肉体を限界に追い込んでいるのに、その瞳だけがまだ反抗的な光を失わない。捨てず、諦めず、屈せず、睨み付ける。まるで相手を威圧するように。
「何故だ…?」
ギアンが面白くなさそうに呟いた。
「助けるものなどいない…自我など許されない…一片の希望も差し込む事は無い。…ここでは私が絶対だ!」
断定的にそう吐き出し、ギアンは眼鏡を押し上げる。
「貴様……何故私に媚びない」
ギアンのその言葉に、青白い顔の口元が僅かに笑う。
「言ったで…あろう……媚び方…知らぬ…と、な…」
掠れた声が痛々しく言葉を紡ぐ。あくまでも反抗的な、自尊心を失わない答えを。
「貴様…」
ギアンの手が乱暴にセイロンの角を掴んだ。
「ぅあッ!」
身動きしない状態になったとはいえ、流石に角だけにはセイロンは過敏な反応をした。ギアンは角を掴んだまま、強引にセイロンの頭を持ち上げる。まるで耳を掴んで持ち上げられた兎。狩られた獲物のよう。
そしてセイロンを睨み付けると、押し殺したような声でギアンは呟いた。
「私に、媚びろ…みっともなく媚びるんだ」
脅しにも似た声色。否定を許さない威圧感。
「知らぬ…な」
だがそれを受け、セイロンは相変わらずの瞳で、相変わらずの言葉を紡ぐ。その瞳には、自分を睨む赤い瞳に負けず劣らずの威圧感。赤い光がぶつかり合う。
「………ッ!」
変わらぬその態度に、ギアンの表情が歪む。自分の思い通りにならない苛立ち、溢れんばかりの不愉快さにギアンの感情が昂って行く。
自由をこの手に入れてから、こんなことはなかった。自分の言う事をきかない者などなかった。もっとも、あれば排除してきたのだが…とにかく、自分の言葉は『絶対』だった。『絶対』でなくてはだめだった。そうでなくてはだめなのだ、そうでなくては…保てない。
「媚びろ……」
もう一度、ギアンが同じ言葉を紡ぐ。だがその直後、セイロンの返事を待たずして彼の身体に変化が起き始めた。セイロンの目の前で、ギアンの魔力が今までの比では無い程に膨れ上がり、彼の身体が次第に光りはじめたのだ。
「…媚びろ…媚びろ媚びろ媚びろ媚びろ媚びろ媚びろ媚びろ媚びろ媚びろーーッッ!!!」
「…!?」
突如大声で叫び出すと、ギアンはその気を一気に増幅させた。空間の気の流れが乱れてギアンを中心に気流が発生し、靡く赤い髪がまるで生き物の様にうねる。
(な…んだ?)
あきらかに彼に異変が起きている事は、初めて目撃するセイロンにもわかった。これは…そう、先程の変貌した獣皇の獣化にも似ている。
「ギアン様ッ!?落着いて下さ…!」
「私に…触るなァ!」
ギアンは宥めようとする部下を触れずして弾き飛ばし、数名が壁に叩き付けられた。興奮したように叫ぶ彼のからだが、次第にその形を変えて行く。人では無い姿へと。
(こやつ…!)
赤く光る瞳と鬣のように靡く赤い髪はそのままに、彼の額には一本の巨大な角が現れる。その角からは、セイロンですら息を飲む程の強力で禍々しい魔力を放出させていた。
(……幽角獣…か…!?)
