千と一夜の地下室

第十二幕「時を刻む歯車」

 海の見える小さなロッジに、一人の来客が現れた。
「……お前か…。」
 キィ、と揺り椅子が揺れた。その椅子に座った男は入ってきた男に見向きもせず、無愛想に言葉を放った。
「やっぱり…生きていたんだな。」
  部屋に入ってきたガタイの良い男は、揺り椅子に座る男へと歩み寄った。木の床に、硬い革靴がコツコツと音を鳴らす。 揺り椅子には、眼鏡をかけた痩せた男が海を見つめたまま揺られていた。
「探したぞ。」
「なぜ探した。」
「D…」
「その名前はもう無い。」
「…それじゃあ、昔の名前で呼ぼうか?」
「冗談も程が過ぎるぞ…大概にしろ、J…」
「あいにくその名前も、もう無い。」
「何?」
  かつてD・Kと呼ばれた男は、椅子に座ったまま首だけを来客に向けた。
「…失業ってやつさ。」
  かつてJ・Jと呼ばれたその男は、その右袖を潮風になびかせていた。肘から下が、無い。
「ーー!」
「…そんなに驚く事じゃないだろう…よくあることだ、おかげで引退だがな。」
 コツ、コツ。
 革靴が小気味の良い音をたてながら、揺り椅子に近付いてくる。
「…懐かしいじゃねぇか、こうして二人で居るってのも…覚えてるか?お前はまだ十代だったな。」
「…忘れたな。」
  J・Jは揺り椅子のひじ掛けに強引に腰掛けた。
「俺は良く覚えてるぜ…おい、何で俺がお前を買ったかわかるか?」
  D・Kの表情が嫌そうに曇る。過去の事は思い出したくもないのだろう。淫売だった自分がこの男に買われたというその過去も。
「…さぁな、お前の行動は俺には理解不能だった。」
「そうだな、俺はお前を自分から抱こうとはしなかったからな。…ま、お前はそれが気に喰わなかったみたいだが。」
「………」
「お前は何度も自分から強引に俺の上に跨がってきやがった。俺が寝ている間に俺をベットに縛り付けたりしてな。」
 愉快そうに思い出し笑いするJ・JにD・Kは舌打ちをした。
「…どうせ起きていたんだろうが。俺が部屋に入るのにも気付いて、それでいて黙って縛られていただろう…変態め。」
 J・J程の男が、寝室の侵入者に気がつかないわけがない。それでも黙って好きにさせているのが見え見えだった。D・Kは当時そんなこの男が無性に嫌いだった。自分が良いようにからかわれているだけにしか感じられなかったのだ。
「まぁそういうな。…そしてお前はいつも決まって最後にこう言った、する気がないのに何で買った、ってな。」
「ああそうだ、買っておいて、放置する。最高の侮辱だった。」
 誰でも自分を抱きたがった。それが当たり前になっていた。そして自分の虜にしてしまえば…こんな自分でも少し優越感を得られる。だがこの男にはそれが出来なかった。腹立たしく、不愉快きわまりない。
「俺はな…」
  J・Jは腰掛けた揺り椅子に体重をかけた。キィ、と音がして椅子がゆっくり二人を揺らし始める。
「毎日殺しばかりやっていた。毎日、毎日…その行為に何も感じなくなる程感情が麻痺していた…俺は完璧な殺人鬼だった。そんな時、裏通りの淫売小屋でお前を見つけた。何人も男を喰わえこみながら、ギラギラ殺気走った目で俺を見やがった。…俺は、その目が忘れられなくて、お前を買った。」
「…言ってる事がさっぱりわからんな…。」
「俺はお前の目を見て始めて…罪の意識を感じた。憎しみに溢れるお前の目にだ。俺はお前に睨まれる度に自分の罪を確認出来た。俺は人に恨まれる事をしているんだという事をな。お前といると俺は『人』でいられた。…それが理由だ。」
「……ふん、勝手な奴だ。」
  D・Kは中身のない右袖を掴み、椅子から払いおとした。
「…まさかお前が旦那様に気に入られるとは思わなかったが…。」
「………」
「お前は俺の元から逃げ出し、忘れた頃に俺の前に後輩として再び現れた。腕利きの殺人鬼としてな。それが…お前の望んだ道だったんだな。…あの時ぁ、正直ショックだったぜ。」
