千と一夜の地下室

第二幕「天使の微笑」

 いつのまにか利華は麗蒔の事ばかり考えていた。病気の時に看護婦が天使に見えるのと似た感覚だろうか?利華にとって麗蒔は天使だった。生き甲斐をなくして底辺を彷徨う人間に暗闇から救い出す光を与えてくれたその人だった。決して大袈裟なんかじゃない、利華にとっては。昨日の別れ際の様子が気掛かりで、今日は天使の笑顔に戻っていてくれていることを心から願う。
 路地に近付くといつものように麗蒔の音が聞こえて来た。が、遠目にとらえた麗蒔の横には、利華の知らない誰かが座っていた。
(な…誰!?)
 長い黒髪の、妖艶さを帯びた青年、随分と親し気な様子だ。麗蒔の肩に手を書け耳元で何か話している。麗蒔の友人なのだろう。たまには他の友人といることだってそりゃ当然あるだろう、でも、なんだか利華は面白く無かった。この時間はいつも麗蒔と自分の二人だけの時間で、他の誰にも邪魔されたくないと思っていた。エゴかもしれないけど、そう思っていたんだから。 麗蒔は一向に利華が近くまで来た事に気付く気配がなく、青年と話し込んでいる。その事に利華はちょっとムッとする。
「麗…!」
 声をかけようと2、3歩近付いた時、突然青年がギターに合わせて歌い出した。 全身に鳥肌が立ってしまった。麗蒔のギターになんて良くあうんだろう、切ない旋律が青年の声で更に痛くなる。ギター一本と歌だけなのに随分と深い彼等の『世界』が其処に在った。 震えが止まらない。 利華は嫉妬した。麗蒔の隣を奪われた事にも、彼等のつくり出す『音』にも。以前の自分なら堂々とあの中に入っていけただろう。
(…でも今の俺はなんなんだ?)
  利華はなんだか急に自分が恥ずかしく感じ、二人から身を隠すように路地にしゃがみこんだ。と、その時、昨日の男の声が荒々しく麗蒔の名呼んだ。不意に『世界』が途切れ、慌てたような足音が二つ、路地奥に消えていく。利華は路地に駆け込むと反射的に後を追っていた。が、駆け込んだ路地には既に二人の姿はなく、やっぱりただの、カラの袋小路。
「……まただ…。」
 天使は、消えた。

 翌日、青年の姿は無かった。麗蒔の姿も無かった。念のために例の袋小路も覗いてみるが、いくら辺りを見回してもいないものはいなかった。昨日、利華はホテルに帰って色々考えた。恥ずかしく感じた自分を、恥ずかしく思った。隠れた事が悔しい、恥じる事はない、恥じたくは無い。今の自分を。これが今の自分、恥じる事じゃない。明日は例え青年がまたいても声をかけようとそう思ったのに。
 天使は消えた、天使は帰った。この人間はもう立ち直ったから、この人間にはもう必要無いからって、迎えに来た仲間と共に空に帰っていった。
「そんなのって…ないんじゃねぇ?」
 散々気になる存在にさせといて、散々『世界』を見せつけてくれちゃって、それでサヨナラ?