セイロンの知っている幽角獣とは、少し違う。ここにいるのは、それよりも人の形が強く残っている個体だ。だが、あの角は紛れも無く幽角獣のもの。彼は…純正ではないのかもしれない。しかしなぜ、こんなところに幽角獣ともあろう高等獣がいるのだろうか…そんな疑問を浮かべたセイロンの思考を、ギアンの暴力が途切れさせる。
「媚びろ…詫びろ…私の前に平伏せ!!私に助けを求め泣き喚け!!」
「あぐッ…っ!」
ギアンは狂ったように笑いながら、セイロンの角を引っ張った。
「だが助けてなどやらん…誰が助けてなどやるものか!助けなど来るものか!貴様などクズだ!ゴミだ!化物め…角なんか生やしやがって!!そうだ、化物だ!この…角の生えた化物めがぁぁァッッ!!」
角で身体を持ち上げられたまま乱暴に揺さぶられ、セイロンに激しい痛みが走る。
「ぐあァァッ!?」
根元から角がもがれそうな激痛。
「くっくっくっクックックック…アッハハハハハハ!」
セイロンの苦しそうな様子に声高らかに笑うと、さらに興奮したギアンの魔力が一段と高まった。ピシ、と狭い地下牢の壁に亀裂が入る。ギアンの放つ魔力に建物自体が悲鳴をあげていた。それほどに、ギアンの放つ魔力は破壊的な気を秘めているのだ。
「ギアン様ッ!」
唯一ギアンの魔力になんとか圧倒されずにいたクラウレが、暴走するギアンを制止しようとギアンの身体にしがみついた。ここはただでさえ狭いうえに地下。この興奮状態のままギアンに暴れられると、城自体を壊してしまいかねないのだ。クラウレは身体を張って必死にギアンを止めようとしていた。
「邪魔だ…消えろ!」
ギアンの腕が振り上げられる。相手がクラウレであろうと彼には関係がないというのか、自分の邪魔をするものを総べて排除しようと、振り上げた右手に魔力が込められて行く。
「ギアン様!本来の目的を達する前に城を傷つけるのは御止め下さい!」
「ーーッ!」
その右手をクラウレに向けて振りおろそうとしたギアンだったが、クラウレのその言葉に動きを止めた。
「城……」
ギアンの、彼の目的を達成する為には、この城は必要不可欠なのだ。
「あぁ………そうだね…クラウレ」
そして、ギアンは冷静さを取り戻したかのように魔力が少しづつ弱まり、やがて額の角が消える。
「すまないクラウレ。少し興奮しすぎてしまったようだね」
「ギアン様…」
冷静さを取り戻したギアンは、綺麗な笑みでクラウレに微笑んだ。いままでの暴走など、無かったかのように。まるで二重人格のように。 それをみてホッとしたような部下達の表情をセイロンは無言で見つめた。
ギアン・クラストフ、おそらくは幽角獣の血をひく者。これが、この組織を仕切る男の本当の姿。絶対的魔力の高さと、その狂暴性。その下に集結した者達がこの男に抱いているのは、果たして信頼や尊敬の念だろうか…?
味方であるとはいえ、明らかに、彼らはギアンに怯えていたのだ。
そしてもう一つ気にかかったのは、この男が先程口走った言葉。なぜ、ここでそのような言葉がでてくるのか。なにしろその台詞を言うには、この男の容姿はそぐわない。
「なんだい…何か言いたそうじゃないか」
自分を黙って見つめたまま何か物言いたげなセイロンに、ギアンが気づく。
「言いたい事があるなら、言いたまえよ?命乞いなら聞いてあげようじゃないか」
打って変わった紳士的物言いで、相変わらず角を掴んでセイロンを持ち上げたままギアンは言った。その態度には余裕すら感じさせる。先程の、今にも爆発しそうだった不安定な魔力の持ち主とは思えない。
「ならば…言わせてもらおう」
セイロンはその言葉を受けて、遠慮なく口を開いた。しっかりとした口ぶりで、何かを悟ったように。
「そなた…そうとう病んでおるな」
「…なんだと?」
あまりにも不安定。二面性。狂暴性。ギアンはたしかに相当の力を持っているようだ。だが、其れで一つの組織を統率するには危うい程の精神の薄弱さ。それが周りに与えるのは恐怖のみだ。おそらく本人もそれがわかっている。だから誰も信用していない、誰にも心を許していない。この組織の頂点に立ちながら、彼は、いつも独り。自らそう追い込んでいる。
「あいにく私は健康体でね。望む望まないにかかわらず、いつでも最良の状態なんだよ」