 一度だけ、J・Jの家に直々に旦那様が訪問した事があった。その時に家にうろうろしている少年を見て、旦那様は何か言った。可愛いペットだとか、たしかそれだけだと思っていたのだが…翌日、D・KはJ・Jの元から姿を消した。
「旦那様は一目で俺の素質を見抜いた。俺の憎悪が能力を開花させることをな…だから俺は、旦那様のもとで特殊訓練を受けた。」
 J・Jの知らない所でD・Kは旦那様と話をしていたのだ。
『良い目だ…全てが憎いか?少年』
『………』
『…おいで…お前に新しい力をやろう』
『………』
『全ての憎しみを消す事のできる力をね』
 養成施設に入ったD・Kは目を見張るような速度で成長した。驚く程の短期間で、立派な殺人鬼になった。
「俺は彼所で生まれ変わった。」
「…………」
『…はじめまして』
 再会した時、そうJ・Jに自己紹介をしたD・K。彼は何よりも最初に過去の自分を抹殺したのだ。
「あそこでの暮らしは週に何度か旦那様の遊びの相手に付き合えばいいだけだ、楽なものだった。」
 上の者に取り入りながら、自分の能力と位をあげていく。新しい自分を手に入れる為の手段だと思えば そう苦痛なものでは無かった。
「俺の所にいれば、誰の相手をせずとも良かっただろう?」
「あの頃の俺は…極上の抱き人形だった。その俺の身体の虜にならない貴様が…俺には理解できん…気に喰わなかった。」
  J・Jはおもわず失笑した。
「そうやって、いつも自虐的に生きているんだなお前は。」
「………黙れ。」
  D・KはJ・Jを睨み付けると、脇のテーブルから煙草を一つ手にとる。
「体に悪い、やめておけ。」
「ッ…うるさい奴だ…!」
 その手をJ・Jに制止され、舌打ちしながらもD・Kはその煙草を元に戻した。煙草は彼の体内に埋め込まれた人工臓器にとって良く無い事は事実。
 悪態を返しながらもその手を収めたD・Kに、J・Jは口元を緩ませる。
「…お前は…なぜあの子を生かしておいた?妹の子供だったからか?自分を蔑み、軽蔑した妹の…」
「…もうどうでもいいことだ。」
 D・Kはぷいと向こうを向いた。妹の話題は聞きたくないらしい。
「それにしても…」
  J・Jはポケットから何かを取り出し、D・Kに見えるよう左手で前に差し出し、日に透かした。
「あいかわらず良い腕だ。」
「…それは…!?」
  J・Jの左手の親指と人さし指に挟まれたそれは、赤黒い塗料のこびり着いた、拉げた銃弾だった。
「これはお前の銃弾だろう?…だがお前の手に握られていた銃の物じゃ無い。」
「………」
 この男の目は他の奴等と違った。節穴じゃ無い。
「強化繊維に邪魔されて体内に留まったのを、もう一度後ろから押し出されている…確実に急所を貫いてな。端から見れば銃弾は一発しか当たって無いように見えるだろう。…こんな事ができるのはお前か、俺くらいだ。」
 組織内きっての実力者、J・J。そして、その後継者となるだろうと言われていたD・K。二人の実力は他の同胞から抜きん出ていた。
「M2程度の腕でも自分に銃を向けた素人を死に追いやる事など雑作ない事だろう。もし、あの時お前が銃を抜かなければ…彼は間違い無く殺されていただろうな。」
  M2は明らかに銃口の狙いを定めていた。自分に向け銃を構えた男に。だが、突如自分に向けられたもう一つの銃口の出現に、彼は咄嗟に標的を変えた。だがその僅かなぶれが、標的を致命傷にまで至らせる事が出来なかった要因だった。
「…何が言いたい。」
「…なぜ『あの子達』を生かしておくんだ?」
 D・Kは暫し無言になると、口を開いた。
「…勘違いするな、助けた覚えはない。M2は俺が殺したいから殺した、それだけだ。あのガキは…自力であの子を助け出したんだ。生かす?…違うな、俺はただ…賭けに負けたのさ。」
 決して助けたのではない…と、まるで自分に言い聞かせるように。
