千と一夜の地下室

第五幕「一夜の地下室」

「麗蒔、お出かけするぞ!」
「え??」
 本日、麗蒔の一人目のお客様はいきなりそう言った。
「お出かけ…って…。」
「ほら早く行くぞ!」
「い、今から!?ちょ…ちょっと利華っ!?」
 利華は麗蒔の手を半ば強引に取ると部屋の戸に手をかけた。
「ちょっ…待って利華、俺は外泊許可おろしてもらえないんだよ?だから出かけるなんて…」
「知ってる、でも大丈夫、心配すんなって、俺に任しとけ。」
「任しとけって…そんな…むぐっ!?」
「しっ!静かに!」
 利華は麗蒔の口を手で塞ぎ部屋の外を見回した。
「よし、おっけー!走れ麗蒔!!」
「えぇっ!?うわっ…は…ハイッ!! 」
 なにがなんだかわからないうちに、麗蒔は利華につられて走り出した。利華の後を追って、店の裏口から外に出ると其所には一至が待ち構えていた。
「後は任せろ。」
「おう、頼んだぜ一至。」
「え?え?」
 麗蒔の知らないところで妙な計画が二人の間で進行していたらしい。利華は一至から鍵を受け取り、用意してあった車の扉を開けた。
「麗蒔、早く乗れ!」
 あっという間の出来事だった。利華が麗蒔の部屋に入ってから、1分とたっていないだろう。
「…ふぅ……さて、これからが一仕事だな…。」
 車が無事走り去ったのを確認した一至は裏口を静かに閉める。
「…うまくやれよ利華、麗蒔の鍵を…開けてやれ。」

 店からだいぶん車で走らせた頃、無言のままだった車内は、麗蒔が口を開いたのを発端に賑やかになった。
「一体どうゆうこと?俺は外出しちゃいけないって、知ってるの?知っててこんな…。」
「聞いたよ、他の奴はいいけどお前だけは外泊も外出も許可おりないんだってな。受付の奴にも断られたよ。」
「だったら…」
「不公平だと思わないのか?」
「え…。」
「ムカつかないか?外出たくないか?」
「……でたい…けど…しょうがないんだよ…俺は…。」
「どうしてしょうがないんだよ?」
「…それは……。」
 黙りこくってしまう麗蒔。まだ、その理由は閉ざされた扉の向こうから出てきてはくれない。
「まぁいいさ、それより今日は見せたいものがあるんだ。」
 利華は無理に詮索はせず、無難そうな路地に車を停めると、麗蒔に紙袋を渡した。中には服が入っていた。
「そのカッコじゃ目立ち過ぎるからな、それに着替えろよ。」
「………う…ん?」
 麗蒔は店にいる時の薄いローブのような服を一枚着ているだけだった。麗蒔にはウェイター達のような制服は与えられていない。常に地下で客を待つ麗蒔に服など必要がないのだ。
「やっぱ俺のだとちょっと大きいかな?ま、いいだろ。髪も結んだ方いいな、あとコレかぶって!」
 利華は麗蒔の肩まである髪を不雑作に束ね、野球帽のような帽子を深くかぶせた。というよりは、大きすぎて深くかぶらさったというべきか。少し大きめシャツの袖をまくり、だぶだぶのズボンに帽子姿の青年は、彼を知る人が見ればどうみても麗蒔にはみえない。
「これは……変装…?」
「ま、そんなようなもんかな。どちらかというと、変身だ。」
「変身?」
「そう、今日は『自由な麗蒔』に変身したの。そして誰もお前を知る奴のいない所に行く。知っているのは俺一人だ。」
「利華…。

「お前にもこんな日があってもいいいんでない?」
 そう言って利華は麗蒔に笑いかけた。
「でも店の方は…?」
「時間内に戻れば大丈夫だ、一至が上手くやってくれてる。大丈夫、奴を信じてるだろ?」
 麗蒔はちょっと間をおいて答えた。
「…うん……信じてる、一至の事信じてるよ。」
 麗蒔はようやく落ち着いて今の状況を把握し、少し考えてから利華に微笑み返した。
「…で、どこに連れてってくれるの?」