「そんなのねぇだろが麗蒔コラァ!!」
 ひさしぶりに癇癪をおこした。行き止まった小路の壁に思いきり蹴りをいれ…たと思った体はそのまま空振りしたように前に倒れこんだ。
「あだだ…何ィ!?」
 利華はホコリっぽい床の上に倒れていた。しこたま打ち付けた膝をさすりながら後ろを振り返った。
「な…んだよこれ……。」
 本で見た事ある。忍者屋敷とかっていうのにあるなんとか扉ってやつだっけ?扉の中は廃屋に繋がっていて、そのまま表通りまで抜ける事が出来た。
「…これっていわゆる、ただの近道なんじゃない?」
 人が一瞬で消えたと信じ込んでた自分が純粋過ぎて可愛い。別に消えたわけでもなんでもない、まぁこれが現実ってもんだ。
「でもなんでこんなものが…まぁいいか、この先に行けば其処に麗蒔が…?」
 そう思いながら利華はその道を抜けた。表通りに出ると、さっきまでの寂れた雰囲気とはうって変わって派手に栄えた繁華街に出た。すぐ側に一際目を惹く建物があり、誘われるように歩み寄る。一瞬、麗蒔の香りがしたような気がした。
「SCARLET BLUE……?」
 そう書かれた看板のネオンはまだ点灯しておらず、中を覗き込むとカウンターとホールが見えた。バーだろうか?それにしても『赤』と『青』だなんて変わった名前だ。
「何だあんた、営業時間外だぞ。」
 不意にかけられた声に驚き振り返ると、利華のすぐ後ろには見覚えのある男が立っていた。
「あ……!」
 麗蒔の隣で歌っていた青年だった。青年の方は利華に面識がある様子はない。尤も、あの日利華は姿を見せていないのだから知らなくて当然だ。
「昼は立ち入り禁止だ。」
 青年はひと睨みすると利華を押し退け店のカギをあけた。
「ちょ…待ってくれ!」
 利華は店に入ろうとした青年を呼び止める。
「なんだよ。」
「あんたココの従業員なんだろ?」
「……まぁそうだ、そんなようなもんだ。」
「麗蒔って奴ココにいないか?」
 麗蒔という名がでると青年は軽蔑に似た視線を利華に向けた。
「…こんな時間から来たのか?ったく御苦労なこったな。あいにく営業時間外は会えないぞ。それに昨日の今日だ、そう簡単に体調が戻る訳ないだろう。」
「え?」
 この男はたぶん麗蒔の仕事仲間か何かだろう。どうやら麗蒔は体調を崩してしまっているらしい。昨日、何かあったんだろうか?
「そっか、体調崩してんのか…今日、いつもみたいにギター弾いてなかったから、何かあったのかと思って探しに来てみたんだけど…」
 利華の言葉を聞き、青年はハッとした様子で利華の風貌を見回し、慌てて言った。
「…あぁ路地でギター弾いてる奴か?すまん、俺の勘違いだ。」
 青年は面倒臭そうな態度を一変し、急に慌てふためいた。さっきまでの言葉を一転させる。
「え?だって今麗蒔って…」
「同姓同名の人違いのようだ。」
「はぁ?」
「 あんたの言ってるレイジって奴の事は俺はよく知らないなぁ…他あたってみるんだな。」
 そう言って青年はさっさと店に入ろうとした。
「あ、待てって!」
 追って入ろうとした利華の顔面を店の扉が襲った。
「でッ!」
「営業時間外は立ち入り禁止ですッ!」
 そのまま青年は中からカギをかけてしまった。
(なんだぁ?)
 明らかに嘘だった。麗蒔と親しそうにしてるの見てるんだから、彼が知らないわけがない。なんでそんな嘘をつく必要があるんだろうか。利華が店の中を覗こうとすると、わざとらしく窓一面にカーテンを掛けられてしまった。
(む…ムカツク奴!)
 訝しく思いながらもどうしようもなく、とりあえずこの場は引き返すしか無かった。帰ろうと後ろを振り返った瞬間、誰かとぶつかった。
「おわっ!」
 今日は本当にもう転んだりぶつかったり、受難の相でも出てるのかもしれない。
「おっと失礼、大丈夫?」
