復讐の戯曲

〜2〜

「…どういう…事なんですか?」
 ジョッキールームに入った駿は、其所に立ち尽くしている岡の背中に静かに声をかけた。 五秒程前に岡の発した言葉の意味を確かめるように。
「…夕貴さんが…いない…って、どういう事なんですか…!?」
 カサ…と岡の手から紙切れが舞い落ちる。まるで駿に見ろと言わんばかりに。
 駿は岡に歩み寄ると、無言で紙切れを拾った。潤宛の騎乗依頼書…それは、さっき駿がジョッキールームにきた時にも既に机の上にあったものだ。それがあったから、潤はまたこの部屋に戻ってくるのだろうと駿は思ったのだ。
 だが、潤はいまだに戻って来てはいない。
「………」
 駿は手に取ったその紙を徐に裏返した。
「!?」
 そこには文字が…いや手紙が書かれていた。
 

    『優勝おめでとう岡恭一郎
     随分素晴らしい物を持っているね
     僕もアレが欲しくなったよ
     アレは君の一番大事な物なんだろう?

     おやおや、せっかくチャンスをあげたのに…
     これは君の一番大事な物じゃなかったのかな?
     だったらそんな物いらないよねぇ?
         だから
            ……僕が頂いたよ。

              君の熱烈なファンより』



「ーーーー!?」
 明らかな、岡宛の手紙。この依頼書を手にする者が潤と岡以外に無い事を見越した上での大胆な文面。明らかな…犯行声明文。
「………岡さん……」
 駿の眉間に、ぐっと力が入る。

「……岡さん…失礼します!」
 駿は岡に一礼してそう言うと、岡の頬を思いきり殴り飛ばした。
「ーーッ!!」
 岡の体が床に崩れ落ちる。
「…なんで…なんでだ!?…なんであんたは『彼所』に居たんだ!?」
「………」
「なんで『此処』に居なかったんだ!?なんで…なんであんたは『馬房』にいたんだよッ!?」
 一番大切な…なのに、どうして。
「………駿君…」
「なんで……ーーッ!?」
 立ち上がった岡は静かに駿の胸ぐらを掴んだ。かと思うと…
「うあッ!?」
 衝撃と共に駿の体は吹き飛んだ。
 決して大柄な方では無い駿の体は、昔随分と慣らした岡のその強烈な鉄拳をまともに喰らい、並べられた椅子をなぎ倒しながら2mほど吹き飛んだ。
「くっ…岡…さん…っ!?」
「物……じゃ…ない」
 岡は普段の態度からは想像も出来ない程興奮しきった様子で、駿を殴った状態のまま呟いた。
「潤は…物じゃ無い…潤は『物』じゃ無いッ!!」
「!!」