「…良いトコロ♪」
 利華は再び車を走らせ、車はそのままこの街を出た。

 着いた先は隣街の中心地、人通りの多い道のまん中で麗蒔は戸惑いを隠せないでいた。
「人が…いっぱいいるよ…。」
 不安そうな麗蒔を安心させるように利華はその手を握った。
「見ろよ、誰もお前の事なんか見てないぜ?お前がどこの誰かなんて、どうでもいいのさコイツらは。何をそんなに怖がる?」
 利華の言う通り、通り過ぎる雑踏の中で麗蒔をふりかえる奴など誰一人いないし、嫌な視線を向ける奴も誰もいない。
「さ、行こうぜ麗蒔。」
「…うん!」
 麗蒔は利華の手をにぎったままで、見知らぬ街に歩き出そうとした。
「おいおい、こりゃ逆に周りに変に見られちまうぜ?」
 男二人仲良くお手々繋いで歩いていりャ、そりゃ別の意味で注目もされるだろう。
「いいんだよ、利華となら見られたって。こうしていたいんだ。……ダメ?」
 嬉しそうに微笑む麗蒔を見て、まぁいいかと利華も照れ笑いした。流石にふりかえられたり、後ろ指指されて笑われたりする事があったが、麗蒔は肌で感じていた。この視線は、いつも浴びている視線とは全く異なるものだと。新鮮で、逆に見られる事に楽しさを感じていた。
「あ、利華、アレ!」
 麗蒔が指差した先には色鮮やかな様々な眼鏡が並ぶ専門店があった。
「これ、利華の持ってきた本に書いてあった店だよねぇ?」
「おー、そういやそうだ。」
 興味津々で店先のショーウインドウを覗き込む自分と同じ位の年の男の子供っぽい姿に、利華は愛しさと可笑しさがこみあげてくる。
「…買ってやろっか?」
「いいの?」
 顔を輝かせる麗蒔に、利華は親バカのような感情に浸りながら店に入った。
「どれがいいんだ?」
「んー……コレ!」
 麗蒔の選んだものは割と地味で色の薄い落ち着いた物だった。
「もっと派手なのでもいいんだぞ?」
「コレがいい!」
 どうやら大層お気に召したらしい。利華にも麗蒔にはそれが似合うだろうことは予測できた。
「んじゃ、これで買ってこいよ。」
「…?どうやって買うの?」
 利華に渡された紙幣を受け取ったはいいが、どうしていいのかわからずに首を傾げる麗蒔。
「どうって……買った事ないのか?」
「…うん…。」
 困ったような顔をしている麗蒔に、利華は店の奥にいる店員を指して言った。
「あの人にな、これとこれ持ってって、でっけー声でコレ下さいって言うの。おっけー?」
「うん、おっけー!」
 麗蒔はこくこくと頷くと直ぐに店員の所に走っていき、本当に大きな声&満面の笑みで言った。
「コレ下さいッ!!」
「は、はいよっ!」
 余りの勢いに逆に店員はびっくりしていたが、麗蒔はその店員が紙幣を受け取り、おつりを渡し、商品を包装する様をもの珍しそうにまじまじと見つめている。その様子が余りにも可笑しくて、子供の初めてのお使いみたいで、利華は声を押さえて笑った。
「買ってきた!着けてみていいかな?」
「おう、着けてみ。」
 思った通りその眼鏡は麗蒔に良く似合っていた。そして都合の良い事に、麗蒔の変身をより完璧な物にするのにも役立っていた。
「麗蒔、物買った事なかったんだな。貰った給料とか、いつもどうしてるの?」
 利華は麗蒔の眼鏡の角度をきちんと直してやりながら何の気なしに聞いた。
「お金使ったの始めて。給料ってなに?お金待って無いよ。」
「へ?…貰ってない…のか!?」
「うん。」
 ただ働き、利華の頭に浮かんだ一つの単語。それはあの店で麗蒔の存在が、他の奴とは明らかに違う待遇であることを何よりも物語っていた。膨大過ぎる借金のため、働いた分を直で何所かにまわされているのか、それとも金の問題じゃ無い何かがそこにあるのか。選択肢は二つ、だが利華には後者の方が有力な気がしていた。