 見るとそこにはケバイ色のスーツを着た男が利華の顔を覗き込んでいた。一見ホスト風で化粧までしている。
「うちのお客さん?見ない顔だね。」
「あ…この店の人?」
「そう。」
 利華はさっきの青年にはぐらかされた事を確かめたかった。
「…麗蒔って人、この店にいますよね?」
「いるよ。」
 軽い口調で男は即答した。思った通り、やっぱり麗蒔はここにいる。
「君、麗蒔の客?ちょっと時間早過ぎなんじゃないかな〜?いっとくけどここで待ってても麗蒔は来ないよ、諦めてまた夜おいで。あ、これ僕の名刺ね、ど〜ぞヨロシク!」
「は…はぁ…夜ですか。」
 そう言うと男は店に入っていった。しかもちゃっかり名刺なんか渡されてしまった。
「…まぁ昼でも夜でも別にどっちでもいいけど。」
 とにかく夜にココに来れば麗蒔に会えるらしい。利華は空き時間、ひとまずホテルに戻る事にした。

 夜のこの街には初めて足を踏み入れた。昼とはうって変わって人が多い。日中は殺風景だと思っていた路地も店の看板やネオンが灯され、趣味の悪い派手な賑わいを見せている。
(なるほどね、ここって夜系の街だったわけだ。)
 麗蒔はいつも陽の落ちる前に帰ってしまうので、夜になるまでココにいたことはなかった。麗蒔がいないんじゃこんな街に用など無かったから。  例の店に近付くにつれて、路上には物乞いのように座り込んだ幾人もの男達が物欲しそうな目でこちらを見ていた。何だか薄気味悪い。その視線を振り切る様に利華は脇目もふらず例の店へ向かう。店の側まで来て、ふと足が止まってしまった。
(なんだろう…入ってはいけない気がする…。)
 ここに麗蒔がいる。わかっているのに、足が行くことを拒否しようとしている。この胸騒ぎはなんだろう…、そんな事を思っている内に店の方から戸が開き、中から客と店員らしき男が出て来た。
「ありがとうございました〜それじゃまた来て下さ〜い…って、あれ?あぁ、昼間の兄さんだよねぇ?まぁ入んなさいな!」
「あ?え…え〜と……はぁ。」
 昼の男に見つかり利華は半ば強引に店内に連れ込まれた。店内は至って普通の…というよりはそれ以上、高級なクラブのようだった。違うのは、ホステスらしき女性がいない事。バーテンとウエイターと客しかみあたらない。男はカウンターに利華を座らせると自分はカウンターの中に入り、利華に酒を進めて来た。こういう店ってやたら高そうなイメージがある。別に酒を飲みにきたわけじゅない、…そう、麗蒔に会いに来たんだ。
「いや、酒はいい…飲みに来たんじゃないんで。それより人を…麗蒔を呼んでもらえますか?」
 男がニヤッと笑ったように見えた。
「あぁそう、麗蒔だったね。そんじゃ……あ、一至ちょっと!」
 一至と呼ばれたウエイターには見覚えがあった。あいつだ。
「このお客サンを麗蒔の『PEEP ROOM』にお通しして。…ちょっと一至聞いてんの?俺ホール空けらんないんだからさ、頼んだよ!…あ、御案内しますんで彼についていって下さいね。」
「はぁ…。」
 長い黒髪の青年一至は黙って利華を見ている。あいかわらず、なんか感じ悪い。
「……来な。」
 そっけなく言い放つと一至は歩き出した。無愛想な案内に連れられ付いていくと、案内された先は店の裏口だった。
「とりあえず帰れ。」
 一至は足でドアを開けると親指で外を指した。一時期よりまるくなったとはいえ、これには流石の利華もキレかかる。
「…バカにしてんのかてめー…。」
「…ふん。」
 睨み付けた利華の目を一至も睨み返してきた。そのまま暫しの沈黙と静止。沈黙を破ったのは一至の方だった。
「そんなに麗蒔に会いたいのか?こうまでして会いたいのか?どんなことしてでも会いたいのか?」
 当たり前の質問をされ、利華は怒りを通り越して呆れてきた。会いたいから、わざわざこうして来てるっていうのに。
