罪と罰<10>


「…うるっせぇぇんだよこのサル!!」
「なんだよッッ!俺なんか変な事言ったかよッ!1」
 他の泊まり客の事など知った事ではないというような大きな声が、とある町の宿屋に響き渡る。
「明日で二週間だっていっただけじゃんか!」
「んなこたぁてめぇに言われなくてもわかってんだよッ!」
「だから八戒早く帰ってこないかなって言っ…」
「うるせぇんだよだから!いちいち何でも口に出すんじゃねぇ!!」
「イッテ!なんで殴るんだよゴキブリガッパーーっ!! 」
 いつものように、…いやいつもとは少しだけ違う喧嘩の風景。そこに仲裁に入る存在の欠けたその風景は、明日でちょうど二週間目だった。傍らには新聞から片時も目を離そうとしない三蔵が、煙草の煙りを揺らしていた。これが、この数日間の三人の毎日だ。
 そして騒音に堪り兼ねたように、その三蔵の新聞がパサリと閉じられる。
「……煩せぇんだよてめぇら!また家主にどやされてぇのか!少しは静かにしろ!」
 これも、日課。いいかげん毎日喧嘩で大騒ぎされては、家主も嫌みの一つや二ついいたくもなるってもんだ。
「だってよぉ!三蔵だって悟浄だって心配だからいっつも以上にイライラしてんだろッ!?」
「煩せぇんだよ!」
「黙れ!」
「っってぇ〜!殴んなよっ!
……わ〜ったよ!黙るよッ!あと一日おとなしくしてりゃいんだろー!」
 ぷぅとむくれて悟空が引き下がる。

 なんだかんだいって悟空に喧嘩をふっかける悟浄と、いつも以上に不機嫌な三蔵と、どちらも八戒が心配でたまらないのだ。
悟空にもそれはわかっているのだが、とばっちりはいつも自分にむけられてばかり。それでも何も言わずに黙って時間を過ごすよりは、こうして喧嘩でもしてストレスを発散した方がいいと悟空は思っていた。
  コンコン
 ドアがノックされる。
「……おいでなすったぜ」
「苦情の時間か」
 いつものように、喧嘩の後に訪れるドアの向こうの訪問者。
「…お前出ろ」
「冗談…おいサル!お前でろ」
「なんで俺なんだよ〜!」
  コンコン
「ちょいとお客さん、開けますよ?」
 ノックと共に聞こえる家主の声。
「いいからさっさと出ろ!」
「……ちぇ〜」
 三蔵に睨まれて、悟空はしぶしぶドアに向かう。
「はーい今あけますよッ!」
 貧乏くじをひかされてふくれながらも、悟空は扉を開けた。
「…………あ……」
 いつものように開けた途端に聞こえる苦情は無く、扉の前に現れた姿に悟空が絶句していた。
「………おい?」
「どした?」
 そこにいたのは…
「……はっ……かい?」
「!?」
 部屋の中の人影が扉に視線を向ける。そこにはいつものように現れた家主と…そして、八戒がいた。
 期日は、明日。 今日もどってくるとは誰もおもってはいなかったようで、その帰宅は誰もの意表をついた。
「は……」
「……八戒……?」
「……はい。あの、………ただいま」
 そう言って八戒は、二週間振りに皆に笑顔を向ける。
観世音菩薩に送られてここまで来た八戒は、行きよりもずっと早く、予定よりもずっと早く戻って来る事ができたのだ。
「はっ……八戒!おかえりーーーッ!!」
 悟空が嬉しさのあまり八戒に飛びついた。
「わっ!!」
 八戒はそのまま、飛びついてきた悟空の勢いで後ろに倒れ込む。
「いたた…」