「なぁ、腹減んねぇ?メシ行こうぜ。」
 今はこんな嫌な話題は変えようと利華は麗蒔を食事に誘う。
「そういえば、今日は何も飲んでないからお腹すいたなー。」
「決定、次はメシな!」
 利華は眼鏡店を出ると近くの店に入った。麗蒔の店には、決しておいて無いだろうメニューの数々が珍しいらしく、麗蒔は食い入るようにサンプルのケースに見入る。
「これどんな味するの?この黒いものは何?何で出来てるのコレ?どうなってんの?」
 見た事ないもの全てが珍しく、麗蒔は利華に質問攻めをする。
「食ってみりゃわかるって。えっと、ダブルバーガーと特製肉まん、お好み焼きと牛丼と…それとチョコレートパフェと苺大福。すげぇ組み合わせだな…まぁいいか。」
 揃った料理の一つ一つに新たな感動を覚えている麗蒔を利華は満足そうに見つめていた。麗蒔の知らない多くの事を教えてあげたい。見せてあげたい。感じさせてあげたい。
「……と、そろそろ時間だな、行こうか麗蒔。」
「どこに?もう帰るの?…そうだよね…随分時間たったし。…帰んなくちゃね…」
 少し多すぎた食事に食後の休憩をしていた麗蒔は利華の言葉を聞き残念そうな顔を浮かべた。
「何言ってンだよ、ここからがメインだぜ。」
 利華は麗蒔の手をひくと、あるビルに麗蒔を連れていった。地下へ降りようとした利華の手を、麗蒔がグッと引っ張る。
「…地下は嫌……。」
 地下というものに良い思い出のないらしい麗蒔は、そこに降りるのを躊躇う。利華は麗蒔の肩をそっと抱くと言った。
「嫌な地下もあれば、楽しい地下もあるんだぜ。ここがどっちなのか行って確かめて見ろよ。見てもいない事、やってもいない事、嫌だなんて、無理だなんていえないんじゃなかったか?」
 聞いた事のある言葉を利華は口にした。昔、利華を救ったその言葉。麗蒔に救われたその言葉、今度は、麗蒔に。
「…俺がついてる。嫌だと思ったら逃げて良いから。」
「……うん。」
 麗蒔はゆっくりと階段を地下に向かって降りだした。妙な汗が額に滲み息苦しくなる、地下に向かう時はいつもそうだ。 見えてきたガラの悪そうな扉。ぴったりと閉め切られた扉は、まるでなかのモノを監禁するためのようにも思われた。
「…いいか?入るぞ。」
「……うん、大丈夫…。」
 麗蒔の意志を確認すると利華は重い扉に手をかけ、その扉をゆっくりと開ける。
「!?」
途端に麗蒔を衝撃が襲った。

 もの凄い歓声
 もの凄い爆音
 もの凄い光
 もの凄い熱気
 もの凄い人、人
 もの凄い…興奮。

「何!?…何これ!?利華?利華の声が聞こえないよ!?」
 始めて目の当たりにした空間に狼狽える麗蒔の耳元に口を近付け、利華は一言、大丈夫、と言った。ようやく耳と目の慣れてきた麗蒔は、周りで何がおこっているかを少しづつ把握し始める。
「ギター…弾いてる……凄い大きい音…。皆、喜んでる…?」
「此処はライブハウスっていうんだぜ。」
「ライブ…ハウス…凄い、地下なのにこんな明るいなんて…。」
 利華の目にも麗蒔が興奮しているのが手に取るようにわかった。繋いだ手が震えてじっとりと汗ばんでくる。利華はその手を引いて、人込みの中に飛び込んだ。熱気の中心の中、麗蒔は始めてみる世界の凄さを身体で感じた。
「…麗蒔。」
「……え?何?」
「…あそこに立ってみたくねぇか?」
 囁かれた利華の瞳に宿る真剣な光。
「俺は…かつてあの場所にいた。こっぴどく叩き落とされてからも、あの地が忘れられない…もう一度戻りたいと思っていた。そしてその時は……お前に隣にいて欲しいんだ。お前となら、やれる自信があるんだ俺は、麗蒔…。」