「……随分と優しくなったな。」
「………」
  サァ、と潮風が空白を揺らした。まだ幾分若く見える外観の割に少し白髪の混じりかけた髪が風に揺れ、その瞳を露にする。ギラ付いた眼光は色褪せ、誰かに似た面影を思わせる。
「…J…J」
 D・Kは何かを吐き出すように話し始めた。
「俺は、同じ境遇に置かれた誰よりも自分の人生を変えた最高の成功者だ。それ以上の道などあり得ないはずだ。俺の生き方は間違ってなどいない…それなのに、この気持ちは何だ…」
 かつて無い程弱々しく紡がれる声色に、J・Jはその肩にそっと手をおいた。
「……お前はいつもその事に疑問を感じていたからだろう?本当にこうするしかなかったのかと、こうする事が本当に正しかったのか、他に道はなかったのか、とな。だから…」
「だから……だから何だ。」
 本当は、その理由は自分でもわかっている。
 自分と同じ目をした、何も汚れをしらない綺麗な子供。見ていて無性に腹がたった。虫酸が走る程憎悪を覚えた。その子供を最高に絶望させて、自分と同じに絶望させて、その様を見て自分は優越感を感じてやるつもりだった。その為の玩具…の筈だった。最初は。
「お前はもう一度自分の人生を確認してみたかったんだろう?他に道がないのかを。自分に似た目をした、あの子でな。」
 D・Kは押し黙り、何も反論はしなかった。
 いつからだろう、自分を殺してでもここから逃げ出して見ろ、と本気で思うようになったのは。その方法を見せてみろ、と。出来ない姿を嘲笑い、そしてその姿に苛立っていた。結局自分ではなにも出来ない現実に。
 あの男が現れるまでは。
「…で、今でも自分が一番の成功者だと思っているのか?」
  D・Kは瞳を閉じて口元を吊り上げた。
「…………当たり前だ、俺以上の成功者など…ある訳が無い。」
「あいかわらずだ。」
  J・Jはまた失笑した。嘘つきなその姿に。
「……ッ!」
  D・Kは柄にも無く顔を赤らめた。
「何をしにきたんだお前はッ…俺を笑いに来たのか?用がすんだのならさっさと帰れ!」
 珍しいD・Kのその表情にJ・Jの口元も緩む。それはお互い、とても人らしい表情だった。
「……ま、そういうわけにもいかねぇのさ。」
  J・Jは揺り椅子の手すりから立ち上がった。反動で、椅子が大きく揺れる。J・JはD・Kの正面に立ち、座るその男に左腕を差し出した。
「このとおり、俺には右腕が必要でな。」
「………。」
  D・Kは椅子の揺れがおさまると、ゆっくり立ち上がった。以前より細身を増した病弱なシルエットがあらわれる。
「…俺に何を期待している…?あいにくこの中身は人工物だらけでな…誰かに手をかけてやれる程の体力も…気持ちも持ち合わせてはいないぞ。」
 以前のような仕事は勿論、療養を迫られる普通の人以下の微弱な肉体。新しい旦那様に用意された空気のよい環境で、ただなんとなく時間を過ごしている。組織から離れる最後の瞬間に下された、『死ぬな』という命令をまっとうするためだけに。
「…別にお前に俺の世話をしろとは言っていない。」
  J・Jはその細い腕を掴むと自分に引き寄せた。体力のない体がよろけるようにその胸に倒れ込む。人の体温がやけに懐かしい。
「お前を…成功者にしてやってもいいぜ。」
「………イイ年をしたオヤジが…。」
 どちらともなく苦笑する。
「お前だって同じだろう?」
「俺はまだ30代だ、一緒にするな。」
  J・Jの左腕が、D・Kの髪を撫で上げる。
「そう人を羨むな…麗蒔」
 ビク、とD・Kの体が反応する。殺したはずの過去の名前に。
「成功は自分で掴むものだ。」
「……もうその名前で呼ぶなっ…殺されたいか!?」
 『麗蒔』に払いおとされた腕に、J・Jはまた失笑する。
「ふ…これからも退屈しないですみそうだ…。」
 そういった男の顔は愉快そうに綻んでいた。
  海からの潮風が、かつて恐れられた程の男達に、穏やかに吹き付ける。

