千と一夜の地下室

第十幕「残酷な怒りと悲しみと」

 果てない行為に掠れた麗蒔の声が地下牢に響いていた。
 麗蒔はもはや何も考えられなくなっていた。前から、後ろから、同時に男の欲望を喰わえ込み、内臓を突き上げられても既に吐く物もない。内股を伝う赤い血は、脚からなのか違うのか、それすら判断出来ない程麗蒔の下半身を赤く染めていた。左足の倍近く腫れ上がった右足の腿は、すでに触れられている感触すらない。その傷の痛みをも忘れてしまう程の激痛にさらされていたから。
「入口はまだ元気だぜ。」
「まるでゴムみてぇだな、あんたの此処は。」
 麗蒔の体はまだ肉体の機能を失ってはいなかった。内側はもうとっくの昔に傷だらけになっているのだが、肝心の入口はなんとか耐えていたのだ。当たり前のように2本同時に捩じ込まれ、この状態で筋が生きている方が奇跡に近い。麗蒔の意識は朦朧としていた。だけどまだ生きる事を諦めてはいなかった。
「ニューフェイスを連れてきたぜ。」
 牢が開き、新たに二人の男が入って来た。また人が少し増えた、それだけだった。しかし…顔をあげた麗蒔の瞳には紅い髪が飛び込んで来た。見間違いか、とも思ったが見間違えなんかではなく、信じられない事にそれは、ここにいるはずのない利華だったのだ。
「れ…!」
 扉を開けた瞬間に飛び込んできたその光景に、利華はその人を見つけた。咄嗟に名前を呼びそうになり、慌てて口を噤む。ここで自分の素性がバレる訳にはいかないのだ。一瞬視線のあった麗蒔に、必死に目で語りかける。俺の名を呼ぶな、と。
 だがその思いが届いた可能性はどうやら薄かった。普段の麗蒔ならともかく、今の麗蒔にはまともな判断力があるようには見えなかったのだ。男の狭間に埋もれた体を必死に持ち上げ、男の肩によじ登って利華を見ようとする麗蒔。しかしその体はすぐに男に引き戻されてしまう。必死に助けを求めてくるその手は真直ぐ利華に向かって延ばされていた。
「…か…っ……り……ッ…!」
 小さく掠れた声は幸い聞き取れる音になっていないが、男の肩ごしに埋もれた麗蒔の唇が何度も自分の名前の形に動くのを利華は見ていられなくなり、目線をそらしてしまう。今の自分は名前を呼び返してやる事すら出来ないのだ。
「利……うあぁああッ!!」
 掠れた声が体を引き攣らせ悲鳴をあげた。ドサリと腕が力無く垂れ下がり、麗蒔は頭を男の肩に埋める。麗蒔を絶叫させた張本人の男が麗蒔の前から離れると、支えを失った麗蒔の体はズルズルと床に傾れ落ちた。
「よし、起こせ!」
 用意してあったのか、バケツの水が麗蒔に浴びせられる。激しい水音と共に麗蒔はすぐに目を覚ました。麗蒔は先程からもう何度もこんな事を繰り返されていた。気を失っては起こされ、そしてまた気を失う。
「寒…寒い…」
 体力を失い過ぎてもう自分で体温を調節することが出来なくなっていた麗蒔は、冷水に体温を奪われ一気に冷えた体を病的にガタガタと震わせる。
「今あっためてやるぜ。」
 冷えきった体に熱すぎる程の肉体が押し付けられ、麗蒔を押さえ込んだ。
「ひ…やあぁ…っ!………た…す…けてッ…!」
 麗蒔の腕がふらふらと宙を泳ぐ。その手が何所を目指しているかは利華だけにわかっていた。でも、反応してはいけない…麗蒔を助けたいのならここで衝動的に動いてはいけない。大丈夫、まだ麗蒔は生きている、すぐには殺されない…大丈夫……大丈夫。
 利華は自分にそう言い聞かせる。
「おいおい、今更だろ?誰に助けを求めてるんだ?」
「ここに助けてくれるような奴がいると思ってるのか?」
 利華は笑い声が遥か遠くに聞こえるような錯覚を起こした、麗蒔を、助けに来ているはずなのに…自分が何所にいる理由がわからなくなってしまいそうだ。
 利華はその場をただ見つめていた。そうするしかなかった。取り乱してはバレてしまう。冷静になれ、麗蒔を見つけたのだ、自分の役目はここまで、麗蒔を助ける為には一刻も早く祥之にこの事を知らせに戻らなくてはいけない。
 利華は拳を握りしめると身を返した。
「何所行くんだR・K?」
 地下牢を出ようとした利華をG・T6が引き止めた。
「地下も見た事だし、そろそろ上に戻らなきゃ…」
 こんなところに利華は長居などしたくない。
「おいおい、こいつで遊べるのは今だけだぜ?勿体無いがもうじき処分されちまうんだからな。」
 まだ麗蒔は殺されない、と過信していた利華の耳に、『処分』の二文字が飛び込んくる。もう時間はあまりないというのか。
「処分…何…故…?」
 利華は震える声を押さえながら出来るだけ冷めた声で聞いた。
「俺は理由は知らん、下っ端だからな。ただ、それまでの間こいつで遊ぶ事を許可されてるのさ。あんたもどうだ?」
 利華は沸き上がる怒りを必死に飲み込んで、演技を続けた。
「……いや…興味ない。」
「…なんだ、男は初めてか?まぁいいさ。」
 G・T6は特別しつこく引き止めはしなかった。彼の目的は元々利華の案内ではなく麗蒔で遊ぶ事なのだ。G・T6は上着を脱ぎ捨てると既に麗蒔の体を楽しんでいる男の束に歩み寄る。
「もうこいつ一本じゃあんまり締まらねぇや、さっさと突っ込めよG・T6。」
「あぁ。」
  仲間に急かされ、G・T6は既に一人喰わえ込んでいる麗蒔をゆっくりと抱え上げた。
「嫌……利……かない…で…や…ああぁーーーッ!!」
 助ける為に、今は去ることしか出来ない、だけど…。後ろ髪をひかれる思いで背を向けた麗蒔の声が、自分を求める声が悲鳴に変わっていく。その瞬間に、利華はもう完全に頭が真っ白になってしまっていた。
 こんなに自分を求めているのに、何もしてやれないなんて!
 ダメ、もう、無理。
「やめろッ!麗蒔をはなせっ!!」
 利華は思わず叫んでしまった。叫ばずにはいられなかった。一度は出た牢の中に飛び込み、入口付近にいた男を突き飛ばし、知るはずのない男の名を、『R・K』は呼んでしまったのだ。
 そのまま麗蒔に駆け寄ろうとした利華は、背中に押し付けられた鉄の感触に動きを封じられる事になる。気付くと自分の周りを取り囲む様に銃口が向けられていた。今更ながら、しまったと思ったが、もう遅い。
「お前、何者だ?」
 利華と同行していた男が、先ほどと同一人物だろうかという程の鋭利な目で利華を凍り付かせた。利華は思い出した様に懐に手を延ばしたが、付け焼き刃で訓練された銃の腕が、こんな時なんの役にたつというのだろう。一瞬で両手を封じられ、あっという間に組み伏せられていた。
「…チッ…俺の阿呆……。」
  後頭部を堅い物で殴られ、利華は床に崩れ落ちていた。