 利華は麗蒔の身体を後ろからきつく抱き締めた。鮨詰めの人込みの中で男二人が抱き合っているかどうかなんて、周りにわかるよしもなかった。
「……凄い……凄いよ…、…俺、あそこに…立ってみたいよ…利華と…利華と一緒に!」
 麗蒔は震える声で、ハッキリとそう答えた。

「……すごかったね、ライブハウス。」
「どうだ、地下、嫌だったか?」
「ううん、全然!楽しかった。あんな世界があるなんて、知らなかった。音が…目で、身体で感じられるんだもの。」
 今だ興奮したままの麗蒔を乗せて、利華は車を走らせた。
「……幾千もの夜を過ごして来たけれど、今日の一夜に適う夜なんてないよ。ありがとう利華…すごく楽しかった。」
 まるで、良い思い出になったとでもいうような麗蒔の口調。だけど今日だけの思い出だけになんかさせない。これからだ、これから二人で造っていくんだから。
「…汗かいたろ?」
「うん、だけど全然嫌な汗じゃないね…不思議だよ。気持ち良い汗だった。」
 汗なんていつもかくけど、こんなにスッキリとした汗を感じたのは麗蒔には始めてだったのだ。
「俺ん家で汗でも流してけ。」
「それもそうだね。」
 車は自然に利華の自宅へと向かった。

「ここが利華の部屋?物がいっぱいだね?」
 麗蒔にとっての部屋とは、四角い暗い空間に、ただベッドが転がっているだけの物の事を指していた。その麗蒔から見れば、家具や蒲団で散らかった生活感も溢れる利華の部屋は、見た事も無い程の賑やかさを誇るものであった。
「まーね。風呂、入れたから入れよ。」
「ありがと。……利華は?」
「後で入るよ。」
 麗蒔はいつもシャワーばかり使っているので、風呂に入るなんて久しぶりだった。スッキリした汗をかいたとはいえ、時間がたってしまえばベトベトと気持ち悪いものである。
(なんだか少し勿体無い気もするけど…。)
 麗蒔は名残惜しく思いながらも身体中の汗を綺麗に洗い流す。
「ふぅー…。」
 麗蒔は久しぶりの湯舟につかりゆっくりと身体を暖めていると、風呂の曇りがラスの向こうでうろうろと動いている人影が目についた。
「…利華、暇なのかな…。」
 麗蒔はちょっと考えると、風呂の戸を開けた。
「…利華ぁー…。」
「おう、何だ?シャンプー無くなってたか?」
「一緒に入ろ。」
「…えっ!??」
 余りにも突然のお誘いに、利華は一瞬思考が真っ白になった。一呼吸おいて、ようやく言われた言葉を理解する。
「ちょ…一緒って…風呂狭いし、それにアレだし、その…。」
 利華は、俺は何を言ってるんだと混乱しつつ、麗蒔の言った意味に自分の思っているような他意は無いだろう事を自分に言い聞かせる。男同士で風呂に入るんだ、何も問題ないんだ、と。
「別々なら時間かかっちゃうよ?待ってる間つまんない。」
「な…なるほどねー……時間の節約ってか…まぁそれもありっていうか…いや、その…うん…そぉだなー…。」
 思った通りに他意のないらしい麗蒔を内心残念に思うが、利華は腰にタオルをしっかりと巻くと、そろそろと麗蒔のいる風呂に入っていった。既に湯舟につかっていた麗蒔の身体が見えない事が、残念なようで幸い。もしここで身体に変化をきたしてしまったら、隠しようは無い。利華は麗蒔に背を向け身体を洗いだす。
「身体、洗ったげるよ利華。」
「い…いや、いいよー…。」
「遠慮しなくていいよ、俺上手いよ。」
 麗蒔は利華が断るのも聞かず、風呂から上がり利華の背後に身を屈めた。石鹸を泡立て利華の背中をごしごし麗蒔がこする。
「わ、悪いな麗蒔…。」
 利華は麗蒔に身体を洗ってもらっているという事実だけで、妙な興奮を覚えてしまう。 その背中を洗っていた麗蒔の手が、急にするっと前に伸びてきて、利華のタオルの下に滑り込んだ。
「わーーーーーーっっ!!」