 
    『…随分素晴らしい「物」を持っているね… 』

「あ………」
 駿はその意味に気付き、少し冷静になって口の中に転がる歯を吐き出す。血の味がした。
「……す…いません…オレ…興奮してしまって…」
 駿は自分よりも数倍興奮しているだろう男に詫びを入れる。
 『物』なんて言われたから、岡は潤の事だなんて考えもしなかったに違い無い。物だなんて微塵も思った事などないから。だから此処にこなかったのだ。
 だがその潤を『物』扱いして連れ去ったヤツが…いる。
「どういう事なのか…事情を…詳しく教えて下さいよ、岡さん!?」
「………潤…」
 興奮しきった岡は口元をブルブルと震わせ、まともに言葉を出せないでいる。
「あ…の…野郎…!」
「落ち着いて下さい岡さん…!」
 その時、廊下がにわかに騒がしくなった。物音を聞きつけ、人が集まりだしているらしい。
「…今のは何の音だ!?」
「!」
 数人の足音がドアの前に近付いて来ると、岡は急にいつものように落ち着いた風貌で立ちあがり、駿の手を取り自分に引き寄せ、痣の残る駿の頬を自分のスーツに押し付け隠した。
「お…かさん!?」
 駿はワケも解らず岡に支えられるような形にさせられる。
 ドアが開いた。
「あぁ岡さん、一体どうしたんですか?今の音は!?」
 入って来た係員に岡は凛とした態度で向き直る。
「…いやぁ、恥ずかしくも椅子に躓いて転倒しそうになりましてね。駿君に助けてもらったのだが…逆に駿君まで転ばせてしまう事になってしまい駿君に済まない事をしてしまったよ。…少々うるさくしてしまったかな?」
 そういって岡は口元に笑みまで浮かべた。
「はは、なんだそうですか。まったく気を付けて下さいよ岡さん。貴方はもともとあまり視力が…」
「いえ大丈夫ですよ。御心配ありがとう。さぁ駿君、立てるかね?お詫びに家まで送ろう。」
「え…あ…あの…」
「お帰りになるんで?」
「ええ、一応今ので駿君に怪我がなかったか検査も受けて貰いたいのでね」
「いえ、あ…あの、それは大丈夫です!」
「そうですか、ではお気を付けてお帰りを」
「ああ、失礼するよ」
「え…ちょっ!?」
  どうして…何も言わないんですか!?
 駿は岡の茶番に付き合う形になり、されるまま流されていたが、そのまま何事も無く部屋を出ようとした岡に慌てて叫ぶ。
「岡さんッ!?そんなことより夕貴さんが…!!」
「あぁ…そうそう、潤から電話が入ってね、疲れたので先に帰ったそうだ。先程は下で騒いで済まなかったね、申し訳ないが下の者にも言っておいてくれないか?」
 駿の言葉を消すように、岡はすかさず係員にそう言った。
「あ、いえ、いいんですよ。それではお疲れさまでした!」
「ではお先に」
「ーーー!?」
  どうして、言わないんです!?
「…岡さんッ!?」
 廊下に出て、直ぐに駿は岡に問う。こんな大事な事をなんで言わないのかと。駿にもまだ事の全体像は掴めていない。だが、明らかに潤が連れ去られたという事だけは事実なのだ。大事だ。これは刑事事件なのだ。
 だが岡は、これが先程まで正体も無くして取り乱していた男なのかと思う程、人前では落ち着いている。
「駿君、事を荒立てるな」
「ーーだって…っぐ!?」
 岡は駿の口を押さえ黙らせると、そのまま自分の車に駿を乗せた。
「…さっきは殴って済まなかった」
「そ…そんな事はいいんですもう、大体先に手をあげたのはオレなんですから…」
 破壊力は雲泥の差だったが、先に手を出したのは駿だ。殴り返されたのも自業自得、お互い様。確かに、かなり痛かったが。
「それよりも…なんで夕貴さんのことを!?…はやく警察に連絡を!!」
「話を大きくしないでくれ駿君ッ!相手を刺激して潤に何かあったらどうする!?」
「でもッ!」
「…奴の狙いは潤じゃない…私だッ!」
「え!?」
 岡は携帯を取り出すと、すばやく何所かに電話をかけ始めた。英語で何件も。駿にはその内容はわからないが、切羽詰まったような岡の様子からして、ただの仕事の電話なんかではなさそうだ。ましてこんな時なのだから。
「岡…さん?一体どこに…」
 一通りの電話が終わった頃、駿は岡に話し掛けた。
「……奴は必ず海外に飛ぶ。勝手の解らないこの日本に長居する程の浅知恵じゃない。今日中には発つだろう………逃がしはせん…絶対に!」 
「…………あ…」
 これは金目当ての誘拐事件なんかじゃない。駿は漸くそう気がついた。第一、潤は岡の子供でもなんでもない。いくら岡が大富豪だからといって、家族でも無い仕事仲間の人間を人質にするなんてのも妙な話だ。これは、岡と潤が特別な関係であることを知っていなくては起こり得ない犯行。二人に近い者、知人、そして恨みを持つもの…。
「………犯人に、心当たりが…あるんですね?」
「………」

 駿は岡の顔を見た。岡は眉間に皺を寄せたまま、前方を睨み付け、無言で車を発進させる。

 岡のその憎々しい表情を、駿はどこかで見たことがあった。過去に一度だけ、そんな顔の岡をどこかで見たような記憶が…
「ーーー!!」

 ゾクッと駿の背筋に寒気が走る。駿の記憶に嫌な笑みを浮かべた口元が思い出された。一度見たら忘れない、そのいやらしい口元。
 そうだ、あれは、あの男と再会した時に岡が見せた表情だった。
「絶対ヤツは向こうからアプローチしてくる…私になんらかの接触をして来るだろう…」
 そうでなければ潤を連れ去る意味がない、と岡は付け足した。
 潤は『奴』とは何の接触もしていなかった。岡が奴と再会したのとほぼ同時に潤は帰国した。そして奴にとっての最後のレース、その観戦の為だけに潤は再び渡仏してきた。その時の騎手は潤では無く、駿。潤は奴の目につくような事は何一つしていないハズなのだ、それなのに。
「………潤が…一体何をした…?」
「岡…さん…」
「ヤツを殴ったのは私だ…ヤツの馬主権を没収させるよう調査に協力したのも私だ……潤がヤツに何をした!?何もしていない、潤は関係ない!教えてくれ駿君!潤がヤツに何をした!?何故潤が狙われなければならないんだッ!?」