「……そうではない」
幽角獣の血統であれば、自己回復能力がある。それは当然のことだろう。だが、セイロンがいっているのは外面的な肉体の事では無い。
「内が…病んでいるといったのだ」
「…何?」
竜の子など関係ない。ラウスブルグなど関係ない。セイロンを拉致した事…これは、この男の個人的な感情の行動だったのではないだろうか。セイロンの見た所、幼子とそうかわらない感情の感覚をしているこの男、その意図とはきっと…。
「我が……そんなに羨ましなんだか?」
これは、あくまでもセイロンの推測。
「!!」
だがギアンは、驚いたようにセイロンの角を咄嗟に放した。その様子にセイロンは確信する。どうやら、セイロンの思う所がはずれてはいないらしい、と。それならば、話は繋がって来る。先程の言葉を辿れば、辿り着く。
どさりと床に落とされながらも、セイロンは目の前の男に向けて言葉を続ける。
「生まれの恵まれた我を…猾いとでも思うたか?」
「…黙れ…」
ギアンが、あとずさり耳を塞ぐ。セイロンを睨み、怒りと、動揺を浮かべるその瞳。
「…………角の生えた化物……」
「!?」
セイロンがその言葉を口にすると、ギアンの表情が一段と引き攣った。先程セイロンにむけて放たれた暴言。だがもしかしたら彼自身、興奮状態に陥った自分がそう口走ったことには気づいていなかったかもしれない。無意識に口をついた言葉だったとするのなら…それは、おそらく記憶。
「……一体、誰のことだ?」
そう、きっとセイロンの事じゃ無い。
「……っ…!!」
口元を震わせ、ギアンがセイロンを強く睨み付けるが、セイロンは話し続ける。
「虐待を受けて育つものは、成して虐待を与える…というな」
人というのは、そういう動物だ。まして人の血を色濃く残す男なら。
「…『角の生えた化物』…か」
もう一度、その言葉を口にした。この部屋にはセイロン以外にもう一人、該当するものがいる。
「ッ……!」
ビクン、と身体を震わせた男に見えるのは、怯え。
「黙れセイロン、…ギアン様に…!」
ギアンを庇うように会話に割って入ろうとしたクラウレにかまわず、セイロンは言った。
「それは……そなた自身の事だったのではないか?」
「ーーー!!」
受けた暴言は忘れられず逃れられず。その記憶は枷のように人格形成を支配し、周りに転化することで自分が救われようとする。他力本願で弱い思考回路を持つものの逃避行動。弱い精神が、満たされない己の心を少しでも満たす為に、優越感を得ることで劣等感を消し去ろうとした…それが、この経緯の答え。
「そなたの過去の記憶の…」
「黙れーーー!!!」
ギアンが喉も裂けんばかりの声で叫び、セイロンの声を否定する。その声はとても悲痛で、苦しそうで。病んだ彼の心の声そのものだった。
「黙れ…黙れッ!!」
救われない、救われようとしない閉鎖された心の叫び。
「見透かした口をきくな…!見下した目で見るなァッ!!」
ムキになるこの反応、すべて肯定としか言い様がなかった。この男を初めて見た時から漂っていた禍々しさは、その暗く冷たい過去の記憶の上に形成された憎悪の放出だったのだ。妬み、憎しみ、そして自我の形成不全。それがこのギアンという男を形作っている不安定で閉鎖的な己の殻。
人一倍弱きものを護ろうとする感情の強い男が、そんなこの男の弱さと脆さを見て…何よりも、護りたいと思ってしまったのだろう。
「ギアンさ…!」
「触れるなァッ!!」
怯えるギアンに触れようとしたクラウレを、ギアンの拳が拒絶する。その赤い瞳には、もう怯えを通り越した憎悪の光り。自分に近付く全てを否定し拒絶する攻撃的な赤い光。
「貴様…ッ!言わせておけば…ッ好き勝手な事を!!」
そしてクラウレを殴ったその拳は、今度はセイロンに向けられた。
「貴様など…貴様など…ッ…誰が羨むものかあァァッ!!」
「ぐッ…!」
セイロンの顔を殴り、腹を蹴り、ギアンは闇雲にセイロンに暴力を振った。
「私の方が強い…!私の方が優れている…!私は…私は何よりも秀でている存在なのだァッ!!」
何度も殴り、脚で踏みにじり、怒りのおさまるまで気の澄むまで。癇癪を起こした子供のような破壊行動。セイロンはそれを、ひたすら受け止めさせられる。彼の気のすむまで。