「うわっ!?」
 突然の事に驚いた利華より、あまりの利華の声に驚いた麗蒔のほうが驚きは上だったかもしれない。
「ど…どうしたの?」
「どーしたのってっ…麗蒔、こんなとこはいいよっっ!!」
 利華は顔を真っ赤にして麗蒔の腕を掴み上げる。
「……洗わないの?」
「自分で洗うよっ!?」
「へぇ…そうなの?変わってるね?」
「変わってるって…お前なぁ…。」
  麗蒔にとっては、深い意味は無く、なんのこともない、背中を流すのと同じ位普通の事だったのかもしれない。風呂で相手にそうするのが当たり前の事として身に付けただけで、行為になんの疑問も持っていない。だが利華にとっては、必死に平常心を保とうと努力している利華にとっては、とんでもない事だったのだ。
「とにかく、あとは自分で洗うから…!」
「ふぅん?じゃ、俺先にあがるから早くあがってきてね。」
 妙に前屈みな姿勢の利華の前を、一糸纏わぬ姿の麗蒔が横切り、風呂を出た。麗蒔には腰にタオルを巻く習慣はないらしい。麗蒔の裸を見る事は初めてではなかった利華だが、これだけの至近距離で目にした事はなかっただろう。
 紛れも無く、男の身体。仕種がさほど女っぽいわけでも、ふくよかなわけでもない麗蒔の身体。それなのに、なにか色気を漂わせ、見るものを誘う麗蒔。
「…かなり、ヤバいって俺。」
 男が好きな性癖があったわけではない、野郎を見たって興奮なんかしない、でも麗蒔は…別。
「まさかこんな気持ちになっちまうなんてな…笑っちまうよな本当。でも……この気持ちはもう、抑えられないんだよ麗蒔……。」
 利華は熱くなった中心に手を添えた。

  先にあがった麗蒔は用意された利華の服を着て、窓際で風にあたって涼んでいた。まだ少し濡れた髪と、うっすら桜色に染まった肌が艶っぽい。
「…なんか飲む?」
「なんでもいいよ。」
「ビール飲めるか?」
「大丈夫。」
 安い缶ビールを麗蒔に渡すと、利華は麗蒔の横に座った。良く冷えたビールは風呂上がりにはまた格別。
「待って。」
 飲もうとした利華を麗蒔が止める。
「何?」
 一度は口を付けかけた缶を口元から離すと、麗蒔はその缶にコツンと自分の缶をぶつけて来た。
「乾杯。」
 ああ、そうかと利華も缶を持ち直す。
「…何に?」
 聞かれて、少し考えると麗蒔は言った。
「今日の、この夜に。」
「…この一夜に。」
 もういちど缶を触れさせ合う。
「…なんかクサイ映画みてぇだ。」
「そう?」
 利華はガラにもない事をしている自分が少し可笑しかった。照れる利華に麗蒔は微笑むと、良く冷えたビールを一気に飲み干した。
「…結構やるねぇ…。」
「子供の時から飲んでるからね。」
 言って笑う麗蒔の頬が、風呂上がり以上に桜色に色付き始める。利華もビールを一気に空け、大きく息を吐いた。
「利華は良くビール飲むの?」
「ん…良い事があったり、嫌な事があったらな。」
 利華は冷蔵庫から新しいビールを出して来て缶を開ける。
「勿論、今日は良い事だが。」
 付け足すように言って、嬉しそうに利華は笑う。麗蒔も微笑みかえしたが、直ぐに暗い影を表情に漂わせる。
「それじゃあ俺は毎日飲まなくちゃ…嫌な事ばっかりだ。」
「麗蒔……。」
 マズイ事を言ったかな、と利華は少し自己嫌悪する。
「でもね……利華が来てくれるようになってからは少し変わったよ。俺ね、生きてても悪い事ばかりじゃないんだな…って思える様になったんだ。」
 麗蒔は暗い表情に明るさを取り戻すと、利華の肩に自分の身体を預ける。
「こうして利華と話していると、凄く落ち着いた気持ちになれるんだ…全てを忘れて…ずっとこうしていたいよ。」
「麗蒔……。」
 利華は麗蒔の肩を抱きよせる。
