罪と罰<13>
人間だった時が幸せだったか?
違う。
なにもかも滅茶苦茶だった。愛される事もなく愛する事も無く大切なものも無く。唯一手に入れたの愛しいものを目の前で壊され、そして壊れた。それが『人間』だった。こんな人間になにを美化して憧れたのか、本当に呆れてしまう程に。
妖怪だった時が不幸だったか?
違う。
妖怪だから手に入れた大切なものが、そこには溢れて居たはずなのに。それは当たり前になりすぎて、ふとしたはずみで見えなくなってしまう。そこに当然有るものなのだと錯覚してしまう。
人間だった自分は死んで、妖怪として生まれ変わった。
それが、自分。
理解して、受け入れたはずだったのに。
「は…ぅっ…」
絡み付く怪虫が八戒の身体を締め上げる。 手足に、首に。
「良い顔です…」
苦し気に表情を歪めた八戒に口付け、清一色の指が八戒の肌を彷徨う。
「こうしてあなたを手に入れる事を、どれだけ望んでいたことか…」
長い指が、ゆっくりと八戒の下肢の付け根をまさぐった。指が八戒の秘処を探り当て、そしてこじ開ける。
「うぅッ…!?」
異物に内側に入り込まれ、八戒の身体が強張った。
「それが今、こうして我の手の中に…」
指を増やし、更に奥に。
「あ…あッ…!」
挿し入れた指を中で拡げながら、清一色は指を旋回させる。
「ッ…!!」
声をあげまいと口を硬く結んだ八戒の顔に 蛇の様に細長い清一色の舌が這う。
「…本当に良い顔をしますね、猪悟能」
「ッ…う…!」
拒むように身体を捩るが、清一色の妖力の前では逃れる事など叶わない。
「愛おしいですよ…貴方のその痴態が!」
言葉と同時に、弄ばれていた其処に熱い異物が侵入してくる。
「は…ッ!?」
熱い痛みと嫌悪が八戒の下半身から脳髄まで駆け巡った。嫌悪の対象であった、妖怪。その身体の一部が自分を抉じ開けていく。再び妖しの力を身体に捩じ込まれていく。
ドクン。
身体がざわめく。
「あ…あぁッ…っ、く、あ…ッ!」
激しく突き上げる乱暴な動きに、八戒の身体が軋みあがる。流れ落ちた血が草の上に溢れ、月の光を浴びて美しく輝いた。
ドクン、ドクン、ドクン。
鼓動が早まり、身体が熱い。目眩が起りそうな程頭がガンガンとし、息が、苦しい。
「…っ!?」
これは、この感覚は…前にも覚えが有る。これは自分が死んだあの日の感覚。
「良いですよ猪悟能…さぁ、我を存分に味わいなさい!」
「ーーッ、あ…ッ!!」
ドクン!
身体の奥深くに広がる熱い迸り。染み渡る妖しの力。
ドクン!ドクン!
八戒の中で、血が騒ぎ出す。
「ーーーーーッ…アアアァッ…!」
身体がバラバラになりそうな、痛み。だがそれは…どこか懐かしくて。
ドクン!