 

 

 

 

 某街のとある一室。あまり立派とは言えない造りのその部屋に二人の男が同居している。知る人は知る、知らない人は全く知らない、彼等は最近ちょっと売れ出してきたバンドの一員だ。
「利華ッ!自分のは自分で洗えよッ!」
「いーじゃんついでに洗ったって、ボタン押すだけだろ?」
 ブツブツ文句をいいながら、麗蒔は洗濯機に自分の服と利華の服を放り込んだ。
「俺は利華の嫁さんでもなんでもないんだからなっ…たく!」
「いーじゃん、俺の嫁さんで。」
  スタートスイッチを押した麗蒔の腰に利華が背後から抱きついてきた。
「髪、良い匂い…。」
「くっつくなよーもう!」
  くすぐったそうに麗蒔が身を捩ると、振り返りかけた唇を背後の男に奪われる。
「…ん…。」
  脱力したように、麗蒔は利華に体を預けると、利華は麗蒔を抱かえてベットにおろした。
「…真っ昼間だぞ…?」
「利華様、今発情期なの♪」
「いっつもだろ…」
  麗蒔の言葉を唇で塞いで、利華はその続きを奪ってしまう。麗蒔の下腹部に手を延ばし、硬くなってきた其れを衣服の上から撫でた。ピクン、と麗蒔が反応する。
「お前だって、満年発情期♪」
  反論出来ずに顔を赤らめた麗蒔にもう一度キスをすると、利華は麗蒔のズボンの前をはだけ、直に麗蒔に愛撫する。
「や…っん…!」
 身を捩って感じる麗蒔に、利華は体をずらして跨がった。
「麗蒔…麗蒔も、して。」
  コクンと可愛らしく頷くと、麗蒔は目の前のファスナーをおろし、顔をだした利華の分身を口に含んだ。
「あ…イイ、麗蒔…」
  利華は自分も麗蒔を口に含むと、舌で転がした。
「利華…ふあッ…!」
  互いの舌に感じあい、溶けそうな感覚の中、次第に昇り詰め共に絶頂を迎える。
「……はぁー…」
  利華が気の抜けた声を漏した。麗蒔の上から降り、その横に寝転んだ。
「……良く無かった?」
「いんや、お前の舌はサイコーだぜ。」
 でも何か物足りなそうに感じる声で答え、利華はごろんと寝返りをうった。
「………したい?」
  ピク…と利華の体が反応する。
「………しよっか…?」
  利華が驚いた顔でゆっくりと振り返る。
「しよ…って、お前…出来るわけないだろ?体が…」
「もう、大丈夫だよ。あれからもう…2年も経ってる。傷だって完治して、痛みももう全然ないんだから。」
「だからって…ん…い…いのか?」
  麗蒔は利華に唇を重ね、誘うように腕を首にまわす。
「でも…痛く無いように優しくしてよ?」
「……任しとけ…!」
  利華は麗蒔にもう一度覆い被さると、その細い体に優しく愛撫しながら手を麗蒔の下半身に延ばした。
「…あっ…」
  麗蒔の物で僅かに濡れた指が入口に触れ、麗蒔が声を漏す。
「これじゃ足りないな…」
  利華は麗蒔の足の間に顔を埋めると、閉ざされた其処に舌を這わせた。
「えッ…利華ッ…!?」
「大丈夫…いっぱい濡らしとけば大丈夫だから。」
「あ…や…んっ…」
  利華の舌が、快感を受ける事を忘れかけた麗蒔の其処に記憶を呼び起こし始める。ゆっくり丁寧に渕を舐めあげ、たっぷりと唾液を含ませていく。
「ひッ…!」
  突如侵入してきた指に麗蒔の腰が逃げるように退けた。利華はそのまま指をゆっくり進める。一度抜いてから、指をしゃぶり唾液を含ませ、もう一度ゆっくり挿入する。何度か繰り返して、麗蒔の其処を丹念に解してやる。まるで処女を扱うように、丁寧に、大事に。