「はぁ、はぁ…」
ひとしきりセイロンに暴力を振うと、ギアンは息をきらしようやく拳をおろす。その足下には、口の端から血を流し目元を腫らせた龍人が転がっていた。あれだけの蹴りを喰らい続けたのだ、肋骨は殆ど折れてしまっているだろう。
「ごほっ…ゲホ…ッ」
咳き込みながらも、セイロンは弱々しく口を開く。
「……こんな事をしても……そなたは…何も救われぬ」
「…黙れ」
セイロンは腫れた目元でギアンを見つめ、諭すように呟くその瞳は、まるで哀れんでいるようで。
「そのままでは……そなたを救いたいと願うものも…離れていくであろうな」
「!」
ギアンの後ろの人影が、その言葉に身を硬くする。その気配を感じ取り、ギアンがギリと歯を噛み締める。
「ーー黙れといっているだろう!!」
なお苛立たせる言葉を吐くセイロンを、ギアンは脚先で蹴りあげた。
「かはッ!」
身を弾ませたセイロンが、血を吐いて蹲る。
「龍が…こんなにおしゃべりだとはおもわなかったよ…」
気に入らない。つくづく気に入らない龍人。存在自体がギアンを苛つかせるどころか、話してもいないギアンの過去まで勝手に見抜いてしまった。見透かした瞳、見下した態度、自分が上である事が前提のような諭すような口調。これが龍というものなのか。あくまでも自分が尊くも偉大であるという態度をまざまざと見せつける。ギアンには何もかもが気に入らない。
「少し…黙らせる必要がありそうだ」
龍の若君。龍の長。龍人の中でも特別な、選ばれし秀でた存在。この男が龍という特別な存在であるがゆえに、こうも自分を苛立たせる態度ばかりとるというならば…そう、奪えばいい。奴の『龍』を。
ギアンの口元が不敵に笑む。
「…切り落とせ」
「!?」
小さく発せられたギアンの言葉に、セイロンの瞳が動揺する。
「この男の角を……切り落とせ!!」
「な…ッ」
ビクン、と身体を震わせるセイロンに見えるのは、怯え。
「っ…ギアン様、そのような…角は龍人の…ッ!!」
「黙れ!!」
口を挟んだクラウレを、再びギアンの拳が襲う。
「ぐっ…」
クラウレは躱しも避けもせず、それを身体に受け止め、言葉を詰まらせる。決して躱せないのではない。
「ギアン様…!」
「黙れクラウレ」
それでもまだ何か言いたげなクラウレを、ギアンが睨み付ける。
「貴様は…一体誰の味方だ?」
「…ッ…!」
目線を落とし動揺するクラウレに、ギアンの眉が吊り上がる。
「貴様がやれ、クラウレ」
「!!」
またも下される、非情な命令。
「………それは……出来ません」
クラウレは散々間を置いた後、今度はそれを拒否する。紛いなりにも竜に仕えていたクラウレにとって、角がどれほどの意味をもつものか、知っていたのだ。
「やれ!!」
「……ッ…!!」
ギアンはそれでもクラウレに強要をした。だがクラウレは決して首をたてに振らず、頑に否定し続ける。
「……クラウレ……ッ!」
クラウレの態度に、ギアンは歯噛みし不愉快さを露にする。先日まではこうではなかった。自分の言う事には逆らいもしなかった。思い通りのお気に入りの駒だった…それなのに。
この龍を連れてきてから、この男は変わった。変わってしまった。この龍のせいで…!
「………もういい!!この役立たず!」
ギアンは苛立ったようにクラウレに近付くと、その頬を平手で思いきり打った。
「申しわけ…」
「煩い!」
「!!」
謝罪しようと顔をあげたクラウレの瞳に映ったのは、赤い光り…邪眼。初めて対峙した時に一度喰らい、そしてこれがニ度目。配下となり共に傍においてもらうようになってからは、初めての事だった。全身の自由を奪われ、指一本動かせない強力な拘束力。
クラウレは本気でギアンの怒りに触れたのだと悟る。
「ギア…さ…」
身体を動かす事は勿論の事、声を出す事もままならない。そんなクラウレの前で、ギアンはセイロンに歩み寄り口元を歪ませる。
「誰でもいい… 切り落とせ…さっさとこの龍の角を切り落とせッ!!」
「ハッ!!」
叫ぶギアンの声に、すぐさま部下達が集まりセイロンを取り囲んだ。
「う…ッ!?」」
セイロンは左の角を摘まれ、頭を固定される。ゆらりと眼前に巨漢が現れセイロンの身体に影を落とし、その右手には、斧。
「……!!」