「あぁ会いたいね!会う為に来たんだろうが!何なんだよお前は!?なんでそんなに邪魔すんだよ?麗蒔何処にいんだよ!」
 また、沈黙。そして一至はため息をついて首を横に振ると、漸く向きを変え再び歩き出し、ついてくるよう合図した。
「ったく、最初っからそうしやがれ!」
 利華は悪態をつきながら一至の背中を追った。店の片隅には地下へと続く階段があった。その階段を降り終えた先は閉ざされた扉がいくつもある狭い廊下だった。一至はそこを奥に向かって歩き続けている。
「何だ?此所は。」
「仕事部屋さ。…いいから来い。会いたいんだろ?」
 利華は奥から2番目の『PEEP』と刻まれた部屋に通された。奥の部屋と行き来ができる様になっていて、狭いホテルの一室の様な、でも妖し気で何か異様だ。暗過ぎる照明に、壁一面を覆い尽くすカーテン…。ドクン、異様な胸騒ぎ。
「何なんだこの部屋?」
 一至は苦笑しながら答えた。
「麗蒔に会うんだろ?隣が仕事場でこっちがPEEPだよ。」
「こんなとこつれてきて何なんだって聞いてンの!麗蒔は何処にいるんだよ?」
  いいかげん問いかけの連続で自分でも言っててしつこいと思ってきた。でもそうでもしないと利華は自分の心の動揺がおさまらない。本当はこの時、もう何か感じていたかもしれない…。
「今、会わせてやるよ麗蒔に。…ほらよ。」
 一至は勢いよくカーテンを取り払った。 カーテンの向こうはガラス張りになっていて、隣の部屋が逐一覗ける様になっていた。その部屋の中では…。  

  見知らぬ男が白い肌を汚らしく嘗め廻し、か細い四肢を自分の思うがままに操っている。獣の様に俯せにされた華奢な白い腰に背後から男の醜い器官が擦り付けられ、男の手がその細い足を左右にゆっくりと押し広げる。その細い体は、白い体は…
「あ……れは…っ……麗蒔!?」
 思わず利華はガラスに詰め寄ったが、向こうの住人はお構い無しに事を続けている。
「向こうからは見えないよ。マジックミラーになってるんでね。……声を聞く事だって出来るぜ?聞いてみるか?」
 一至はガラス窓の脇にあった何かのスイッチをONにした。途端に、この部屋にはいないはずの人物の会話が聞こえてきた。
『…良い子だ麗蒔。ほら、これが欲しいんだろう?』
『んっ……』
 男の一物が麗蒔の丘の狭間に回り込み敏感な窪みを刺激する。
『あっ…いや……。』
 膝を振わせた麗蒔の腰が淫らにうねる。
『嫌じゃないだろ、大好きなんだろ?コレが!』
 男の手が白い腰を押さえ込み、強引に自分の体に引き寄せる。
「や…やめろ……っ!」
 利華は目の前の光景に全身の血の気が引いていく様だった。
(これは…悪夢?夢なら今すぐ、覚めてくれ!)
『あっ……あぁっ、うッ…!』
  男の物が麗蒔の体に沈んでいく。ゆっくりと、そして見えなくなっていった。麗蒔は苦しそうに乱れた息を漏らしている。
『今日も楽しませろよ麗蒔。』
『ん…うッ!はっ…あぁっ!』
 醜い器官が麗蒔の体に激しく見えかくれする。男はもがく麗蒔の上に覆い被さると、その体を押さえ付け更に激しくその体を突き上げた。絶叫ともとれる麗蒔の喘ぎ声がせわしなく聞こえてくるが、次第にその声は甘く切な気なものに変化していく。激しく揺れる体から絞り出される声は、紛れも無く利華の探し求めていた麗蒔その人のもの…。
「もういい止めろ!」
 利華は一至の横の機械を壊さんばかりにOFFにし、引きちぎる勢いでカーテンを閉めた。激しく取り乱す利華を後目に、一至はベッドに腰を降ろし静かに言った。
「……今のが…麗蒔だ。」
「……違う……。」
「違わない、麗蒔だよ。会いたかったんだろ?」
「違うッ…!」
  もうなにがなんだかわからない…いや、もうわかってる。わかるしかない。
「知らなかったのか?此所が何を売っている店なのか…。」
「……そんな……こんな事って……。」