「………遅いな。」
祥之は部屋で気がきじゃなかった。
「利華…まさか……!」
  自分の勝手な我侭のせいで、狙われるハズじゃなかった命まで奪ってしまうかもしれない事に、祥之は急に恐ろしくなった。そんなことを簡単にさせてしまった自分に。
「これじゃ俺は…ただの我侭坊ちゃんだ…クソッ…!」
 今更後悔しても遅い。祥之はじっとしていられなくなり、そのまま部屋を飛び出していた。
 人に指図して自分は何もしないだなんて、どうかしてる。そんなんで助けたいだなんて、笑ってしまう。自分にはやれる事があるはずだ。意図的に目を背けていた、その手段が。
 祥之は真直ぐにその答えを目指す。
「おや、どうされました祥之坊ちゃん。そんなにお急ぎになって?」
 一際立派なその扉の前に、屋敷の御曹子の姿があった。
「開けろ、親父に話がある。」
「今はお休み中です。」
「通せ!大事な用だ!」
 いつもと違いただならぬ様子の祥之に護衛も少々戸惑いを見せたが、すぐに扉の鍵を開けた。祥之は両手でその扉を勢い良く開ける。
「親父、話が有る!」
 部屋の奥からは、今まさに休もうとしていたであろう祥之の父が、驚いて出て来た。こんな時間に来た事よりも、祥之が自分からこの部屋に来る事など、今までに数える程しかない事の方が驚きの要因だった。
「どうした祥之?どうかしたのか?」
 この屋敷で何がおきているか全く把握していないだろう父、そんな事は別にどうでもいいのであろう父。この男のせいで、いままさに消されようとしている命があることも、その命を生み出したのも、自分のくせに。
(全てを終わりにできるのはこの男じゃない…俺自身。これでいいんだ…きっと……)
 祥之は一大決心をその胸に秘めていた。