「そろそろいい?」
「…たぶん…。」
  指だけで、随分興奮してきているのが利華の目にも見えている麗蒔は、早く続きが欲しくて堪らなくなってしまう。思い出しつつ有る過去の感覚が早く欲しくて、身体の奥が疼いて堪らないのだ。
「身体、楽にしてろ…。」
  麗蒔の脚の間に身体を割り込ませ、利華は麗蒔の腰を膝に抱えた。その途端、急に麗蒔に言い知れぬ嫌悪感が沸き上がってきた。記憶に残る、自分に襲い掛かる…男の黒い影……!
「…ーーッ!嫌…嫌ーーッ!!」
「麗蒔!?」
  麗蒔は急に暴れた。目をつぶって首を振り、その顔を両腕で覆った。突然の抵抗だった。
「…麗蒔………目あけろ。」
「…いや……。」
「目、開けろ。」
  利華の手が麗蒔の腕を解き、背けた麗蒔の顔を上向かせた。麗蒔は、ゆっくりと、そっと目を開けた。
「…お前の前に居るのは誰だ?今、お前を抱いてるのは誰だ?…俺は、誰だ?」
「………利華…」
 脅えているようだった麗蒔の表情が、漸く柔らかく弛んだ。
「それでも…恐いか?」
「…恐……く無い……ごめん利華、俺……」
「いいよ…あんな思いをしたんだ、当然だよな。」
  利華はあやすように頭を撫で、その頬に軽くキスをした。
「…やっぱり、やめようか。」
「そ、そんな事ないよ大丈夫!……ね、続けて?」
  麗蒔は利華の顔を捕まえると、その唇を深く吸った。こんなに欲しいのに、一つになれないなんて、もう我慢出来ない。
「わかった、いいんだな?」
「うん…利華……来て…」
  麗蒔は自ら脚を大きく開くと利華を誘った。それは始めて麗蒔が利華を誘った姿に似ていた。利華は誘われるまま麗蒔に重なり、その腰を麗蒔に押し当てた。
  麗蒔の身体を気づかい、したいとは言わなかったが、ずっと押さえていたのだ。紛らわす為都合のイイ女を誘った時もあったが、虚しさとせつなさが残るだけだった。自分の欲しいものはスゴク近くにあるのに、いつでもお預けだったのだから。
  それが今、漸く解禁になる。
「利華……いッ…あ、くぅッ…あぁッ!」
  幾分立派な利華の其れが、麗蒔の身体をこじ開けていく。久しぶりの雄の感触は、随分な痛みを伴って麗蒔の身体に侵入して来た。利華の肩を握る麗蒔の手に力がこもる。
「痛い…?」
「い…痛い……でもやめないで…、このままじゃ…痛いだけ…だもん、もっと…良くなるまで…ッう…!」
  眉をしかめながら言う麗蒔に、利華は黙って腰を進めた。
「つぁッ……っく…う、痛…んッ!」
  利華を全て飲み込んだ麗蒔の身体。利華は漸く飲み込んだ其れを、ゆっくり前後に揺らし始めた。
「い…ッ…う、利華ッ…うッ…!」
  ゆっくりと、次第に早く、強くなり、利華は麗蒔の身体を頻りに擦りあげた。
「ああぁっ!…痛…ッ!う、利華っ…あっ…!」
  痛みの中に、少しづつ蘇ってくる過去の感覚。最高の快感を作り上げてきた其処が、利華の動きに答え始める。
「あ…あっ、利華、…アッ、利華ぁっ!」
  痺れるような快感が蘇り、麗蒔は突き上げられる度に官能の渦に飲み込まれていく。痛みはまだ、確かに其処にあるのに、堪らなく溺れていくこの快感。再び一つに成れた喜び。
「麗蒔…麗蒔ッ…!」
「利…華あぁッ…!」
 互いの名を呼び合いながら、久しぶりの肌の交わりに二人は何度も酔いしれていた。

