千と一夜の地下室

第六幕「科せられた罰」

 利華はけだるさの残る身体を投げ出し、腕に愛しい人の温もりを感じていた。ずっと焦がれていたその人を手に入れた夜。だけどそれは、愛しい人にとっては幾千の中の一人にしか過ぎない事が、悔しく恨めしい。自分以外の者がこの肌に触れているなんて、この唇に触れているなんて、今は考えたくはない。今、自分の腕の中に居るのは、自分だけの愛しい人。その人の寝顔を見ながら、満ち足りた感情を唇に乗せ、可愛い寝顔にキスをする。
「すまん…起こしちまった?」
 ゆっくりと目を開けた麗蒔は、少し悲しそうな表情で利華にしがみついてきた。
「利華は……俺を愛してる…?」
「愛してる。」
 利華はその広い胸に麗蒔を抱き寄せる。その温もりに甘えながら、麗蒔はもう一度問う。
「俺が……どんな奴か…知っても?」
  利華にしがみつく麗蒔の腕に力がこもる。
「……お前の過去が例えどんなであろうと。俺が出会ったのは今、此所にいる麗蒔だ。昔のことなんて関係ないよ…。」
 麗蒔はしがみついていたその手の力を緩めると、利華から少しづつ離れた。
「……続けろよ麗蒔、ここには誰もいない…。」
 離れようとする肩を優しく抱き寄せ、再び口を閉ざしてしまった麗蒔を利華は促す。今自分の意志で語られようとしている過去の真実。麗蒔は閉ざした唇を開き震える声で言った。
「俺は…………人を一人殺した…。」

 

  …いつも忙しそうな母さん。今日は久しぶりに僕に会いに来てくれるって、楽しみだな。一人でいるのはもう慣れたけど、今日は家に帰ったら母さんがむかえてくれるから、すごくうれしい。 お仕事大変なんだな…歌いっぱい歌ってるのかな?そんなに音楽って良いものなのかな?僕より大事なものなのかな?そんな事はないよね。
 母さんの歌、好き。母さんの弾くギターも好き。僕も最近弾けるようになりたくて、誕生日にくれた母さんのおふるのギターで練習してるんだよ、今日は聴かせてあげるね。母さんの曲、はやく弾けるようになれるよう毎日頑張ってるんだから。
『ただいま!……母さん?どこ?』
 おかしいな…母さんの笑顔がむかえてくれない。
『母さん?』
 人の気配がする。知らない人の気配。台所だ…なんだろう、ずいぶんたくさんいるみたいだけど。
『………!!』
 人の話声…何だろう?
『…だから、ガキは何所に居るって聞いてるんだ。』
『知らないわ…!』
『…強情な女だ…てめえがガキをこっそり産んだのはわかってるんだよ!』
『ちゃんとおろしたのよ…産んで無いわ…!』
 母さんの声だ…誰と話してるんだろう?誰かとケンカしてるみたいだ。
『素直に子供を差し出せばお前は見逃してやってもいいと言っているんだ…まだ口を割る気にならないのか?』
『………このアマッ!!』
『きゃっ…!!』
 だれ?この人達。なんで母さんを殴ってるの?母さんをたすけなきゃ…!
『母さんをいじめるなっ!!』
『!!』
『……こいつだ…。』
『……ようやく…見つけたぞ…手間取らせやがって…!』
『ち…ちがうわ…その子は…私の子じゃないのよ!』
『このガキは母さんって呼んでるぜぇ?』
『近所の子よ…!こんな子知らないわ。でていきなさい!』
『母さん?!…どうして…そんな事をいうの?』
 なんでそんな悲しそうな顔で僕を見てるの?僕は母さんの子供じゃなかったの?
『ほぅ……こいつはあんたの子じゃないって言うんだな?』
『……そうよ!』
『じゃあ…このガキをどうしようとてめえには関係無いって事だよなぁ?』
『!!』
 な…に?何がどうなってるの?くすぐったい…なんだよ気持ち悪いなぁ…嫌だ…僕にさわるな…!
『可愛い顔したガキだぜ…へへ…。』
『や…やめて!その子に触らないで!!』