「……麗蒔……俺は……。」
「ねぇ、利……。」
 利華は何か話し出した利華を見ようと再び顔をあげた麗蒔の、その言葉の続きを奪っていた。触れるだけの長い長い口付け。貪りつく男共とは違う。互いの温もりと呼吸が柔らかに麗蒔に伝わって来る。
「………。」
 ゆっくりと話された唇と唇。麗蒔は特別驚いた様子も、嫌悪している様子もなく、利華を黙って見つめていた。
「麗蒔…。」
「……なんで……キスするの?」
 純粋な疑問。
「……好き……だから。」
 単純な答え。
「俺を……抱くの?」
 簡単な結論。
「……いや。」
 利華はそれを否定、掴んでいた麗蒔の肩からそっと手を離す。
「……俺が……汚いから抱けないんだ…。」
 そう言った麗蒔の細い肩が小さく震えていた。
「違うよ麗蒔。」
「じゃあ何なんだよ!?好きなら抱けばいいじゃないかっ!さっさと抱いちまえばいいじゃないか!?簡単な事だろ?」
 麗蒔は急に声を荒立て、利華にまくしたてる。好きなら抱けばいい、気に入ったらまた抱けばいい、そうやって、今まで確保されてきた今の自分の存在。抱きたい奴がいなくなったら、もうそこでおしまい。媚びを売って、気に入られて、身体を売って…それでも生きる道を選んだ自分だから。麗蒔には、好きなのに抱かないなんて、理解出来ない。
「麗蒔を傷付けたくないんだ。」
 聞いたふうな台詞に麗蒔は声を立てて笑う。
「傷つける?あははっ俺の身体はそんなヤワじゃないよ?今までにどれだけ相手してきてると思ってんの?そんな簡単に怪我なんてしないんだよ、俺、この道のプロなんだからね?」
「そうじゃない麗蒔。」
「じゃあ何さ?やっぱり汚いからでしょう!?所詮俺は…」
「傷付けたく無いのは、お前の心だ。」
 利華はもういちど麗蒔の肩を抱き寄せると、その身体を大きな腕で包みこむ。
「……!」
  以前は豹変だと思っていた麗蒔の態度。だけど利華はこうして何度か麗蒔と会っているうちに、なんとなくわかってきていた。一生懸命強がって、演技して、感情を押し殺して…今の自分を自分に納得させようと、必死に受け入れようとしている麗蒔。冷静に、客観的に、今の自分を理解して、軽蔑する。そう、まるで他人事にでも感じられるようにと。そうすることで、今まで自我の崩壊から逃れてきたんだろう。
「そんなに自分で自分を傷つけるな麗蒔…お前は綺麗だ……好きだ、大好きだ…。抱き締めたい、抱きたいよ麗蒔、でも、お前が望まないことは……俺はしたくない…。」
「利…華……。」
 抱きたいのに、抱かない?俺が望まないから?
 ズキン、と麗蒔は胸が痛くなった。不思議と鼓動が急に早くなる。恐怖や緊張でしか速くなる筈のない脈拍は、麗蒔にとって理解できない理由で速まっていく。
「俺は…綺麗なんかじゃない…。汚れた、真っ黒な、淫売野郎……抱き人形だ。」
 麗蒔は自分に言い聞かせるようにポツリと呟いた。
「麗蒔、お前は綺麗だよ……例え真っ白じゃなくたって…。白が一番綺麗だなんて、そんな事は誰が決めたんだ?」
「利華…。」
「お前は、汚くなんか無い、綺麗だよ。」
 優しく身体を包み込んでくれる利華、それ以上の事は決して、してこない利華。麗蒔の速まった鼓動と熱くなった身体が利華の体温を布越しに感じ取る。綺麗だなんて、聞きなれた単語。それなのに、こんなにもドキドキするのは、利華だから…? 麗蒔は利華の身体に腕を絡め返した。
「………利華…俺が望まない事はしたくないって…本当?」
「…あぁ…嫌がる事は…したくない。」
その言葉は陰り無い利華の意志だと言う事を麗蒔は確信を持って感じた。抱こうと思ったら、今まで何度もそうする事が出来た筈だから。それをしなかったのは、利華が麗蒔の『身体』じゃなく、『心』に触れようとしていたから…。