 

 

 

 


「もうあれから2年なんだなぁ…。」
 とある公園、一組のカップルの男が言った。
「そうね、私達付き合って2年になるのね。」
「え?…あ、ああ、そうだよな。」
  女の返した言葉に男は慌てて話を合わせていた。
「2年前なんて、またこうして祥之クンと一緒にいられるようになるなんて思わなかったのに。」
「そう…だね。」
「…本当は大変なんでしょう?こうして会うのも…」
「んー、まぁね。でも慣れた…かな?もう平気。」
  祥之は屈託のない笑みで彼女を安心させる。
「週に数時間は自由時間をとらせろって、監視も尾行も絶対するナって、これだけは退けないからね俺としても。だからこうして…会う事もできるし?」
「そうね。」
  彼女の嬉しそうな顔に祥之も微笑んだ。 一度は別れさせられた彼女だった。年の割に幼く見える、可愛い人だ。自分がトップにたってから、どうにか周りを押さえ付けてヨリを戻した彼女だった。こんな境遇の自分を、怖がらず、変わらず『好き』と言ってくれたこの人を、大切にしたいと心から思った。
「旦那様、旦那様って、いつも大変なのね。」
「ったくよ、本当うぜぇよマジで。」
  本当に嫌そうな顔の祥之に彼女がクスクス笑う。
「私…祥之クンの奥さんになったら、何てよばれるのかしら?ふふ…」
「えっ…今何て…?」
「ふふっ…教えなーい!」
  何度聞き直しても、悪戯っぽく教えないと言う彼女とじゃれ会いながら、祥之は自分に与えられた僅かな自由のひとときを満喫していた。
「…あー、何か喉渇いちゃった…。」
「俺、何か買ってくるよ待ってて!」
「ありがとう。」
  祥之は彼女をベンチに待たせると、近くの売店に歩き出した。
(ケッコン…かぁ…俺が?だよなぁ…したっていいよなぁ…)
  祥之は思い出し笑いをしながらニヤつく口元を押さえた。じつは、さっきの言葉は祥之にもちゃんと聞こえていた。嫌だった仕事も慣れて来て、『旦那様』も大分サマになってきた。こうやって自分に自由の時間を手に入れたのも、周りから信頼されるように成れたからこそだ。少し早い気もするが、身を固めたって誰も反対しないだろう。結婚式は物々しくせず、普通に挙げたい。学校時代の同級生とか、友達とか呼んで…
(そういや麗蒔…今頃どうしてるのかな…)
  ふと、思い出した自分の異母兄貴。幸せでいるだろうか?強がって手紙なんかいいからと言ったら、本当に年に2回くらいしか手紙をよこさない。以外と薄情なもんだとせつなくもなるが、便りの無いのは何事も無い証とはよくいったもんだ。きっと元気にやっているんだろう。大抵そういう友人は忘れた頃に、私達結婚しました!なんて内容の絵葉書がいきなり送られてきて驚くものである。
(男同士だから…いきなり結婚しましたってのはないよな?)
  祥之は想像して一人で吹き出した。でも麗蒔のドレス姿もなかなか悪くは無い、なんて思ってしまう。 祥之はなんだか久しぶりに麗蒔達に会いたくなった。
(今度の休みにでもいきなり会いに行って驚かそうかな…)
  そうこう考えているうちに、祥之は売店の前に着いていた。
「コーラ2つね。あ、そのままでいいよ。」
 祥之は両手にコーラを持つと、彼女の待つベンチへと急いだ。
 いつもは部下が何でも用意して揃える身分。そんな自分が誰かの為に物を運んだりしている事、そんな普通の事が祥之の幸福感を満たしていた。
「あの…」
  急ぎ足で歩いていると、祥之は突如、呼び止められる。
「………祥之さん…ですね?」
「はい?」
 振り返ると、見た事の無い男が祥之の後ろに立っていた。
「五代目当主…祥之様…ですね…?」
「そうだけど…どちらさん?」
 男は口元に笑みを浮かべると、ゆっくりと祥之に歩み寄ってきた。 

 

 

 

 

「チャンネル変えるよっ。」
「あ、変えんなって!見てんだから!」
「この番組面白くないよ!」
「なんだと〜っ!」
  利華は麗蒔からリモコンを奪おうと麗蒔に乗りかかった。
「あーっ、猾いよ利華、力じゃ俺勝てる訳な…」
「問答無用っ!」
  利華はそのまま麗蒔を押さえ込み、リモコンを奪わずにそのまま麗蒔の首筋に舌を這わせた。
「ヤッ…ちょー…ッ!もう、やだってば!」
  麗蒔がリモコンを握りしめたまま抵抗しようともがく度にチャンネルがクルクルと変わる。
「させてくれたらチャンネル権やるが・」
「やーだーよっ!もう!」
  戯れあいながら喧嘩ともいえない喧嘩で、もみあう利華と麗蒔。勿論、麗蒔も本気で嫌がっているわけではない。
  また肌を重ねる様になってから数週間、利華は以前よりも麗蒔に戯れついてくる事が多くなった。あわよくばそのまま本番、という下心が見え見えだ。だが当の麗蒔もそれが満更ではないようだ。
「ん…?あ!利華、待って!」
「待てねーなぁ…」
「そうじゃなくって、ちょっと退いて!」
「聞こえねぇなぁ…」
「いいから退けっての!!」
  『ゴンッ』 リモコンの角が利華の後頭部にヒットした。麗蒔は利華の下から這い上がるとテレビに駆け寄った。
「いつつ…なんだよ殴る事ない…」
「見て、利華!」
  利華は頭を摩りながら、興奮気味で麗蒔が指差す画面に目をやった。何かの歌番組のようで、新人の紹介みたいのをやっている。そして、画面がきりかわり、一人の男が映し出される。見覚えの有るその男。
「……一至!?」
「だよね!?」
  トレードマークの様だった髪をスッキリと短くさせ、雰囲気は変わっているがこの生意気な物言いは、紛れも無く一至だった。テレビに出ておきながら、テレビに出るのは嫌なんです、何て言って司会者を困らせている。
「あんのやろー…いっつのまに?」
「何にも連絡くれないと思ったら…」
  二人はテレビに無言で見入った。懐かしいその顔を食い入るように見た。やがて、一至が歌い始める。聴くものを魅了する、低く響く甘い声。切ない、詩。