『よそのガキがナニされようと、あんたにゃ関係ないこったろ?そこでゆっくり見ていやがれ!』
『おい、遊んでないでさっさと始末しろ…。』
『へへ…いいじゃねえか、どうせシメるガキだ。最後にたっぷり可愛がってやってもよ!』
『変態め…いいかげんにしないか。』
『やっ…離せよッこのーーっ!!』
『暴れんじゃねえよクソガキが!てめえにゃ早いが少しだけ大人気分を味わわせてやるぜ。』
  何なんだよコノ人!?こんなとこでトイレするの? 何? 嘘!? 嫌…!!
『いっ……痛ーーーっ!!』
『やめてーーーーっ!!』
『かっ…狭えなガキは…全然入んねぇ!』
『ヒっ…痛ッ…!痛いよぉっ!やめ…痛いッ!かあ…さんっ…助けてかあさぁんっ!!』
 痛い、痛い、身体が裂けちゃう!?なんなのコレ?なんなのこの人達?助けて…母さん!!
『あぁ…やめて!なんでも言う事聞くわ…だからもうやめて!』
『最初から素直にそう言えばいい…では質問に答えろ。』
『ええ…。』
『おい、その辺にしておけ。半狂乱になられちゃ質問も出来ないからな。』
『ちっ、しょうがねぇなぁ…。おい、このガキを押さえてろ!』
『はい!』
  母さん…泣いてるの?僕のせいなの?
『このガキはなんだ?』
『……私の……息子…。』
『おろすよう指示があった筈だよな?』
『………大きくなり過ぎて無理だったのよ…。』
『いままでおろしたとずっと嘘をついていたな?渡された金はどうした?』
『………。』
『答えろ!』
『きゃあっ!』
『やめろ、暴力は好かん。』
『……ああ…あなたが…あなたがこんな事をするなんて…グルだったなんて…!』
『……グル…とは、良い響きでないな?大体…』
『触らないでッ!あなたなんか…』
『そんなに興奮するな女、俺達の用はこのガキだ。黙って質問に答えれば命まで取りャしねぇよ!』
『さぁ、渡された金をどうしたか答えろ。』
『…お金は…この子の養育費と…借金に…お願い…見逃して…私もこの子も…あの人の前には…二度と姿をあらわさないから…本当よ、息子だなんて名乗り出ないわ、だから……。』
 なんだかすごく難しい話してる…あの人って誰?
『金はちゃっかり使い込みやがったなこの牝狐め!』
『きゃあっ!』
  あいつら、また…母さんを殴ってる…!
『やめろよッ!母さんをいじめるなッ!!』
『…まだ起きてたのかガキ!?うるせぇなまた突っ込まれてえのか?おとなしくおねんねしてな!』
『子供に手荒な事しないで!』
『………全く、本当に我侭な女なんだな君って人は。まぁいいだろう…今回は金の事は見逃してやろう。』
『ほん…とう?』
『おいおい、いいのかよD・K!?』
『本当だ…ただし…。』
『痛っ…なにすんだよッ!』
『この子供は始末する。』
『い…いやッ!』
  僕の事…始末…?始末って何…?
『お前にそのつもりが無くてもな…後にこの子が大きくなってから探し出して担ぎ上げる輩が後を絶たないんだよ…。旦那様は心配性でね…煙りが大嫌いなんだ。』
『そんなっ!!』
『相続なさるお子様は、もう決まってるンでね。残りの雑魚は始末しとかなきゃならんのさ。まぁ悪く思うな、ガキなんてまた産みゃあいいだろ?』