  此所には来るべきじゃなかった。途中、薄々と気が付きかけていたかもしれない。まさか…と思ったが、違うという事をどうしても確かめたかったのに。知りたく無かった、認めたく無かった、こんな事。
 麗蒔は男娼だった…。

  この店は表向きただのクラブだが、裏では男性向けの男を提供する店だった。『SCARLET BLUE』とはただの色の羅列の意味では無く、『SCARLET』=『高級』、『BLUE』=『淫売』という裏の意味が隠されていた。此所は金持ち向けの『高級男娼』の店で、男娼の中では格別に質が上なんだそうだ。でもそんな情報は利華にはどうでもよかった。
「どうして…麗蒔はこんな事……。」
  陽の光を浴びて微笑む麗蒔の姿が、男に組み敷かれ身悶える彼の姿と同化していく。天使は、天使なんかじゃなかった。利華の思い描いていた麗蒔はただの妄想、現実の彼は…。
「知るもんか…お互い深く干渉しないのが此所のルールなんでね。…ホラあんたもさっさと準備しな。次はあんたの番だぜ?」
「俺…の番?」
 困惑する利華の精神はその意味を理解しようとする事を強く拒んだ。
「そうだ。あんたはこの店に来て、この部屋に入った。麗蒔を抱くための順番待ちのこの部屋にな。わかるだろ?ここはウォーミングアップの為の部屋なんだよ。」
 否定したい現実を叩き付ける様に一至は利華に刺を刺す。
「ち…違う!俺はそんなつもりじゃ…。」
「麗蒔もこんなつもりじゃなかったろうにな。」
 急に一至は言葉を強めた。
「麗蒔、お前にだけは知られたく無いって、言ってた。それなのにお前は…お前からこうなる事を望んだんだ。」
 後半は呆れたような溜息混じりで、どうしようもないやるせなさを募らせる。
「そんなつもりじゃ…俺は…。」
 ただ麗蒔に会いたかった。麗蒔が普段どこで何をしてるんだろうと、興味をもった、もっと麗蒔の事が知りたかった、それは…そんなにいけない事だったのか?間違った感情なのか?  利華は頭を抱え込んでベッドに腰を降ろした。一至はその隣に腰を降ろし直すと利華の懐から煙草を抜き取りその1本に火を付けた。唇に運んだ瞬間、眉間にしわを寄せた一至だったが、黙ってその煙を大きく肺に含む。
「…どうやら仕事が終わったようだぜ。念願のあんたの番だ。」
 一至は煙を利華に吐きかけながら嫌味な言葉をぶつけた。
「……嫌だ。」
「……行けよ…行くんだ。会ってこい。」
 一至に背中を押された利華は2、3歩程歩いて一度立ち止まったが、何かを思い立った様に歩き出した。隣の部屋へと通じている扉に手をかけ、一呼吸すると躊躇なくその戸を開けた。一至はそんな利華の後ろ姿を見送りながら、髪をかきあげくわえていた煙草を灰皿に押し付けた。
「行って…壊しちまえよ全部。何もかも壊したら、きっと…そこには何も無かったんだ。早く忘れちまいな……お互いに。」
 一至は利華からくすねた煙草の残りを、火も着けず屑篭に捨てた。

 部屋の扉を開けると、其所は噎せかえる程の雄の匂いが充満していた。麗蒔の姿は無い、バスルームからは水が床を打つ音が聞こえている。今、此所に利華が居る事を麗蒔は知らない。…会わずに帰るべきだろうか…此所まで来て、利華はまた迷いはじめる。でも、このまま何も話さずには帰れない、帰りたくは無い。  バスルームの戸が開き、バスローブを羽織った麗蒔が濡れた髪をタオルで拭いながら出てきた。
「…お待たせ……!」
 次の客の顔など興味無い、と一度素通りした麗蒔の視線が、信じられないその人の姿に再び向けられ釘付けになる。麗蒔の手からタオルがするりと床におちた。見開かれた目はその人の映像を捕らえたまま動けない。
「利……華?」
 やっとの事で開いた震える唇からその名を呼んだ。
「…どう……して…?」
「麗蒔…。」