「……じゃあ、望んだら?」
「…え?」
「俺が望んだら…抱いてくれるの?」
  麗蒔の肩にまわされていた利華の腕の力が一瞬緩み、先程よりも強く身体を抱き締めてくる。
「…キスして利華…俺を抱いて…触って……もっと利華に近付いて欲しいよ……俺の中にもっと…身体にも、心にも、利華に触れてて欲しい…。」
「麗蒔…。」
 戸惑いがちに再びあわされた唇は、次第に熱く互いを求め合い、薄く開かれた唇の隙間からも相手を求め絡み合う。
「ずっと、こうしたかった…麗蒔…。」
「利華……たぶん…俺も、ずっと待ってた…。」
 唇をあわせたままの会話で、互いの息がくすぐったく感じられた。利華は羽織っただけの麗蒔の大きすぎるシャツを肩から滑らせ、沢山の痣の残る綺麗な肌を露にする。
「…なんだろう、俺…すごくドキドキしてる…なんだか凄く恥ずかしいんだ……。」
 麗蒔は急に顔を真っ赤にして両手で顔を覆った。
「変だよね…俺。いっつも抱かれてるくせに、ヘンだよ…。」
  利華はその手を優しく払い、麗蒔の頬に軽くキスをする。
「変じゃないよ麗蒔…相手が俺だから、俺とだからドキドキするんだ。」
  そのまま唇を首筋に滑らせると、麗蒔が恥ずかしそうに小さく吐息を漏らした。
「ほら、俺だって…ドキドキしてる。」
  利華は麗蒔の手を取り、自分の胸の上に当てさせた。麗蒔の手に速まる利華の生命の律動が伝わってきた。利華はもう一度麗蒔に優しく口付けると、狭い部屋に敷きっぱなしの蒲団の上に麗蒔を優しく横たえさせた。
「麗蒔だからドキドキするんだ。好きだから…愛してるから。」
「愛…してる……?このドキドキが?」
 麗蒔は不思議そうな顔で利華を見た。
「愛してる。」
「…愛…これが、愛してる…っていう事…?」
「そうだ麗蒔…これが、愛してる、だ。」
  歪んだ愛しか与えられた事なんかなかった。愛してる、なんて抱く前の合図みたいな呪文の一つだった。今まで何も感じなかったその言葉の響きを、利華に言われる度に、身体の奥が痺れるみたいな衝撃が走る。
  これが、『愛してる』なんだ…。
「……俺も…愛してる…利華。」
 麗蒔は利華の首に腕をまわし、自分の胸元に利華を抱き寄せると、抱き合ったまま身体を反転させ利華を組み敷いた。
「れ…いじ?」
麗蒔は利華の上で上半身を屈め利華のおでこに口付ける。
「ね、利華……舐めて良い?」
 どこを?と一瞬思った利華だったが、麗蒔の手が其処に触れる感触で気がつく。バカな質問はしなくて済んだが、利華は自分の顔がみるみる紅くなってるだろうことが、熱すぎる耳の感覚でわかった。
「ん…んなことは別に言わんでええがっ!!」
「そう?」
  利華の其処に触れていた麗蒔の手が、利華を衣服の拘束から開放してやると、既に待切れずに自己主張を始めている利華が姿をあらわした。
「……結構おっきいんだね、利華。」
「ばっっ…そーゆーことも口にだすなっっ!!」
 ますます照れまくる利華。麗蒔が今まで相手した男の中に、こんな反応を返す奴なんていなかった。
「利華、可愛い。」
  麗蒔はそんな利華を可愛く思い、くすっと笑う。両手で利華の物を包み込み、その先端を軽く指で撫でてやると、利華がピクンと反応した。麗蒔はそのままその先端部を喰わえ込む。どうすれば相手が気持ちイイかなんて、麗蒔は当たり前の事のように知識に入っている。いつも自分に暴力を与える為のその器官も、利華のだと思うと麗蒔は愛おしくてたまらない。より丁寧に、確実に快感を奉仕し続ける。
「あ…やばいって、麗……っ!」
 かつてない程の快楽の渦に、利華は翻弄されていた。舌先でちろちろ先端を嘗めていたかと思うと、包み込む口腔内の熱い感触と、締め付ける唇の刺激。迫る利華の限界を目前に、麗蒔が突然その刺激の一切を絶ってしまう。