   カチッ
『いや…だめ!!やめて!』
『バーーーン!!』
『きゃあああっ!!』
『……な〜んてな、はは、面白れぇ。』
『遊んでないでさっさと殺れ。』
『まぁ待て、ここで殺っちまったら早々にずらかんなきゃならねぇだろ、もう少し楽しんでから帰ろうぜ?』
『!?いや…いやっ…やめてっ!!子供の見てる前で…!!』
『時間の無駄だ、よせ…!』
『いいじゃねえか、なぁ女、冥土の土産に息子に本当の姿をみせてやんな!』
  本当の…母さん?
『い…いやーっ…!』
『この身体使って旦那様に取り入ってまんまと成功したんだろ?あんたの歌手になる夢は。ガキをこさえたのが誤算だったなぁ?知ってんだぜ?今どうやって生活費をかせいでんのか!おいガキ、てめえの母親、どうやっててめぇを食わしてきたか教えてやるぜ。よぉ〜く見とけよ。』
『よせといってるのが聞こえないのか、命令だぞ!』
『ハッ、命令もクソもあるかよ!よくみりゃイイ女じゃねぇかよ、へへ…』
『M2!命令違反は報告するぞ!』
  な…にをしてるの?この人達母さんに何をしてるの?
『へ、この淫売感じて喜んでやがるぜ!』
 僕にさっきしたことに似てる、でも母さんは喜んでるの?母さんは嫌じゃ無いの?これはいじめてるんじゃないの?
『いや……いやぁ…やめて…!』
  やっぱり嫌がってるよ、いじめられてるんだ!
『へへ…おい、俺にもさせろよ!』
『俺も…』
『貴様ら、任務に戻れ!』
『おい、ガキを放すな!』
  あ…知ってる、今ポケットから落ちたの、じゅうっていうんだ、テレビで見た事あるよ…。指を引っ掛けて引くと、鉄のかたまりがとびだすんだ…。
『もうやめて…こんな…。』
『ぶってんじゃねえよこの売女が!助けてやるって言ってんだ、このくらいは…』
   ズガーーン!
『!?』
 痛たた…すごい音…すごい衝撃…身体が飛ばされちゃった。
『……なっ…このガキいつのまに俺の銃を!?』
『……それは子供の玩具じゃない、返すんだ。』
『いやだっ!』
 絶対返すもんか、これがあれば母さんを守れるんだ!!
『このクソガ…』
   ズガーーン!
『うわっ!?』
『大丈夫か!?』
『くっ…掠っただけだ!このガキ…!』
『血痕を残すな、お前は車に戻れ!』
『……チッ!』
『母さんからはなれろっ!次は当てるぞっ本当だぞっ!!』
『……は、たいしたガキだ…どこのテレビで見たのか知らんが、おい、これは漫画じゃないんだぞ?それは人を怪我させる道具だ、危ないからはなすんだ…いい子だから…。』
『いやだっ!!』
『おい、てめえのガキにいってやれ、それを離せとな!』
『………。』
『…母さん…。』
『………いいこだから……それを……。』
『ほらさっさと言え!』
『母さん……!』
 母さんを助けたいんだ、母さんを助けたいんだよ。人を怪我させちゃいけないって解ってるけど、怒らないで…!
『…………いい子だから………それでこのクソ野郎どもを撃ちなさいっ!!』
『なっ…!!』
   ズガーーーーンッ……

