『見つめて欲しい』
<5>
『…起きて、手塚』
「ーーーー!」
そんな声が聞こえた気がして、手塚は急に目を覚ました。
「……気のせい…か」
部屋には不二はいなかった。誰も居ない。この時間はいつも不二は学校に行っているのだ。
不二が学校に行っている間も手塚の拘束が外される事は無い。脚の拘束は不二が行為をしやすいようにいつしか外されていたが、両腕の戒めはたとえ手塚の腕が傷付いていようが関係なかった。
これが外されるのは、用を足す時だけ。勿論不二が居なければ外されないのだから、不二が帰って来るまで我慢しきれない時だって有る。だがそれも、不二に付き添われ不二に見守られる中させられるこのうえない屈辱的な仕打ちを受けるくらいなら、いっそその方が良いとまで思える程に手塚の理性は壊れ始めていた。
人としての扱いなんて、当の昔にされなくなっていた。起きている間は性的な虐待と言葉の暴力、気が狂いそうな手塚の毎日。
「…………」
手塚の視線が無意識に左手に向く。腕には包帯が巻かれていた。あれから数日たっていたが、いまだに動かせないその左腕。動かす事が恐くて、動かせない。動かそうとした時に、思い通りに動いてくれない現実を直視するのが、恐い。
『君はもうテニスが出来ないんだよ』
思い出されるのは、不二の言葉。
「………嘘だ…っ!」
誰も居ない部屋で手塚は叫んだ。
「嘘だ…嘘だッ!」
誰もいない部屋にがちャがちゃと金属音が鳴り響く。まるで左腕の分までというように右腕だけをひっきりなしに暴れさせる。
手塚をこんな所に閉じ込めておいて、自分は何事もなかったかのように、不二は学校に行っているのだ。普通に登校して、普通に部活に出て、テニスをして…
「…テ…ニス………」
手塚の瞳から涙が溢れて来る。
「…テニス…テニスがしたい…っ」
押さえきれない欲求。テニスを出来なくなってからもう数日、再び出来る日が訪れるかどうかも保証されない現実。
「…大石…菊丸…乾…河村…桃城…海堂………越…前…っ…誰…か…ッ、助けて……誰か……誰か助けて…ッ!」
誰も居ない部屋で、手塚は叫んだ。
「俺はここだ…ここに居るッ!誰か…誰かッ…!!」
手塚は必死に暴れた。毎日繰り返す無駄な行為。 誰もいない部屋にがちャがちゃと金属音が鳴り響く。そんな事をしても体力が消耗するだけで無駄だという事も、いままでの経験上わかってはいた。
だが今日は、違った。その無駄な行動に思っても無い結果が訪れたのだ。手塚がいつものように右手を引っ張ったり捩ったりして暴れている、その時だった。
ズルッ!
「!?」
半狂乱になっていた手塚は、いつもとは違う感触に瞬時に我にかえる。手首の皮が剥ける痛みと共に、滑るような感触。
手塚はゆっくりと右手を見る。
「……あ……!?」
手塚が見たものは、手錠から抜けた己の腕だった。赤く剥けた手塚の手首は、何にも拘束されてはいない。
「……抜……けた…?」
筋肉が堕ち痩せこけた腕は血で滑り、強引に手錠から抜けたのだ。
「抜けた……外れた…外れた!?」
手塚は数日ぶりに自由になった右腕を目の前にかざすと、握ったり開いたりして確かめる。確かに、右手が抜けたのだ。夢では無い、右手が自由になったのだ。手塚の脳裏に僅かな望みが生まれる。
手塚はすかさず身を捩って体を起こすと、左腕の手首に付けられた手錠につかみかかった。玩具にしては強固すぎる拘束具は素手では外せない。だが腕のとどく範囲に外すのに何か役立ちそうな道具も見当たらない。
「…外れろ…くそっ!外れろッ!!」
手塚は痛む左腕を右手で持ち上げ、闇雲にひっぱった。手首がみるみる赤く染まり、引っ掛かる衝撃の度に腕の傷に激痛が走る。それでも、やめない。
また、誰もいない部屋にがちャがちゃと金属音が鳴り響く。
「ちくしょおぉっ…外れろっ…外れてくれ!!」
手塚は祈るように腕を引いた。
ガチャン!!