それを視界に捕え、それまでのぐったりした様子とはうってかわって、セイロンは僅かに残る力を振り絞るように暴れはじめる。だが、弱り、力の封印されたセイロンの力などたかがしれているものだった。
「やめろ…やめぬか…っ!…やめろーーッ!」
角は敏感な感覚器官であると同時に、龍人にとって力の源。生命の源。この世に生を受けしその瞬間から、魔力や知力、経験や生命力を蓄積させた龍の力の象徴。まして長になるべく生まれた龍にとって、その角に貯えし力は絶大だった。いずれ来りし至る瞬間の為に、並の龍人の比では無い力を凝縮させているのだ。
「…随分と、角が大事な様じゃないか」
「と…当然であろう…ッ!」
角は長い年月をかけた己の人生の結晶と言っても過言では無い。角を失うことは、これまでの生全てが無にかえるにも等しい。己の『龍』を否定されるに等しい。角を失えば、今までに身に付けて来た力が使えなくなるどころか、使命を果たすだとか、誰かを護るだとか、そんなこと到底出来なくなってしまう。なんの為に今まで責苦に耐えてきたのか、その意味がなくなってしまう。己の存在の意味すら見失ってしまう。
「だったら…今のうちに別れを惜しんでおくんだな?」
「!!」
ラウスブルグの知識に詳しく、竜について調べあげたギアンならば、その事を知らないはずはない。むしろ、知っているが故にそうするのだ。セイロンの『龍』を破壊する為に。
「……切り落とせ」
ギアンの号令と共に、男の斧が振りおろされる。
「ーーーーーー!!!」
セイロンの顔の横を風圧が通り過ぎ、ドスン、と斧が床に突き刺さった。
「アアアアアアアァッ!!」
地下牢に絶叫が響く。
「ククク…」
ギアンは床に転がった骨の枝を拾い上げると、断面を喰わえ深く息を吸い込んだ。呼気と共に流れ込むのは、心地よいほどの強い魔力。まるで薬物を吸引しているかのよう。
「…なんという濃い魔力だ、素晴らしいよ。竜の角が高額取引される理由がよく解るというものだ」
「うっ…うっ…ッ…」
ギアンは青い顔をして身体を震わせている龍人を見下ろした。左の角は、もう無い。
「良いザマだ」
セイロンの傍にしゃがみ込むと、ギアンは手を伸ばし欠けた角の切断面に触れ、そっと爪を立てた。
「うあああああアァッ!!」
また、絶叫。
「ふふ…どうやら切断面がそうとう痛むらしいな?」
「あ…あう…ッ…うぅ…っ…!」
セイロンの瞳から、それまで決して見せる事の無かった大粒の雫が幾つも溢れ落ちる。
角は全ての感覚の結合体。痛覚もまた然り。最大の弱点といわれるわけだ、龍にとっては手足をもがれることよりも大なる苦痛。セイロンは己の身体にストラをかけ苦痛を軽減させようと試みるが、片角を失った事により体内の気が乱れ、うまく発動させることができない。
「これでは気のバランスがとれないんだろう?」
そんな様子のセイロンに気づき、ギアンは更なる非情な裁きを下す。
「それじゃあ…右もだ」
「…!」
セイロンの頭が、裏返された。右の角を掴まれ、角度を調整される。一振りで落とせるようにと。
「や…やめ…!」
弱り、半減した力のセイロンにはその拘束に抵抗する余力も持ち合わせてなどいなかった。なすがままに頭を固定され、斧が振り上げられる。
「や…やめてくれ!腕を落としても脚を落としても構わぬ!汚したければ汚すがよい!だが…角は…角だけは……ッ…頼む…!」
もはや、必死だった。この角を失うわけにはいかないのだ。約束も使命も何もかもが、セイロンの頭の中でぐるぐると巡る。それらに応える為の、残された最後の望みの綱なのだから。
「……ほぅ…」
青ざめた必死の形相でそう言ったセイロンに、ギアンは斧を振り上げた男を制止させ、目を細め微笑んだ。
「あぁ…………なんだ、できるじゃないか?…若君」
「な…に…?」
焦り狼狽えるセイロンとは対称的に、ギアンは落ち着き払った口調で答える。
「それが……『媚びる』だ」
「な……」
漸く屈した獲物に満足そうに微笑んで。ギアンは笑顔で言った。
「……切り落とせ」
「!!」
制止した斧が、再び動き出す。
「やめ…ーーーーーーッ!!」
必死の乞いも虚しく、斧が勢い良く風を切った。
断末魔のような龍の悲鳴が、虚しく地下に響く…。
2007.06.03