 

「……撃った…のか?」
 麗蒔は黙って頷いた。
「夢中で引金を弾いてた……母さんを辱めたクソ野郎どもに向かって………目の前が………一瞬で真っ赤になったよ…。」
 人を、殺めた。その罪悪感に麗蒔は今も苛まれているのだ。利華はその苦痛を少しでも和らげてやりたいと思った。
「仕方ないさ、なるべくしてなった結果だったんだろう…?そんな奴等は…」
「違う……違うんだ…。」
 いつからか麗蒔の瞳に浮かんでいた涙が、瞼から溢れて頬を零れ落ちる。
「………母さんが…足下に…倒れてた………。」
「!」
  ガクガクと震え出した麗蒔の肩を利華はキツく抱き締める。麗蒔が撃ったのは…なんてことだ、最悪の展開だ…。利華は麗蒔の震える体を抱き寄せる。
「あいつら……母さんを……盾にしたんだ……母さんを盾に……!僕が…母さんを…殺したんだ……。あいつらは…母さんは助けるって……いってたのに……僕が……!」
 麗蒔の撃った弾は不運にも母親に当たり、その命を奪ってしまっていた。それを幼い麗蒔が目前で見た衝撃は測りしれないものだろう。でもそれは、麗蒔を責めることは出来ない状況下での出来事だったのだ。
「………麗蒔……それは…。」
 利華は泣き出す麗蒔の頭に優しく手を添え麗蒔を慰める。
「きっと…その場を乗り切るにはそうするしかなかったんだ。…お前が銃を離していればお前は確実に殺されていた…きっとお前の母親だって、お前が目の前で殺されるよりは…マシだったんじゃないかと思うぜ?それに、今、お前はこうしてその場を生き延びたんじゃないのか?それがなにより、母親は恨みも悔やみもしてないぜ…きっと。」
  そう言ってやるのが、今の利華の精一杯だった。
「……そう、僕は生きてるんだ……殺される筈だった僕の方が…どういうわけかね……。」