「!?」
力任せに腕を引いた瞬間、急に引っ掛かる抵抗がなくなり、手塚はベットから転げ落ちた。
「あ…っつぅ…」
鈍く痛む体を起こすと、手塚は思い出したように左手首を見る。
手錠がついていた。やっぱり手錠はついたままだった。だが手塚はベットから落ちた…そう、手首から抜けはしなかったが、固定されていた金具の方が壊れたのだ。
「は…外れ……た?外れた…!!……これで、自由だ…俺は自由になったんだ!」
体が自由に動かせるという当たり前の事になんとも言えぬ幸福感が込み上げる。だがいつまでもその喜びに浸っている場合ではない、いつ不二が帰ってくるかわからないのだ。
「…ここから早く逃げなくては…!」
時計の無いこの部屋は、今が何時なのかがわからない。今この瞬間にも不二がすぐそこまで来ているかもしれない。
手塚はよろよろと立ち上がるとドアに手を延ばし内鍵を外した。
ガチャ…
「ーーくッ!?」
だが扉は開かない。鍵は2重にかけられているらしく、外鍵は中からは開ける事の出来ない造りになっている。
「くそッ…!」
ガチャガチャッ!!
なんどやっても鍵は開かない。勿論、電話などもこの部屋にはない。
もし手塚が逃げ出そうとしても、逃げられないように周到に最初から用意されていたのだ。そうまでして、手塚を手に入れる為に。
「…そうだ…窓…!」
手塚はいつまでも開く見込みの無いドアには見切りを付け、新たな可能性に望みをかける。振り返った手塚の視界にはブラインドの閉められた窓が見える。この窓が開けられたのを見た事はない。だからここが一体どこなのか、手塚には見当もつかないが、とにかくあの男から逃れる事はできる。
手塚は窓に駆け寄るとブラインドを勢い良くあげた。
「ーーっ!」
差し込んだ眩しい陽の光に視界を奪われる。眩しさに目を閉じた手塚は、手探りで窓を開けた。途端に騒々しい騒音が部屋に飛び込んで来る。それは初めて聞く音では無い。
手塚は目が慣れて来ると、ゆっくり瞳を開き窓の外を見た。
そして、驚愕する。
「!?」
目もくらむ程の、高層ビルから見下ろす景色。ここは何階だというのだろうか。
「…東…京…?」
だが見える景色は見覚えがあった。ここは都心のど真ん中、どこかの高層ビルの一室。
「こんな…所だったのか…」
どこか人里離れた建物の一室かと思っていた。どこかの山奥かとも思っていた。逃げだせれば不二から隠れるところなどいくらでもあると思っていた。だがよく考えれば不二は毎日学校に行っていたのだ…ここは東京、当然の事だ。手塚は目の前に広がる見なれた景色の見なれない構図に愕然とする。山奥の方がまだましだった。この高さの窓から脱出することは…どう考えても不可能。
「…良い景色でしょ?」
「!?」
背後から聞こえた声に手塚が硬直する。振り返るのが恐い。あの笑みを見るのが。
「…ほら、もっと良く見てみなよ」
声の主は、背後から近付いてくると後ろから手塚の肩を強く押した。
「!」
足下のフラつく手塚の体は、ぐらりと窓の外へと上半身を投げ出される。
「…ッわあぁッ!?」
咄嗟に右腕が、そして左腕が窓の枠を掴む。まるで鉄棒の上に腹から二つ折りになっているような体勢で手塚の体は何とか止まった。 手塚の体にどっと冷や汗が湧き出る。もう少しで落ちる所だった。
「不二っ…あ…ぶな…ッ…!」
「手塚…僕から逃げようとしたんだね…?」
「!!」
恐ろしく冷たい不二の声。今、不二の顔を見たく無い。 それはそれは冷めた目で、手塚を見下ろしているのだろう。
「ち…違…」
「そうなんだね?」
不二の手が、窓枠を掴む手塚の指に触れる。
「え…!?」
不二は窓枠を掴む手塚の指を、ゆっくりとほどきはじめていた。手塚の全身をゾクリと悪寒が走る。
ーーー落とされるッ!?