 立ち尽くす麗蒔の肩に手を掛けようとした時、麗蒔は数歩後ずさると羽織っていたバスローブを脱ぎ捨てた。白いと思っていたその肌には幾つもの跡や痣が紅い花びらの様に鏤められていた。利華が慌てて拾いあげようとしたローブを麗蒔はポンっと部屋の隅に蹴り飛ばす。
「麗…?」
「ようこそ俺の部屋へ。」
 麗蒔はベッドに腰掛けると片膝を立て、妖しく手招きして利華を誘う。
「さぁ…金の分だけ好きに遊んでいいんだぜ?」
「麗蒔…お前……本当にあの…麗蒔なのか…?」
 麗蒔は目を細め薄笑いを浮かべる。その表情はなんとも艶っぽい。
「そうだよ利華、俺の事もう忘れた?」
 麗蒔の豹変振りに愕然としている利華の前で麗蒔は躊躇いもなく脚を大きく開き、幾人もの男をくわえこんだ其処に指を這わせると利華によく見える様に紅く充血した其処を押し開いた。
「なっ!よせって麗蒔!」
 利華は目のやり場に戸惑い、困った表情を浮かべている。
「あぁ…男、した事無いんだ?いいよ、教えてあげるから…。」
 戸惑う利華をフフッと鼻で笑うと、麗蒔はベッドサイドの棚に手をのばし、引き出しの中からいびつな形の太い棒を取り出した。
「ほら、見てて…。」
 麗蒔は念入りに其れを嘗めまわし、たっぷりと唾液で濡らすと自分の体にあてがった。そして大きく深呼吸すると、キュッと目を閉じた。
「く…ふッ…!」
  麗蒔があげた呻き声と同時に、其れは彼の体にめり込んでいった。大きく拡げられた其処は荒い呼吸と共に拡縮をくり返しながら、更に深く其れを飲み込んでいく。半分ほど埋めてしまうと麗蒔は呼吸を整えつつ言った。
「…ね?俺こんな大きいのがはいるんだもの心配しなくても大丈夫…その辺の女なんかよりずっとイイよ…。」
 麗蒔は利華の目を見ずに言うと、其れをゆっくりと抜き差ししながら利華の前で一人遊びを始めた。痛い程の利華の視線の中で麗蒔は淫らに喘ぎ、利華を誘い続ける。まるでそうする事が当たり前の様に…。
「もう止めろっ!」
 突然、利華は上着を脱ぐと麗蒔の体に掛けた。
「いいんだ麗蒔、…俺にはそんな事しなくていいんだよ…!だからもう止めてくれ!」
 利華はそのうえから麗蒔の体を抱き締めた。
「……じゃあ何で来た…する気が無いなら帰れよ!」
 暫く黙って利華に抱き締めさせていた麗蒔は急に利華を振払うと、体に埋まっていた玩具を抜き取り、汚らわしい物でも捨てるように床に投げ捨てた。
「なんでお前こんな事やってんだよ?なぁ麗…」
 再び延ばされた利華の手は拒絶された。
「何をしようと…俺の勝手だろッ!」
「麗蒔ッ!」
咄嗟に、利華の右手が麗蒔の頬を打っていた。麗蒔は打たれた頬を押さえると利華を睨みつけた。
「…何…で殴るんだよ……なんで怒るんだよあんたが!?俺の事何にも知らないくせにっ…何にも…知らなければいいのに…何で……?何で来たんだよ馬鹿ッ!お前なんかっ…お前なんかにっ……お前にだけは俺……俺…。」
麗蒔はその後は何も言えなくなりベットに突っ伏した。利華は殴ってしまった右手を見つめ、その指の隙間から視界に入る麗蒔の姿を無言で見つめた。 『麗蒔、お前にだけは知られたくないって言ってた。』 利華の脳裏に一至の台詞が思い出された。

知られたく無い
見られたく無い
こんな自分の本当の姿を知らないままで
自分と接してくれる誰かが欲しい
…ズット嘘ツキデ居タカッタ…

 悲しい程に惨めな麗蒔。全裸に申し訳程度に掛かった利華の上着も、彼の『全て』を隠してあげることは到底できない。
「…殴って…ごめん。」
 利華の手が麗蒔の細い肩に触れると、麗蒔はビクッとその身を震わせる。その手を払うと麗蒔は怯えた目で利華を見た。失う事の恐怖に怯えた縋るような瞳。  利華はそんな麗蒔を見ている内に、自分の中にあったなにかモヤモヤしたモノに整理がついてきた。今、驚く程冷静に受け止めることが出来るこの現状。