 

『……うわぁぁっ!?母さん?母さぁん!!』
『あっ…危ねぇとこだった…ホントに正確なトコ狙ってきやがったぜこのガキ…!』
『なっ………死んだ…のか!?』
『ちっ……女が死んだ、予定が狂ってきたぜ!?』
『おい、銃声で人が来るぞ!?』
『やべぇ、任務は失敗だ!さっさとガキ殺ってずらかろう!』
『………計画に多少狂いが生じたくらいで…狼狽えるな。』
『じゃあどうするんだ!?』
『ここに長居するな、お前らは方々に散るんだ…ガキの始末は私が他所でする…!』
『…わかった、まかせるぞ。』
『しくじるな!』
『早く行け!』
 泣きわめいていた僕は母さんから引き剥がされ、リーダーらしい男に車に放り込まれた。何か
薬の様なものを嗅がされて気を失って…気がついたら僕は暗い部屋にいたんだ。
『起きたか……。』
『……母さん…母さんはどこ?』
『…………死んだ。』
『嘘だっ!』
『死んだ、……お前が殺したんだ。』
『う…嘘だっ…そんなの嘘だよッ……!』
『あの女を……殺すつもりはなかった…。』
『嘘だよ…母さん……かあさ…』
『喚くなクソガキ!』
  男は僕を勢い良く壁に叩き付けた。
『…ちッ…お前が銃なんざブッぱなさなければ……ッ!殺す気はなかった…くそッ、お前が殺したんだ!!』
『ひ…ッ!』
  僕はもう一度壁に叩き付けられた。どうやら男は母さんを気に入っていたらしい。本当に、殺す気はなかったらしいんだ。僕にはそんなの信じられないけど…。
『う…うえっ…ひっく…』
 しばらく男は横で酒をあおっていた。いま思うとヤケ酒にも見えた。きっとこの男は、母さんの事が…好きだったんだ。自分の女にでもしようと思っていたんだろう。
  突然、男は泣いている僕に躙り寄ると僕の顔を掴んだ。
『……は…このガキ………目もとが…似てやがるぜ。』
  男は僕の顔を覗き込むと、苦笑していた。そしてふいに僕の頬を嘗めてきた。
『ひっ!?何すんだよっ!?』
  咄嗟に突き出した両手を掴み上げられ、片手で僕の頭上にそれを捩じ上げた。着ていた服は紙の様に引き裂かれた。 僕は何をされるか、幼いながらに理解した。男達が、母さんにしてたこと。
『い……や…いやぁっ…』
  男は、さっき僕が喰わえられなかったのも充分わかっていたから、指を僕の身体に突き刺し、広げるようにグイグイ動かした。一本が入るようになると二本、そしてまたもう一本と、すこしづつ指を増やしていった。
『痛…やぁっ…痛いよっ…いっ…』
  急に指が抜かれ、かわりに堅くて熱い物が突き付けられた。
『ひ……!?』
 さっきは途中まで無理矢理広げられて、でも結局キツ過ぎて中まで侵入はされなかった。今度は充分に慣らしたとはいえ、それでも無理のある其処を、男は力まかせに押しきった。
『や……やああぁーーっ!!!』
  僕は、初めて男を喰わえさせられた。まだ小さかった僕にはあまりにも大きすぎる、大人の男だった。
『狭すぎだな……!』
 必要以上に締め付ける僕に舌打ちしながら、男は僕の身体に乱暴に杭を打ち込んだ。
『……っ…!!』
 声は殆ど出なかった。打ち込まれた激痛と、苦しい呼吸。全部を飲み込みきれないでいる僕の身体を、しきりに突き上げる下半身の暴力。足に血が伝っていく感触も初めてのものだった。腹の中に熱いものを吐き出された時は、殆ど抵抗する力なんて残って無かった…。
『……これじゃ話にならんな…。』
  男は動かなくなった僕に銃を突き付けた。僕は、身体は少しも動かないのに、意識だけははっきりしていたから、この時の事を良く覚えている…。僕はとうとう殺されるんだな、とやけに冷静に思った。だけど男は、いつまでたってもその引金を弾かないんだ。そして、ついにはその銃口は僕からそらされた。
『……僕を…殺すんじゃないの…?』
『……それもいいだろう…だが…。』
 男の手が僕の首を片手で簡単に締め上げた。
『そんなのはいつだって出来る……。』
 殺伐としたその目にゾクリと背筋が凍った。手の力が僅かに緩められ、男は不敵な笑みを浮かべる。
『面白い事を考えた…お前にチャンスをやろう。』
『チャ…ンス?』
『お前が成長した姿というのも見て見たくなった…お前には淫売の素質がある……なにしろ同じ血が流れているのだからな…くく…。』
 僕は男が何を言ってるのかよく意味がわからなかった。
『ふ…まだ意味はわからんだろう…まぁ直ぐにわかるようになる。…それとも今、此所で死ぬ方を選ぶのか?』
  男の指先に力がこもり、再び僕の気道を圧迫してきた。僕は必死に首を横にふった。あの時、男の言った意味がわかっていたなら、僕は首を縦に振っていたかもしれないな…。
『決まりだ…今日からお前は俺の玩具だ。逆らえばいつでも殺す、わかるな?』
 僕は男の威圧に恐怖し、泣きながら頷いた。
 暫くして男は、僕と同じくらいの年で、同じくらいの背格好の少年の遺体をどこかから手に入れてきた。そしてその少年は、僕として、世に葬られた。仲間の目を欺くために。僕の存在をこの世から完全に消すために。 僕には『麗蒔』という新しい名前が与えられた。そうまでして、なぜ男が僕を生かせたのか…その理由は今もはっきりとはよくわからない。気に入った女の子供だから、女と同じ顔に育つだろう事に僅かな期待をしたのか。気に入った女を殺した憎い敵を、生きたままいたぶってやろうと思ったのか。そんな意味などない、ただの娯楽だったのか…。
 後に、僕は男の言っていた意味を少し理解した…そして、逃げても無駄だという事も直ぐに理解した。 程なくして男は一軒の男娼館を買い占めた。当然のように、僕はそこに押しやられ、大人の男の味を毎日、毎日、叩き込まれた。日に日に淫乱な淫売に成長させられていく僕を男は楽しそうに眺めている…。