本気の殺意を手塚は感じた。さっきのも落ちる所だったのではない。落とされる所だったのだ。
ーーー殺される!
「違う!違う不二ッ!か…風に、あたりたくなっただけなんだ…お前から逃げようなんて、少しも…思ってな…い」
手塚は必死に見え透いた嘘をつく。自分を守る為の必死の嘘。こんな時につく嘘にも罪なんてあるのだろうか。
「違う?………そうだよね、君が僕から逃げたいなんて…思うわけないよね?」
「…そ…そうだ不二…お前の…いう通りだ…」
たとえどんなに見え透いていてもいいのだ。この不二には。 逆らわない手塚国光が其所にあれば、彼は満足する。手塚の生命は守られる。
「…そうだよねぇ?」
不二の声が次第に上機嫌に変化してくるのがわかる。
これでいい。こうするしか…ない。
安堵する手塚の瞳には涙が滲んでいた。
「手塚はもう…僕無しじゃ生きて行けないもんね…?」
不二の手がいやらしく手塚の下半身を撫で上げた。
「や…」
「君の体は…こんな時まで僕を欲しがってピクピクしてるよ?」
「ひっ…!」
不二の指が露出される事が当たり前になっている手塚の窪みに触れる。そしてゆっくりと、中へ。
「……っ…」
「ホント淫乱だね…手塚は」
「…く…ッ!」
くちゅくちゅと手塚の内側を掻き回し、手塚の其処が指を締め付ける感触を楽しみながら、不二は手塚の背中をトントンと叩いた。行為に流されていく手塚の気を引くように。
「…ね、アレ見て手塚」
「…っ……?」
「飛行機!」
それが、なんだというのか。
「ここまでビルが高いとさ、地上からよりも空の方が近く感じない?」
「……ん…っう…」
内側を弄られながら、手塚は不二の言葉を耳に流す。そんな事、どうだっていい。
「アレに乗ってる彼らから、僕達がこうして…愛し合ってるのって見えるのかな?ねぇどう思う手塚?」
「……ふ…ぅ…」
…どうだっていい。
「ね?」
「んあッ!?」
突如抜かれた指の変わりに不二が挿入された。
「うあっ…あぁッ!う、あッ!ふ…じぃッ!」
手塚の上半身が危う気に揺れるのを、不二の腕が支え、自分に引き寄せる。そして手塚の上半身を窓の外にぶら下げたまま、不二は手塚の下半身を激しく突き揺らす。
「ねぇ手塚…ここに君がいるなんて誰も知らなくて…」
「ひ…ぃッ!」
「たった二人だけで誰にも気付かれずにここに居るなんて…なんだか…」
「あッ!うくッ…はぁっ…」
不二は自分よりも広い手塚の背中に腕を延ばし、手塚の白い体をぎゅっと抱きしめた。
「…凄く…ロマンチックだね?」
「ーーーー!」
不二の言葉に手塚の表情が強張り、全身に鳥肌がたった。その、あまりに非常識な感覚。
そういう感覚なのだ、この男の思考回路は。この狂人の精神は。
「……そ……そう………だ…な…」
だがこの狂人の思考回路にあわせなくては、ここには居られない。ここでは生き延びられない。この狂った密室では。
手塚は口元を引き攣らせながら、不二の望む答えを返した。
「ね?…うふふっ手塚もそう思うよね」
邪気の欠片も無いように笑う不二の声を背後に感じながら、手塚の瞳から涙が溢れ落ちる。
頬から零れビルの谷間に吸い込まれていくその手塚の涙は、きっと地上に辿り着く事も出来ないまま儚く消えていくのだろう。
2003.04.18
窓にガード無いのは何でかなんて細かい突っ込みは無しだよ(笑)そういう細かい事考えるのは嫌いさ。そういうビルもあるってことで(危険なビルだなぁ/笑)