「……きっと俺なんかにゃ考える事も出来ない様などうしようもない理由があんだろうなぁ…。」
「………。」
 下唇を噛み締め麗蒔は視線をそらした。
「…すっげぇビックリした、麗蒔がこんなことしてるなんて。…でも俺、たぶん解ってた。麗蒔が…その…こういうのってこと。でも…やっぱり会いたかったし…。」
「…こんな俺の姿、拝んでやろうと思った?…いい性格だよあんた。充分見たろ?これで満足?」
 絶望感の色濃くなった瞳を利華から隠し、麗蒔は今にも泣き出しそうな感情を押し殺す。
「会わないと…このままずっと会わなくなる気がして、俺…自分が麗蒔のこと避けてしまう気がして怖かった。だから…来ちまってごめん、嫌な思いさせてごめんな。」
 利華は正直な自分の気持ちを打ち明ける。この店に足を踏み入れた時から利華がずっと抱いていたモヤモヤしたもの、麗蒔を軽蔑してしまうかもしれないという自分の心に対する恐怖。そして勝手だけど、会ってみることで自分を試したのかもしれない。それは麗蒔の気持ちを無視することになるのだけれど、自分の気持ちを優先してしまった。そのことは済まなく思う、だけどそのおかげで断ち切る事が出来た自分に対する不信感。
「もう来ないから…。」
「…あっそう…。」
 もう来ない、則ちもう会わない。麗蒔の思考回路はたどりついた答えに諦めの溜息一つ。失ったモノがまた一つ増えただけ、そうそれだけ…。最初から無かったと思えば…時間は多少かかるけど、平気。そう自分に言い聞かせる麗蒔は自分でもわかる程無理に強がっている。
「だから明日は…ちゃんと路地に来いよ?」
「え?」
 だが次に発せられた利華の言葉は麗蒔には驚くものだった。
「今日来なかったじゃねぇの。結構心配したんだぜ?」
「あ…今朝は…どうしても起きられなくて…。」
 朝といっても彼等の朝は常人の時間とずれているから昼の事。なんで起きれなかったのかは想像がつくが、あえて聞かない。
「お前が何所の誰で何してようと、どうでもいいよ。俺さ、やっぱお前のギター好きなんだ、聞きたいんだ。だから明日また来てくれよ?」
「俺は男に体売ってる淫売野郎だぞ。」
 ありったけの卑下した言葉で自分を蔑む麗蒔。
「麗蒔に変わりはないよ。」
「…こんな…卑しい男のギター聴きたいって?」
「おう。」
 即答した利華の答え。それがどうした?とばかりに麗蒔に向けられる迷いのない瞳。今なら自信をもって言える、以前と変わらず麗蒔と接する事が出来ると確信した今なら。
「明日、待ってるから。」
「………。」
「俺、もう帰るから、…あんまり体壊すなよ?」
「………。」
 無言で差し出された上着に袖を通すと、利華は全裸のまま利華の目を見ようとしない麗蒔に側に合ったローブを掛けてやる。
「…じゃ、明日…な。」
 利華は麗蒔の部屋を後にした。答えはないけれど、きっと麗蒔は来る。利華にはそんな気がしていた。
 利華は帰った。麗蒔の正体を見て、帰った。その上で言った、明日またあの場所に来いと。
「明日…か。」
 何も知らない何所かの誰かに綺麗だって言われて嬉しかった。綺麗な人間の振りをしてみたかった。
 だけどそれはお芝居だよ、もう無理に付き合わなくたっていいよ。軽蔑された方がまだ楽だった。そのために、利華に自分の本性を見せたのではなかったか?もう幕はおりるよ、もういいよ、イイ人振らなくたって。偽善者は、嫌いなんだ。こんな状態で明日、どんな顔で利華にあえと言うの…。
 深い溜息とともに沈むようにベッドに横になった麗蒔は、いつしか眠りに落ちていた。

『…お願い…もう許して下さい…』
『まだだよ麗蒔、甘えるんじゃない。』
『おいおい、まだガキじゃないか…なぁ本当に入るのか?こんな痩せのチビに?』
『入らなければ困るのさ、これからココで働く事になるんだから。』
『俺のはその辺の奴とは比べ物にならないぜ?』