「あっ。ゴメ…そんな強く押したつもりはなかったんだけど…」
「なにやってんだ馬鹿ザル!」
 勢い良く尻餅を突いた八戒に、すまなそうに悟空が上目遣いで謝る。
「いえ、大丈夫ですよ。ちょっと足腰が…いえ、なんでもないです。大丈夫ですよ悟空」
 苦笑しながら立ち上がり、八戒は悟空をぎゅっと抱き締める。
「…………?」
 いつも通りのその抱擁に、悟空はその時何か少しの違和感を感じた。 それが何なのかはよくわからない。
「…悟空?」
「…あ、いや、…ゴメン八戒なんでもない!…それより、おかえりッ!」
 だがすぐ、いつものように屈託のない笑顔で八戒に答える。
「はい、ただいまです」
 悟空の笑顔に八戒も帰ってきた事を実感し、自然と笑みがこぼれる。
「キュー−ー!!」
「!」
 その時、部屋の奥から何かが八戒に向かって勢い良く飛び出してきた。
「あはっ、ただいまジープ」
「キュー!キュー!」
 主人の帰宅に大喜びのジープはぐるぐると八戒の周りを飛び回り、そして、悟空の肩に止まった。…どうしてだろう、
いつものように八戒の肩にはとまらない。
「……キュ…」
 ジープは少し首を傾げて八戒をみている。
「……ジープ?」
 なにかが、違う。この野生動物二匹は、本能的にそれを感じていた。八戒が戻ってきて嬉しいのだが、何かがおかしい、と。
「あのですね……お喜びの中あれなんですが…」
 そんな光景に、横から口を挟む存在がいた。家主だ。
「ようやくお待ちだったお連れさんがもどってきたようだから、こちらとしては…できれば…できればでいいんで、できるだけ早くにお部屋開けて欲しいんだけど、ねぇ…?」
 連日の騒音ばりの喧嘩は、宿の売り上げにも響いていたのだ。代金はちゃんと払ってくれているのできつくはいえないのだが、我慢にも限度が有る。家主としてはさっさと出ていって欲しくてたまらなかったのだ。人を待っているからといって今まで一向に出ていってくれる様子がなかったのだが…今ようやくその待ち人が来たのだから、もう留まる理由はないはず。
「わかっている。もうここには用は無い、明日にでもすぐ出ていってやるから安心しろ」
「そ、そうですか!なんだか追い立てたようで申し訳有りませんねぇ!」
 家主に満面の笑みが浮かぶ。
「……追い立ててんじゃん」
 ぼそっと呟いた悟浄の突っ込みなど気にもとめず、家主はようやく厄病神をおいはらえるとばかりに喜々としてもどっていった。
「……三蔵…悟浄…」
「…………」
「……よう」
 部外者の立ち去った室内に入り、八戒は奥にいた二人に歩み寄る。
「あの……」
「…聞こえなかったのか?明日出発だ」
「あ…」
「早朝発つ。さっさと寝ろ」
「さんぞ…」
「あ、おい待てよさんぞー!」
 まるで、八戒の事を無視するように言うと、三蔵は更に奥の部屋へといってしまった。それを追い掛けるように悟空が付いていく。その肩にとまったジープがこちらをじっと見つめたまま遠ざかる。
「………」
 三蔵が喜々として歓迎してくれるとは思わなかったけれど、だけど…もう少し、何かこう…期待していた。現状の三蔵の態度に八戒の笑顔が曇る。
ようやく帰ってきたのに、自分の居場所に戻れたのに、何故か感じる疎外感。
「まぁたそんな顔すんなって、あのクソ坊主は照れくせーんだよ!やつの性格わかってんだろが?ん?」
「悟浄…」