 縛り上げられた利華は、麗蒔の前に転がされた。後頭部にはいまだ鈍い痛みが響いている。
「利…華……ッ…華ッ…!!」
 麗蒔が思うように声の出ない喉で必死に自分の名を呼んでいるのが利華には見えた。泣きそうな顔で利華を見ている。
「うるさいな…後で遊んでやるから。」
 足下に纏わり付いてくる麗蒔をG・T6は脚で押さえ付ける。所詮人とは思っていない扱いに利華の限界の糸がキレかかる。
「てめッ…麗蒔に…がはッ!」
「うるさいんだよお前。」
 口を開いた途端に腹を蹴りあげられ利華は大きく咳き込んだ。
(情けねぇ…助けに来たはずなのに…。)
 何も出来ない自分にいら立ちが募る。
「…さて、誰の使いか知らないけど、君随分と手際悪いねぇ?」
 G・T6は利華の腹をつま先で突つきながら言った。
「…あんた達のよく知ってる人の使いだとしたら…?」
 祥之には別に口止めされていなかった。組織内で彼の名を出したところで彼の立場が悪くなる事は、まず無いだろう。逆にそれは暗黙の権力となってこの男達には効果絶大のはず…だと利華は思っていた。
「…やれやれ、やっぱり坊ちゃんか…。」
 だが男達の反応は利華の予想を覆した。次の瞬間、G・T6の銃が利華の額に擦り付けられていた。
「な…!?」
「坊ちゃんの使いといえば助かると思ったのか?あいにく坊ちゃんの遊んだ後の後片付けも俺達の仕事なんでね…。」
  祥之の名前など何の効力もない。
『 ここの奴等俺なんかナメきってやがる…』
 そういった祥之の言葉が利華に思い出される。
「遊んだ玩具は綺麗に片付けないとな?」
 カチン、銃の安全装置が外された。目の前で男の指に徐々に力がこもっていくのが分かる。
(ちょ…マジ…!?)
  死を目前に利華の全身に汗が吹き出た。
「…まちな。」
 不意に降ってきた声が、利華の寿命を延ばすことになった。
「M2…なぜ止めるんです?」
「まぁいいからそれを下ろせ、そいつには所詮何も出来んさ。」
「…まぁいいですけど。」
 M2に言われ、G・T6はしぶしぶ銃をおろした。一時的ではあるが殺気が消えたのを感じ、利華は小さく息を吐く。声と共に入ってきたのは、M2という名の男だった。彼の一言は利華の命を助ける結果になったが、この男からは決して味方という雰囲気が感じられない。それは目の前の麗蒔の反応を見ても明らかだった。この男が入ってきた途端に、麗蒔は身構えたのだ。
「気になる事があって色々調べてたらあんたの事も出てきたぜ、利華とやら。D・Kの店の常連だろ?あんたもとんだ災難に首を突っ込んだもんだな。そんなにこいつの味が良いのか?」
「何をッ!」
 利華はM2を睨み付けた。僅かな抵抗だ。
「まぁとにかく恋人同士の久々の再開ってわけだ、みんな邪魔しちゃ悪いぜ?なぁ。」
「…おい、M2何を…?」
 M2は意味深にそう言うと、周りの男達がとめるのも聞かず利華の縄をほどき始めた。
「なん…のつもりだ…?」
 利華は自由になった手首の痕をさすりながら、疑問を投げ付ける。なんの理由もなく利華を開放するとは考え難い。
「何も遠慮する事ぁねぇ、抱いていいんだぞ?さぁ抱け、こいつをよがらせて俺達を楽しませな!そうすれば助けてやってもいいぞ。」
 それを聞き、他の男達も調子づいて言った。
「そうだな、そいつはお前に抱かれりゃ、きっと俺等には見せないようなイイ顔でよがるんだろうよ、見せてみな!」
 そういうことか、と利華は舌打ちする。とことん悪趣味な奴だ。しかしその言葉に一早く反応したのは他ならぬ麗蒔だった。
「麗…蒔…?」
 震える手が利華の顔に触れた。麗蒔は引き攣った笑みを浮かべ利華を見ていた。
 その瞳は、抱け、と言っていた。
「麗…!」
 あまりにも弱々しいその身を思わず抱き寄せそうになった時、触れて来た手の爪がほとんど剥がれているのに気がついた。
「麗蒔、その手…!?」
 利華はその時になって始めて麗蒔の姿をじっくりとその瞳にとらえ、愕然とした。愛しい人の、変わり果てた痛々しい姿。よく見ると脚に酷い怪我をしているじゃないか、これは銃の傷痕!?ちゃんとした治療すらうけていないのだろうか、変色し腫れ上がっている。それだけではない、幾度と暴行を受け入れた箇所からも大量に出血している。内臓をやられたとういうことが利華の素人目にもわかった。歩く事も出来ないのだろう、這って利華の元まで来ただろう血の痕が床に生々しく残っていた。
 そんな夥しい血と噎せ返る体液の臭いの中で、汗と涙にまみれた澄んだ瞳が自分を見つめていた。
 早く俺を抱け、と訴えながら。
「酷い…酷ぇ……!」
 利華はボロボロと涙を零す。こんなになるまで乱暴されて、それでも自分を抱けだなんて、こんな麗蒔を見ていられない。
「利華…いい………抱…いて…俺…よがる…いっぱい…感じ…みせる…から……」
 麗蒔は必死に言葉を絞り出すと利華の唇に自分の口を寄せた。 このままでは、利華が殺されてしまう。麗蒔はなんとしてでも利華だけは助けたかった。自分は、殺されたとしても。 例え奴等の言う通りにしたところで、約束を守るかどうかはわからない。でも、そうしなければ、利華が殺されるという事だけは明らかにわかっているのだ。少しの間の時間稼ぎになるだけでも良い、今この場を乗り切る事だけは出来る…。
「どうした、早くして欲しくて催促しているぞ?」
「抱けば見逃してやるといってるんだ、どうだ条件は悪く無いだろう?もっともこいつはとっくに廃品になっちまってるがな。お前が抱かないなら用済で処分するしかないなぁ?」
 M2が嫌な笑いを漏すと、その声の数は次第に増えていき、その場の者全てが馬鹿にした笑いで二人を見ていた。
「……外道め。」
  何があっても生き延びろ、そう言ったのは誰だったか。俺だったかもしれない。
  でも…前言撤回する、俺、自分勝手だ…ゴメン。
「麗蒔…ごめんな。」
 麗蒔の頬に優しい手が触れた。ああ、これでいい…と麗蒔は瞳を閉じこれから襲ってくる激痛に身を竦めた。
 でも本当はこんな形で再び利華をむかえたくはなかった…。
「……俺やっぱり抱けない。」
「え?」
 利華が自分に触れる覚悟をしたのだと思っていた麗蒔は、驚いた。利華の手はそのまま麗蒔の髪をやさしく撫で、おでこにキスをした。
「こんなお前を抱けないや…それで二人とも殺される事になったら…本当ごめん。でも…出来ねぇんだよ俺…強がってる麗蒔見てるのが一番辛い。無理しなくていいよ麗蒔、俺の前では。」
「利華…」
 利華の選んだ絶望に近いその答えは麗蒔をひどく落ち着かせた。この言葉を聞きたかった瞬間が過去にもあった気がするんだ…。
「一緒にいこうや麗蒔。」
 利華は、こんな状況の中で驚く程冷静に、綺麗に笑った。
「……うん。」
 麗蒔の腕が力なく、だがしっかりと利華の腰にまわされた。これから殺されるだろうという現実を前に、不思議と恐怖は感じなかった。