「それが…あいつだ…あの店のオーナーだ…。」
「………。」
 利華はあまりの内容に言葉が出てこなかった。
「辛くて、苦しくて、なんども死のうと思ったよ…でも、こんなところで死ぬもんかっ…て思いの方が強くて…。俺は…いつか大きくなったら、あいつをこの手で!…だから、その日までは奴に懐いた振りをして…そう思って…だけど結局、何も出来ずに、こうして今まで生き長らえて……。」
 麗蒔は手を天井の照明にかざし、目を細めた。が、急にそれは力無く蒲団の上に投げ出される。 
「でも…所詮俺はアイツの玩具……所有物。何もできやしない…だから…どこにも行けないし……逃げ出せば消されるんだ。…そんな俺を…利華は…本当に、愛してるだなんて、簡単に言えるの?」
 利華が思っていた以上に、麗蒔の背負っている事が大きいようで…正直、利華は…恐くなってきていた。  返事のない利華の手をそっと肩から外すと、麗蒔は身体を起こした。こんな反応も予想していなかったわけじゃない。
「俺、帰った方が良いみたいだね……。」
 寂しそうに蒲団から出ようとしたその腕を無言の男が掴む。
「俺……。」
 利華は天井を見つめたまま独り言の様に喋り出した。麗蒔の腕をしっかりと握りしめて。
「俺……たぶん、この街で……死ぬ気だった。生きてるのがもうつまんねぇって、そう思ってこの街をぶらついてて、お前を見つけた。そして、もっと生きてえなって思った。お前に会わなきゃ俺は……どこか死に場所を探してた。」
「利華…。」
「こんなに自由なのに、俺は自分を不自由だと思い込んで、命を一つ粗末に扱うところだった…それに気付かせてくれたのはお前だったんだ。真っ白じゃない?灰色?黒い?それがどうした、真っ黒でも危険でもいい、お前は俺の天使様だ!」
  利華は麗蒔を握る手に力を込めその腕を引き、麗蒔を再び自分の胸に引き寄せた。
「俺の気持ちは変わらない…愛してるんだよ…麗蒔。」
「…ありがとう……嬉しい…利華…俺も…!」
 麗蒔は利華の胸に顔を埋め、そしてどちらともなく求めるように口付けた。濃厚な口付けが離されると、利華は言った。
「あそこから…アイツから逃げたいか麗蒔?俺と来るか?」
 麗蒔の身体を強く強く抱き締め、利華は思いを打ち明けた。何度も拒まれ続けた問いを、利華は今一度麗蒔に投げかける。麗蒔は利華の瞳をじっと見つめ、始めて頷いた。
「逃げよう麗蒔、このまま俺と!一度は捨てた命、俺はお前に賭けるよ。だからお前も俺にどこまでも付いてきてくれ…やつらの手の届かない何所か遠くで二人で暮らそう…!」
 危険な賭けだ、でもそうするしか、麗蒔を救える道はない。このまま店に通い続けても、何も変わる事はない。たとえ命の保証はされてても、それだけでは何も得られない。
「まだ気付かれてない筈だ、今日の内にこの街を出よう!」
  利華は急いで起き上がると側にあった服に袖を通した。麗蒔も身体を起こし、服を手繰り寄せるが、ふと何かを思い出し動きを止めてしまった。
「麗蒔、お前もはやく…」
「……一至は…どうなるの?俺を抜け出させてくれた一至は、俺が時間内に戻らなければ…どうなるの?」
「…!」
 その事をすっかり忘れていた。利華が麗蒔を外に連れ出す、と言った時、無理を承知で協力してくれた一至。
「…俺やっぱり帰らなきゃ…一至を置いて行けないよ…。」
 今日を逃したら、今度はいつこんな機会があるか解らない。でも今二人で逃げたら、残された一至がどうなるか分らない。
「……そう…か、…そうだよな…。」
 恩人を見殺しには出来なかった。やるせない溜息が、はぁ、と二つ重なりあう。
「なぁ…結局お前を狙ってた組織って…一体何者なんだ?」
 一連の麗蒔の会話に登場する、麗蒔の命を付けねらう程の組織、これだけ話を聞いてもどうも謎だらけだ。
「さぁ…知らない。母さんは俺が大きくなってから話すつもりだったんだろうけど…もう誰も教えてくれる人いないから。」
 麗蒔は半分自棄的に苦笑した。そんな事一番しりたいのは麗蒔自身だろう。自分の人生をなぜこうも狂わされなければならないのか、自分を拘束する奴が何者なのか。でも裏を返せば、そんな組織に追われなきゃならない自分も何者なのだろう?と。
「でも…アイツに聞いてちょっとだけ解った事もあるよ。俺には父さんがいて、あいつはその父さんの下で働いてるんだ。それで父さんには母さん以外の妻と子供がいて、その子以外の子供は邪魔なんだって、俺みたいのは、いらない子供なんだ…って言ってたな…。」
 後半は、酷く寂しそうな表情の麗蒔。生まれて来る事すら望まれていなかった事実を知らされ、唯一自分を必要としてくれた人も、自らの手で失ってしまった麗蒔。
「…すまん、俺…また余計な事聞いたな。」
 利華は蒲団の上に腰をおろし、自己嫌悪にがっくりと肩の力をおとした。何か口にする度にいつも、利華は麗蒔に嫌な事を思い出させてしまっている気がした。そんなつもりでは無いのだが、彼をもっと知ろうとする自分は、いつも麗蒔を傷つけてばかりだ。
「…いいんだ…俺なんて本当イラナイ奴だもん、あの時死んじゃえばよかったんだよね。毎日、毎日、いつか見つかるんじゃないかってビクビクして…もういいかげん疲れてきたよ。いっその事楽になっちゃおうかなぁなんて考えたり…」
「麗蒔!」
  利華はそんな事を口にした麗蒔を叱る様に声を荒立てた。
「そんな事考えるな、俺の前で二度と言うな!そんな簡単に自分を殺すな!いいか?生き延びるんだ、何があっても…!たとえ誰かに殺される事になったとしても、自分で自分を殺す事だけは、絶対するな!お前を…必要としている奴がいる事を忘れるなよ!…な?」
「…利華…ごめんなさい…。」
  麗蒔は利華の広い胸に縋りついた。こんな自分を必要としてくれるその胸に。この人の為に自分は生きたい、心からそう思うから。
「……また、必ず迎えに行くから……!だから絶対、俺とステージに立とうな麗蒔…。だから……それまで絶対死ぬなよ…絶対。約束だ。」
「……うん…約束。」
 いつ果たされるとも知れない約束を交わし、二人はそのまま少し眠った。