 そんな八戒を悟浄が優しく抱きしめてくれた。
 いつでも、自分を待っていてくれる悟浄。自分を見つけてくれる悟浄。お互いがお互いを必要としているから、その腕は八戒にとってとても暖かい。

「……おかえり」
「はい……ただいま悟浄」
 悟浄の大きな手が八戒の頬を優しくなぞり、髪をかき上げる。そしてその手が左耳に触れた時…
「!?」
 ビクッ、とその手は八戒を放した。
「…悟浄?」
 八戒は悟浄を見上げる。
「あ………」
 驚いたというよりは、何か異なものでも見るような目で、悟浄は八戒をみていた。左耳に異物のない八戒ということが、何を意味しているかなど明白。なぜ、八戒が皆の前から姿を消していたか、その理由が。
「あの……僕…」
 黙っているつもりはない。むしろ、知ってもらいたい。八戒は言葉を切り出すが、それを悟浄に遮られる。
「いや………そうか、そうだったのか……わーったよ八戒……」
 悟浄は八戒の言葉を遮ると枯れた笑みで笑った。
「さってと、…明日寝坊すっとクソ坊主にどやされっぞ?」
「そ…そうですね」
「ホラ、お前も疲れてんだろうから今日は早く寝ろよ」

 悟浄は八戒の両肩をポンポンと叩くと、奥の部屋に入っていった。
 だけどその背中はどこかさびしそうだった。



 
誰も口を開かない車中、一行は一路西へと向かっていた。誰も八戒に何も訪ねない、それが逆に八戒にはきつかった。わかっているから何も言うなと言う事なのか、それとも…。
「あの……じつは僕…」
「なぁ、次の街ってどのくらい?」
「え?…あ、あぁ…えーと…すぐですよ」
「そっか」
「…………」
 意を決したように切り出そうとした八戒の言葉はうやむやになってしまう。意図的なのか、違うのか…煮え切らない感覚だけが八戒の中に募っていく。いや、それは八戒だけではなかったのかもしれない。
(僕は……ちゃんと約束を果たしました…よね?)
 八戒は横目で三蔵を盗み見るが、眠っているのか伏せているだけなのか、その瞳は硬く閉ざされたまま八戒の方を見る気配もない。
 必死になって約束を果たしたのに。
 ちゃんと帰ってきたのに。
(なんなんでしょうこの空気は……)
 居心地の悪い空気を身に纏いながら、八戒は溜息を漏らした。だがこのまま、黙って過ごすわけにもいかない。
「………あのですね、みなさん……」
「なぁ、次ぎの街ってうまいもんあるかなぁ?」
「キレーなおねぇちゃんがいる店みっかるかなぁ」
「聞いて下さい」
 また会話を消されそうになり、八戒は強めの口調で言った。
「…………」
 悟空と悟浄が、真顔になって黙り込む。
「僕は……この数日間で……」
「おい」
 ようやく静かになった中、話題を進めようとした八戒を、いままで口を閉ざしたままだった三蔵が遮る。
「……話は後だ。団体サマのおでましだ」
「ーーーーー!」
 緊張が張り詰める。刺客の気配だ、それも大勢。
これだけに囲まれていたのに今まで全然気がつかなかった八戒は、慌てて車を止める。戦闘から離れて数日間、少し感覚が鈍っていたようだ。
「戦闘すんのも久しぶりだな」
「いっちょやりますか」
 悟空と悟浄はそういうと、車から飛び出し武器を身構えた。
「僕も…ずいぶんと久しぶりですしね」
「……おい」
 車を降りようとした八戒を三蔵が呼び止めた。
「……気をつけろ」
「…え?」
 いつにない労いの言葉をかけ、三蔵は車を降りた。
「見つけたぞ三蔵一行−ー−ーッ!」
「死ねぇーーッ!!」
 それを合図のように、辺りに潜んでいた妖怪が一斉に飛び出してきた。
「毎度毎度、こりねぇなっ!」
「かるーくこらしめてやるぜ!」
 襲い掛かる刺客を悟空と悟浄は気持ちいい程に次々となぎ倒していく。いつもとさほどかわらない、ありきたりな雑魚ばかり。
「さて、僕もなんだかすっきりしない鬱憤はらさせてもらいますか」
 皆に人足遅れて車を降りた八戒は、両手に気を集中させる。いつものように。
(ーーーーーーーーーーあれ?)
「うあッ!?」
 八戒は敵の蹴りをまともに喰らって後ろにふっとんだ。咄嗟に受け身を取り素早く身を起こすが、八戒の心は激しく動揺していた。
(……気巧砲が)
 すばやく身をかわし、敵の攻撃をかわす。
(………でない…?)
 気功砲だけじゃない。気巧による防護壁も作る事ができない。
「そう…か…」
 気をつけろ、と言った三蔵の言葉の意味を今さらながらようやく理解する。 人並みはずれた妖力を持つ八戒だからなし得る技、気巧術。人間に戻った八戒には気功砲は撃てないのだ。
(だったら……)
 八戒は飛びかかる妖怪の腕を掴み、その反動を利用して投げ飛ばした。
(これでも僕は…『生身の人間』のまま妖怪を千人も殺した……バケモノです!)
 気巧に頼るのをやめた八戒は、体術のみで敵と闘いはじめる。 人間とは言え、八戒は強かった。妖怪達と互角に、いやそれ以上に戦えていた。流石に千人の妖怪を虐殺した実力は伊達ではない。
 だがあの時のように武器を持っていない今の八戒は、相手に致命傷を与える事ができない。倒れた妖怪はまた次々と起き上がって襲い掛かる。その数は減るどころかどんどん膨れ上がって来るのだ。気巧砲なら一撃で吹き飛ばせる他愛もない相手なのだが。
「くっ…」
 いつものように動いているつもりでも、いつもよりも脚が遅い。いつもよりジャンプが低い。いつもより…なにもかもが今までよりも体力的に劣っている。これが、今の自分の能力。これが、人間だということ。
 増え続ける妖怪達は徐々に八戒の体力を奪っていった。
「こいつ…噂より弱くないか…?」
「俺等でも…殺れそうじゃん?」
 妖怪達がささやきあう会話が耳に入る。
「う…!」
 身構えようとした膝が、疲労で崩れる。
「死ね猪八戒!」
 その隙を突き数人の妖怪が、八戒に飛びかかってきた。
「!!」
 ガゥン!!
ガゥン!!
 銃声が数発響き、八戒の視界を広くする。
「なにやってる!」
「あ…ありがとうございます」
 いつのまにか加勢に来ていた三蔵の銃口が、八戒の周りの刺客に向けられていた。

(あなたは人間なのに…本当に強いんですね三蔵)
 人間でありながら、妖怪と対等に闘っていた三蔵。今までたいしてきにしていなかったが、それはとても凄い事だった。改めてそう思う、すごい人なのだと。
ボケッとするな!