 それでも俺は
 俺の立場を充分わかってくれてるのを承知の上で
 そんなこと出来ないよ麗蒔 …って
  誰かに言って欲しかったんだ
 そう、きっと
 あなたに


「…つまらんなぁ。」
 カチリ、と背後で音がした。そしてそれは自分達に向けられているのだろう事も冷静に把握していた。
「そんな死にたいのか。」
 M2が銃を向けながら二人に近付いて来た。脅しではない、本気だろう。
「…死にたい訳じゃないさ、『殺したい』んだろ?あんたは。」
 利華は麗蒔をぎゅっ、とその腕の中に強く抱きしめる。
「活きのイイ若造だ。」
 こめかみに鉄の感触を感じ、利華は息を飲んだ。
(今度こそほんとに死ぬな、俺…)
 なんでこんな事になったんだろう。一般人とは生き方が違ったけど、俺は俺なりに普通に生きて来た。誰かを傷つけることもあったけど命を取られる程のことはしていないつもりだった。
 誰かを本気で愛したり、守りたいと思ったり、新しい自分の可能性を見つけたり、まだまだやり残した事っていっぱいある。未練はある、正直いっぱいある。だけど選んだ事を後悔しない。
(一緒にいこうや、麗蒔…)
 庇う様に麗蒔の体に覆い被さり、利華は一切の抵抗を放棄した。だが、そこまで覚悟したにもかかわらずその引金はなかなか弾かれない。
「まったく…」
「………?」
 訝しがる利華の緊張感だけをあおりながら、M2は銃を構えたのとは逆の手を麗蒔に延ばして来たのだった。
「……惜しいな…。貴様はあいつに良く似ている……貴様を犯すと気分が良かった…。あいつが俺にひれ伏しているようで最高の気分だったぞ、殺しちまうのは惜しい…。」
 M2の手が麗蒔の顎を掴み名残惜しそうに撫で回す。
「や…!」
「てめ…コノ!汚ねぇ手で麗蒔に触るんじゃねぇッ!」
 利華はその手を振りほどくように麗蒔を抱き寄せた。凄い形相で喰いかかってくる若造をM2はからかい混じりに皮肉った。
「…汚い?貴様の腕の中のソレは汚くないとでもいうのか?」
「……!」
 麗蒔の腕が、きゅっ、と利華にしがみついた。利華には今、麗蒔がどんな顔をしているか、手に取るようにわかった。麗蒔が一番嫌う、一番傷つける事をこいつは平気で叩き付けたのだ。利華の頭にカァ…っと血が遡る。
 麗蒔は汚くなんかない…!
「汚いかどうかは俺の尺度が決めるんだよ!」
 周りの奴等にどう言われようと、どう思われようと、自分が良いと思ったら、それでいい。文句なんて言わせない。
「俺は『この』麗蒔が好きなンだよ!」
「利華…」
「麗蒔は汚くなんか無い…汚くなんかないんだからな…!」
 利華はまるで麗蒔に言い聞かせるように、そう何度も呟いた。
 笑っていた。誰もが利華を笑っていた。それでも構わなかった。
 腕の中にこの温もりがあるならそれで良い。笑いたきゃ笑え。
「物好きな野郎だぜ!こんな…」