 

 麗蒔は閉店間際の店に、利華に送られこっそりと帰ってきた。一至から渡されていた鍵を使って裏口から入ると、店内は都合の良い事に閉店間際の為人が少ない。
「じゃ、俺は帰るな…。」
「うん…また明日。」
 別れ際の恋人みたいなキスをして別れ、麗蒔は今日の一夜を忘れない様その胸に刻み込んだ。周りを気にしながら地下におりると、自分の部屋に明かりが付いているのが見える。そっと開けた扉の向こうに、見なれた人がぐったりと横たわっていた。
「一至!?」
 驚いて駆け寄ると、名を呼ばれた男はうっすら瞳を開いた。
「…なんだ…戻ってきたのか…とりあえずおかえり……。」
 普段の仕事以上に疲労しきっている一至の様子にただならぬものを感じる。
「お前の客は俺がなんとか説得した…心配ない。受付にだけは話を通しておいた…お前は今日は体調崩して俺の部屋で寝てるって事にしてあるから…俺の部屋のほうが良いベットだからな。もちろん…オーナーには内緒だぞ……うまいこと口裏あわせろよ麗蒔…。」
「うん…。」
 思った通り麗蒔の留守を一至はうまく取り繕ってくれていた。麗蒔がいなかったのをしっているのは一至だけ。受付は麗蒔が仕事には出ないものの、店の中にはいたと思っているらしい。
「でも…よく彼が、受付が納得したね…?いつもは具合が悪くても休ませてくれないのに…。」
「売上げが変わらないってんなら、別段文句ないそうだ…。」
 麗蒔はそこで漸く気付いた。一至がどうしてこんなにボロボロなのか。麗蒔がいないのに売上げはかわらないってことは…。
「……まさか一至、…説得って…俺の客も捌いたの…!?自分の客だっているのに……!」
「……まぁね。」
 麗蒔はこの店で一番客の数が多いが、それを競うように多いのが一至だった。一夜で両方の客の数を捌くなんて、一度に数人の相手をしないかぎりは無理な話。
「……楽しかったか…。」
「一至……。」
「……楽しかったのか?」
「……うん…、すごく…楽しかったよ……。」
「………よかったな……。」
「一至……ごめん…俺の為にこんな…!」
 麗蒔は瞳から涙を流しながら一至の手を握り締めた。
「これで…少しはあの時の事が…許されるかな…なんて。」
 掠れた声で一至は苦笑した。ずっと一至の胸の中に刻まれた罪の意識、それを消そうとする自己満足の為の小さな償い。
「一至…まだあの時の事……あれは…俺が…!」
 何か言いかけた麗蒔の口を、一至の指先がそっとふさいだ。
「知ってたよ…麗蒔が…オーナーの命令で俺を誘惑してた事は…知ってたんだ…。」
「かず…。」
「わかるさ……生意気な俺を手懐けるために、アイツがお前を使ったことくらい……俺が麗蒔の誘惑にのらなければ…お前が後でアイツに酷く折檻されることも…な。だから俺は…演技だと知りながら…アイツがPEEPで監視する中、お前を抱くしかなかった…そうするしか…。」
「………。」
 麗蒔は一至の告白を黙って聞いた。あの時の事は二人の間で後に語り合う事は決してなかった。友人だった二人の、一夜の禁忌。以前のようには歯車がうまく噛み合わなくなった日々の、始まりの時。
「一至がその事に気付いてるのは俺も知ってたんだ……。」
 今度は、麗蒔がその禁忌に触れる。少しも驚いた様子のなかった麗蒔に反し、麗蒔の告白には一至は酷く驚いた。麗蒔は決して語る事など無いだろうと思っていた、自分の内を一至に打ち明ける。
「俺の為に…一至がそうするしか無い事もわかってた…だけど俺は……それでも……」
 一至は悪く無い、そう思ってもどこか彼に失望してしまった自分がいた。これはしかたがない、そう思っても何か彼に求めている自分がいた。俺の為にそうしているんだ、そう思っても悲しくて涙が溢れていた。どうしようもないことに、現実に可能な事以上の何かをそこに期待していた。これはただの自己中心的思想だとしても…。
