罪と罰<2>

「あくッ…」
 休む間もなく犯される感覚に慣れはなかなかやってこない。僧侶達は交代で次々とこの場に現れ、順番に自らの『役目』を果たしていく。
「…357…」
 八戒の耳に何かのカウントが聞こえる。
(あぁ…まだそんなもんなんですか…)
 苦痛の表情の隙間に僅かに苦笑した八戒は、『罪』の重さを改めて感じ取る。 『1000』という数の大きさを。
 僧侶達が事を終える度に増えるそのカウントは、八戒がここで何人の僧侶を躯に迎えたかをあらわしていた。一日平均、70〜80人、八戒が意識を失えば中断されるこの行為は、おそらくはすでに5日目ぐらいだろう。

『浴びた妖しの血の数だけ、聖なる力をその身に浴びよ』

 それが、三蔵が教えてくれた人化の法だった。
 聖なる力、とは神か僧侶の事だろうということは八戒にもすぐに察する事が出来た。だが聖なる力を浴びるという事が、事の寸前まで八戒には気が付けなかった。

 

「……う…そ…でしょう…?」
 八戒は僅かに後ずさった。
「…なんでも受けると言ったのはお前だ」
 三蔵は八戒を懐かしい場所に連れてきた。-斜陽殿-そこは『猪八戒』の生まれた場所でもある。
 外出から戻った三蔵は、着いて来い、と八戒を連れ出した。残された二人の事を頻りに気にする八戒に、放っておけと促して、決して長くは無い道のりを越え辿り着いたのがここだった。そして、ようやく詳しい事は何も聞かされぬまま連れられてきた八戒に三蔵が告げたのは「ここで僧侶共に輪されてこい」だった。
『浴びた妖しの血の数だけ、聖なる力をその身に浴びよ』
 殺した妖怪の数だけ、僧侶に犯して貰う。三蔵の知る人化の法とはそういう事だった。
 僧侶には清める力がある。霊を鎮め、汚れた心を、そして身体を清める聖なる力。その僧侶の『聖液』が妖怪の血の力に対抗できる可能性の有るエキスだというのだ。…勿論、過去の実例はない。だが、僧侶達にとってこの『猪八戒』という存在は以前から興味の有る存在だった。もとは人だったモノが汚れた血のモノになった、それを僧侶の力で戻す事が出来るのか?それは僧侶達にとって己の力がどれだけの浄化作用をもたらすかという事への、未知への挑戦でもある。…とりあえず、表向きの姿勢では。
  実際は禁欲な女人禁制の世界の中で、その対象として八戒に興味を示す僧侶も少なく無かった。僧侶達は女性と交わる事は禁じられていたが、男はその禁の対象ではない。その環境の中で男にしか欲情しない性癖になってしまう僧侶の数は増える一方というのが現状なのだ。だが、大っぴらに人にその事を言えるものではなく、皆暗黙の了解としてその事実を隠そうとする。だが、この『人化の法』はそれが聖業として公に認められし行為なのだ。
 『猪八戒』の誕生と共に、しきりに人化の法の存在を口にする僧侶の数は増えた。彼を我等の力で救ってやろうではないか、と、成功するかもわからないこの儀式の実行を三蔵に承諾させようとする動きは常に水面下で蠢いていたのだ。だが三蔵は首を縦に振るどころか「うるせぇ殺すぞ」の一点張りだった。しかしどういう風の吹き回しなのか、今になって急に三蔵は、この儀式を行うと言い出したのだ。 僧侶達は口にださずとも密かに歓喜した。それが証拠に三蔵がこの人化の儀式をとりおこなう、と僧侶達に告げた時、この儀式に参加を名乗り出る僧侶の数はあっというまに千を超えた。自分の力を試したい反面、正々堂々と『欲情』を許されるチャンスなのだから。
 その中でも、力の強い者達が三蔵によって選ばれ、今この斜陽殿に集っているのだ。
「そんな…三蔵、あなたは一言もそんな…」
 聖なる力を浴びる、という事の意味を把握した八戒はその行為の恐怖に身を震わせた。整った綺麗な顔だちをした八戒、だが彼は、姉以外の人と肌を触れあわせた事など無かった。そう、たとえ信頼しきった心を許した相手でさえ、まだその肌の触れ合いはなかったのに。
「…方法を言ったらてめぇは来たのか?」
「!」
 三蔵は戸惑う八戒に吐き捨てるように言った。
「方法を聞いてから受けるかどうか考えるぐらいなら最初からやめちまえ!」
 冷たく聞こえるその言葉を、八戒は尤もだと受け入れた。本当に戻りたいと思う意思があるなら、どんな方法だって構わないはずだ。 何でも受けると言っておきながら、その方法に今更躊躇するなど勝手な話だと八戒は自嘲の笑みを浮かべた。
「………そうですね、そのとおりです…本当にムシがいいですね、僕は」
 そういって三蔵に向けられた綺麗な笑みは、そんな自分に呆れたように後悔を匂わせる顔をしていた。
「……ふん、……だったらさっさと帰るぞ」
 八戒のその表情を見た三蔵は内心ホッとし、しかしその事を悟られない様八戒には背を向け、法衣を翻すと今来た道を戻ろうとした。三蔵は八戒が人間に戻る事は個人的には不服だった。そしてその方法にも。ただ、八戒が知りたがっていたから方法を教えてやった、彼にしてみればそれだけなのだ。
  八戒がこれでようやく諦めたのなら、さっさと『馬鹿共』を放置したままのあの街へ戻って旅を続けるのみだ。ちょっと出かける、というメモのみを残して八戒と二人で姿を消したのだから、今頃は大騒ぎしていることだろう。
「…まって下さいよ三蔵、何所に行くんですか?」
 だが三蔵の予想に反し、八戒は三蔵の後には続かなかった。
「 僕は…止めるなんて一言もいっていませんよ?」
「な…に?」
 振り返った三蔵の前には、あいかわらず綺麗な微笑を浮かべたままの八戒が、何かを決心したような瞳で三蔵を見つめていた。僅かに後悔の色を残しながら。
「……行きましょうか、三蔵……斜陽殿へ」
「……!」
 目を見開いたまま黙りこくった三蔵の視線を背に浴びながら、八戒は自ら斜陽殿の門に脚を踏み入れた。