 埋め尽くされていた笑い声が、突如止んだ。

「……?」
 顔をあげた利華は、誰もが同じ箇所に視点を集中させているのを見た。その先に立つ一人の男に。
「…あいかわらずだな。」
 それは聞き覚えのある声だった。
「…D・K!?」
「…オー…ナ…!?」
 麗蒔が懐かしいその顔に複雑な表情を浮かべる。自分が連れ去られた直後には何の音沙汰もなかったのに、今になって、一体どういうつもりなのかと。まさか、いまさら助けに来た、なんて言ってくれる人なんかではない。きっと、惨めな自分の姿を見物にきたのだろう。
「貴様…よくもまぁ堂々と来れたモンだな…。」
 M2はD・Kの顔を見るなりその表情を引き攣らせた。二人にとっても懐かしい再会とも言えるだろう。過去に麗蒔がらみの仕事で同行して以来だった。
「久しぶりじゃないかM2、元気でやっていたか?」
「…!恍けるなよ!」
 飄々とした口調で話し掛けてくるD・Kに、M2は麗蒔を指差し言った。
「こいつは何だ!?あの時のガキだろう!貴様…俺を騙していやがったな!俺はあの時の全責任を取らされ、得体のしれねぇ国に長い事ぶっ飛ばされてたんだぞ!?」
「それは御苦労だったな。……しかしまぁ…随分と粗悪に扱ってくれたものだな…これでもうちの店では一級品なのだぞ?」
 怒りをぶつけてくるM2を軽くあしらい、D・Kは利華の腕の中の麗蒔を見回し、言った。その口調は、貸した本を随分汚してくれたな、という程度のものに聞こえる。
「恍けるなといってるだろうD・K、そんな話ではごまかされないぜ?殺すはずのガキを貴様は殺さなかった…何故だ?…いや、わかってる、知ってるぞD・K…」
「何が言いたい?」
「言ってやるさ…」
 にたりとM2はいやらしい笑いを浮かべ目の前の男に向けた。その目は何か重大な弱味を見つけた相手を、どう揺すってやろうかという目だった。
「あの女はてめぇの妹だった、そうだろう?」
「…なん…だって!?」
 誰よりも驚いたのは麗蒔だった。あの女とは…麗蒔の母、彼女の事以外には有り得ないだろう。ということはこの男…オーナーは麗蒔にとって…。
「アイツが麗蒔の……伯父?」
 利華も驚いて麗蒔を見た、そしてD・Kの顔を。顔つきはそっくりとは思えない、麗蒔とは印象が違い過ぎるのだ。だが今まで意識していなかったので気付かなかったが、そのオーナーの目もとは利華が過去何度か見た、『利華の知らない麗蒔』の目そのものだった。
 たしかに似ている…これは嘘やデタラメなんかじゃなさそうだ。
「アイツが…母さんの…兄……。」
 麗蒔は今までそんな事何一つ知らなかったのだろう、自分は天涯孤独な人間だと思っていた。だが突然知ったその唯一の肉親が、この男だなんて。 そして、その事実を知った時、何かが麗蒔を納得させた。
「ああ…そうか……。」
 麗蒔は、ようやく理解した気がした。いつも何を考えているのかわからなかったこの人の事を。
「だから…俺が憎かったんだ……妹を殺した俺だから……どうしようもなく…憎かったんだね……。」
 今まで受けてきた仕打ちの数々が麗蒔に蘇る。時に殺される程の恐怖と責苦を与えられながら、時には驚く程優しい瞳で自分を見つめて可愛がる。そしてその優しい態度とは裏腹に、狂わせる程残酷な言葉を吐き出して。憎しみと、愛情と、どちらともつかないその態度の裏に、常に殺意をちらつかせて。
「だけど…妹と同じ顔の俺を……きっと、殺す事が出来なかったんだ……可哀想な人……ごめんなさい……。」
 殺したい程憎いのに、愛しい人に生き写しなその姿。きっとずっと苦しんでいたんだろう。大事な妹を奪ってしまった自分に、こんなふうにしか接しられなかったんだろう。
「麗蒔、何言ってんだよ!」
 罪の意識に溺れていこうとする麗蒔に利華は一喝する。
「奴を哀れむな麗蒔、自分をよく見ろ!自分の受けた仕打ちを忘れたのか?アイツの立場を正当化させるな!お前は何にも悪く無い!」
 いっそこの身で死んでお詫びを、とでも言いそうな勢いに心が流れていく麗蒔に、利華が怒鳴った。もし、本当にそれが事実だったとしても、だからといって麗蒔をこんな目にあわせて良い訳が無い。
 だが、身も心も傷つき、弱り果てている麗蒔の思考は非観的な方向にしか向いていかないのだ。
「利華…でも……母さんを殺したのは俺だから…だから…」
「麗蒔、もうその事は忘れろ!」
「それは…無理なんだよ…」
 一生消えない罪悪感。D・Kはソレを幼い頃から麗蒔に呟き、植え付け続けていたのかもしれない。忘れさせまいとする為に。自分では命を奪えない事への腹いせとでもいうように。母親を撃ってしまったという過去の事実は、麗蒔をこのまま一生縛り付けてしまうものなのかもしれない。
「よく……調べたな、たいしたもんだ。」
 利華と麗蒔が言い合っているその一方、もう一組の男達の不毛なやり取りも続いていた。
「妹の面影に情でも移ったかD・K?」
「どうかな…。」
 当の本人D・Kは、M2に気付かれた事に何も狼狽える事なく、取り出した煙草に火を付けた。表情一つ変えずに煙草をふかすと自分に喰いかかってくる男を、うるさい蠅だという程度に面倒臭そうに見下した。