  千と一夜の地下室
  息を殺して
  閉じた幕の前で…

  逃げ出しても誰も止めやしないさ

  唄ってみせてよ
  傷を舐めてよ
  答えてみせてよ

  千と一夜の地下室
  君の想うがまま
  抱えきれない花束 抱いて

  答えて
 
  千と一夜の地下室
  何を映す?
  どうだい上手に笑ってるかい?
  抱えきれない花束 蒔いて

  ホラ、幕があがる…

「良い声だ。」
「…だね。」
「……この歌、麗蒔の事みたいだ。」
「……そうかな…。」
「…絶対そうだ。」
「………。」
  暫く二人は黙っていた。利華は不意に麗蒔が心配になり、そっと肩を抱いた。詩の内容は、二人にあの時の日々を思い出させるには充分なものだった。麗蒔が忘れたい、嫌な事を思い出してしまったのではと心配になる。
「…これ、欲しいな。」
「え?」
「このCD、欲しく無い?俺、またこの曲聴きたい。」
「…そうだな、買いにいくか?」
「うん!」
  麗蒔は、もう大丈夫。利華が心配しているよりも、ずっと麗蒔は強かった。強くなっていた。
「俺着替えてくるわ。」
「5分以内でね!」
「はいはい。」
  利華は着替えに寝室に入っていき、麗蒔は曲の余韻に浸りながら、一至のもういなくなった番組を見続けていた。
  ふと、玄関のチャイムの音が麗蒔の耳に聞こえた。
「誰だろう?誰か来たみたいだよ利華。」
「え?」
  麗蒔は立ち上がると部屋を出ていった。
「…チャイムなんて鳴らんかったぞ…?」
  利華は首を傾げながらも、5分以内というノルマを達成するために急いで身支度した。
「やっぱヒゲもそらなあかんか…誰に会うかわからんもな。」
  利華は伸びた無精髭を指で触り、慌てて洗面所に駆け込んだ。
「はいはい、今開けるってば!」
  またチャイムがせっかちに鳴らされ、麗蒔は鍵を開けた。と同時に、中に一人の青年が入り込んできた。懐かしい、その人影に麗蒔は言葉を詰まらせる。
「……祥之!」
「へへ…来ちゃった。びっくりした?」
  祥之は照れ笑いしながら麗蒔に抱きついた。
「久しぶり!どうしたの?」
「や、ふと、どうしてるかな…て思って…思わず来ちまった!」
「元気してた?」
「…麗蒔は?」
「みての通り、元気だよ!利華もね、…あぁ、利華呼んでくる、あがって待ってて。」
  麗蒔は祥之を部屋に誘った。
「いや、俺これでも結構忙しいからさ、向こうに…待たせてあるんだ、あがりたいのはやまやまだけど…。」
 祥之は急に慌てて断った。
「そう…なの?」
「またそんな、暗い顔すんなってば!あ、そうだ、俺ね…今度結婚するんだ!」
「…本当?おめでとう祥之!」
  いきなり遊びにきたかと思えば、今度はいきなり結婚するとか言い出す。いるんだ、こういう奴が知り合いに一人は必ず。
「利華ーーッ、利華、ちょっと早く来なよーーッ!」
  麗蒔は奥の部屋に向かって利華を呼びつけた。
「へへ……麗蒔は?麗蒔は幸せ?」
「何、急に?…幸せ…だよ?」
  麗蒔は照れながら祥之に告げた。祥之は嬉しそうに微笑んだ。
「そっか、良かった…。」
「祥之…?」
 少し、その笑顔が寂しそうに麗蒔には見えた。
「じゃ、俺もう行かなきゃ…」
「また遊びに来てよね?」
「……うん!」
  祥之は、もう一度麗蒔に抱きつくと、深くキスをした。いままでにした祥之とのキスの中で、一番深く熱い、濃厚な口付け。
「〜〜ッ祥之!?」
「…へへ、利華に見つかったら殺されるな俺。」
  悪戯っぽく笑って、祥之は麗蒔から離れた。
「それじゃ……さよならッ!」
「祥之!?」
  祥之は急に外に走り出した。麗蒔はなんだか不安になって、追うように外へ飛び出した。
「祥之!」
  扉の前に人影はなく、祥之はそこにはもういなかった。
「祥…」
「じゃあな〜兄貴〜!」
  声のする方を見ると、階段の下の方で祥之がこちらに手を振っていた。屈託のない、満面の笑みを携えて。
「脚、速ッ…!」
  駆け出そうとした麗蒔を、後ろから掴む手があった。
「利華!」
「どうした?麗蒔。」
  慌てて来たらしく、ヒゲも適当に剃られた状態のままで利華が麗蒔を不思議そうな顔で見ていた。
「どうしたじゃないよ、今祥之が来てたんだよ?」
「祥之が!?」
  利華も驚いて外に飛び出し、辺りを見回した。
「何所におるん?」
「あれ?さっきそこに…あ、あそこ!」
  祥之は、もう向いの通りを走っていた。こちらの視線に気付いたのか、立ち止まって手を振り返した。
「え、どこ?」
 利華は指差す方を見回した。
「あっちだよ!…うわ…脚速いッ…もうあんなとこに!」
「……よっし、追っかけるぞ麗蒔!」
「えっ!?うわッ!」
  利華は麗蒔の腕を掴むと、階段を飛び下りるようにかけ降りる。
「どっち曲がった麗蒔?」
「えっと…あっち!」
  祥之の通っただろう後を二人は追い掛け始めた。祥之は立ち止まってこちらを振り返り、そんな二人を見て笑うと、また走り出した。
「…っもう見えねぇ、速ぇなアイツーーッ!」
「利華も脚速いーーッ!」
 麗蒔も必死にその後を追い掛けた。一向に追いつけない祥之をいつまでも追い掛けた。その姿が路地に見えなくなるまで走り続けた。
  その頃、部屋では付けっぱなしのテレビに、何かの不幸を知らせるニュースが流れていた。