「岡さん…」
 サングラス越しの岡の痛切な瞳が駿に答えを求めるように訴えかける。 見ていられなくなるような痛々しい視線に駿は目線を反らす。そんな事を駿に聞かれたってわからない。それは岡だって百も承知だろう。だが聞かずにはいられないのだ。
 潤が狙われるその理由…いや、一つだけ思い当たる事が駿にはあった。それを思い出す。
「…そうですね…確かに夕貴さんは何もしていませんよ岡さん…ただ、あなたは一つ重大なミスをしたかもしれません…」
「…何…?」
「あの日、あのレースで…あなたは夕貴さんを隣に座らせた」
「な…!?」
 それがなんだというのか。岡にとっても潤にとってもいつも通りの当たり前の事だった。オーナーである岡の隣に専属騎手の潤が座る事は何の不自然も無い事だ。 そう、日本では。だがそんな事を知らない外国では、明らかに馬主では無いだろう少年が馬主席に居る事を不思議そうに見る者も少なく無かった。そして岡がその隣に来ると、皆妙に納得した視線をおくっていたのだ。
「夕貴さんを…あなたは何の迷いも無く、自分の隣に座らせた…それがあなたの……唯一のミスだったんです。それが…夕貴さんが狙われた原因なんじゃないでしょうか…」
「ーーー!」
 あの日、馬主席の中でただでさえ潤の存在は一際浮いて見えた。 年輩の馬主層の中に一人だけ若く麗しい東洋の少年。人目を惹かないわけが無かった。
 なぜその少年がそこにいるのか?その少年は誰なのか?岡にとって何なのか? その時にそこに目をつけられたとしか考えようが無い。あの日のたったあれだけの行動で、岡にとって潤が特別である事を見抜かれてしまったのだ。 そして密かに調べたのだろう、二人の特別な関係を。
「あれが!?…くそッ…あれだけで……!」
 岡が悪いわけじゃない。誰が悪いなんていえない。ただ、あの男に目をつける要因を不運にも与えてしまっただけだ。
「岡さん落ち着いて…あ!?…前、赤ッ!信号赤です!!」
「!?」
 前を良く見ていなかった岡は、駿の声に慌てて急ブレーキをふむ。交差点に差し掛かりかけていた車は、停止線を僅かに通り越し、なんとか停止した。
「あ…ぶな…」
「…すまん駿君……」
 動揺した精神を落ち着けながら、岡は一呼吸する。
「 済まないついでに…ここで降りてもらってもいいかな…?」
「え?」
 岡は自動で助手席のドアを開けた。
「私は急ぎで行く所が出来た…どうも君の家まで遅れそうにない」

「………」
 岡の急ぎの用事…どこに行くかはわからなくても、何の為なのかは手に取るようによくわかる。
「降りません」
「駿君?」
 岡は警察にも頼らずに、一人で探すつもりなんだろう。
「…僕も行きます!」
「何を言って…」
 岡の表情が少し険しくなった。
「オレ、 たぶん犯人を見ています…!見たんですあの時!」
「!?」
「外国人らしい6人組でした…今思えばきっとあれが犯人で…オレ、見ていたんです!夕貴さんが連れていかれるのを、黙って見過ごしていたんです…ただ黙って…!」
 ジョッキールームからすれ違いに出ていった作業員。なぜジョッキールームの方から作業員が来るのか? 今思えば、自然のようでとても不自然。その時にその事に気がついていれば…駿はそれが悔まれてならないのだ。それは岡が、何故最初に潤の元にいかなかったのかと悔むのと同じく、後になってから気付く事だったとしても。
「オレも連れていって下さい岡さん…お願いします!」
「しかし…」
「お願いします!」
 駿の目は本気だった。
「あの時…あいつの馬を負かした騎手は夕貴さんじゃない…オレだ!本来オレが狙われたっておかしく無い、いや狙われるべきだったんだ…オレは決して無関係な人間じゃないんですよ?岡さん!もしオレがあの時あいつに……勝たせていれば、こんなことにはならなかったかも…」
 それが騎手にとってどれだけ屈辱的な八百長であっても、今回の事件を回避出来たのならば駿はそれでも良かった。
 あの時はただ必死だった、勝ちたかった。だがその自分の招いた結果で、潤がこんな事になるなんて。
「…駿君…もういい…」
「…っお願いします!」
「…………」
  バタン
 岡は黙ってドアを閉めた。
「…岡…さん?」
 あの時こうしていれば…そう感じる責任感と後悔、二人は同じ物を抱えているのだ。
「………いくぞ駿君」
「…は…はい!」
 駿は少し驚きながらも即座に返事を返した。

「…しばらく…家には帰れんかもしれんぞ」
「…はい!」
 信号が変わり、岡はアクセルを踏む。

 車は走り出す。
 一路、空港へと。

 




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 だったら岡にとって馬は物なのか?そう聞かれると返答に困るのですが(苦笑)少なくとも、馬は馬主の所有物だからね。とりあえず百歩譲って物として受け止めたと言う事で。
 しかし潤が全然出て来て無いよ(苦)まぁとりあえずこっちサイドも書いておきたかったので一応。
書きたかったのは 岡と駿のやりとりですね、ていうか殴り合い(笑) 岡さん昔は拳でブイブイいわせてたから、ケンカそうとう強いんだろうなーなんてさ。原作でヤツを殴った時だって顔面陥没しそうな勢いだったしね(笑)

 それにしてもなんか岡さんがヘタレだね?駿の方が冷静にも見える。ダメダメだな岡恭一郎!(お前がだよ) 

2003.03.09

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