 ターゲットが妹の子供であったとはいえ、D・Kはその命令に逆らい、味方を長い間騙し続けていたのだ。組織にこの事が露呈した以上、いくら組織の実力者の彼といえど、ただでは済まされないだろう。それなのにあまりにも余裕のその態度は、M2の精神を更に逆なでする。
「この場に及んで何の弁解もなしか…つくづく気に喰わねぇ奴だよD・K…てめぇって奴はよ。」
「そいつは同感だ、私もお前が気に入らん。」
 どうも険悪に流れだした空気に、牢内に残っていた男達も少し表情を変えた。
「お…おい、こんな所で仲間割れはよせよ…」
「…やめとけ、口を挟むな。…死ぬぞ。」
 だがこのやり取りに周りの誰も口を挟む事は出来ない。このM2という男も、D・Kという男も、この組織内ではかなり格上の位に位置している実力者のようだ。上の者の口論に口出しをする事は、相当の覚悟のいる行為だった。止める物のいない言い争いには、もう歯止めがきかなくなっていた。
「…そうやって、いつも余裕の態度で俺を馬鹿にした目でみやがる…その態度がきにいらねぇ…その目がきにいらねぇ…俺はてめぇの全てが気に入らねぇ!」
 留まる所を知らぬように勢いづいていくM2のとは対照的に、一方のD・Kはというと、まるで相手にしていないというように軽くあしらっているだけだ。こんな子供じみた口論はすぐに終わる、と誰もがそう思っていた。
 そう、この時までは。M2のこの言葉が吐き出されるまでは。
「…俺はなぁ、淫売野郎だった貴様が俺様より上の地位に立ってるってのが何よりも気に喰わねぇんだよ!!」
「ーーー!」
 ぽとり、とD・Kの灰が床に落ちた。 室内の空気は一瞬にして張り詰める。
「……淫売…?」
「あの…D・Kが、か…?」
 この場に居た全ての男がD・Kという名の男に視線を向けていた。
「…オーナー…が…?」
「…この男が?」
 麗蒔と利華の二人も例外では無く、驚いて彼を見ていた。 麗蒔を淫売に仕立て上げたその男も、元は淫売だったという、その事実が信じられない。自分がもし、過去にそのような目にあわされていた立場だったというなら、その痛みも苦しみもわかっているはずなのに。それならば何故?
  M2はどこからか入手した写真をとりだすと、D・Kの前にちらつかせる。
「この男を喰わえ込んでるガキはお前だろう?この目を見てピンときたぜ……おっと失礼、こいつは口が滑り過ぎたかな?メンバー内の過去の詳細はタブーだったっけなぁ?」
  M2が悪びれる様子も無くこの静寂を絶った。 この男はこれが目的だったのだろう、大勢の部下の前でD・Kの過去を暴いてやる事が、なによりの至福なのだろう。その為にどれだけの時間を費やし、D・Kの過去を調べあげたのか、その労力は頭の下がる思いだ。其れは組織の規定により禁じられていた行為だったとしても、それを破ってでもD・Kを陥れる事の方が彼にとっては重要な事だったのだ。それほどまでにこの男は、D・Kという男に執着心をもっていたのだ。
「まぁそう気にすんなD・K、皆の前で言って悪かったな。でも安心しな、てめぇが昔淫売だったなんて事は他の奴には黙っててやっからよ!」
 M2はもう一度そう大きな声で言うと、さも満足そうな嫌味な笑みを絶やさず、勝利に満ちた目でD・Kを見た。表情は大きく崩さずとも、D・Kが少なからず平常心を見失っているのをその目は見逃さない。
「…本当なのか…?」
「あのD・Kが…か?」
 次第にざわめく牢内にD・Kの姿が一人固まって見えた。誰にも知られる事などなかったその過去を、突然暴かれたこの空間の中で。
「…そうそう、そんな事よりお仕事だ。旦那様の私生児を全て抹消するのが、俺とお前に科せられた重大な任務だったよな。これだけの人数の前で生き残りの存在が判明したんだ、ここで殺らないわけにはいかないよなぁ?」
「………。」
 D・Kは口元を少し歪ませたが、言葉は返さなかった。
「お前はあの時こいつを殺さなかった。お前を組織の裏切り者として突き出してやる事だってできる。でもそれじゃあ面白くねぇんだよな…俺は今更そんな事に興味ねぇ。お前だって罰を受けたくないだろ?今こいつを始末しちまえばあの時の任務が名実共に全て完了したことになる。既にあの時始末していたって事にしてやってもいいんだぜ?俺は優しいからなぁ。」
 M2はD・Kの事で気が動転している隙だらけの麗蒔の腕を掴み、自分の元へ手繰り寄せた。
「うあ…!?」
 不覚にもD・Kの事に気を奪われていた利華はあっさりと麗蒔を奪われてしまう。
「このっ…麗蒔に触るなッ…!」
「邪魔だな。」
「くはッ!」
 必死に取りかえそうとした利華の胸をM2が軽く蹴りあげると、その体は宙を舞い、次の瞬間には利華は地下牢の汚い天井を見上げていた。
「うッ…!?」
 激しい胸の痛みに利華の体が蹲る。
「利華…ッ…!」
 M2は奪い取った麗蒔の首を掴み抱え上げると、D・Kに見せつけるように前に突き出した。
「どうやって始末しようか、なぁD・K?銃口を下からぶっ込んで撃ち抜いてやろうか?それともてめぇの妹みたいに後ろから心臓をぶち抜いてやろうか?お前に決めさせてやるぜ、お前の甥ッ子なんだからなぁ、好きな方を選べよD・K。」