「ーーー消えた?」
「まっさか!人が消えるかッて!」
  たしかにこの角で曲がったようなのだが、路地を曲がるとそこに祥之の姿はなかった。息をきらして辺りを見回すが誰もいない。その時二人の耳に、すぐ近くで車の走り去る音が聞こえた。祥之の車だったのかもしれない。
「なんだよ帰ったのか?素っ気無い奴だなーーッたく!」
 利華が舌打ちしながら溜め息をもらした。
「………。」
 麗蒔は乱れた息を整えながら、自分が妙な胸騒ぎを覚えているのに気付く。でも、…気付きたく無い。
「………祥之…。」
  麗蒔はいつのまにか涙が溢れて来ていた。
「どうした…?」
「……わかんない…。」
 そしてそれは、いつしか利華の目にも。わけもわからず、ただどうしようもなく溢れてくる。
「……………あのさ麗蒔、実はさっきから俺…」
  祥之が来た、と麗蒔が言った時から…いや、玄関のチャイムが鳴った瞬間から、妙な胸騒ぎと変な寒気に襲われていた。おそらく今、それは二人とも感じているのだろう。
「……もしかして祥之は……」
 彼は別れ際に、『サヨナラ』と言ったのだ。
「ううん…」
 利華が耐えかねて口を開いたが、麗蒔はそれを否定するようにゆっくり首を左右に振り、涙を拭った。
「………また…ね、祥之…。」
  見上げた空は透き通るように蒼く、麗蒔はその空に手を振った。二人に降り注ぐ日ざしは暖かく、それぞれの想いを優しく包み込んでくれた。



     君が好きだよ

         大好きだよ

            いつまでも



いまでも…。
 


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