「!!」
八戒の瞳が見開かれる。その瞬間、この森の中に居たのであろう鳥達が、一斉に空に向かって舞い上がった。
「なっ…なんです!?」
明らかに、その場の空気が変わった。その事に気付いた清一色は辺りを見回すが、とくに何かが現れた様子は無い。今この森に存在しているのは、自分と、悲鳴をあげ項垂れた目の前の男だけ。
暫しの不気味な沈黙。
「ふ…ふふ…」
八戒はその沈黙を破ると、ぐったりとした身体の口元だけを緩めた。
「…何が可笑しいのです猪悟能?」
凌辱されているのに笑った八戒を訝しく思い、 清一色は八戒の髪を掴むとグイと自分の方に向けた。その顔は、確かに微笑を零していた。
「…違いますよ?何度も…言わせないで下さい、 清一色」
その微笑は、少しづつ、だが確実に笑みに変わっていく。いつもの八戒が見せていた、小憎らしい程の笑みへと。
「僕は…『猪八戒』なんです…!」
八戒の髪を掴んでいた清一色の腕が、何か強い力で弾かれる。
「な…!?」
その衝撃に怯んだ清一色は、目の前の人間を見て驚きに目を見張る。
「感謝していますよ… 清一色」
ザワザワと生き物のように伸びていく髪、何かの呪縛の様に身体に纏わりつく茨紋様、尖っていく爪と耳。その様は決して人間などでは無くて。
「貴方は…二度も僕を生き返らせてくれたんですからね!」
「お前は…猪八…ーーーーーーーッ!!!」
言いかけた清一色の胸を、衝撃が貫いた。茨の巻き付いたその腕が、清一色の背中を突き破る。
「…ッかは…ッ!」
既に朽ちたはずの清一色の肉体からは血の一滴も流れる事は無く、貫いた腕に握られた牌 のみがその命の全て。八戒はその掌を上に向け、そっと拳を開く。
「……らしいですね」
『執』 と描かれたその牌。八戒に…いや猪悟能という存在に固執した清一色という男の存在の意味の全て。そしてまた、猪悟能という存在に執着したのは彼だけではなく、もう一人の男の存在もを認めざるをえない。人間であった自分に執着した、妖怪の存在を。
八戒は何かを断ち切るように、その牌を握り潰した。
「オオオオオオオオオォォ…!!」
獣のうなり声のような断末魔の声をあげ、 清一色の身体は足下から灰になっていく。サラサラと風に靡き、塵となり空へと。
「………っ…ぱり…」
既に腰の辺りまで灰になり、消え行く清一色は苦笑しながらなにかを呟く。
「我は…貴方が嫌いですよ……『猪八戒』………」
以前にも一度発せられた、同じ言葉。
「奇遇ですね…僕も猪八戒は嫌いですよ」
「な…!?」
だが、それに答えた八戒の台詞は以前とは異なっていた。
「でも…」
八戒の口元が笑う。
「仕方ないじゃないですか?これが、僕なんですから」
そういうと、八戒は清一色の身体から己の腕を引き抜いた。滅びを加速するかのように、ザァ、と一気に清一色の身体が辺りに散らばる。
清一色は滅び行く苦痛の中で、再び苦笑する。
「あぁ…貴方のそういう所が…本当に嫌いですよ……」
そう言い終えると、清一色はその肉体を跡形もなく塵に変えていった。後には何も残らず、静寂な森の空気だけがそこにあった。
「……………」
ふと目線と足下におとせば、川面にうつる人影が視界に入る。今までハッキリと直視することを無意識に避けていたその姿。八戒は川辺に屈むと、水面にうつるその顔を正面から覗き込む。
「…やぁ、久しぶりですね?」
八戒はまるで他人のように挨拶をする。尖った耳に茨模様、そんな己の顔に。
「僕にはやっぱり、貴方が必要みたいです」
言ってから、八戒は首を左右に振りそれを否定した。
「いえ違いますね、その表現は」
八戒の口元が、笑う。
「僕は、どうやら貴方だったみたいです」
まっすぐに自分の顔を見つめ、何か憑き物でもおちたように八戒は清々しい笑みを浮かべた。それは何かを完全に断ち切った、満足感の現れであった。
「これからも…よろしくお願いしますよ?」
そう言うと、服から光る金具を取り出した。
パチン。
パチン。
パチン。
カフスが三つ、左耳にはめられる。
水面が揺れ、妖怪が消え、そこには人間が現れた。だがそれは、決して人間などではないのだという事を八戒は自覚していた。いくら人間のようにみえても、もう、人間などではないのだ。
それでも、いいじゃないか。
と、八戒は苦笑する。今ここにこうして自分が存在している事には変わりが無いのだから。
「さて…いつまでもこうしてはいられませんね」
八戒は立ち上がると、脱ぎ捨てられた衣服を身に付け、破れてはだけた服の前を合わせる。
「ーーー間に合って下さいよ…!」
八戒は森の中を全速力で駆け出した。
今、来た道の方へと。