 調子に乗って愉快そうにまくしたてるM2が突如触れた妹の話題に、固まっていたD・Kがようやく僅かに言葉を返す。
「…後ろ…から?撃ったのは前からだったはずだが……まさか貴様…!?」
 D・Kが何かを察したのを見て、M2がにたりと笑った。
「漸く気が付いたのか…そうだ、俺はあの後、自分の銃がガキに奪われた失態の痕跡を隠そうと、お前が車を出した直後にあの場に戻った。するとどうだ、死んだはずの女が部屋を這いずり回っているじゃねぇか?瀕死の女がだぜ?」
「だから…だからどうしたんだ……。」
 無表情のD・Kの顔が少しずつ引き攣っていく。
「だから?…決まってるじゃねぇか、ラクにしてやったんだよ!この俺がな!」
「!!」
 下品なけたたましい笑い声が大きく響き渡った。
 麗蒔の母親は生きていたのだ、少なくとも麗蒔に撃たれた直後は。麗蒔の撃った銃弾は確かに母親の胸をとらえていた。だが、その命を奪う程ではなかったのだ。その生命を絶ったのは、罪の意識に苛まれていた麗蒔ではなく、この男。
 麗蒔は、人殺しではなかったのだ。
「お前が…お前が母さんをッ…よくも…!」
 麗蒔の中に言い知れぬ怒りがこみ上げてきた。自分が動けない程の疲労困憊しきった体だった事も忘れ、M2の腕を振り解こうと暴れる。
「うるせぇな!」
  M2は麗蒔を首を掴んだまま体を持ち上げると、そのまま床に叩き付けた。
「あ…!」
  麗蒔は小さく悲鳴をあげ、気を失う。
「麗…!…くぅッ!」
  起き上がろうとした利華は激しい胸の痛みに、その場にまた膝をついてしまった。痛みに、全身に汗が沸き上がる。呼吸をする度に胸が痛んだ。肋骨の何本かが折れたのだろう、肺を傷つけたのかもしれない。体が動かせない。
「どうせほっときゃあのまま死んだ女だ。今更妹の一人や二人、残忍な暗殺者D・Kサマにはどうでもいいこったろ?今までだって何度も泣叫ぶ親の目の前で、そのガキをぶっ殺してきてるんだからなぁ?」
「……ッ!」
 D・Kは下を向き、目を伏せた。冷酷な自分にとって、必要の無い感情を沈めるように。
「……そんな事よりどうなんだよこの話、お前にとってそう悪く無いだろう?……ただし全部ただお前のいいようにって訳にはいかねぇ、条件があるぜ…なぁに、お前には簡単な事だ。」
 M2の嫌味な顔が更にいやらしく歪む。
「俺に抱かれなD・K…今ここでだ。」
「…!」
「どうせJ・Jにはケツ突き出して突っ込ませてたんだろ?俺にもさせろよD・K。いや、俺だけじゃ無い…今ここにいる全員にだ!そうすりゃこいつらだって…きっとこの件については黙っていてくれるだろうぜ?そうだろおまえら?」
 牢内に残っていた男達はざわめきながらお互いの顔を見合わせた。こういう悪ふざけは嫌いではなかった彼等も、これはいつもとは勝手が違う。相手は自分の尊敬に値する先輩であり、上官でもあるのだ。
「こいよD・K…イイ声で鳴きな!可愛がってやるぜ?媚びるのはお得意だろ?旦那様に取り入ったみたいに俺に奉仕するんだよ!」
 M2は下品な笑いで手招きした。
「…断る。」
 D・Kの血管の浮き出た手が、煙草を揉み消した。
「何ィ?」
「断る、といったのが聞こえんか?」
 少し俯いたままだったのD・Kが、ゆっくり顔をあげる。
「!」
 凍り付く程の殺気走った目をしたD・Kに、M2だけでなく、その目を見た皆が言葉を失った。
「……そうかよ…は!それじゃかまわねぇさ…お前を裏切り者として懲罰牢にぶっ込んでやる!こいつを始末した後でな!」
 M2は怯んだ自分を読まれないようにわざと軽口で切り返すと、先程自分が叩き付けた衝撃で気を失っていた麗蒔の体を引き起こした。
「……ちょっと惜しい気もするが…ひひ…なにしろコイツは最高の淫売だからな…ああそうか、お前と同じ血が流れてるからかもな?」
 M2は麗蒔の体にいやらしく指を這わせながら、ちらりと視線をD・Kに向け、すぐに目線をそらした。
「う…!?」
 体に触れられる感覚に、麗蒔は意識を取り戻した。麗蒔の目がキッとM2を睨み付ける。体の思うように動かせない麗蒔の僅かな抵抗の意志だった。
「こいつは本当に似てるよな…」
「ヒッ…!?」
 M2の指が麗蒔の血の跡の残る内股を這い上がり、出血のいまだ治まらない血孔にに指を埋め込んだ。ビクッと麗蒔の体が震える。
「イッ…痛…ああぁッ!」
 二本、三本と指を増やしていき、ついに四本も麗蒔に埋め込んだM2は、更にその指の隙間に親指をゆっくりと滑り込ませていく。
「いや…イッ…!!」
「……よせ…やめろ!」
 利華は痛みを堪え叫んだが何の攻撃に移る事もできない。
「D・K、…てめぇの目によ!」
 M2の腕はそのまま思いきり麗蒔に突き入れられた。
「ひッ…嫌……ああああああぁあーーッッ!!」
 麗蒔の体が大きく跳ね上がりその行為の苦痛の凄まじさを物語る。M2の拳は緩みきった麗蒔の入口を強引に通り抜け、筋肉質な太い腕は、麗蒔の中に一気に埋め込まれていった。
  M2の腕を麗蒔の鮮血が流れ落ちていく。
「…ふん…こんなものを見せたところで貴様は何とも思わんか…だがな、俺は楽しいぞ?」
「………。」