「は、はい!」
 三蔵の怒鳴り声と銃声に喝をいれられ、八戒は膝を起こす。
「ったく、今日はホント数が多いぜ!」
「こんな闘ったらハラ減るだろーがよっ!」
 悠長に会話しながらも、比較的余裕の素振りで悟空と悟浄もその輪に加勢する。
(……あれ…これって…)
 さりげなくサポートしてくれる仲間の背をみながら、八戒はふと思った。
(僕……足手まといですか……?)
 そう自覚した時、ざわっ、と八戒の全身に嫌な汗が沸く。
「八戒!!」
「!?」
 呼ばれ我に帰った八戒の眼前に、槍のような武器を振り上げた刺客が迫っていた。
「死ね!!」
「あ…!!」
 反応が遅れた。
「八戒ーーっ!!」

 目の前が、赤くなる。

 血の色?

 違う、これは…

「悟浄ーーーッ!?」
 目の前に舞い上がっていた悟浄の髪が地面に崩れ落ちる。突きをモロに胸に受け、流れ出す鮮血が地面に赤黒く拡がっていく。

「悟空!時間をかせげ!」
「…わかった!」
 自分も悟浄に駆け寄ろうとした悟空は、三蔵にいわれ妖怪の束につっこんでいった。
「うぉらぁっ!俺が相手だコノッ!!」
 敵の真ん中に突っ込んで敵の気をひいている間に、三蔵は経文をとなえる。
「…よし、どけ!」
 悟空が大きく飛び、敵の輪から離れる。それを合図に、こんな雑魚相手ではめったにお目にかかれない三蔵の大業が繰り出された。
 一瞬にして一掃されていく敵の束。その場に残されたのは二匹の妖怪と、二人の人間の姿。
「悟浄…悟浄!しっかりして…!」
「ごほっ…ゲホッ…!」
 臓器を損傷したのか、多少の傷なら平気な素振りの悟浄が起き上がれずに蹲ったままだった。八戒は悟浄の衣服の前を裂くと、傷口を見た。
「ーーーー!」
 深い。相当の重症だ。
「い…いま傷を塞……!」
 傷に押し当てた八戒の掌からは、何もでやしない。
傷を治癒する力など、『人間』につかえるはずもなかった。
「悟浄…!しっかりしてください…!!」
 悟浄ならこんな雑魚相手にこんな傷を負うなど、ありえないはずだったのに。
「僕なんか…かばって…どうして…!」
 確かに反応は遅れた。だが見えていた。傷は負う羽目にはなっただろうが、自分一人でも致命傷を避ける事ぐらいは回避できたのに。
「……ってよ…ゴホッ!お前……ゲホッ、…だから…」
 悟浄は苦しそうに喋る。
「黙って悟浄!血が…」
「弱いモン……護ってやるのが……イイ男って…もんよ…?」
 そういって悟浄は苦痛に歪んだ笑みを八戒に向けた。
「ーーー!!」
 弱い、者。
 自分は…足手まとい。
 自覚だけではなく、周りからもそう思われていた事を…知る。

「……あ…」
 ただ赤く染まるだけの己の掌を見つめ、八戒はガクガクと震え出す。

「何してる!早く街に運べ!!」
 三蔵の怒鳴り声に、びくりと顔をあげる。ジープの運転席でエンジンをふかせながら、三蔵がこちらを凄い形相で睨んでいた。
「は…はい」
 震える体で悟浄を抱きかかえようとしていた八戒の傍らから悟空が現れ、悟浄を抱き上げる。
「……ダメじゃん」
「ごく…

 悟空は八戒をみあげ、泣き出しそうな瞳でいった。
「八戒がそんなんじゃダメじゃん…こういうとき一番冷静に対処すんのは八戒だろ?その八戒がこんなんじゃ、ダメじゃんよぉ!」
 悟空はぐっと唇をかみしめると悟浄を抱いて車に乗り込んだ。
(これが……)
「早くしろ!」
 怒鳴られ、八戒はもつれる脚で急いでジープに乗り込む。いつものように運転席ではなく、めったに乗る事のない後部座席へと。
(これが…僕の望んだ………『人間』………)
 瀕死の悟浄の頭を胸に抱きながら、八戒は涙が止まらなかった。


 

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