「それでも俺は…俺の立場を充分わかってくれてるのを承知の上で…そんなこと出来ないよ麗蒔…って…言って欲しかったんだ…。」
 麗蒔は無茶な事を言っているのは自分でも良くわかっていた。これは自分の我侭なのだと。そんなこと、言葉にして表してくれなきゃわかるわけないじゃないか、と思われたとしても、これが本当のあの時の気持ち。
「そうか…。」
「だけど…あの時の一至は間違って無いよ…一至の立場なら、ああするしかなかったと思う…。」
 一至はだらりとぶら下げていた手の甲を額にあてると、掠れた声で苦笑した。
「…俺はお前が思っている程イイ奴じゃ無い…正直に言うよ、俺はお前が好きだ…好きだった。あの時…いや、あの前からずっと…。あの時の俺は、現状を避けられない自分の立場を理由に、お前を抱く自分を正当化させようとしていたんだ…それが間違っているのかもしれないと、心のどこかで僅かに勘付きながらも…だから俺は…今まで罪の意識がずっと消えずにいたんだな…。」
 一至は本当の自分の内を打ち明けた。一生、言うつもりはなかった。彼の前では『良い人』でいたかったから。でも麗蒔が自分の気持ちを打ち明けてくれたからには、自分だけ黙っているなんて卑怯だから。
「一至…。」
「…でもこれでスッキリしたよ…本当の事がお前に言えて、お前の本当の気持ちに触れられて、初めてお前の事がわかってきた気がする。俺達はお互い口下手すぎた…何も言わずに互いを解り合ってるつもりで…本当は何も解り合えていなかったんだ。俺はたった二つしか無い選択肢を誤ってしまったんだな…。」
 選択の予知は無いと思い込み、見えなかったもう一つの答え。見える奴にはちゃんと見えていた…。
「あいつは…間違えなかったんだな、その選択肢を…。」
「え?」
「いや、こっちの話だ…。」
  一至は身体を起こし立ち上がろうとする。
「まだ横になってなきゃだめだよ一至…!」
「もう大丈夫、自分の部屋に戻るよ。」
  ふらつく身体を無理に起こそうとする一至を麗蒔が制止する。
「だめ、ねてなきゃだめ!楽になるまでこのベッド使ってていいよ、一至に使ってて欲しいんだ。」
 麗蒔は蒲団を出してくると一至の身体にかけた。
「それに…俺が一至の部屋にいなきゃおかしいでしょ?アリバイは完璧にしておかないとね!」
 そういえば麗蒔は一至の部屋で寝てる事になっていたのだ、確かに麗蒔が自分の部屋に居ては不自然である。
「すまんな…じゃあこのベッド、遠慮なく借りるよ。」
「いいってこと、だって俺達『親友』だろ?」
 そう言って麗蒔は悪戯っぽく笑った。
「ああ…そうだな、『親友』だ。」
 麗蒔の口から始めて発せられたその言葉に、一至は歓喜と落胆を感じた。
「それじゃ、おやすみ一至。」
「おやすみ…。」
 そう言い残し部屋を出ようとした麗蒔の少ない手荷物の中から、彼の持ち物としては見た事の無いものが落ちた。
「何か…落ちたぞ麗蒔。」
  麗蒔は振り返って落ちたそれに気付くと、慌ててそれを大事そうに拾い上げた。
「それは…?」
「…利華に貰ったんだ…どう?」
 利華に買って貰った眼鏡。今日が夢では無かった事を麗蒔に感じさせてくれる物。麗蒔は照れくさそうに、それをかけて一至にみせた。
「……あぁ…似合うよ麗蒔、…本当にお前にはそいつがよく似合ってる…。」
 麗蒔は嬉しそうに笑った。

始めて会った時、何かを感じた
音楽という共通点もあって 同じ時を過ごすことが多かった
何も語らなくともいいと思っていたあの頃
二人はまだ、お互いを知らなすぎて
本当の貴方の心の中に人間らしさを感じた
好きだよ、好きだったよ君の事が
これは過去にしておくよ

… だって俺達、『親友』だから

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