 

「本当にするんですね…?」
「…てめぇがそう言ったんだろうが…」
「…そうですね……」
 八戒の連れてこられたのは斜陽殿の中の一室で、いつか、見覚えがあるような牢だった。
「…おい、どうして牢の必要がある?」
 三蔵がその不自然さに異義を唱えた。これは儀式であって、八戒はもう罪人として扱われるのではない。それなのに、この牢という背景は如何せん納得がいかなかった。
「もしも、という事がありますから足枷を付けさせて頂きます。もしなんらかの左様で妖怪と化し、狂暴化して暴れだす可能性が無いともいえませんから…そうでしょう八戒殿?」
「………」
 八戒は黙って頷いた。その可能性が無いとは自分でも言い切る自信がないのだ。浄化されるのを拒んだ妖怪の血が八戒の中で暴れだし、暴走して僧侶達を虐殺するかもしれないという不安が八戒の中にあった。 少なくとも自分は、生まれた時から妖怪の力と向き合ってきたのではない。自分の力を、自分は良く知らない。自分は『特殊な妖怪』、その力の解放される切っ掛けは、他の生っ粋の妖怪とは違うのかもしれない。精神が極限に追いやられれば制御装置を外さなくとも、暴走する時だってあるかもしれないのだ。前例がないから、恐い。こんな力…いらない。
 カシャン 
  八戒の足に冷たい金具の感触が付けられた。
「…構いません、手にもどうぞ」
 八戒は自ら両手を差し出すと、その手にも枷を付ける様促した。
「おいッ…」
「いいんです三蔵、これがあれば…僕は誰も傷つけずに済むんです…きっと」
 カシャン、と遠慮なく両手に掛けられた罪人の其れ。その感触と目に映る光景を八戒は酷く懐かしく思った。
(あぁ、僕は罪人だったんですよねぇ…忘れてしまうところでしたよ)
 清一色との一戦で、自分が罪人である事を再認識させられた。その時に、それでもいいんだと、前向きに割り切る精神力を身に付けていた事に気付いたのも確かだ。だがそれは…過去の罪の意識を消したという事では無い。
「結構…似合うと思いませんか?三蔵」
 冗談混じりの口調で八戒は三蔵に笑いながら手枷のはめられた手首を見せた。だが三蔵は、その八戒の態度に糸を一本切られてしまった。
「…おい、いつまで罪人ごっこをしてるつもりだ?そんなに過去に引き摺りまわされていたいのか!?いいかげんにしろッ帰るぞ!」
 苛立った三蔵の怒鳴り声が牢に反響する。
「三蔵…」
 八戒は困ったような微笑で三蔵を見上げた。
「でも、この方法を僕に教えてくれたのはあなたじゃないですか?」
「ッ…!」
 八戒の言葉に声を詰まらせた三蔵は、舌打ちをして黙った。この方法を教えたのは、三蔵なのだ。内心拒否するのを望みながら、奴の望みを聞いてやったまでの事。そう、今八戒はこうなる事を望んでるのだ、自らの意思で。
「あなたが教えてくれたんですよ?千の罪を、千の罰で洗う事を…だから僕は…過去の蟠りを断ち切る為に受けたいんです」
「………勝手にしやがれ」
 もう、八戒の意思を変える事は出来ないと三蔵は悟った。教えたのは自分だ、…なぜ教えたのか?それは…もうこれ以上見ていられないから。自分に脅える八戒を。八戒がこの儀式を受け入れ恐怖 から解放されるのを取るか、唯一の可能性を拒絶しその恐怖と共存する方を取るのか、自分で選ばせてやろうと思ったから。八戒がそう決めたのなら、三蔵はもう何も言う事はないと思った。
「…さっさと帰って来いよ」
 三蔵はようやくそう口にすると、八戒の拘束された空間から席を外そうとした。
「…待って下さい三蔵…あなたはここにいないんですか?」
 ピク、と三蔵の肩が動き、ゆっくりと八戒を振り返る。
「変態かお前は、見られてぇのかよ…」
「いえ…そうじゃないですけど……あの、儀式の前に一つだけ要望を述べてもいいでしょうか?」
 八戒は懇願するように周りの僧侶の顔色を伺った。僧侶達は少し顔を見合わせ、頷いた。
「なんだ、言え」
 三蔵がさっさと言いやがれとばかりにぶっきらぼうに八戒に問う。八戒は少し躊躇した後、思いきって言葉を紡いだ。
「…儀式の一人目は……三蔵、最初の僧侶はあなたにして欲しいんです………だめ…でしょうか?」
「…!」
 三蔵の眉間にグッと激しく皺がよった。そして沈黙した。長い、長い沈黙だった。そして長い空白の後、三蔵の答えが八戒に届く。
「………いいぜ…」
 三蔵は眉間に皺を寄せたまま口元を歪ませて笑い、法衣を脱ぎ捨てると八戒にゆっくり歩み寄った。
 
 

 

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