 M2には目の前で腕を捩じ込まれている甥の姿を見て何も反応しないD・Kも、半ば予想通りだった。そんなことで取り乱す程優しい男では無い。M2の楽しさは他にあった。
「思い出さないかD・K?なぁ?昔の自分をよぉ!懐かしいんだろう?こういうこと、されてたんだろう?」
 麗蒔をいたぶる事で彼は少なからず優越感を感じた。それをD・Kに見せつける事で、D・Kに昔の自分を無理矢理に思い出させてやる。
 淫売だったくせに、組織の実力者に成り上がったD・K。淫売だったくせに、ちょっと可愛がってやろうとちょっかいを出した時、本気で殺されかかった。淫売だったくせに、いつも自分を見下した目で見やがる。面白く無い。
「淫売はこうやって淫売らしく突っ込まれてよがってりゃいいってもんだぜ!」
 M2はその不愉快さを麗蒔に当たるように、腕を力任せに突きあげた。
「あぐッ…がぁっ!アッ…うあっ…ぐがぁッ!」
 肘の辺りまで腕を突き入れ、腹の中を鉄拳で殴りつけられ、薄い麗蒔の腹筋が内側から競り上がる。
「麗蒔ッッ!!」
 力を振り絞って必死に飛びかかってきた利華を、M2は簡単に片手でなぎ倒した。そして倒した利華の胸を脚で踏み付ける。
「はうッ…!」
 激痛に意識を失いそうになった利華を、麗蒔の悲鳴がつなぎ止める。もう、すぐ手の届きそうな所に麗蒔がいるのに、助ける事も触れる事も出来ない。すぐ目の前では、麗蒔の中に紅い腕がズボズボと抜き挿しされているのに、もがけばもがく程この脚は利華の胸を締め付ける。
「やめろッ…やめろっ…!やめてくれーーッ!!」
 利華にはもう、叫ぶ事しか出来ない。
「ひぎッ…あがぁあッ!!」
 暴れ狂う麗蒔の姿を、動けない利華はこれ見よがしに見せつけられる。今の利華は声を出すのも苦痛な程だが、声を出す事くらいしか出来ないのだ。
「利…華…ぁッ!あぶっ、がはッ!!」
 既に意識も視界も暗転していく麗蒔の耳に利華の声だけは届いていた。暗闇に声のする方に利華の姿を求め手を延ばしてみても、それは利華に届くことはなく、かわりに触れたのは麗蒔の体をめちゃくちゃに突き壊していく、激しく内側を殴りつける太い腕。血で滑るあまりにも太いその腕に、麗蒔は無駄な抵抗をする。
「ぎあッ!ひぃッ…くッ、…っくしょおぉッ…!」
 麗蒔は残された僅かな爪をその腕に突き立て掻きむしった。
「…ふ……あの時てめぇが始末しといてやりゃあ、こいつももっと楽に死ねたものよ…」
 M2はその手を振払うと、麗蒔の体が浮き上がる程、思いきり腕を突き入れた。その拍子にM2の腕が、肘までズブリと麗蒔に沈み込む。
「ーーーーッッ!!」
 仰け反った体に裂けんばかりに突き上げる拳の跡が浮かび上がり、暴れていた麗蒔の抵抗がピタリと止まった。
「げふッ…ごほッ!……」
 一瞬の間の後、麗蒔は大量に血を吐き、腕に体を貫かれたまま体を床に投げ出し、そのまま動かなくなった。
「うあ…麗蒔…麗…うッ!!」
 その麗蒔の様子を見て青ざめた利華の胸を、キリッと足が締め付ける。
「……ま、お遊びはこの辺にしといてやるか…どちらにしろこいつを殺れば俺は任務完了だ。その後は貴様を裏切り者として突き出してやるぜ!」
 ずるりっ…と麗蒔から抜かれた真っ赤な腕は、その血を足下に押さえつけた男の服で拭った。利華の服の裾はみるみる紅く変化していく。
「あ…あ…麗蒔…なんて…酷い…!」
 横目に見える白く血の気の無い体を横たえた麗蒔は、さながら死体の様であった。利華は麗蒔に懸命に手を延ばした。息のある事を確認しなくては、気が気ではいられない。
 だがM2はそんな麗蒔の体を壁際に蹴り飛ばし、懐から銃を取り出すと玩具の様にくるくると回し、麗蒔に銃口を向けた。
「お前はその次だ。」
 M2は必死に麗蒔の元へ何とか辿り着こうとする利華も蹴り飛ばした。太刀打ちなど出来ない、圧倒的な力の差を見せつけられる。
「がはッ!」
 転がる利華の体は何かにぶつかって止まった。その何かとは、先ほどから石のように動かないD・Kだった。表情は恐ろしい目で固まったままだが、麗蒔に銃口を向けられているのを見ても何の行動に出ようともしない。
  何の為に来たのだ、この男は!?利華はそんなD・Kに腹が立ち、D・Kに向かって怒鳴り付けた。
「…アンタは…麗蒔を助けようとか、そういう気にはならないのかッ!?あんたの…甥ッ子なんだろ!?妹の忘れ形見なんだろ!?アンタそれでいいのかよーー!ッ!」
「………。」
 それでもD・Kは何も言葉を返してはこない。あいかわらずただ黙ってM2を睨み付けているだけだ。
「くっ…ぅ!」
 途端に襲ってきた大声をあげた見返りの激痛に、痛む胸を押さえ込む利華の、その手に何か硬い物が触れた。
(これは…)
 忘れかけていたそれは、この男にもらった物。
「さぁこれで任務完了だぜーー!!」
 M2の銃が麗蒔の後頭部を正確にとらえた。
 ドクン、体の血が逆流するような興奮が利華を支配する。

「ふ…ふざけるなッ、麗蒔は殺させない…!!」

「こいつ…ッ!?」

「…馬鹿がッ!」

  利華は、躊躇わず懐の塊を抜いた。




そして、銃声は鳴り響いた。


 

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