「麗…っ?」
「後は…こっちで…」
 麗蒔は自分も服を脱ぐと、少し恥ずかしそうに利華の上に跨がった。硬く聳え立つ利華にそっと手をあて、麗蒔は自分の身体に利華を導く。利華の先端が硬く閉った麗蒔の蕾に触れ、そのまま麗蒔が腰を降ろすと、堅く閉ざされたままの其処が徐々に利華に押し広げられ開花していく。
「くぅっ…んっ!」
「うあ…っく!」
  女性とは違い、随分と圧迫感のあるそれに、利華もおもわず声をあげてしまう。麗蒔は何度か腰を揺らして円滑に進めようとするが、思ったように事が運ばない。少しも慣らさずに挿入しようとした為だ。
「痛…っ…んんっ…!」
「麗蒔…無理すんな…って!」
「ん…大…丈夫…っ、早く利華が…欲しい…!」
 それでも無理に利華を受け入れようとする麗蒔。暫くして急に抵抗がなくなったかと思うと、麗蒔は利華の先端を勢い良くズルッと飲み込んだ。
「ひあっ…!」
 どちらとも知れぬ声があがった。利華は麗蒔に包まれている感触を直に感じる。
「ふぅ…ようやく…んっ…。」
  麗蒔がそのまま腰を沈めていくと、外に残された利華の部分がずぶずぶと麗蒔の体内に埋まっていく。
「は…ああ…っ!」
  すっかりと利華を飲み込んだところで、麗蒔はようやく動きを中断する。
「…はあっ…はっ…調子に載り過ぎたかな?やっぱり…慣らさないと痛いや…利華の、思ってたよりおっきいんだもん。」
 肩で荒い息をしながら、麗蒔は利華に苦笑してみせた。
「大丈夫…か?」
「ん…少し痛い…けど、このくらいは平気…。」
 そう言うと麗蒔は腰をゆっくり上下に動かし始めた。
「おわっ!?」
 予想以上の快感に利華は歓喜の悲鳴をあげた。利華を喰わえ込んだ麗蒔の肉は熱く絡み付き、意外と余裕のある内部に反して入口はキツく利華に吸い付き、蠢いている。もっと奥へと導くように、淫猥に巧みに利華を刺激する。 利華は男の身体にこんな機能をする器官があるなんて考えた事もなかった。以前麗蒔が言っていたように、その辺の安い女なんかよりも、ずっと、ずっと、イイのだ。
「利華…んっ……ねぇ、イイ?…俺の…中、気持ちイイ?」
「イイ…麗蒔、最高だ…!」
 利華は今にも昇天しそうな感覚に浸りながら、ふとさっきから麗蒔にばかりリードされている事に気付く。これはいかん、とばかりに利華は麗蒔の細い腰を抱えるように手を添えた。
「…利華?…ひぁっ…あ…あぁっ!」
  添えた手で、利華は麗蒔のペースより速くその腰を上下に揺さぶってやると同時に大きく突き上げてやる。
「あっ、利華、あぁっ…はっあぁ!」
 男の身体が、こんな事をされて感じるんだなんて事も、今まで考えたことが無かった。明らかに快感を得ている麗蒔に、もっと快感をあたえてやりたくて、利華は体制を起こし麗蒔を膝に抱え込むようにすると、自分の知るだけの知識と技術を麗蒔にぶつけた。
「あっ…あ、はぅ…あっ…利華…っすご…イイっ、もっと…もっと……奥…ぅ、はぁっ…んんッ!」
 利華の首に抱きつき、脚で利華の身体を挟み込むようにして、麗蒔は利華に更なる快楽を求める。
「もっと…奥まで行ってやるよ麗蒔、もっとお前の中まで…ずっとずっと奥の…お前に触れさせてくれよ…麗蒔。」
 言って、利華は激しい口付けの雨を麗蒔に与えた。
 

 死にたくなる時だってあった
 自分を殺すのなんて簡単な事
 それでも、生きていく方を選んだ
 それは
 いつか訪れるかもしれない
 何かに期待していたのかもしれない

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