『だからいいのさ、あんたのが飲み込めるようになればこの年でも立派に商品として成り立つからね。』
『……や…やだっ…そんなの入んないよっ…無茶だよぉッ!』
『それじゃ困るんだよ麗蒔?このくらい相手できないようじゃ。そうじゃなきゃ…どうしなければならないか…わかってるだろ?』
『う……』
『そういうことなら遠慮なく協力してやるとするか。』
『あ……お…お願い…痛くしないで……!』
『そんな怖がるなよ、痛いのは入れる瞬間だけだからよ?す〜ぐ気持ちよくなるからな。』
『や…きぁっ!?イッ…い…太ッ……んあっ…やぁっ!ダメ…無理ッ!太…すぎるぅッ!!』
『ほら、もう少しで入るじゃないか…よし、手を貸そうか。』
『ガキの身体を押さえてくれ、暴れてかなわん。』
『こうか?』
『やだ…嫌っ…裂ける…ッ…裂けちゃうぅッ……いっ…ひぎっ…きやああああぁぁっ!』
『破壊しない程度にね、使えなくなると困るんだから。…多少の出血なら気にしなくていいよ、続けちゃって。』
『痛ッ…痛いぃッ!!』
『…なんとか通ったか……しっかし中も口もギチギチだ。』
『ほら麗蒔、麗蒔の此処はちゃんと一番太いところが入っちゃったよ?』
『痛いっ…痛い!痛いよぉ!』
『さて…こいつがどこまで入るのかな?このガキは。』
『イッ…!やめっ…奥…しないでッ…!お願い…痛いッ!ひぁっ!あぅ…あっ……ぐっ……!』
『ガキは体が小せえな、もう行き止まりだぜ?』
『角度を変えて突き上げてやればまだいけるさ。』
『こうか?』
『…くはっ!ヒッ、ヒアッ、アッ…ひぎぃッ!!』
『麗蒔、これが全部入るようになるまでは休ませてあげないからね?』
『嫌ぁーっ!あ、あーっ!!お腹…破れちゃうッ…がはっ…あ…あぁーーーッッ!!』
『……ほぉ…たいしたガキだ。この年で俺のを全部飲み込む事が出来るようになるとは。』
『でもまだ感じられる様にはなってないね。ま、すぐに快感を得られる様になるさ。よし、もう一度。』
『あ…あっ…もぅ許して…なんでもするよぅ…だから…。』
『だめだよ麗蒔、それじゃ意味がない。お前を一人前の玩具にするようあの方かたキツク言われてるんだからね。』
『お願い……。』
『…どうも自分の立場が分かってないようだから教えてあげよう。いいかい?君はね、性欲の処理用以外に生かしておく価値などない存在なんだよ麗蒔!』

「!!」
 ビクンっ、と麗蒔は勢い良く跳ね起きた。
「…夢…何時の間に…。」
 随分長い間眠っていたような気もするし、一瞬だったような気もする。どちらにしろよけいな事を思い出した…。ふぅ、と大きく息を吐いた時、部屋の戸が動いた。
「今日は珍しく先客無しかよ。PEEPに居てもつまんなかったぜぇ?」
 気が付くと、部屋には何度か体を預けた覚えのある男が入ってきていた。ああ…と麗蒔は苦笑した。夢だって現実だって、別に何も変わりやしないんだ。
「……待たなくていいから良いでしょう。」
 そう言って麗蒔は甘えたようにベットに寝転び男を手招きした。そう、俺は玩具。上等の抱き人形。
「まーそーだな。でも準備が出来てねーのよ、勿論サービスしてくれんだろうな?」
 男は卑しい目で麗蒔を見つめていた。 ああ、この目…この目だ。
「…いいよ。」
 麗蒔の浮かべた微笑は今日も格別な艶っぽさを放っていた。

どうして?
どうしてそんな瞳で俺を見れるの?
こんなに汚いモノをそんな綺麗な瞳で
自分に向けられる目はいつだって
餓えた見下す汚れた視線
こんなモノにはそれで充分だから
それがきっとふさわしい
その目のおかげで生かされてる
その目のおかげで此所にいる
その目がなきゃ存在の意味が得られない
それが俺だよ?

…アンタノ瞳ハ優し過ギテ残酷ナンダヨ…

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